表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/122

視る、見えざる

 いくら泣き崩れたって、自分を助けられるのは自分だけ。現実に向き合って歩き続けなければどうしようもない。


 ナターシャはむしゃくしゃを払うように前髪をかき上げ、喉につかえたもやもやを意味のない音と共に吐き出した。仕切り直しだ。



 さて、英雄像消失の瞬間に第三の人物がこの広場に居た、と。事実ならばとんでもない失態である。広場は実に視界良好、死角だから見逃したなんて言い訳は通用しない。


 だから事実だと断定したくないし、しあぐねていた。ナターシャとて監視の目は緩めたつもりはなかったから。


「でもさセレン、こんだけ開けたところじゃ、あたしだってさすがに気付くわよ。ずっと一緒に居たんだもの。でも、あたしはなんにも見てない。おかしくない?」

「しかし、私は見ました」

「うん、わかったって。ちょっと待って、考えるから」


 厳と言い張るセレンの背を軽く叩いてから、ナターシャは両手を組んで顔を伏せた。水色の目は地面に向かっているが、実際に対しているのは自分の内面だ。 


 考える、考えろ。セレンは嘘をつく性格ではない。有る無しの二択の問いであれば、誇大解釈も思い込みもやりようがない。彼女が「見た」というのなら、本当に何かが居たのだ。それが人間だと断定できなくても。


 自分が何かを見落とした? いいや、これでも異能捜査を担当する総監局の官だ、物を視る感覚は研ぎ澄ませている。さすがに動く物体に一切気がつけないなんてことはない。


 だとしたら、自分には見えなくてセレンには見えるものだった。それならば辻褄が合う。さらにその条件に該当するものがある――魔力だ。


 セレンが「見た」のは魔力の塊だったのだろう。ナターシャには見えた試しがないから、一体どんな姿をしているのかは不明だ。ただ、魔力とはアビラの使い手が持つエネルギーであり、人の体に伴っているものであるとは前提知識としてある。だとすれば、魔力が人のかたちをしていても不思議でないし、暗闇の中で人が居たと表現するのも納得できる。


 もちろん、その魔力が英雄像の事件の鍵を握っているのも自明だ。



 ナターシャの革靴が一定の調子で地面を打っていた。ああ、良い調子で思考が詰まって来た、もう少しだ、もう少しで見えないものが視えてくる。


「英雄像に命を吹き込んだ? いいえ、石像は忽然と消えた。じゃあどこに消えた、どうやって。空間を操って像を町中に送った? いいえ、そんな大それたことができる使い手は居ない。でも、じゃあ、どんな手が?」


 浮かんでこない。こんな風に思考の蔓が吹き溜まりに至ったら、前に戻って分岐をやりなおすべし。此度立ち帰るのは、噂の原点へ。


「英雄像が夜に動くのを見た。見てしまったら死ぬ。そんなことを一番最初に言い出したのは誰? 一番最初にこの現象を確認した人間は?」


 噂が立つ元凶になった目撃談はどんなものだったか。いいや、つきとめられていない。あれだけ苦労して昼間に調べ回ってもはっきりわからなかった、思い出しようがない話だ。


 いや待て。ナターシャはぴたりと動きを止めた。一件だけ、それに付随するような情報があった。ならずものによる品の無い冗談であったから、重要視はまったくしていなかったが。


『最初に言い出した奴は危ねえヤクでもヤってたんじゃねーの?』


 ここで言う薬とは、快楽に溺れるための精神興奮剤や幻覚剤の類である。薬の力により錯乱した人間が、夜に徘徊する英雄像の幻覚を見て噂になった。これだけなら少々無理筋、それこそ薬のせいだと言われて相手にされまい。


 だが。ナターシャの頭がざわざわとさざめいていた。幻覚。その単語がささくれのように意識に引っ掛かる。同時に「人魚の夢」などという単語も浮かんできたが――それは今は関係ないと、もう一度波間に沈め込む。


「幻……」


 口にも出した言葉の意味するものは、無いものをあるように見せかける現象だ。嘘、偽り、そう言いかえてもいいだろう。


「消える、出る、動く、戻る……全部、全部が、嘘をみせられていたとしたら」


 ナターシャは唇を噛んだ。まだ可能性の話だ。しかし、正解だったら噂の前提から覆る。だが筋は通る、少なくとも石像が生物に変じた上で空間転移をして暴れ回ったというシナリオよりは、人間の所業に寄ってくるだろう。


「セレン。今は何も居ないし、何も起こっていないわよね」

「はい」


 ナターシャは軽く頷いてから、固く大地を踏みしめ立ち上がった。澄んだ目で見据えるのは、島の人々に愛される英雄像の姿。凛々しく強く勇ましい、この事件以前の、初めて見た日の記憶とも何も変わらない。


 一つ目の仮説だ。広場に今あるこの像が幻で見せられた虚像、すり替えられた本物はどこか遠くの闇の中に居る。


 この真偽は今すぐ確かめられる。ナターシャは息を大きく吸った。


「セレン。もしあたしが近づいて、何か恐ろしいことが起こったら――」

「ナターシャ様の身は私がお守りします」


 皆まで言う必要は無かった。セレンの性質なら口約束をたがえることも無いだろう、是非はさておき、ぶれない忠実さには安心感を寄せていい。ナターシャは小さく頷いた。


「じゃあ、あなたはここに居て。一緒に行って共倒れとか……なんか、そういうのも起こり得るでしょ。だから、念のために」

「承知しました。では……魔弾の使用許可を」


 ああ、そんなことを言ったっけ、とナターシャはぼんやり思い出していた。もう忘れかけていた。もちろん良いとナターシャは答えると、セレンはかしこまって礼をした。


 準備はもういいだろう。ナターシャは改めて英雄像に向き直り、そして、歩みを進めた。


 警戒は解かない、月影に照らされる英雄がどんなはずみで豹変してもいいように。真相が暴かれるを防ぐために罠が仕組んであってもおかしくない。


 やがて立像が視界に大きくにそびえ立つ。手を伸ばせば触れられる、そこまで距離を詰めた頃、既にナターシャは仮説の間違いを予感した。ここに来ても何も起こらないし、何もおかしなところはない。外観はもちろん、肌感覚でも存在を感じる。


 ナターシャは右手を伸ばした。最初は石像をかすめるように触れ、それからしかと握りしめる。


 その手は確かに実を捉えていた。軽く拳を握って叩いても腕が空を切るなどせず、冷たく重い大理石の感触が、物言わぬ像の内心を主張する。我は幻覚などではない、我は現実にここにあり、と。


 石像はすり替えられたりしていなかった。それが事実。


 仮説がひとつ潰れたが、それで推理が終わりではない。逆ならどうだろう。無いものを有るとみせかけるのではなかった、それなら、有るものを無いと思い込ませていたのであれば。


「あなたは最初からずっとここに居た……?」


 うっすらと笑む英雄はもちろん何も語らない。二つ目の仮説を証明するには、今宵はもう遅すぎた。



 月沈み日昇る。筋雲が流れる空に数多の船が帆を立て、操る人々のたくましい声が響く。今日も平和な朝がナコラにやってきた。


 ナターシャたちは念のため終夜の監視を続けたが、結局というかやはりというか、妙なことは何も発生しなかった。広場を通り過ぎる夜警の団も変事を知らせることは皆無だったから、島中が平和だったのだろう。


 眠りから覚めた港町には活き活きとした人の影が行きかう。目の下に隈を作っているナターシャは場違いだ。


 予定では決戦は次の夜。万全の態勢で臨むには、少し睡眠をとった方がよい。


 しかし、その前に一つだけ確かめておきたいことがある。雨の日の英雄像の様子についてだ。予測が正しければ、雨降る夜は英雄像は消えないはず。これを調べたく、町が目覚めたと同時に眠気をおして聞き込みを行っていた。


 果たして予想は的中した。各方面より「雨の日に事件が起きたことは無い」という証言が取れた。さらに単なる悪天候で一般市民すらも家にこもった結果ではないとも確証がある。他ならぬ治安部隊から「雨の日の警邏でも消えた場面は見たことが無い」と決定的な発言が出たため。


 既にナターシャは自分の立てた仮説に信を置いていた。しかし、これを聞きこみの最中で漏らすことはなかった。推論だけで確かな証拠が無い、誰かに知られたらきっと笑われるし、噂が広まり黒幕を逃してしまうかもしれない。口には普段以上に慎重になっていた。


 だが、彼女にだけは共有しなくては。大事な相棒なのだから。


 ナターシャは往来に人の姿が途絶えた機に足を止め、セレンの方を振り返った。共に夜通しの番をさせて、朝になってからもあちこち連れ回して。それでも彼女は文句一つ言わなかったし、疲れた色すら一切見せなかった。信頼と感心、そのまなざしで彼女を見つめる。


「ねえ、セレン。これはあたしの推測だから、決定じゃないと思って聞いてほしいんだけど。それに、おかしな話だったら言ってよね」


 前置きを挟んで、ナターシャは核心を切りだした。


「英雄像は透明になっていただけで、動いてなんかいなかった。あたしたちは、いいえ、ナコラ港の住民は、『見えない』っていう幻を誰かに見せられていた。その犯人が、あなたが見たっていう人。自分も透明に見せかけていたから、あたしには何も見えなかった。それが噂の真相。後は確かめるだけ」


 見えない物を視て、導いた結論だ。


 セレンは澄んだ目で真っ直ぐにナターシャをみつめ、落ち着いた声で言った。

 

「ナターシャ様に同意します」


 二人の意志はまとまった。真偽を暴く決戦は、次の夜に起こるだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ