ナコラ港にて(2)
マグナポーラが提供した情報は、中枢宮殿に伝わっていたものを更に具体的にした内容に留まった。夜になると英雄像が姿を消し、公共物が破壊される被害が発生する。しかし誰も犯行の現場に遭遇してはいない、目撃者すら出て来ない――「見たら死ぬ」のだから当然だ。
単なる噂ではなく死人が出たのも事実だった。同じ夜に二人、船乗りの男と踊り子の女、共に心臓を刃物で貫かれて道端で血の海に沈んでいた。明け方になってから見つかった死体たちで、特に女の方は何か所も執拗に刺された上に喉を割かれるという残忍な仕打ちを受けていた。しかし犯人の痕跡も、凶器すらも見つからないまま。治安隊の全人員を割き探し回らせたのに、だ。
これはいよいよ人外の者が噛んでいるのでは。はじめは雑談の花程度だった噂が真実味を増し、ナコラの町には重い空気が流れている。そうして手をこまねく治安維持隊から総監局へと協力依頼が伝わった次第。
「ちなみに……ライゾットの事件と関係があるって聞いたんだけど?」
ナターシャがおもむろに訊ねると、マグナポーラは心底軽蔑するといった色を見せた。渋い顔で語るには、確かに憶測でそれを囁く輩が多数出てきてはいる、が。
「石だぞ? 石像を海の上にぶん投げてみろ、あっという間に沈んでさよならだ。人外が噛んでも現実見がねぇよ」
「同意見」
「つか、仮に海を飛び越えてやれるってなら、もっと死人が大勢出てるだろ」
「まったく同感」
ナターシャは大げさなまでに首を縦に振った。ここまで意見が一致するのは初めてかもしれない。
結局マグナポーラとの会談で新たに得たものは少ないまま、ナターシャは詰所を後にした。照り付ける太陽を浴びた瞬間、忘れていた疲労感がどっと押し寄せた。
「まだ何もしてないと同じなのに……」
足を止めて細く深く息を吐く。徒労の原因は、入り口横に張り付くように立っていた。ナターシャは顔にかかった前髪を手で払いのけ、ながらにその方をしかめ面で見やる。
「セレン!」
「は」
「さっきのは、どういうつもり!?」
「私はディニアス様の命令に従ったのみです」
悪びれた様子は一切無い。ただ指示に忠実なれ。この性根を叩き直すには一筋縄ではいかないだろう。
だから、これ以上ここで説教するのは無駄だ。むしゃくしゃする心を抑え込み、ナターシャはセレンに声をかけた。
「とりあえず、行くわよ」
「はい」
「あと、私が『いい』って言うまで、その魔法弾? 使わないこと」
「承知しました」
返事を聞いているだけでは優等生そのものなのだが、決して目を離してはならないし、手綱は何が何でも握っておかなければならない。捜査の相棒というより、暴れ馬の調教をしているみたいだ。そんな風に自分に呆れながらも、ナターシャは再度意志を固めた。
広場の中央に凛と立つ英雄の石像。誇らしき眼差しで見据える先には灯台が、そして広大な海が。振り上げた白石の剣は太陽の光を反射して輝いている。
平素ならば逢瀬の待ち合わせ場所などにも使わることがあるが、この情勢、近寄る者はナターシャたちのみである。
「この石像が、ねえ」
島の守護者たる威容は顕在だ。島民を襲って回るとはとても思えない。拳で像の足を叩いても、返って来るのは不動の石の感触のみ。そも、これが動いたなどと信じられない、ナターシャは眉間に皺を寄せて石像を見据えていた。だって、以前見た時となんら変わりのない立ち姿ではないか。一度でも動き回ったのなら、多少ポーズが変わったり汚れや傷がついたりするだろうに。
「セレンはどう思う?」
「どう、とは」
「えーっと……怪しいところとか、気になることとか」
セレンは無垢な瞳で石像を見上げた。しげしげと眺める様子は、初めての旅先の風景を目に焼き付ける子どものよう。
しばしの観察の後、セレンの眼はナターシャに向いた。
「なにもありません」
あまりの味気なさにナターシャはがくりとうなだれる。楽しくないのは仕方なかろうが、もう少し関心めいた様子を見せてくれてもよさそうなものだ。
それをそのまま口に出しかけたが、すんでのところで飲み込んだ。「もっと興味を持て」とは、普段はヴェルムに呈される苦言である。あまり他人のことは言えない。
気を取り直すように咳払いをし、ナターシャはセレンに真っ直ぐ向き直った。
「よし。現場を見たら、次は町の人に聞きこみをしに行きましょう」
「はい」
「退屈かもしれないけれど、それがあたしたちの仕事の基本なの。一つ一つ情報を集めて、その上で、色んな可能性を考えていくってわけ。……ああ、これ、局長の受け売りだから」
「承知しました」
ナターシャが歩き出せば、セレンも影を追うように付いてくる。向かう先は多様な人の集まる商業区だ。広場より内陸に伸びる通りを進んだところにある。
事件の実像を知るには当事者の声を聴くのが一番である。商業区の人々に話を聞いて回れば、話したくて仕方がないとばかりに色々なことを教えてくれた。
総合すると大騒ぎになっているのは間違いない。ナターシャが「英雄像の」と口にした途端、顔を青くするか、興奮してまくしたてるか。知らないとそっけない態度を取ったのは、他所の大陸から来たばかりの旅人くらいのもの。
しかし方々に飛び交った噂はてんで勝手に成長してしまったらしい。誰もが微妙に違うことを言うし、その割に具体的な様子が見えてこない。大半の話に共通しており事実だと断定していい事項は、夜にしか石像は動き出さないこと、夜出歩く人間が減ったこと、軍が昼夜問わず警備を強化していること、そして、町人には大災厄の予兆だと捉えられていることだ。
往来の真ん中で興奮して向こうから不安を吐露しに詰め寄って来た老女の話から解放された後で、ナターシャはどうにもよくない風潮だと天を仰いだ。この町の人々は恐れ怯え小さくなって目を逸らし震えている、それで真実が見えるはずがないのに。噂を聞いて信じこみ、正体を確かめることも無くレッテルを貼り、それが真相を覆い隠していることにも気づけない。被害の最中に置かれた精神状態では仕方ないことかもしれないが。
そうは言っても、ナターシャにも真実とやらが見えているわけではない。むしろ聞き込みをすることで、真偽のわからない噂話に振り回されてしまった感触もある。それでも何か手掛かりが欲しい。
事件を捜査するとは地道に歩き回ることに等しい。そして、些細な違和感も見逃さぬべし。怪しいものには何でも関心を持て。総監局に来た直後、ヴェルムにそう教えられた。それを思い起こしながら、ナターシャは商業区を巡っていた。
この街区では気になっていることがひとつある。ただし事件解決とはまた違う方向だ。喧噪に耳を傾ければ、それは次々聞こえてくる。
「石像を倒す武器はいらないかあ。棍棒一本ナイフ一本でも、持っていれば憂いなしだ!」
「壊されたものは何でも直すよ、ついでにもっと強固なものにしないかい!? 今ならお安くしとくよっ!」
「夜に出かけなきゃいけないなら、うちのギルドで用心棒やりますぜ。どうぞどうぞ、お気軽に!」
商魂たくましい人々には、悪い騒動も一儲けの好機に変わるらしい。人間の欲は時に恐れを上回った行動となる、その根性にナターシャは素直に感心していた。
「これだけ見てると、解決に来たあたしが悪者に思えちゃう」
誰にともなく呟く。物事は一面で済まないから、なかなかどうしてままならない。
「考えることたくさんだわ。ねえ、セレン……げっ」
振り向けば、セレンは異能者ギルドの呼び込みをしていた男たちを睨んでいた。ギルドとは政府によって異能を活かした商業活動が認められたアビリスタたちによる共同体である。だから当然、彼女の視線にある若者たちも魔力を持っているわけであり、ナターシャが思い起こすのは、先ほどのマグナポーラとの一件だ。
ナターシャは慌ててセレンの肩を掴んで、ねじをぐるりと回すように自分の方へと向かせた。
「セレン、ギルドはうちの省が許可を出しているの。だから構わなくていいからね。マグナポーラと一緒よ、もし彼らが何か問題を起こしたら、そのとき初めて相手にすること」
「把握しておりますし、その事項に対し特別な命令も受けておりません」
「えっ、あっ、そう……じゃあ、いいけど……。もう、まぎらわしいことしないでよ!」
「一つ一つ情報を集めよとナターシャ様が仰せったではないですか」
小首をかしげるようにするセレンにナターシャは反論できなかった。ああ、そうだ、確かにそんな事を言った、記憶している。しかし……この歯がゆさはなんだ! ナターシャは自分の太ももを拳で叩いて、得も言われぬ感情を逃がした。
ふと見ればギルドの男たちもこちらを見ている。まずいかなあ、やらかしたかなあ。あちらはあちらでそう思っている、完全に顔に書いてあった。それと共に彼らは首を振り手を振り潔白を示そうとしていた。
ナターシャも慌てて明るい顔をつくり、「違うから大丈夫」という意味で手を振ってみせ、行動で示すためその場をそそくさと去った。
商業区のはずれに至れば人のさざめきが無くなる。聞き込みをするのならここで引き返した方がよい。しかし向かいから吹く風に乗って、ナターシャの耳には今までとは別の賑やかしが届いている。
のぞむ先はゆるい上りの坂道だ。この先にあるのは何だっただろうか。商業の場から生活の場へと変わり、やや幅も狭くなる通りを見据え、ナターシャは記憶を掘り返していた。ナコラ港のことを知り尽くしているわけではないが、主要な施設の位置は頭に入っている。
「……わかった、教会だわ」
ルクノラム教の聖堂がしばらく行ったところにある。この先で喧噪が起こりそうなほど人が集まるところと言えば、それくらいしかない。
『不安を煽ることは、信仰を集めるのに最も楽な方法です』
いつか聞いた台詞が頭をよぎって、ナターシャの顔が曇る。もしや、英雄像の噂は布教を進める宗教家が? そんな説が心に浮かんだ。
捜査の進展を求めて、一路教会へと足を向けた。




