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月下奔走(3)

 金髪の若者はぜえぜえと息を切らせて床に倒れ込み、懐に手を当てている。もしや、腹を斬られたというのか。誰か医者を、ナターシャはそう口走りかけた。


 だがその前に若者がナターシャの方を振り見た。興奮した眼光、顔にも高揚の赤がさしている。とても怪我人には見えない。口元はつりあがっていていっそ楽しげだ、何かがおかしい。


 視線が交差した後、彼は床を這うようにして向き直り、懐にあった手を勢いよくナターシャの方へ差し出しながら宣言した。  


「こっ、これです! これ!」

「はあッ、人形!?」


 反射的に叫んでしまった。そう、若者の手が掴んでいたのは黒い布を被った木片、もとい、昼間ルクノラムの教会が売っていた黒衣のルクノール人形から首がもぎとられて消失した物体だった。


 開いた口がふさがらない。確かに「切られた」はそうかもしれないが。ナターシャはとうとうその場でへたり込んだ。


 そんな反応が気に入らなかったのだろう、若者は四つん這いでナターシャに詰めより、人形をぐいぐい突き出しながら興奮した口調でわめいた。


「ちょっとちょっと、待ってくださいよ! これ、ルクノール様ですよ!? とんでもない話でしょ、なんだってそんな! 神が身代わりになって下さったんです!」

「ああ……まあ、うん。そうね」

「それにしても、ああ、なんと恐ろしい英雄像だ! 天罰も恐れないなんて……あああ、冷静になったら震えて来たぞぉ! おーい大将、ヤシ酒(トゥーバ)一丁!」


 まだ飲んでいないのに若者は既に酔っぱらったような風である。よろよろと立ち上がると、古びたカウンターの椅子に腰を下ろした。


 ナターシャもそろそろ気を取り直す。神が身代わりになったなどという世迷いごとを信じる気はないが、一応首が切られたのは事実だとして。ならば、この男は英雄像に会っている。それも今しがたの出来事だ。


 深呼吸のち心の奥から緊張感を引き出して、気に滲ませながら若者に近寄った。


「ねえ。あんた、それどこでやられたの。それを教えて」

「んー……あっち」


 ナターシャの意に反比例するように、若者は一転、気だるげになってしまった。いつ、どこで、誰が、調べるにはそれが重要なのにわかっていないのだろうか。


 苛立ちが募る。が、構っている場合ではない。今ならまだ近場をうろついている可能性が高いのに、ここで四の五の言っている時間すら惜しい。


 ナターシャは軽く礼だけ言い残し、強く床を蹴って踵を返した。


 少し遅れてセレンもついてくる。が、なぜか彼女に対し金髪の男が待ったをかけた。


「ああ、なあ、おい茶髪の姉ちゃん! これもやる! 証拠だよ、証拠。神様が身代わりになってくれたって証拠だ! 持ってけよ! きっといいことあるぜっ。なっ!」


 有無を言わせず男は人形を放り投げた。弓なりな軌道で飛んできたそれを、セレンは逃すことなく捕まえた。軽く会釈をしてからナターシャの後を追う。男が「あっち」と指さしたのは、通りを海側に向かう方角だった。


 こうして二人は酒場を去り、一直線に目標へ向かい駆け抜けた。



 結論を率直に述べると、空振りだった。指示された夜道には怪奇の影を見いだせず、それどころか騒乱の起こった気配すらもない。ひたすら左右に視野を振りながら通りを駆け抜けて、とうとう元の広場の端が見えてきてしまったのだ。


 遭遇の話を聞いたとて、動き回る英雄像が同じ場所にとどまっているはずが無いから、自分たちが会えなくても当然。それは重々わかってはいるが、ナターシャは苛立ちを露わにするのをやめられなかった。舌打ちもするし、悪態もつくし、地団駄も踏む。


 おまけに身体的な疲れも出て来た。もう深夜もいいところ、普段なら眠っている時間だ。


 仕方ない、最後にもう一度広場の捜索をやって、振り出しに戻ってしまったなら小休憩を挟もう。ナターシャは足の速度をゆるめて肩でしていた息を少しずつ鎮めていく。セレンを伴いゆっくりと歩いて、ひらけた空間に出た。


「え……」


 愕然とした。広場の中央、丹念に磨いた石の台座上に、月下に堂々と屹立する人影がある。わざわざ言うまでもない、英雄像だ。冷たい石の身体で、行方をくらませた以前となんら変わらない立ち姿を披露している。


 確かに、焦らずじっくりと考えてみれば、彷徨う石像は朝までに帰ってくるという話。であれば、確実に捕まえるなら駆けずり回らずとも、ここでずっと張っておくべきだったのだ。


 徒労。その言葉が浮かんだ途端、ナターシャは途方もない疲労と悲哀とに襲われた。ざらつく地面に崩れ、両手をつき、言葉にならない声を延々漏らす。もし一人だったなら、浅慮だった、自分の馬鹿者め、そんな己を罵る言葉を浮かぶままに口にしていただろう。


 夜のしじまに鬱の雲背負い、女ひとり崩れ落つ。その傍らに立つ人物は、表情一つ変えることなく彼女を見下ろしていた。心なしかいつも以上に視線が冷たい。自罰的になっているナターシャにはそう感じられた。


「ねえ、セレン。なんとか言いなさいよ。……『ナントカ』って言うのは無しよ。あるでしょ、一言くらい」


 指導者として不適格、振り回したのは自分に非がある。セレンからならば、どんな批判も受けるつもりだ。


 しかし、セレンは軽く首を振って言った。


「別になにも。ナターシャ様に付いていくのみですから」


 それは今までと同じく心のこもらない調子だった。しかし、今は逆に嬉しかった。ナターシャは面を上げ、うっすらと笑んだのだった。


 なおかつセレンの言は止まらなかった。手に持ったままの、若者より渡された黒衣の人形に視線を向けつつ、思い出すようにぽつりと。


「昨日、ディニアス様は、殺人像の拘束にはこだわらなくともよいと仰せでした」


 それに関してはナターシャにも記憶がある。局長より送られた文書の末に、主犯の確保に執心するな、と記されていた。混乱の全体を見渡すようにしろとも。


 長く深く息を吐く。一度考え方を変えてみるべきかもしれない。徘徊するキリング・ドール、その操り手の正体を求めるのではなく、これが何のために行われている狂気の劇なのか、犯人ではなく動機から突き詰める方へと。


 ナターシャは立ちあがると前方にある長椅子へと足を進めた。まとっていた鬱屈とした影は、方針が定まるなりどこかへ消えた。



 セレンと肩を並べ、しかし考えるのはひとまず一人胸中にて。彼女と考えをまとめる議論をするのはなかなか難しいだろう。


 誰が、ではなく、何のために。騒動を起こす利点はなんだ?


 心当たりは次々浮かぶ。危機に乗じて金儲けができる人間は多数、金ではなく名誉、あるいは信心といった無形物も教会のような組織だと有用だ。平和が脅かされた町では治安部隊が威を張る権利が発生する、だから政府関係者が自作自演で事件を起こしている可能性も排除しきれないだろう。


 もしくは、万人が利益と思うものが発生せずとも十分な場合もある。例えば単に世間を騒がせて愉悦を覚えたいだけの愉快犯、これが異能事件では意外と多いのだ。こうした他人が苦しむ様に快楽を覚える狂人が糸を引いているなら、確固たる目的が無いぶん厄介である。


 あるいはこの騒動は本来の目的ではなく、これを目くらましとして別の犯罪を隠そうとしているとは考えられないか。殺人の咎めから雲隠れするために突拍子もない噂を流した。事実ナコラ港では二人死んでいるし、それに、ライゾット事件のことだってある。火のないところに煙は立たないと言う、英雄像がライゾットを殺害したとの噂が流れた裏には、それを事実にしてしまいたい誰がが居るのでは。


 ナターシャは頭をかいた。現状、動機から考えると港町の誰しもが犯人候補になり得てしまう。確証出来ない以上、いずれの可能性も捨てたくないのだが。


 ここでようやくセレンを見た。彼女も黙して座ったままだったから、色々と考えていたのかもしれない。ナターシャには思い浮かばなかった線、あるいは見落とした手がかり。もしかしたら、気づいているかもしれない。


「セレン。あなた、なにか気になったことはある」

「あります」


 ナターシャは目の色を変えて眉を上げた。


「なに?」

「いました」

「……何が?」

「不審な人が」

「どこに⁉」

「あそこに」

「いつ!」

「像が消える前」


 一問一答、非常に気持ちの良いリズムであったが、ナターシャの心はまったく弾まなかった。体が震えているのは、ごうごうと燃え立つ怒りゆえ。


 そしてナターシャは思いの丈をぶちまけた。


「遊んでるわけじゃないのよ、あたしは! なんで、なんであんた先にそれ言わないのよ! 大事なことじゃない!」

「ナターシャ様が走り出してしまいましたので。以降、聞かれませんでしたから」

「そうだけど……そうだけどさ! 融通利かせなさい! どっかで、教えてよぉ……!」


 捜査対象に奔走させられるならまだしも、相方よりこの仕打ちとは。泣きそうになる。


「以後、気を付けます」


 セレンは言うが、果たして本当にそう思っているのか。言葉と表情は一致しない。まだ当面、いやずっと、彼女と噛み合うことは無い気がする。


 結局この晩やったことは一人で空回り。ナターシャは寂しげに輝く月を見上げ、涙がこぼれそうになるのをこらえていた。

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