第77話 三日月の夜に
――街へと戻ったアルヴィス一行は、みな宿屋の床についていた。往復で半日の距離である。疲労も溜まるというものだ。
だがそんな中、アルヴィス1人は眠りについていなかった。それどころか布団にすら入っていない。
アルヴィスは寝間着の上から制服のジャケットを羽織るというファッションセンスの欠片もない格好で、夜道を散歩していた。何か考え事をするとき、アルヴィスはこうして夜風に当たりながら散歩をするのが1番頭が冴えるのである。
「俺ならどこに隠れたものか……」
天から地上を照らす三日月を見上げながらぽつりと漏らす。
腕組みしながら歩き考えているその内容は、当然今回の任務についてだ。
昼間に殲滅した敵戦力の一部。
こうして冷静になって考えてみれば、あれは本当に戦力としてはほんの一部なのかもしれない。それも、比較的弱い部類の。
主力級の戦力ならば、潜んでいた山へなり狙いの街へなり何らかのアクションがあってもよいからだ。
もし自分がリーダーならば、主力の一部を失った場合どうするか。
もし自分がリーダーならば、失った戦力が痛くも痒くもない程度ならどうするか。
アルヴィスは二通りのパターンで思考を凝らしていた。
(そもそも軍隊を率いて戦を仕掛けるとき、まず俺ならどうする?)
アルヴィスは空を眺めながら街を徘徊していると、いつの間にか街外れまで辿り着いていた。
アルヴィスは「まぁいいか」と、街の門を抜けて外へと出る。
街から出ると街灯や建物から発する光が一切なくなり、夜空の星空がひときわ綺麗に輝いて見える。
「おぉ~……」
アルヴィスは思わず感嘆の声を漏らしていた。
さらに街から離れて行くと、舗装された道が終わり岩場がまじる荒れた大地となる。
アルヴィスはそんな道なき道を進み、小高い岩が乱立している場所へと行き着いた。
「あれは……?」
そこに月に照らされた1つの人影を発見する。
他よりも少し背の高い岩の天辺にあるその人影は、いや、そもそも人とは少し異なっていた。
一見すると人の形をしているが、その所々が少し違う。頭には獣の耳のような形が、そして臀部には細長い尻尾のような形がそれぞれ影で確認できる。
アルヴィスは魔獣か半魔と判断して慎重に距離を詰め寄った。
「だれにゃ?」
「ッ!?」
突然声を掛けられるアルヴィス。
対象との距離がまだ十数メートルもあり、岩場を利用し隠れながら進んでいたアルヴィスは、まさか存在に気付かれていたとは思わず肩をビクリと震わせた。
「隠れてにゃいで出てくるにゃ。早くしろにゃ。さもにゃくば、殺すぞ、人間」
「……わかった、大人しく出るから落ち着いてくれ」
アルヴィスは両手を上げて敵意が無いことを示しながら岩場の影から姿を現す。
両手を上げたまま堂々と声の主へと近寄るアルヴィスは、そこで漸く相手の本体をしっかりと視認出来た。
ボブヘアの様なショートカット気味の黒髪に、その上にはピョコンと立つ猫耳が。臀部には細く長く、同じく黒色の尻尾が伸びている。その先端のみクリーム色だ。
それ以外は人間の姿をしている女の子の姿が、岩場の天辺で座していた。
「人間、こんにゃ所でにゃにをしている?」
「……ちょっと考え事をな。あんたこそ何をしてるんだ?」
アルヴィスは質問に答えつつ、少女を観察するように見詰めた。
普通に会話ができる時点で半魔か半獣人かは確定だ。魔獣なら人の言葉は話せない。
半魔は人間と魔物とのハーフで、半獣人は人間と獣とのハーフだ。どちらも遺伝子実験の結果生まれた生物のわけだが、この見分けが実は難しい。
アリスのように、元々人間の身体を使い伝説上の生物や神といったものをモチーフにし造られた改造人間から、さらに産まれてきた子が今では半魔と呼ばれている。
つまりアリスは半魔の産みの親になる可能性があったというわけだが、彼女に関しては子を孕んだ経験はないのでその1人ではない。
同じように半獣人も、元々は人間の身体を遺伝子実験で獣と合わされ生まれたものだ。そして、その改造人間から産まれた子が半獣人となっている。
ここで問題なのが、実際に人間と知能を持った魔獣との間に産まれた子もいるということだ。アリス達のように実験によって造られた生物が生まれてから、すでに100年の時が過ぎている。そんな過ちがあってもおかしくはないだろう。
人間と魔獣との間に産まれた子を魔人と呼ぶ者も少なくないが、見た目が人間よりなのか獣よりなのか産まれてくるまでは当然わからない。だがどちらによっていても魔人は魔人のわけだが、人間によっていれば半魔と見た目が似ており、獣によっていれば半獣人に近い。
なので、本人達から聞く方法しか半魔なのか半獣人なのか、将又魔人なのかの判断が出来ない。判断が出来ないということは、そうでない普通の人間たちには怖いことだ。
だから、多くの国や街ではこのような存在は迫害を受けていることも多く、サーヴァントや戦争の道具としていいように使われていることも多い。
つまり現代のヒエラルキーでは、人間の格下として勝手に位置付けられている。そんなポジショニングにされた存在が、人間を恨んでいないはずもなく、今のように街の近くにいようものなら何かを企んでいると疑われてしまうのも仕方がないことだった。
だがアルヴィスは決して疑っているから身を潜めたわけではなく、ましてや偏見など持っていない。
なぜなら彼も現世では孤児として暮らし育ったからだ。孤児というのはそれだけで罪を犯したかのように、奴隷と変わらない扱いを受けるのだ。
そんな生活を送っていたアルヴィスは、少なからず共感を持っていた。なので今回も特に悪さをするつもりが無いと分かれば、逃がしてやろうと思っていた。
だから堂々と正体を現すし、言葉も交わす。
そんな今までの経験と違う行動を取ってくるアルヴィスに興味を持った猫耳少女は、アルヴィスの質問に応えてあげることにした。
「ニャアは月を眺めていたにゃ。今日は満月じゃにゃいから少し残念だけどにゃ」
「……そうか。――ところであんたはどっちなんだ?」
「……」
どっち、というのは恐らく半魔なのか半獣人なのかという質問だろうと、今までの経験で猫耳少女は理解していた。
いつもなら応えることなどない。
どちらの答えにせよ、人間は自分を捕まえて売るなり犯そうとするなりしてこようとしてくるからだ。
正体がどちらにしてもその見た目は愛くるしい者が多く、一部の富豪に愛玩用として高く取引される。
猫耳少女も、何度も捕らえようと襲われたことがあり、捕らわれた仲間が戻ってくることがなかった。
そしてこの猫耳少女、猫としてのパーツももちろん愛らしさを増しているファクターだが、中でも眼を引くのがその胸だ。一言で言ってしまえば、巨乳。
纏っているボロの服を内側から押し上げているその胸部は、大人バージョンのアリスに負けず劣らずの代物だ。
これだけの容姿をしていれば、かなりの高値で取引されるだろうことは、そのへんの事情に詳しくないアルヴィスですら分かってしまう。
「……ニャアは、半魔と半獣人とのハーフにゃ」
けれど、猫耳少女は応えた。
気分が良い、というのも理由のひとつだが、何故かアルヴィスは他の人間みたく襲ってくることはしないと感じたからだ。
「ワンエイスってことになるのか? さすがにそれはなんて呼ばれてるのか知らねェや。きっとあんたのような存在は珍しいんだろうな」
「だとすれば、どうするにゃ? ニャアを捕まえてみるかにゃ?」
アルヴィスの言葉に、少々敵意ある目付きに変わる猫耳少女。
けれどアルヴィスは首を横に振り、それどころか何がおかしいのか軽く笑ったのだ。
猫耳少女は訝しい顔を向けた。
その表情に気付いたアルヴィスは笑いを止め、「すまんすまん」と謝った。
「そんな気はまったくねェよ。そもそも捕まえたところで、俺にはあんたを売れるような知り合いがいねェ」
「そうかにゃ。にゃらいいが」
「つーかよ、あんたそんなボロボロの格好で寒くねェのか? よかったらこれ使ってくれ」
7月とはいえ夜は冷える。
アルヴィスは、ボロボロで穴の空いている服を着ていた猫耳少女に、自身の羽織っていたジャケットを渡してやろうと登っている岩の付近まで近づいた。
「それ以上近づくにゃ!」
「――!?」
突然叫ばれ驚くアルヴィス。
とくに不快にさせるような行動を取ったつもりがないアルヴィスは、叫ばれた訳がわからず軽く混乱状態になる。
「それ以上ニャアに近付けば、ニャアは人間をおかしくしてしまうにゃ」
「おかしく……?」
アルヴィスは猫耳少女の言葉の意味がわからず、余計に混乱してしまう。
「にゃんにゃら、試してやろうかにゃ? 人間」
「は……っ?」
猫耳少女は、岩の上から混乱顔のアルヴィスの眼前へスタッと飛び降りてきた。
突然の猫耳少女の行動に、驚き顔に変わるアルヴィス。
「どうにゃ? ニャアに惚れたかにゃ?」
にゃははと笑う猫耳少女。
その表情は蠱惑的で、挑発的なものをしていた。
けれど――
「……はっ? 何を言ってんだお前? いきなり惚れたかとかそんなわけねェだろ」
「にゃにゃ!?」
アルヴィスは、そんな少女の表情を崩す言葉を放った。
「にゃんでだにゃ!? 人間、ニャアが近付いても平気なのかにゃ!?」
「あ? あー、まぁ少し怠い感じはするな。なんか魔法を使った後みたいな。けどそんくらいだ」
「びっくりにゃ……。ニャアは人間みたいなオスを見たのは初めてだにゃ」
「……? そりゃあ俺はひとりだからな」
アルヴィスはますます訳がわからなくなったが、向こうから近付いてきてくれたので、当初の目的を果たすことにした。
「――にゃ?」
羽織っていた制服のジャケットを、猫耳少女に羽織らせてあげたアルヴィス。
猫耳少女はそんなことをしてもらったことがなく、反応に戸惑っていた。
「じゃあ俺は街に戻るけど、あんたも早く戻れよ? 最近ここら辺は物騒だからよ」
アルヴィスは片手をひらひらと振りながら背を向け街へと歩き出していた。
「…………――」
最後まで戸惑ったままの猫耳少女は、声を掛けることが出来ずにただギュッと羽織らされたジャケットを握ったのだった。
今日はもう1度更新予定です!




