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違和(1)

 深い深い海の底。静寂な水に抱かれて、人魚たちは夢を見る。幻想にたゆたう中であふれ出た魔力は、一つの結晶体となり枕もとを彩る。


 それは、深海を映した暗く強い青だ。あるいは、浅海に想い馳せた優しく明るい青だ。人魚が愛する真珠に似た結晶は、必ず海の色に染まるものだ。海しか知らぬ人魚の夢であるからして。


 今から四十年ほど昔のことだった。人魚の里に「落ちこぼれ」と揶揄される少女が居た。


 人魚ならば生来できる操水の技が使いこなせず、それに比例して泳ぎも下手くそだった。本当に人魚の娘なのか、親からも疑われたほどである。


 そんな少女はある日、夢を見た。ひどく心地の良い夢だったと覚えている。そして、彼女にとって夢が「夢」として結晶化するのはその日が初めてであった。


 出来上がったのは子供でも手の中に隠せるほどの小さな塊だった。赤毛の少女は喜んで「夢」を握りしめ、いつも馬鹿にしてくる同族たちのもとへ向かった。


 これを見せれば自分を人魚として認めてくれる。そんな想いを胸に小さな手を開いた。


 しかし、その瞬間。少女を襲ったのは非難の渦であった。


『嫌だ、気持ち悪い!』

『陸よ陸! 地上の色をしているわ!』

『誰か、長へ! やっぱりこいつは我々の仲間じゃない!』


 まるで阿鼻叫喚の絵図。その中で少女は唇を噛みしめ自分の手のひらを見た。


 小さな手に乗る小さな「夢」の結晶。それは、透き通った緑色をしていた。


 その日以来、赤い髪に水色の目をした人魚の娘は、見たことも無い海上の世界に過剰な夢を抱くようになったのであった。



Chapter 3:人魚の夢



「いやあ、実は僕の方からお話聞きにいこっかなって思ってたんですよ。最近、あまりにも『人魚の夢』での事故が多いんで」

「来てくれればよかったのに。参考くらいの話はできたわよ」

「そうなんですけどねぇ。話しを聞くにも、総監を下手に突っつくと色んな意味で睨まれますから」

「あー……まあ、そうね」

「だから、ナターシャさんから来てくれて、超、嬉しいです」


 妙に明るい笑い声が物々しい雰囲気の廊下に響き渡った。


 治安維持省、組織犯罪捜査局、通称「組犯そはん」。「人魚の夢」の裏でうごめく影を追うためにナターシャはこの部局へやってきた。そもそもナコラで壊滅させたバダ・クライカの下っ端たちを元から追っていたのは彼らなのだ。


 非常に幸運なことに、組犯局にはちょっとした知り合いがいた。コープルという名の人間の青年である。少しためらいながらも彼に素直に事情を話したところ、二つ返事で協力を買って出てくれた。


 ナターシャが案内されているのは犯罪捜査で押収してきた物品の保管室である。「人魚の夢」大量売買について、彼らが捜査していた資料もそこにあるという。


 しかし、コープルと二人きりで歩くのはなんとなく落ち着かない。原因は彼と知り合った経緯にあった。


 ちょうど一年ほど前のこと。仕事の関係でナターシャを見かけたコープルは、彼いわく「一目惚れで」惚れこんで、隙あらば猛アプローチを繰り返してきたのである。すれ違いざまに声かけはかかせない、暇があれば朝も晩もデートのお誘い、人目もはばからずど率直に愛の告白。あいにくナターシャにその気はなかったから、時にはしつこさに感嘆しつつも、周りの失笑を買いながら邪魔くさいと冷たくあしらい続けていた。


 ただそれも、半年後にナターシャが人魚であると知らしめられるまでの話。コープルのあの日の前後での転身っぷりは、呆れるほどに見事なものだった。散々、運命の恋だの、一生を添い遂げる相手だの、歯の浮くようなセリフを吐いた口は閉ざされて、すれ違いざまに目があえば回れ右して逃げ出す始末。


 ――見た目通りのヤツってことよね。


 ナターシャは人知れず溜息を吐いた。今日のコープルは始めからへらへらとした調子で、髪の毛はぼさぼさ、制服も前を開けて羽織るだけで一目にだらしない。あーあ、と気だるげな声を漏らす。


「まったく、例の闇ギルドですよ」

「何が?」

「カマコリーの連中。あれは僕らがずっと追っていて、ずっと逃げられていた連中なんですよ」


 真面目な話だ。ナターシャは表情を引き締め直した。コープルは少しだけ声を小さくした。


 「人魚の夢」異常流通を受け、組犯局は世界各地の港を重点に違法物品の売買組織を調査していた。まずは末端を捕え、そこからたどり元締めへ。時間はかかるものの、普通ならこれでうまくいく。


 しかし今回の結果は悲惨なもの。頭領と思しき者の居場所を掴んで現地治安隊と共にねぐらに突入してももぬけの空、ひどいと逆に罠にかけられ負傷者続出。挙句の果てには数多の偽情報に踊らされ、冤罪をも生み出す始末に。


 だから今回のカマコリーの闇ギルドに関しては、ことさら慎重に事を進めていた。知っていたのはコープルの他はわずか二人で、治安隊にも、はてには上長たちすら知らせないまま制圧に向かう計画を練っていた。


 そんな折に中枢を揺るがす事態が起こったのである。ナターシャとヴェルムも一枚かんだ、伝書部よりの機密流出事件である。


 つまり自分たちの捜査情報も漏れていた、組犯局は確信した。同時に、自分たちが追っている「人魚の夢」に関わる連中も、バダ・クライカ・イオニアンの関係者である可能性が高い、と。


 するとまるで話が変わる。異能集団が相手だとわかってなお組犯の力だけで解決しようとするのは無謀。でなくとも、バダ・クライカに係わる案件は特命部へ集約せよとの取り決めだ。


 対応を協議していたその時、組犯の前をふらりと通りかかったのが、総監局長、兼、特命部のディニアスだったのである。ちょうどいいとばかりに捕まえて事情を話したところ、彼は二つ返事でカマコリー突入を引き受けた。 


「ちょっと待って、なんでよりによってあいつ? 治安から特命部入ってるの大勢いるじゃない、そっちに話回してやんなさいよ」

「いやあ、アビリスタ相手ならヴィジラに動いてもらわないと無駄に死人が出るだけっすよ。知ってます? うちの局、総監さんの次くらい殉職率高いんですよ。この前も一人、『人魚の夢』の追跡中に」

「……ごめん、わかったわ。続けて」


 コープルは特に機嫌を悪くすることも無く話を続けた。とは言え、もう先は見えている。


 ずっと水面下で追っていた案件を総監局扱いにすることを、組犯はカマコリー突入の三日前に公にした。これはディニアスから指示があったという。


 そこからの展開はナターシャも知っている通り。局長は赤肌ヴェルムを引きつれて自らカマコリーに向かったが、結果、これまでと同様に見事逃げられて終わった。


 ただし今回は「たまたま」ナコラに居あわせたナターシャたちが、「偶然」闇ギルドの存在に気づいたために、上手く叩き潰すことができたのである。「非常に幸運だった」、とは事件後にコープルのもとへ報告に来たディニアスが言っていた。


 組犯としては作戦成功である、しかし、コープルは煮え切らない面持ちで吐き捨てた。


「まったく、どうなってるんだか。いくらなんでも向こうの対応が早すぎるって」

「敵に通じてるのが一人二人じゃないってことよ」

「でもさあ、怪しい人間が入り込んでたらさすがに気付くでしょ。この前のあれはヴィジラの仮面被ってたからってだけで」

「あんた、人の顔見ただけで亜人だとかアビリスタだとかってわかる?」


 ナターシャが棘のある声音で指摘すると、コープルはばつの悪い顔と共に両手を開いて首を振った。


 疑心暗鬼、嫌な風潮だ。双方がそんな空気をにじませる中、二人は目的地たる保管室にたどり着いた。

 


 組犯局の押収品にはあらゆる意味で危険なものが多い。それこそ流出したら大問題だ。ゆえに保管室には牢獄のように重く頑丈な扉が取り付けられ、施錠管理も厳重になされている。


 三種ある鍵をコープルが順に開けて、ナターシャを引きつれ中に入ると、丁寧に内鍵をかける。真っ暗な中で扉を引き確かにロックされたと確認してから、ようやく灯りをともした。


 初めて訪れたナターシャは思わずうめき声を上げた。とにかく保管室は散らかっていた。山のように積まれた木箱、物の溢れる棚、鍵のかかる金庫も複数あり、机の上も細かい物品で埋め尽くされている。総監局も雑然としているが、ここまでではない。それにこんな埃くささは自分たちの居室にはない。


「えーと人魚の夢、人魚の夢……あった、これこれ。十三年前、南方大陸港湾都市エゼストで回収した原結晶。懐かしいなあ、エゼスト。僕、あそこらへんで育ったんですよー」


 コープルが一人ではしゃぎながら、奥の棚より小さな箱を取り出して来た。大きさに関わらず両手で大事に支える木の箱は一見すると指輪入れのよう、蝶番で蓋がとめられてい。蓋には彼が喋った情報に加えて「参考資料用永久保管」と刻されている。


 手渡された箱をナターシャはためらいなく開いた。緩衝用に敷かれた綿の上に、丸く青い結晶が鎮座している。間違いなく「人魚の夢」だ。見慣れたものだから、それ以上の感動はない。


 艶やかな表面を眺めていると背中がざわついてくるのは、「夢」の持つ魔力のせいだろうか。あまり気持ちの良いものではない。ナターシャは不快感から逃げてコープルの方へと顔を向けた。


「ねえ、これより新しいものは無いの? 十三年も前じゃ、バダ・クライカができる前だわ」

「あいにく結晶はナターシャさんの事件までゼロです。砂状品なら、それこそ最近大量に。ちょっと待ってくださいねー、そこの箱にまとまってますから」


 言いながら、コープルは部屋の隅に乱雑に固められた木箱の山へと向かった。男性が両手で抱えてちょうどいい、そんな大きさである。運ぶ顔つきを見るに、重量も相応にあるらしい。


「ちょっ、そこまでたくさん!?」

「いや、面倒だから他の色々もまとめて詰め込んじゃってて――」


 にへらと笑うコープルの言葉をかき消したのは激しいノックの音だった。ごうんと鐘をついたかのような響きが部屋を震わせた。


 次いで、厳格で張りのある音声が扉の向こうよりやってきた。


「ギベルだ。特命部権限で先日のバダ・クライカ案件の押収品を引き受けに来た。開けてくれたまえ」


 ナターシャは苦虫を噛み潰した顔をした。ギベル=フージェクロ、中央治安部隊司令の一人で、特命部の一員である。本人とまともに対面したことは無いものの、ナコラ事件での一通の文書で覚えた心証の悪さは記憶に新しい。


 意外にも、コープルも似たような悪感情を露出させていた。そして、囁きよりさらに小さく絞った声でナターシャに向けて指示してくる。


「ナターシャさん! 隠れてください」

「は?」

「あの人、総監……っていうか、局長さんのこと大っ嫌いですから、早く! どこでもいいんで!」


 言われるがままナターシャは隠れ場所を探した。ディニアスとギベルの仲はともかくとして、自分自身も今は顔を合わせたくない。ナコラ港で彼の指示を無視した経緯もあるし、その上で秘密に持ち帰った「人魚の夢」をポケットに忍ばせていることもある。


 選んだのは側板がついている机の下。少し狭いが、部屋の入り口からは完全に死角になる向きで設置してあった。


 膝折り首を曲げ小さな空間にナターシャはもぐりこむ。すっぽりと隠れたのを確認してから、コープルはなおも叩かれる扉の内鍵を解いた。


 密かな出入りを防ぐため、開錠をすると仕様として大きな音が立つようになっている。がたんという響きは廊下側にも伝わった。間髪入れずに鉄の扉が押し開けられる。


 いかめしくなる靴の音。たじろいでいるコープルの前に、ギベルが押し入るように現れた。


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