違和(2)
軍司令にふさわしく背筋の伸びた剛直な立ち姿、ぴたりと後ろに撫でつけられた髪型に乱れは一切なく、どう見たって糞真面目な男。人がギベルを見て抱く第一印象は、実際の為人に等しい。
ギベルは褐色の目に冷ややかな光を灯し、コープルの頭から足元までへと走らせた。眉間には深い谷がいくつも刻まれている。
「制服は正しく着たまえ。内勤とはいえ治安部の一員、実働部隊の所属と同様に気を引き締めよ。不公平なきように」
「すんません。気を付けまーす」
「返事の仕方もだ。入隊訓練よりやり直すべきだな」
間髪入れずに飛んだ叱責は一分の甘さすらない声色で。さすがにコープルも軽薄な笑みを消して姿勢を正した。
音だけを聞いていたナターシャも舌を巻く。噂にはちらほらと聞いていたが、ここまでの堅物だとは思っていなかった。確かにこれは、ナコラの事件で柔軟に動かなかったのも納得だ。同時に、総監局長と犬猿の仲というのも。真面目と不真面目の両極地、上手くいくはずがない。
そしてナターシャ自身も、今回ばかりは完全に局長側だと感じた。こうして机の下に隠れていられることがありがたい。
息を殺したまま聞き耳を立てて話を聞く。ギベルが再度、来訪の目的をコープルへ伝えた。先のナコラ事件の押収品の引き受けだ。
その箱はちょうど山より運び出したところで目立つ場所にある。コープルはさも偶然を装った声を上げた。ただ、数歩出した足は少し重たげだ。
「ちょうどここにありますよ。ナコラ以前の捜査で得た押収品も含めた『人魚の夢』ほか薬物関係を中心に、他もいろいろまとめてますから適当に持って行ってください。ああっと、ナコラの治安部にも少し置いてあるんで、欲しいものがなかったら残りはあっちに聞いてください」
先に比べると声に元気が無い。それどころか明らかにギベルを鬱陶しがっている。「これ持って早く帰れ」、無音の言葉が空気に乗って流れた。
厳粛とした足音が数拍、その後、重いものを引きずりながら抱える音がした。
それから、ぽつりとギベルが呟いた。
「もしや、他に誰ぞ居るか?」
ナターシャの肩が静かに跳ねた。おもわず口を覆ったのは声が飛び出すのを避けるため。それとも既にしくじって音を立てていただろうか。姿は完全に隠れている、それは間違いない。
頭の中に拍動の音が響く。机の下の狭い空間は並ならぬ緊張感に満ち溢れた。コープルの声がさっきより遠ざかったようにすら聞こえる。
しかし、彼の調子は何もなかったかのように軽いままであった。
「ご覧の通りですよ、僕しか居ません。どうしてです?」
「いや、それならよい。きっと気のせいだ、意にかけないでくれ」
堅苦しい雰囲気を纏ったまま、あっさりとギベルは身を翻した。ナターシャが細く長く安堵の息を漏らしたのも気づかれなかったらしい。
入口の重い扉を開ける。それを半歩ほど越えて、そこで再びギベルは足を止めた。
「ちなみに、異能省の総合監視局連中が来ていたりしないだろうな?」
「いいえ? なんでそんなこと聞くんですか?」
コープルはとぼけた芝居を打った。対する反応は、ナターシャも耳をそばだてて聞く。
ギベルは少し音量を下げて苦み走った声を出した。
「総監局長にバダ・クライカ・イオニアンの関係者たる疑惑がかかっている」
「あぁ……聞きましたよー。昨日、東方総裁次殿にナイフ突きつけたんですって?」
からからとコープルが笑った。
その件に関してはナターシャも当然聞き及んでいる。むしろ今朝の中枢はその話でもちきりで、聞かない方が難しい環境であった。その感想はただ一つ、またもわけのわからないことをしでかしてくれた、と。
しかしディニアスがバダ・クライカの手先、そんなことがあるだろうか。――ありえない。ナターシャはそう睨んでいる。あれの仰ぐ神はルクノールのみ、たとえ謀略だとしても、あれほど熱心な宗教家が信仰を偽ることはあるまい。
ナターシャがそんなことを考えている他方、コープルが軽妙さはそのままにギベルに問いかけた。
「つっても、あの局長さん、普段から破天荒な人ですし、冗談半分じゃないですか? 本当に黒なんです?」
「さあな。だが疑わしきを放っておくことはできまい。彼の者の動向には注意せよ。もしなんらかの情報を求めに来た暁には、すぐに私に知らせてくれたまえ。これ以上の悪行を未然に防ぐためだ、よろしく頼む」
一方的に話を切り上げて、ギベルは扉の向こうに消えた。支えを失った途端、金属の戸はひとりでに閉じ、重い音と共に鍵がかかった。
外界と完全に遮断され、静けさが空間を塗りつぶした。再び扉が叩かれる気配も無い。
ばたばたとした足音の後、コープルの顔がナターシャの隠れ穴に覗いた。にやついて、出てこいと手招きしている。
必要が無いのならこんな窮屈な場所は早く出るに限る。ナターシャは暗がりから這い出て、ぐっと四肢を伸ばした。しかし不機嫌面。もちろん、ギベルのことによる。
「感じ悪いやつ。ナコラからあたしが手紙送った時は全然動かなかったくせにさ。何様よ一体」
「アハハ、辛辣ですね、ナターシャさん」
「だってむかつくもん。まるであたしたちまで、あいつの仲間みたいじゃない」
「そりゃ本当にそう……あー、まあ、それは置いといて。実際、僕もあの人ちょっと苦手なんですよねえ。早く特命部解散してくんないかなあ」
ギベルは本来、別島で周辺海域含む治安維持部隊の指揮に当たっている。特命部での任が解ければすぐにそちらに戻るだろう。
ともあれバダ・クライカ・イオニアンの闇を暴き、信仰の根たるエスドアの尾を捕まえないことにはなにかと平穏が訪れない。足がかりは「人魚の夢」、ここから地道に追うしかない。しかし。
コープルが得も言われぬ音を口から漏らし、がりがりと頭をかいた。
「すいませんナターシャさん。例のブツ、持ってかれちゃいました。全部まとめてあったんで。人魚のナターシャさんに見てもらえば何かわかったかもしれないのに」
さて、どうするか。
ナターシャが意識を向けたのは、自分のポケットにある「人魚の夢」。本来ならば押収物として同様に管理されるべきものだ、他人に一切見せない方が無難な判断である。
しかし、今はこれを頼るしかない。多少のリスクを負うのは仕方ないだろう。
ナターシャは口の前に人差し指を立て、しーっ、と音を出す。そうしてから、隠し持っていた物をそっと取り出し、手のひらに乗せてコープルに見せつけた。
コープルは一瞬ぎょっと目を見開いて、ひゅうと口笛を吹いた。
「内緒にしてくれる?」
「もちろんですよ! いやあ、意外としたたかなんですね。好きです、そういうとこも」
にやりとした笑みに裏はなさそうだった。
小箱の標本とナターシャの手にある物と、二つの「夢」が目の前にある。見比べると大きさや色合いが違うのがありありとわかった。前者の方が彩度が強い。
コープルは尊いものを愛でるように、二つの結晶を並べて光にかざし、感嘆の息を乱発していた。乳白がかった結晶は、しかし完全に不透明ではない。
「ああ、こうやってみると一つ一つ雰囲気違いますよね。やっぱりそういうものなんですか? 珍しいとか、効果が違うとか」
「まあね。青みが強い方がいいものなのよ。色が濃いほど力が強くって……」
「ほー。参考になります」
そんなコープルの声はナターシャに届いていなかった。水色の双眸は「夢」を凝視している。
確かに雰囲気が違う、それ自体は普通のこと。夢の主の気質の違い、あるいは心身の調子にも出来が左右される物だから。それでも青という範疇から色が外れることはない。青が濃いか薄いか、暗いか明るいかの差異だ。しかし、今コープルが持っている物、ナコラでナターシャが得た結晶には、それ以上の違和感を禁じえなかった。
ナターシャの真剣なまなざしには、コープルもにわかに緊張を示す。
「一体どうしました?」
「待って……ねえ、この部屋、もっと明るくならない?」
ナターシャの要請にコープルは即座に動いた。しかし部屋の照明自体を構うのではなく、机の引き出しを開けはなち、文具類が乱雑かつぎゅう詰めになっている中から、銀の筒を取り出した。先端にアビラ・ストーンの一種、光源石が取り付けられているペン型照明具だ。側面についた突起をスライドさせると石が明るく輝き出す。
ナターシャはコープルから筒を受け取った。これで照らし出すのはナコラで拾った方の結晶だ。右から左から眩い光を注ぎ、きらめく表面に穴が空くほど眺め渡す。
違和を感じたのは色に対して。青の濃淡が一様ではなく、場所によってかなり差があった。
それだけではない。青の奥に別の色が混じっている。それは――緑色。光源の近くで透かすと、青が薄い部分で顕著な緑の存在が確認できた。
ナターシャは嫌な汗をかいていた。生唾を飲み込んで、冷静を取り繕いコープルに問いかけた。
「あんた、これ、何色に見える?」
「青ですけど……あっ、でも、この辺とか緑が入ってますね。あーあ、宝石としてなら綺麗なのになあ、この青と緑の混じった感じ」
「それよ。緑なんて……普通だったら、絶対に出てこないのに」
掠れ震える声が、コープルにも異質さの程を十分に伝えたのだろう。深刻な眼差しで振り向いた彼と目があった。
「でも、ナターシャさん、どうしてこうなるんです?」
「……さあ。あたしも知らないわ」
赤い髪を振り乱しナターシャは両手を上げた。
普通を逸脱した緑色の「人魚の夢」、幸か不幸か、ナターシャはそれを見たことがあった。あまり楽しい記憶ではないが、今でも鮮明に浮かぶ強い思い出には相違ない。
「それがわかってたら、苦労なんてしないわよ。今も、昔も」
「昔?」
「ううん、なんでもない。とにかく、これ、どうしたらいいものかしら。そっちを考えないと」
二色を持つ結晶を見据える瞳は、物憂い色をはらんでいた。先に進んだのか、それとも壁が増えただけなのか。現状では判断しがたく、とにかく今は、無駄足にならなかったことを喜ぶしかなかった。




