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月下奔走(2)

 ナコラの港町は決して狭くない。効率を求めるなら二手に分かれるべきだ。しかし、セレンの手綱を離すわけにはいかない。自由を与えて放逐すれば、どこで何をしでかすか。来歴は理解した、それと暴挙を許すか否かはまた別の話。


 ナターシャとセレンは二人連れだって、広場から船着き場へ、埠頭から街へ、四方八方を見渡し駆けずり回った。が、失せた英雄像はおろか、それが現れたと騒ぎになっている様子もない。まったく平和な夜だった。


 人口密度が高い商業区に差し掛かっても同じだ。道行く人は見当たらない。ぽつぽつと灯りのともる軒先は夜中まで営業している酒場のものである。大半の建物は暗く静まっている。


 連なる建物から、路地の奥まで。ナターシャたちは周囲を十二分に警戒しながら、通り沿いに足を進めていった。と、向かい側から誰かがやって来た。先方が持つカンテラの火が照らす影は一つでは無く、皆が治安部隊の制服を纏っていた。夜警の最中だ、しかも、司令のマグナポーラが自ら率いている。


 ナターシャは急ぐ足を緩めて立ち止まる。すると、向こうも同様にした。意図せず数歩の間を隔てて睨み合うかたちとなった。マグナポーラは真の意味で睨んでいるようだが。


「おい総監! 今度はこんな時間に何をやってんだ!」

「仕事に決まってんじゃない、聞くまでもないでしょ!」


 馬鹿、と内心で付け加えつつ、しかし現状を教唆するように端的な言葉を続けた。

 

「英雄像が消えた!」

「はん! そんなのもう慣れっこだ!」

「じゃあ、ちゃんと探しなさいよ!」

「探してるだろうが! こうやって、毎晩な! 見つかんねーんだよ!」


 事態が進展しなくて苛立っているのはお互いさまだ。相手が悪いと言うつもりはなくても、どうしても噛みつき合いになってしまう。ナターシャからすれば、人数も権威もそろえているのだからもっと徹底的に解決を目指せと思ってしまう。


 だがマグナポーラの目線だと――


「つーか、消えてから駆けずり回るんなら、うちらと一緒じゃねえかよ! なーにが異能対応の専門だよ、てんで話になってねえ。ッたく! 使えねぇな!」


 となるわけで。さらに煽るようにちっちと舌打ちまでして見せる。幸いセレンは挑発に乗らずじっとしていた。


 ナターシャは歯噛みした。肩書きはともかく、自分は血以外は一般人と変わらないのだ。奇跡を起こすように事件を解決して回ることをを求められても困る、文句なら自分を派遣した局長に言って欲しい。


「悪かったわね。だったら、一々つっかからず、期待しないで待っててちょうだいよ。あたしは――」


 その時、派手に硝子が割れる音が夜闇の静けさを引き裂いた。


 ナターシャは口を開けたまま声を止めた。すると、後を追うように鋭い悲鳴が響いた。発生源は……右手の路地裏。


 反射的に駆け出していた。当然のごとくセレンも付き従うし、治安部隊の方も機敏な動きを見せる。


「スタフィラだけ付いてこい! 残りは巡回に戻れ!」


 後ろから追ってくるマグナポーラの威勢のいい声がナターシャの足を急き立てた。




 暗い路地裏を騒ぎのざわめきを辿って音の源泉を目指す。硝子の次の音、木箱が破壊されたか。重量感のある音響が轟いた。近い。ちょうど今横目にした店の裏手だ。このまま行けば、破壊活動の瞬間を捕えられそう。ナターシャはある種の期待を持っていた。


 仮に英雄像が凶悪な力を持っていて真向勝負する羽目になっても、セレンに加え後方にマグナポーラが居る。二対一、この機を逃す手は無い。


 だから必死に路地を進んだ。それなのに。


 があんと木箱が蹴られる音に続けて、聞こえて来たのは。


「やあってられっかよお……! ちぃくしょう、あんのジジイ……! こんにゃろ、こうだ!」


 ろれつの回っていない酔っ払いのたわごと。商業区に並ぶ店々の裏手に置かれた資材を蹴ったり壊したりし、鬱憤を晴らしているようだ。硝子を割ったのもこいつで間違いない。近くの割れ窓の建物の中で、青い顔をした若夫婦が下手人の暴威を見ている。


 ナターシャは脱力し、その背後でマグナポーラが舌打ちした。なんと紛らわしい。


「あぁ、まったくクソめんどくせえことばかりだ。おいスタフィラ、ひっ捕らえにいくぞ」

「ここは我々にお任せください。……最近多いんですよ、こういうのも」


 ぼやくように言って、治安部隊の二人が酔っ払いのもとへ歩み寄っていく。スタフィラなる隊員の言う通り、ここは総監局の出る幕ではない。ナターシャは大人しく回れ右した。


 やれやれだ、ため息も自然と出てくる。が、空振りを嘆いてばかりでも居られない。ナターシャは自分に喝を入れ直す。そのためにかけた言葉は無意識のうちに口をついて出ていた。


「人の心が荒んでるから、風紀が乱れている」

「はい」

「だから、あたしたちで元凶をとっ捕まえる」

「もとよりそのつもりです」

「気を取り直して、別のところを探さないと」

「承知しました」


 独り言のつもりだったのだが、妙に心地の良い相槌だった。ナターシャは思わずセレンを振り返る。彼女はすました顔のまま瞳を動かしナターシャを見る。あった目と目は、以前より険しい気配が薄れていた。


「さ、もうひとっ走りしましょうか」

「ナターシャ様が平気だとおっしゃるのであれば」

「……行けるわよ、失礼ね」

「申し訳ございません」


 少し会話が出来るようになってきた。それだけでナターシャの心が軽くなった。それは駆け出す足取りに反映される。次に向かう先は、元の通りをはさんだ反対側の裏通り。商業区の大通りはマグナポーラ隊が見てくれたものだと信じよう。




 商業区裏通り、それをさらに深くへ進めば、昼間ナターシャたちが徘徊した件の治安の悪い区域に至る。二件の殺人が起こったのもこちらの裏通り付近だ。


 表の大通りの静まり返りに比べると、こちらのほうがまだ起きている人間の息遣いがあった。とはいえ、あまり良い意味の活気ばかりでもないが。強面の男たちがいかがわしい臭いのする戸口を出入りしていたり、夜闇を恐れないごろつきが道端でくだを巻いて居たり。昼間より一層、異様な雰囲気だ。

 

 しかし、こんな場所に英雄像が姿を現すのだろうか。夜に生きる人の世界に出てくるなら、もっと大勢が目撃していたり、挙句死人がもっと増えていてもおかしくないのに。怪訝を抱きつつも、ナターシャは一帯を探索した。


 だがやはり闇雲に駆け回るだけでは尻尾もつかめない。しかも雰囲気に反して事件めいたものは一切感じられない、人間同士の騒乱すら起こった気配がないのだ。


 どうにも心ばかりが空回りする。何も掴めないまま息が切れるのみではよくない、少し立ち止まって呼吸を整える。もっとも息切れしているのはナターシャだけだったが。


「やっぱり、もっと、奥の方? 人気ひとけが全然無い方に、隠れているのか……でも、それじゃ、騒ぎにならないし、どうなのかしらね」


 英雄像の動きが読めないのが最大の難点だ。人間を脅かすことが目的ならもっと派手にやってもいいものを、そうはしない。だから行き先が絞れず、雲をつかむような話になっている。


「あのお兄さんの……あの家の周りとか、張ってみるべきかしら。呼ばれてるって、言ってたものね」

「確かにそう言っておりました」


 例の目撃者の青年のことだ。あまりの惨状に詳しい話を聞き出せなかったのが悔やまれるが、そればかりは仕方ない。だが「呼ぶ」という証言はとれた。つまり、彼に執着しているということだ申し訳ない気はするが、彼に釣り餌になってもらえば、英雄像は姿を見せる可能性が高い。


 体をほぐし、その場で何度か跳ねてから、ナターシャはセレンと顔を見合わせ大きく頷いた。善は急げ、身体の疲れは一旦投げ捨て、昼間の記憶を頼りに青年の家を目指す。


 と、背後から誰かが猛然とかけて来る足音が聞こえた。にわかに走る緊張感、ナターシャは強張った顔で振り返った。それに習うセレンに至っては、すでに臨戦態勢を取っていた。


 が、またも異常ではない事象であった。走って来た若者はナターシャたちには目もくれず、手前にあった酒場のドアをくぐって行ってしまった。


 なんとも間の抜けた空気が漂う。いちいち神経をとがらせるだけ無駄なのではないか?


 しかし次の叫びを耳にした瞬間、ナターシャは緩みかけた考えを改めることになる。

 

「切られたぞ! 切られたぞ!」


 発生源は若者が入っていった酒場だ。ナターシャとセレンは再び顔を見合わせて、次の呼吸で飛び出した。



 古ぼけた酒場のドアを勢いよく開く。軋んだ音は鋭く、裏手にぶつかる音は重く響いた。しかし幸い蝶番が外れることはなくドアの修理は免れた。


 ざわめいていた酒場の空気が水を打ったように静まり返る。すべての視線はナターシャに注がれていた。


 何も臆すことは無い、ナターシャはドアを手で押し付けた格好のまま、堂々と胸を張り宣言した。


「異能対策省、総合監視局です。切られたってのはどこの誰!?」


 一つ、二つの間。そして酒場にあった二十弱の視線が、床に四つん這いになり肩弾ませる若者に注がれたのだった。

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