第96話 アリスの衝動
ローラン隊が横を通り過ぎてしばらくした頃――中央。
大の字で寝ている主人の隣で座っているアリスは、右翼の林間地帯と、ローランが向かった先の雷丘を交互に眺めていた。
眺めている、といっても人の姿が見えているわけではない。
見ている先から感じる魔力に反応しているのだ。
林間地帯と雷丘、それぞれから感じる2つずつの大きな魔力。
4つのうち2つの魔力の質には覚えがある。
先ほど通り過ぎていったばかりのローランと、以前脅したことがあるカイのものだ。
(残りの2つは敵のものかのう?)
アリスは正体の解らない2つの魔力が気になって仕方がなかった。
暴れ足りない。
単純な話だ。黒衣の隊との戦闘だけでは、まだアリスの戦闘狂としての気持ちが納まっていないのだ。
だがアリスは1つ引っ掛かっていることがあった。
(たしかあやつは総大将じゃったな? なぜ向こうに行ったのじゃ?)
自軍総大将であるローランが、なぜ本陣を率いて弱い方の魔力に向かっていったのかだ。
アリスが感じ取っている魔力では、雷丘に感じるものよりも、林間地帯で感じる魔力の方が強く感じているのだ。そして、その魔力の近場に感じるカイの魔力量が、みるみる小さく弱いものになっている。
アリスは少しの間思案した。
この場に主人を残して、カイを助けに行くべきかと。いや、自身の欲望に従って戦いに向かってよいのかと。
そして結論を出す。
「おいっ、猫」
「にゃんにゃ?」
アリスは、近くで座りながら猫の様な手つきで顔を掻いていたルナを呼ぶ。
短距離移動なので、四足歩行で近づくルナ。それは猫そのものにしか見えなかった。
「猫、儂は少しの間この場を離れる。じゃからその間、猫、お前が我が主人さまを護るのじゃ」
「ん~……にゃんにゃのかよくわからにゃいが、とりあえずニャアがご主人を護ればいいのだにゃ?」
「そうじゃ」
頷くアリス。
「では任せたぞ――と、その前に」
アリスは忘れ物を思い出したように、眠る主人の頬の傷から血を吸いだした。正しくは、魔力だが。
端から見ればそれは頬に口づけしているようにしか見えないが、敵がいないとはいえ戦場のここでは、そんな光景を見るものはいなかった。眼前のルナを除いては――
「にゃぁぁッ!? にゃにをしているのにゃ黄色いの!?」
ルナの主人でもあるアルヴィスに、突然キスをしだしたように見えるアリスの行動。ルナは眼を見開きしっぽをピンと逆立てた。
「ぷは……っ――なんじゃあ猫? お前さんも口づけしたいのかぁ?」
ペロリと口許についた血を舐め取りながら、挑戦的で挑発的な態度のアリス。
少々扇情的にも感じさせるのが、彼女の怖いところだ。見た目は幼女だがそんな表情をされると、アルヴィスに好意を抱く女性陣は少なからず焦りを感じてしまう。
「にゃ、ニャアは弱っているご主人の隙を襲うようにゃマネはしにゃいにゃ! お前とは違うのにゃ!」
ルナは言葉とは裏腹に、その表情は悔しそうである。
ルナの表情でアリスは満足したのか、からかうことを止めてあげることにした。
魔力を吸ったアリスは立ち上がると、「任せたぞ」ともう一度だけルナに言って近くにいた適当な馬に騎馬した。そして駆け出した目的地は、もちろん林間地帯である。
5分程で林間地帯に到着すると、馬から降りて林の奥深くへ歩いていく。
そしてしばらく――
歩き着いたアリスの視界に飛び込んだ光景は、地に伏せ血まみれのカイの姿と、今にも手にしている槍で突き殺そうとしていた長身の女の姿だった。
(こやつか――)
アリスの表情は少々厳しく、鋭い目付きへと変わっていた。
「なんだ、お前は?」
背後に立つアリスの気配に気づいた戦士風の女が振り向き、問う。
「カッカッ、なんだとは失礼なやつじゃのう。久々にゾクゾクするやつが現れたと思うたのじゃがな」
アリスは質問には答えず笑うと、左手薬指の指輪を外してもう一度笑う。
「頼むから、ガッカリさせてくれるなよ?」
ゾクリと悪寒のようなものに背中を襲われ、女戦士は嬉しさで身震いした。
こんな強いやつには会ったことがない、と。
指輪を外した瞬間、一気に溢れ出したアリスの魔力。自分以外ではこれほどの魔力量所有者とは会ったことがない女戦士は、最高の好敵手と出会えたことに震えた。
震えるせいで、槍を握る手に力が上手く入らない。
軽く深呼吸して上がる高揚を落ち着けると、穂先をアリスへ向けて魔力を高めた。
「【七つの大罪】、エレナ――参る!」




