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帰投(2)

 事件の要点のみを羅列する。愉快犯的なアビリスタにより英雄像は透明化されていた。動き回るというのは端から嘘で、金儲けや注目を得るなど人間たちの欲が話に尾ひれをつけただけ。像に細工していた犯人を確保し任務終了。振り返っても、実にあっさりとした結末である。


 それにしても。


「なんで誰も気づかなかったのかしらね。一人くらい、見えない英雄像に触ってみようとしてもおかしくないと思うんだけど。そこそこ人も居る町なのに」


 報告の最後にナターシャはそんな私感をぼんやりと付け加えた。すると、局長は小さく肩を揺らした。


「それだけ人は視覚による情報に頼っているということですよ。一度こうと決めつけて見てしまうと、真実は見えなくなってしまう。おまけに常識の枷って強いものですから。うまく誘導すれば、どんなつまらない事件も迷宮入りさせられますよ。……あぁ、ナターシャさんも実験してみます? お遊びと言い換えてもいいですが」


 有無を言わせる前にディニアスは埃を被った隣席の引き出しを漁り、四角い木の箱を取り出した。


 中身は盤上遊戯に使う半球の駒だ。白と黒の二色が存在し、それぞれに駒の種別を示す模様が刻まれている。本来は升目の引かれたボードにこの駒を並べて取り合いをするのだが、あいにくナターシャは詳しいルールを知らなかった。


 ディニアスは白黒一つずつのみを箱から拾いあげると、机の上に伏せ置かれていたカップに入れた。そして置きっぱなしの帳面で蓋をし手で押さえつけ、カップを上下左右に勢いよくふってから、ちょうど指先だけが入る隙間を開けてナターシャの眼前につきつけてきた。


「中を見ないように一つ出してください。黒を引いたらあなたの勝ちです」

「勝ったら何かある?」

「そうですねえ、勝った方が相手を言いなりにできる、としましょうか」


 したり顔の言葉にナターシャもにやりと笑んだ。勝敗は二分の一、ナターシャからしたら局長には元々逆らえない立場であることを鑑みると、圧倒的に利はこちらにある。


 ナターシャは暗闇に指を入れ、駒を探した。やがて二個の物がかちゃりとぶつかる感覚を指先でも覚える。あえて駒をひと混ぜしてから、一つをカップの縁に沿わせて引きずり出す。


 そうしてナターシャが手に入れた駒の色は――白。


「げ」

「どうやら私の勝ちですねえ。あなたが白なら、私は黒だ」

「うう……」


 恨みがましく己の手のひら上の駒を見つめる。いくら眺めていても無駄だ、白は白。ここで二分の一を引けない運の悪さが憎らしい。


 ――いや違う。


 ナターシャは眉目を上げた。この賭け、そもそもは「思い込み」という議題に対し局長が仕掛けた思考実験だったのである。であれば。


「待って、それ開けて見せなさい! あんたのことだもの、両方とも黒にすり替えてあるんでしょ」


 びしりと指摘すると、ディニアスは返しかけていた踵を元に戻した。無論、例のカップは蓋をしたままである。浮かべる笑みはどこか嬉しそうだ。


「偉いですよナターシャさん、ちゃんと気づいていただけるとは。そう、物事を観測するまでは数多の可能性が存在する、その心を忘れないように」


 初めて局長から一本奪った気がする。ナターシャは腕を組み胸を張って、鼻高々と勝ち誇った顔を見せつけた。


 その途端、ディニアスが怪しい笑みを浮かべた。ただし、といやにねっとりとした声で言葉を続ける。


「ああ、ナターシャさん、あなたは少しばかり決めつけが過ぎて残念ですね。もっと柔軟に広く思考すべきです、そんな得意気な顔をする前に。どんな可能性であっても、絶対にありえない、なんてことはありませんから。……こんな風にね」


 そしてディニアスはカップを逆さまにした。蓋の帳面を支える手は外された、だからそれは重力に従い落ちていく。当然、カップの中身も同じだ。黒い駒がカップから飛び出した。


 だが、それだけで終わらなかった。黒の後に白、黒白黒……いや数えきれない量の駒が、さらには駒ですらない色とりどりの石が虹の滝のようにあふれ出してきたのだ。ひどく騒々しい不協和音が黄昏の総監局を通り過ぎる。


 そして最後に一粒の緑の石を吐き出すと、滝はにわかに止まった。茫然自失としてその光景を見ていたナターシャの足下には、カップ数十杯分の石でつくられた色彩の海が広がっていた。恐る恐る靴先でつついてみると、じゃらり、と音が立つ。これは幻影などではない。


 唖然としたまま局長を見る。彼は何事も無かったかのように元通り駒の箱を返し、カップを伏せ置いていた。


「これ、どういうことなのよ……」

「見ての通りですよ」

「じゃなくって」

「奇術の種を簡単に明かすと思います?」


 ナターシャは返す言葉に詰まった。事件の犯人が簡単に尻尾を見せてくれるはずがない。であったら、自分たちのような犯罪捜査員は必要ないのだ。


 神妙な空気を相も変わらず愉快に口角を引き上げている局長の笑い声が震わせた。


「こんなお遊びよりも。他に重要な話はありませんか? もう無いのであれば、私、ブロケードさんのお出迎えに行きたいのですが」

「ブロケード?」

「ええ、ブロケード=ロクシア東方総裁次。日没前には船が到着するそうですけれども、もし私がライゾットを殺したエスドアだったとしたら、無事に上陸なんかさせませんよ。亜人の権利なぞ語る身にとっては、ライゾット=ソラーとロクシア夫妻は同等の邪魔者だ、まとめて消します」


 きっぱりと言い切ったディニアスの目はヴェルムの机上にある小さな紙片に向いていた。焼け焦げた文字は、見方によっては犯行予告である。ライゾットに審判を下したことを強調し、暗に次の裁きをほのめかす。これで何も動かないようでは、なんのための特命部か。


 ただ、ナターシャにはそれ以前の次元で特命部には物申すべく事項があった。はっとしてポケットに手を突っ込んで、ギベルからのつまらない伝書を掴むと、ディニアスに押し付ける。 


「そう、これも! この前の落書きのも併せて、特命部ってのはどうなってるわけ、やる気あるの? 解決しない、手が遅い。だからああやって、また落書きばら撒かれて」

「……あぁ、ギベルさんか。そりゃなかなか動かないですよ、こればかりはどうしようもない。で、後の二つは、無視する方向で」

「は!?」

「だって、あんなの、ライゾットさんのことを忘れてくれるなって言いたいだけでしょう? だったら構わず忘れてやった方が、連中の気勢を削ぐのに効果的ですよね」


 指を立て教授するように語る内容は、冷静になれば確かにうなずけるものである。ただ、犯人が捕まらないのは冤罪をかけられた身としては納得いかない。ナターシャは七分くらい首を頷きに傾けたところで、口をへの字に曲げ黙り込んだ。


「それで、他にはもう良いですかね? そろそろ行きたいのですが」


 言いながらギベルの伝書がぐしゃぐしゃと握り込まれ、ゴミ箱に投げ捨てられた。


 もちろん良くはない。今度は彼個人を問い詰めたいことが一つある。


「あんたたちが逃がした薬物売買の連中」

「ああ。赤肌殿から聞きましたか? まあ、政府の中に内通者が居るとわかりきってますからねえ。こちらの動きが先に知らされ、ナコラに逃げられるまでは予想通りでした。その後は、あまりにも順調に進んだみたいですけど」

「おかげでこっちはひどい目に遭ったわ。死ぬところだった」

「まさか! そのためにセレンを付けたのに」


 ナターシャはみるみる顔をしかめた。窮地を救われたとは確かだが、それはそれ。公人であることを鑑みた時、セレンの行動規範については問題提起の必要がある。


「あの子は、やりすぎ。なによあれ、ちょっとのことで暴力ふるって、最後は皆殺しよ。事件の捜査には最悪よ、指導以前の問題だわ」

「ですが戦闘員としては完璧です」


 ディニアスからの素早い返答を、もう一度投げ返す手は浮かばなかった。彼女には総監局官と求められる素質が違う、そう言われてしまえばもはや言葉がない。過剰な暴力は否定しても、一切の武力を排して話し合いのみで悪事を粛正できる、そんな風に思うほどおめでたい頭もしていなかった。

 

 だから結局、使う者、この場合は特使官の指揮者たるディニアスに委ねるしかないのだ。彼が戦闘員と言うならば、そう磨かれるしかなく、ナターシャが口出しする余地はなし。代わりに漏れた溜息は、かなり不満げに聞かせてやった。


「それで。さすがに他はないですかね?」


 三度促され、ナターシャは首を横に振った。


 本当はあるにはある、ポケットに眠る人魚の夢のこと。しかしこれを出さなかったのは、一に話が長くなるため、二に出してもわかってくれないと思ったから、三に今の気分でこの男に見せるのがなんとなくむかつく。


「なし、と。そうですか。ではこれで。ああ、文書として記録はきっちり残しておいてください、事件を見届けたものの仕事ですから」


 ふふんと笑って、彼は回れ右して局の出口へと向かった。散らかした石の数々を片づけるつもりは毛頭ないらしい、足下やナターシャには目もくれず、悠然と歩き、ドアに手をかけた。

 

「あーそうそう、忘れてました!」


 ディニアスが背を向けたまま、にわかに大声を出した。


「ナターシャさん、ポケットに入れてらっしゃる物のことなんですけど」


 刹那、ナターシャの心臓が大きく跳ねた。


 ――しょうがない。


 事実ポケットに隠している物があるとは最初から気づかれていたのだ。だから、渋々という風にポケットから例の「夢」を出そうとした。急ぐ局長の時間を取らせないためには、なんと説明したものかと考えながら。


 しかし、ディニアスは変わらず背を向けたまま、手を振ってナターシャの動きを制止した。


「いいえ、出さなくてよろしい。別に寄越せと言ってるわけではありません、私には幻の快楽など必要ありませんから。そもそも私、夢なんてもの見たことがありませんしねえ。あなたと同じで」


 くっくという笑い声で締めくくられた言葉にナターシャの肝が冷えた。幻覚、夢、まるでここに何が、どんな力のものがあるかを知っている語りようだ。おかしい、そもそも彼に人魚の夢とは何かを問われたのに。


 硬直するナターシャに、言葉による一方的な追撃が襲い来る。


「それを拾って来たことは極力内密にすべきでしょうね。あなたが思う以上に治安の連中はよく調べていますよ、下手に出して見せびらかせば疑われるのはあなた自身だ。薬のことは知っていても、地上の人魚は夢を見ない、そんなことまで普通の人間は知らないですからねぇ」

「ま、待って、あんた……ちょっと待って……」

「扱いはあなたの方がよっぽど心得ていると思うので、私からはあえて何も言いません。ああ、そうそう。くれぐれも失くさないでくださいね。案外近くまでバダ・クライカの手は――」

「勝手に独りで喋るな!」


 ふっと室内が静まり返る。ようやく局長は首をひねってナターシャをかえりみた。不気味な笑みの横顔に浮かんだ橙の左目は、妖しげに光っている様にすら見える。


 騙したな、という苛立ちと共にナターシャは局長に詰め寄った。


「なによ、知ってるんじゃない! 『人魚の夢』について!」

「ええ、もちろん。私は普通の人間なんかじゃないですから、結構いろんなことを知っているんですよ。あれ? 別に、知らないからあなたに教えてもらいたかった、ってわけで聞いたんじゃないんですけど、勘違いしてましたか? あはは、すいませんねえ、わざとそういう言い方して」

「なんで……」

「だって、そうやって言葉を投げかけておけば、日頃の中で意識するでしょう?」

 

 飄々と人を煽るのに特化した笑顔は、ナターシャの心を激しく揺さぶった。


「あんたは、何を、どこまで知ってるの。ほんとは全部わかってるんじゃ!」


 ディニアスはゆるりと目を伏せて、片手で柔らかく髪をかき上げる。やれやれ困ったと言わんばかりの長い息を吐いて。


 それから一転、満点の下衆な顔で高らかと叫んだ。


「教えなぁい!」


 ナターシャの感情が沸点に達した。鬼のように表情を歪め、つんとそっぽを向いて、ついでに背中も向けて、勢いのままに宣言する。


「聞きたいなんて言ってない! いいわよ、自分で調べるから! さっさと消えろ!」

「そおですかあ! じゃあ、ご自由にぃ」


 にや、と笑みを残して、局長は颯爽とドアの向こうに消えた。それからしばらく上機嫌な高笑いが廊下に響き渡っていた。


 しばらく立ち尽くしたまま過ぎる。時間と共に冷静に立ち帰って、ナターシャはなんとなく察した。


「あたし……もしかして、はめられた?」


 すべてはナターシャを自ら「人魚の夢」の捜査に向かわせるための誘導だったのでは。今日の問答どころではなく、下手すれば、英雄像騒動の頭から。


 気づいた瞬間めまいがした。踊らされっぱなしだ、あの性悪な局長にも、そしてバダ・クライカ・イオニアンにも。


 どっと疲れが襲ってくる。ポケットに入れた「夢」が重さを増しているような気すらする。ふらふらと自分の席に戻る。椅子に体を落として、天井を仰ぐ。


 ――言っちゃったからなあ。


 一度やると言ってしまった以上、やっぱりやめたと言える性格ではなかった。踊らされるのは癪に障る、が、どうせ舞台に立たなければいけないのなら懸命に立派に踊ってみせよう、最後に幕が下りたとき、勝者となっていれば十分だ。


 その勝負の幕開けは明日より。今日はさっさと帰って休むべし、心身の切り替えは大切だ。黄昏深まる窓の向こうを、ナターシャはくたびれた顔で眺めたのだった。

Chapter 2 ended.

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