ナコラ港にて(4)
「セッ、セレン!?」
声を裏返して名を呼べば、セレンは首のみを回してナターシャを見た。ただし力を緩める様子はない。奇妙なまでに抑揚のない口調で彼女は語る。
「ナターシャ様の身をお守りするよう、ディニアス様より仰せつかっておりますので」
またそれか、とナターシャはいい加減怒りたかった。忠実なのは良い、助けてもらったのもありがたい、しかし反応がいちいち過剰なのだ。仮にも政務官が一般市民を殺してしまうなどまずい。
「わ、わかった。うん、あたし大丈夫だから。もう、やめてあげて」
「承知しました」
言葉と共にセレンが拘束の手を解いた。
男はしばらくむせこんでいたあと、化け物でも見たように覇気のない悲鳴をあげつつ転げるように逃げていった。
それから薄暗い裏通りに炸裂したのは、ナターシャの苛立ちの稲光だった。
「あのねえ、セレン! なにやってんのよ、あんた」
「はい。私は、ナターシャ様をお守りしようと」
「それにしたってやりすぎよ。死んじゃう、あれじゃあ」
「敵対する者は殺してしまって構わないと――」
「それもあいつが言ってた!? ああ、もう! どうしてそう鵜呑みにするのよっ!」
特使官にはヴィジラと同等の権限を与える、そうディニアスは言っていた。ならば敵対する者とは異能に限られるに決まっている。ヴィジラはあくまで異能監視・取締の役職だ、一般人に対する武力行使は認められていない。
恨むべきは頭の固いセレン自身か、それとも彼女の性格を知りながら言葉足らずの指示をしたディニアスの方か。いや、どちらもだ。双方とも問題児だ。
任務が終わった暁には、局長を同じように締め上げてやる。物騒な決意をすることで、ナターシャは煮えたぎる憤怒を抑えたのであった。
「とにかく、なるべく暴力は振るわないこと。あと、あたしが『行け』って言うまで動かないようにしてちょうだい」
「承知しました」
「じゃあ行くわよ」
手で合図を送りながらナターシャは歩き始めた。周囲を見れば騒ぎを聞きつけた野次馬たちが、遠巻きに、あるいは窓から覗くようにこちらを伺っている。この連中から何か聞き出せるといいのだが。
ふと、ナターシャは足を止めた。後ろに付いてくるセレンを振り返る。先ほど調査失敗した根源、それに関して一つ伝え忘れていた。
「それと。ああは言ったけど……ありがとう、守ってくれて」
「指示に従ったのみです」
感情をこめずきっぱりと言い切った返答は、今度はどこか頼もしさを感じた。
*
景色が橙色に染まりゆく。教会が鳴らす澄んだ鐘の音は、ここ港広場まで響いてきた。ナターシャとセレンは広場の長椅子に腰を下ろし、昼の行動の振り返りを行っていた。
あの後、裏通りで見かけた人々に聞き込みを続けた。その結果新しく判明したことがある。殺された二人について、だ。
「浮浪者の男は盗みの常習犯で顔の知られた存在だった。踊り子さんも男をとっかえひっかえ、挙句に人の恋人まで盗って遊んで、あちこちから恨みを買っていた。……こんなのってさ、普通に怨恨での殺人じゃないの? 刺し殺すなんて誰にだってできるわ」
武器を持てば誰しも兵隊になれる、アビラ・ストーンを使えば誰でも異能じみた力を使える。悪意があれば一般人でも凶悪な犯行を起こすし、そうされかねない理由が殺された二人にはあった。動機と手段を持ち合わせていたら、あとはやるかやらないか、心がどちらに振れるか次第だ。
今のナコラ港の状況ならば、私怨で人殺しをしたとしても英雄像や邪竜の呪いのせいにして人の目を眩ませられる。そこに付け入った犯行で、実際に真犯人の目論見通りになっているのではないか。被害者の人となりがわかるにつれてナターシャはその可能性を強く疑い始めた。
もっともマグナポーラは通常の事件らしい痕跡が見つからなかったと言っていた。しかし、殺害から夜明けまでの間に証拠を消すくらいできるのではないだろうか、治安隊側だって英雄像騒動の色眼鏡がかかった捜査だったわけである。一夜に別の場所で二人が同時に死んだことも、たまたま偶然に噛み合った、あるいは二人の犯人により示し合わせて行われた、そうすれば納得はいく。
もちろん、今はまだ断言できることではない。それでも英雄像とは別の線が浮かんできたことは前進である。
それともう一つ、重要な証言が得られた。
「……でちゃったわね、英雄像目撃証言」
「はい」
ナターシャは悩まし気にうなだれ両手で髪をかき上げた。英雄像が動き回る、まさか本当のことだったとは。もちろん「見たら死ぬ」という噂の一部は否定されることになったが、さておくとして。
これを証言したのは一人の青年だった。出会った経緯は、彼の母親伝い。裏通りに居たナターシャたちのところへ向こうから縋り付くようにやって来た。
『英雄像を、調べていらっしゃるんですよね? その……うちの子が……』
連れられて彼女の自宅へ行き二階の部屋へと案内された。窓に暗幕を引いた暗い部屋のベッドの上、膝を抱えて震えている青年がそこに居た。目は落ちくぼみ頬はこけ手足も骨ばり血管が浮いている。母親いわく、こうなったのは五日前かららしい。その間飲まず食わず、まともに眠りもせず。
ナターシャが慎重に話を切りだせば、彼は目をぎょろつかせながら、悲愴感溢れる掠れた声で喋った。
『見たんだ……金ぴかの鎧着た、怖い顔の……石じゃないけど……あの顔の男が……けたけた笑いながら、真っ赤な目で、おれのことを……う、うう……ああああっ!』
青年は頭を抱え髪を振り乱し、苦悶の叫び声をあげた。
『今も呼ぶんだ! あいつが、夜になると、出てこいって! 海の方から呼ぶ! 行かなきゃ、でも、行ったら殺される! 死ぬ、死ぬぅッ! う、ああ、あああアアッ! がああッ!』
獣のように吠えながら青年はベッドの上でのたうち回った。彼の母親が泣き叫びながら駆け寄って、発狂する息子を抱きしめる。とても無心で直視していられる光景ではなかった。もちろん、それ以上に話を続けられるはずもない。
昼間の悲惨な親子の光景を思い出して、ナターシャは憂鬱な吐息を漏らした。前途ある若者が恐怖のあまり気が変になってしまった、母親含めて気の毒な話である。あそこまで行ってしまうと、例え事件が解明されて真実を知ったとしても、まともには戻れないだろう。『見たら死ぬ』はある意味では正しかった。
そして一刻も早くこの事件を終わらせなければいけない、そうナターシャの正義感が強く燃えあがった。同じ悲劇を繰り返してはならないから。
「セレン。何回も聞くけどさ、あの像におかしな力とかは無いのよね」
「わたしの見る限りありません」
「それは完全に信じてもいい?」
「はい。魔力の有無はわかります」
昼間の有翼人の件もある、ここはセレンを信用して推理を立てていくことにする。
さて、像自体が神秘的な力を持っているならば独りで勝手に動き始めることができるだろう。裏を返せば、持っていないなら独りでは動けない。ただの石だから。
「だとしたら、誰かが変な力を吹き込んで動かしている。しかも石の体を生きた人間に変えて。そんな大それた芸当できるのって、相当やばい奴よね……それこそ、伝説の邪竜の力とかでもおかしくない。なーんて」
ナターシャが総監局に飛ばされた際、最初に行ったのが、ヴェルムからの異能の基礎知識のレクチャーだ。知っている知らないでは事件に対応できるかがまったく違ってくる。
それによると、アビリスタの行使する力は多岐に渡るが、やはり人間の限界はあり、あまり大がかりなことをするのは困難を極めるという。例えば時間や空間を操るとか、死んだ人間を生きかえらせるとか、世の摂理が根底から破綻するようなアビラ持ちは史上で見つかっていない。訓練して身に着けられる能力でもないと言う。
『そんな理不尽が起こせるやつがいたら、そいつぁ人間じゃあねえよ。神様って言うんだ。俺たちが捕まえるどころか、泣いて縋り付かにゃならん相手さ』
ヴェルムの皮肉めいた物言いが、ナターシャの記憶にはっきりと残っている。
では大きなことではなく、単に物を操る能力となるとどうなるか。それは一番簡単な部類にくくられるそうだ。
ただし、ただ操るだけならば。人形を生きているかのように振る舞わせたり、材質そのものを著しく変貌させたりしたい、となると天賦の才と涙ぐましい努力の両方が必要になってくる。それを併せ持つ今回のような高度な能力発現となれば、果たして操り手はどんな人間か。対峙することを想像すると、少々身震いする。
ただ、ナターシャ個人は一つ安心したことがある。頭の片隅にあった疑念――同族たる人魚が絡んでいるのではないか、その疑いが晴れたため。人魚にできるのは水を操ること、どう応用したところで英雄像に命を持たせることは不可能だ。古のことはどうだかしらないが、今回に関しては潔白である。
沈みゆく陽に英雄像の影が長くなる。海鳥が頭の上で羽を休め潮風が強く吹きつけても、それは一寸たりともゆらがない。だが、夜の帳が一度下りればどうなるか。
「とにかく、現実を見てみないと話にならないわね。動き出す瞬間なら真犯人も出てくるかもしれないし。今晩は、ここで見張りましょ」
「はい」
「最悪徹夜だけど、平気?」
「問題ありません」
揺らぎのない返事が頼もしくナターシャの心に響いた。
長い夜が始まる。何が出てくるかもわからない。だが、恐れることは無いだろう。




