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異能対策省・総合監視局(2)

 いやはや面倒な事になりそうだ。この島には自分たち二人以外の亜人は居ない。居るかもしれないが、少なくとも公にはなっていない。疑いを一身に背負う羽目になる。


 それだけでなく、ことの次第では、総監局で事件の捜査をしなければならないのだ。最大の容疑者が証拠固めをして犯人を提示したところで、果たして信用してもらえるかどうか。傍から見れば滑稽極まりない。


「ヴェルム。犯人は本当に亜人なの? アビラの痕跡でもあったわけ?」

「夜中に空に向かって不自然に飛ぶ光があったそうだ。でもって、犯人は絶対に捕まらんぞ」

「なんで?」

「バダ・クライカ・イオニアン。……つーか、エスドアが直々に来た、って話らしい」


 ヴェルムが物憂げにつぶやいた内容をナターシャは心の中で反芻する。頭痛がしてきた。


 バダ・クライカ・イオニアンとは。それは、亜人や異能持ちの人間――政府の法規上では「アビリスタ」との呼称で人外扱いしている――で構成された、過激思想をもつ宗教集団である。そして彼らが抱く神の名がエスドアだ。


 神。そのような不確かなもの、ナターシャは存在を信じていない。しかしエスドアなるものに関しては、不可視不可触の存在とは少し事情が違った。


 事の発端は五年ほど前。政府の研究施設が一人の人型存在による襲撃を受けた。襲撃者はどこからともなく現れて、単身で破壊の限りを尽くして、どこへともなく忽然と姿を消した。この一件を皮切りにして、同様な事件が世界の各所で複数起こったのである。


 現場での目撃証言、その謎めいた目的、ただのアビリスタとは思えない実力、様々な点が結び付けられまことしやかに噂された。


『あれは、神話に語られる反逆の使徒・エスドアではないのか?』


 と。


 ここでいう神話とは、イオニアンの創世神話に関するもの。それによると、エスドアという名の女は創造神ルクノールの加護を受けた神の使徒でありながら、後に反逆して神殺しの罪を犯した、と。イオニアンの最大最悪の敵がエスドアであるとされている。


 一連の破壊活動は、神により封じられていたエスドアが現代に降臨し、再びイオニアンに災厄をもたらそうと起こしたものだ。ルクノールを篤く信じる宗教家が主体となり、いつしかそれは噂ではなく事実として広まっていた。


 そして、そのエスドア事件に追随するかたちで、バダ・クライカ・イオニアンなる教団が表舞台に立った。三年前のことである。


『ルクノールが創ったこの世は偽りのもの。神エスドアは邪神が蔓延らせた人間どもを排し、真なる世界を取り戻そうとしているのだ。そう、今は人間どもに虐げられている我らこそ、バダ・クライカ・イオニアン! イオニアンの真なる子であるのだ!』


 そんな題目のもとに異端者たちが結託し、現行政府への不満を爆発させ、挙句の果てには実力行使に出るようになったのだった。


 昨夜の殺人もバダ・クライカの手によるものだと言うのなら。確かに前代未聞の大事件だ。ナターシャは苦い顔を頬杖の上に置いた。


「なによ、あいつら島まで乗り込んできて、ついに戦争でも始めるつもり?」

「さあな。ただ……ライゾットの野郎が死んだって知ったら、東方の亜人は勢いづくだろう」

「そりゃ面倒なことね。あんたの前で言うのもなんだけどさ」


 ふん、とヴェルムは鼻で答えた。かくいう赤肌も、東方大陸の亜人族なのである。


 さて、昨夜の事件が大ごとであるとは理解した。しかしナターシャは他人事に捉えていた。なぜならば、バダ・クライカ・イオニアンが絡む事件は「特命部」と呼ばれる専門の部署が管轄する決まりだから。自分の身に大仕事が降りかかる可能性が消えた、それだけでも肩が楽になった。


 第三者の立ち位置で居られる。そうなった途端に、軽口だってうそぶける。


「だいたい、よ。人ひとり殺すためにわざわざ神が降りてくるなんて、言ってておかしいと思わないかしら。そんなすごい存在なら、島ごと転覆させるとかさ、やりようあるでしょうに。そうしないってことは、やっぱり神なんかの犯行じゃないのよ」

「じゃあ誰がやったって?」

「さあ? それ調べるのは特命部の仕事でしょ。あいつらがあてになるとも思えないけどさ」

「おまえは……そういうやつだよなあ」

「悪い? あたしは自分で見たものしか信じないし、自分の手で届くことしか構いたくない」


 冷めた笑みをうっすら浮かべ、肘をついたまま持ち上げた手をひらひらと振った。


 自分は総監局に籍を置く役人、他所の事件でなく自分の務めを優先すべきだ。ちょうど今日、以前から手掛けて来たとある案件が決着する。だからナターシャはライゾット事件を頭から追い出そうとした。が。


「いや待って。特命案件じゃあ、局長って、もしかして今――」

「そりゃライゾットん家に行ってるだろうよ。あいつが首つっこまずにいられるか。実際、朝からずっと見かけてないしな」


 やっぱり、とナターシャは眉を下げた。


 総監局の局長は特命部の役職も兼任している。ナターシャとは逆にバダ・クライカによる事件が身近に起こった今がまさに出番、おまけに局長自身の性格から、喜び勇んで事件現場に飛んで行ったとは容易に想像がついた。


 別に局長の不在はさほど困らない、いつものことであるし、むしろ居ない方がありがたいくらい。ナターシャは常々そう思っていた。


 ただ、今朝の場合は少々事情が違う。濡れた唇から憂悶の息がこぼれでた。


 それがヴェルムには違う理由に見えたらしく、神妙な顔になった。


「なんだ、珍しい。心配してんのか」

「はあっ!? 誰があんなやつ! ……そうじゃなくって、今朝の、どうすんのよ」


 ナターシャは半ば睨むように身を乗り出した。


 今日で決着をつける捜査案件、それは中枢の内部での犯罪行為で、これから乗り込んで犯人を確保する手はずだ。


 ただし、その逮捕拘束を行うために、局長の承認を示す証書を携行しなければいけない。そういう取り決めがある。亜人だ異能だの危険人物の寄せ集めである総監局に過剰な権限を持たせないために。もし局員が不当なことを行えば局長が連帯責任を負う、そんな仕組みで互いに互いを抑止させる。


 今朝の任務に対する承認は、今朝、つまり今のタイミングでもらうはずだったのに。


 ナターシャの憂いの正体はヴェルムも察した。しかし、彼は呆けた顔をしていた。


「何か問題あるか? 俺が居て、おまえが居る。問題ないだろうが」

「ちょっと。『総監が逮捕制圧を行う必要がある場合には、必ず局長の承認を得た書類を携行すること』。規律よ? どうすんの」


 ナターシャは至極真っ当なことを言ったつもりだ。元々肩身の狭い部署、一つの規律違反が何を招くか。


 しかし先輩たるヴェルムの意見は違ったらしい。ぐっとナターシャに正面顔を近づけ、諭すように反論する。


「現場に出れば書類なんて待ってられない状況はある。規則規則言ってる間に、状況が悪くなることだってしょっちゅうだ」

「そうかもしれないけれど……」

「だいたいなあ、あんな紙きれがあろうがなかろうが、何かあった時に叩かれるのは同じなんだ。問題が起これば局長が適当にごまかすさ、不在にしたあいつが悪い」


 ふっとヴェルムが不敵に笑んだ。


 だが、ナターシャの中にはまだくすぶるものがある。ヴェルムに負けじと目を尖らせて言った。


「それって結局、局長に責任押し付けるってことじゃない。しかも本人の居ないところで。どうなの、それ」

「……なんだ、ナターシャ、今日はどうした。おまえがあいつを気にかけるなんてよ」

「気にかけてなんかない、ただ組織の体裁を考えただけ。大嫌いだわ、あんな奴。大体、あたしがここに居るのだって、あいつのせいじゃない!」


 ナターシャの両手が机を激しく打った。ばあんという反響で弾かれた様に立ち上がる。彼女の顔は怒りに牙を剥く猛獣のようになっていた。


 ――あいつのせいで。思い出すと今でもむかつきが止まらない。


『だって、ナターシャさん、あなた、人魚ですものねえ』


 人を小馬鹿にするにやけ面と、ねちっこく責めるような耳障りな口調。頭にこびりついて離れない、そして神経を逆なでする。


 半年前にナターシャが「流刑地」送りされる原因を言い放ったあの男、それこそ、総合監視局の局長であった。


 上司と部下としての関係に私情を持ち込むべきではない。職務にあたる範囲ではナターシャはきちんと道理を守っていた。憎き局長の下でも、果たすべき責務は果たしていた。


 それでも、嫌いなものは嫌いだ。その感情自体にも嘘をつき通すには、ナターシャという人は少々素直過ぎるし情動が大きすぎた。指示は聞く、局長として仰ぎはする。が、口の利き方や態度面までを従順な部下としての色に染めきれなかった。


 普段から嫌悪はあからさまだったのに。冗談のつもりで発言したヴェルムは、今や顔を後悔の色に染めていた。


 ナターシャは今にも机を飛び越えて噛みつかんとする剣幕だった。ヴェルムは慌てて両手を挙げる。彼の方が体格も面構えも立派なのに、やや小さく見えた。


「悪りぃ、余計なこと言った。落ち着け、安心しろ。俺もあの野郎は気に食わん。おまえと同じだ」


 本音だ。癖の強い栗毛の頭をがりがりと掻きながら、ヴェルムは半分ぼやくように、半分諭すように呟いた。


「あいつは俺から見ても、ひねくれもんでいけすかねえ若造だよ。でもな、あいつが局長になってから、総監の立場が良くなったのは確かだ。あれが上じゃなけりゃ、俺もおまえもとっくに『こう』だっただろうよ」


 ヴェルムは苦笑いと共に、己の真っ赤な首を掻き切る所作を見せた。政府を追放されるのと、処断されるのと、二重の意味で。


 現局長の手腕は見事なのもの。総監に来て半年のナターシャでも思うのだから、十数年見守ってきたヴェルムは余計に感じるのだろう。かつてはそもそも局長のポスト自体が実に不安定なものだった。三年と少し前に今の局長が就任する以前は、年に一度以上の頻度で顔が変わっていた。前任者は病死であり、その前は精神を病んで政府を去って、さらにその前と前は捜査中に殉職だ。


 上でそれなら、下はもっとひどい有様だ。同僚が次々死んでいく、あるいは政府から去っていく。そんな悲惨な状況に歯止めをかけたのも現局長の功績だ。就任するなり強引な手も使いながら制度を変えて、方々からの圧を躱し、局員への不当な処分には真向から刃向かって、と動いてきた。そして、今も。


 本来ならば頭が上がらない、局長様々と讃えるべき経緯なのだが。そうしたくない、そうしないのは、一重に、人格が大問題であるから。ナターシャとヴェルムに限らず、今世界各地に散っている総監局員の総意だ。


「気苦労でどうにかなりそう」

「だが、死ぬよりゃいいだろ」

「それはそう」


 ナターシャは頬杖をつき、鼻で笑った。死んだらそれまでだ。野望や大望を抱いて居るわけではないが、無意味に死にたいとも思わない。人魚族は人間よりもずっと長生きする。その分成長も遅いのだが、ナターシャの寿命が来るまでは、まだ少なくとも百年強はあるだろう。それまで人並みの、普通の暮らしが出来れば、それでいい。


 ただ、このまま総監に居たら、寿命もがんがん縮むかもしれないけど。そんな皮肉は言葉として発せられることは無かった。


 時を告げる鐘の音が響き渡った。宮殿の随所で同時に打ち鳴らされるそれは、すべてての政務官の職務時間を平等にするためのもの。時計の針ではずれが生じてしまうから。


「さて、と。下らねえこと喋ってる内に時間だぜ。行くぞ、ナターシャ」


 ヴェルムが立ち上がる。日中に四度打ち鳴らされる鐘の一度目は、仕事開始の合図だ。このタイミングであれば、誰もが仕事場に在していると考えてよい。今日捕えるべき咎人も、だ。


 結局、証文はもらっていないまま。だが、もはや迷いは許されなかった。ヴェルムは予め集めておいた証拠品を持って、一人でもずんずん進んでいく。


 巨大な背を追うように、ナターシャも重い腰を上げた。――大丈夫だ。証拠は出そろっている、何事もなく普通に進めば、責任問題になるような荒事は起こらないはず。


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