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赤肌ヴェルム

 目的地は伝書部だ。総監局から向かうと宮殿内を西から東へ横切るかたちになる。二人は足早に廊下を歩き進めていた。大理石の床は未だ朝冷えから抜け出していない。


 時折、他部署の人間とすれ違うが、大半はヴェルムの姿を見てぎょっと固まる。仕方ないだろう、身長だけでも人間の大人から頭一つ飛びぬけているうえ、鍛えられた肉体が横方向へも大きく見せる。さらには顔、燃えるような赤色の皮膚に白さ際立つ目が鋭く光り、恐ろしい人外そのものだ。同じ亜人であるナターシャでも、初対面では人食い鬼の類かと身をすくめたものである。


 中身は至って理性的であるし、おっかない外見も見慣れてしまえばなんてこともないのだけれど。そこまで思って、ナターシャは首をかしげた。


「あんたも中枢来て長いはずなのに、いまだに見慣れてもらえないわけ?」

「あァ。総監の仕事場は普通は外になるからな、この広い宮殿じゃあ縁がなきゃないままだ。まあ、今朝に限っては物珍しさだけじゃないだろうが」

「ひどい偏見よね。隠してるだけで異能持ってます、って人間は他にも居るでしょうに。そっちも平等に疑ってほしいわ」

「おまえが言うかい」


 人魚であることを十年秘密にして人間ぶってきた女が、とヴェルムは呆れ混じり。ナターシャは答えに詰まって、視線を宙に泳がせたのだった。



 廊下のとある交差点に差し掛かった時だった。向かって左手から声を荒げる三人組が、大慌ての様相でやってきた。彼らはエントランス方面を目指し小走りで進む。途中、先頭に居る一番年嵩の男がふっとこちらを横目で見た。そして、足を止めた。彼はヴェルムの顔を睨み、明白な怒りをにじませている。


 一方のヴェルムも眉間に皺を寄せ、ナターシャに対して耳打ちした。


「たぶんライゾットの関係者だ」

「見ればわかるわよ」


 すべての政務官は所属部局を示す胸章を着けているから。三人組は紺青の制服の左胸に、東方総裁府の補佐官である証をきらめかせていた。


 先頭の男は逆恨みの感情に身を任せ、ヴェルムへと詰め寄って来る。後続の男女は一歩引いて見守ることにしたようだ、廊下の隅へと寄った。


 ヴェルムはさりげなく立ち位置をずらして、ナターシャをかばい立った。目の前やって来た、今にもつかみかかって来そうな男のことは、胡乱な目つきで見下ろす。


「何の用だ。恨まれる覚えは無いんだが」

「とぼけるな! この島であの方を殺す理由があるのはおまえたちだけ! この化け物、政府に寄生する悪党め!」

「悪党ってんなら、てめえらの上司の方がよっぽどそれらしいぜ? やり口も、面構えもな」

「何だと!? 貴様ぁっ!」


 男はついにヴェルムの胸倉……には手が届かなかったため、代わりに腹のあたりをつかんだ。制服がはちきれそうなほどに引っ張られるが、赤き巌のような体躯はまったく揺らがない。


「いいか!? 貴様らなど、ここで殺してやってもいいんだぞ!? 貴様ら亜人に人権などない、それがこの政府の法だ!」

「あァ、そうかい。だったらそうすりゃいいじゃねぇかよ。だが、俺も政官だ、冤罪で殺せばあんたにもケチがつくだろうけどな」


 暗にやめろとほのめかす言葉に、相手の男は悔し気に歯噛みした。それでも掴んだ手の力は抜かない。思い切って仇討ちを、いやしかし、そんな風に揺れている心が外に出ている。


 その時、第三者の足音が響いた。エントランス側より、誰かがゆっくりと歩いてくる。


 すぐに交差に現れた人影は、これも明らかに異質なものであった。宮殿内にして政務官の揃いの制服とはまったく違う、足元まで覆う長さの白いローブを纏っている。頭にはフードを被り髪一つこぼさない。なおかつ、顔は鋼鉄の仮面で完全に隠している。


 その者も揉め事を察したのだろう、足を止めて空洞の目で男たちをじっと見ている。無機質かつ不気味に。


 さすがに肝が冷えたか、男はぱっと手を放した。憎々しげな顔は変えず、咳払い一つだけ残し、連れと一緒に元の進路へと逃げるように去って行った。


 白衣の者もそれきり興味を失ったように正面に向き直り、ナターシャたちから向かって左方向へ歩き去って行った。いやに広口の袖や裾が足取りと共に揺れる様は、さながら幽霊のよう。


 通り雨が過ぎた心地である。ヴェルムの隣に歩みでながら、ナターシャは吐息混じりにぼやいた。


「感じ悪いわよね、ほんと」

「どっちが?」

「どっちも」

「同感だ。本当に、今のヴィジラは好きになれん。愛想がまるでない、人形みたいなやつらだ」


 ヴェルムが槍玉にあげるのは白ローブの方。異能監視制圧特殊官「ヴィジラ」、それが彼らの肩書であり、つまりあれでも政務官の一だ。所属は総合監視局に区分され、ナターシャたちとは同僚に近しい。ただ実体は伴っていないが。


 ヴィジラは端的に言うなら政府が使役する異能者集団だ。アビラによる反社会的行為への対抗策として設置されている。通常の総監局員が理を柱にして事件を解決に導くのに対し、ヴィジラたちは力を力で強引にねじ伏せて収める。また、あえて異質さを強調した制服を纏うことで、人々を怯ませ悪行を抑圧させる狙いもある。


 ただ。ヴィジラの装束に関しては、政府の内でも否定的な意見を持つ者が少なくない。他ならぬヴェルムもその一人だ。廊下に再び歩を進めながら、彼は溜息混じりに呟いた。


「どうせ何したって嫌がられるんだ、わざわざ見てくれ取り繕う必要あるかよ」

「顔出しでやってたら色々悪い事があったから、個人が特定されないかたちにした、ってあたしは聞いたんだけど?」

「確かにな。復讐だとか、贈賄だとか、身分証盗られてなりすましってのもあった。だが、その対策があれじゃあ、結局は個を殺されたのと同じだ。俺は、耐えられんよ」

「だからあんたはヴィジラ辞めた?」

「あァ、そうだよ。辞めたと言うか、辞めさせられたと言うか……話してなかったか?」


 ナターシャは頷いた。総監局最古参の男、ヴェルム=ラド=スカレア・グリドは元ヴィジラであった武闘派である。それは半年前に異動してから早々に聞かされていたものの、二十年も前の過去話を詳しく掘り出す機会も必要もなかった。


 そして、今も。わざわざ聞き出そうとしなくとも、おおよそ予想がつく。あの仮面の着用義務を巡ってもめたのだ。種族の別なく、亜人は亜人である事実を強く意識している。良くも、悪くも。


 中でもヴェルムは特に気にかける性質だ。彼の姓名の最後には「グリド」という呼称がつくが、これは赤肌はじめ東方系亜人の言葉で「ほまれの人」を示し、部族の中でも特別な存在に与えられるもの。


 ヴィジラの衣は個を殺す、その顔や肌の色もすべて覆い隠して他種族との境を曖昧にしてしまう。ヴェルムからすれば、己の尊厳と同時に、赤肌という種族自体を貶められた感覚だっただろう。それがいかに耐え難い苦痛であるか、さすがのナターシャにも想像はついた。


「あんた、よく政府に残ったわね」

「使命感だよ。俺は部族を代表してここに居る、そんな。おまえは……そんなものなさそうだが」

「考えたことないわ。あたしはあたしのために生きる。いつだって一人で、だから気楽よ」


 ふっとナターシャは笑った。ちょうど向かう先から外の光が差し込んでいる位置で、その笑顔は一際明るく照らし出された。



 そして外廊に出た。柱の間から直接注ぐ陽の光が目に痛い。しかし解放的な空気は心地よかった。


 東へ伸びる廊下は、しかしすぐに北へと直角に折れ曲がっている。行き着く先にある箱型の小館、そこが伝書部だ。


 曲がり角に差し掛かった時、ナターシャはふと東の遠景に目を馳せた。


 エバーダン大島、それがこの島の正式名だ。一つの島であるのに、中央部に細長い入り江が食い込んでいるため東西双子の島だと錯覚させる。宮殿があるのは西の丘上、島で最も高い位置だ。


 では東の側には何があるのかと言うと、高官たちの屋敷が居並ぶ町だった。そう、夜明け前に惨殺の現場になったライゾット=ソラーの邸宅も、入り江のすぐ向こう側にあるはずだ。決して遠くの話ではない、目に映るとようやくそう感じられる。


 ――ライゾット殺しの犯人はどこへ?


 ここは島だ。逃げたというなら、空を飛んだか、海を泳いだか、船に乗ったか。光と化して天上に消えた……それは信じない。


 そもそも、犯人は島外に離脱したのだろうか。夜から朝のわずかな間、まだどこか、人目のつかない場所に隠れているかもしれない。政務官の群れに溶け込んでいるかも。


「……怖いこと考えちゃった」

「うん?」

「さっきの仮面のヴィジラがライゾット殺しの犯人だったりして、なんてさ。傍から見たら正体わかんないわけだし。掴みかかって仮面をはいだら、それがエスドアでした、なんて事になるかも」


 ひら、と両手を開くように振り、我ながら荒唐無稽な考えだと自嘲した。


 するとヴェルムは生来真っ赤な顔から血の気を失せさせた。強い地色でも目に見えるほどの変わりよう、彼の体質が無ければ青くなっていたに違いない。


 ナターシャは腹から笑い声を上げつつ、冗談だとヴェルムの背を叩いた。


「おまえ、性質の悪い冗談は……つーか、笑うな!」

「ごめんなさい、だけど、あんたでも青ざめるんだなって!」


 息絶え絶えといったナターシャを軽く小突いてから、ヴェルムは自分の顔を叩いて気を引き締めた。


「……さあて、おまえのくそつまらん冗談は置いといて。ナターシャ、さっさと仕事を片づけるぞ」

「ええ、そうなるように頑張らせてもらうわよ」


 ナターシャとヴェルムは制服の襟を正し、毅然とした足取りで一気に伝書部に迫った。今の今まで暇そうにしていた二人の警備が訝しげにこちらを見て、立ちふさがるように扉の前へと身を出した。


「総監局です。例の案件を片づけに来ました」

「騒がせて悪いが、とりあえず邪魔しないでくれるか?」


 そして警備二人を押しのけるようにして、ナターシャたちは伝書部へと踏み入った。

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