第116話 解放
建築物の屋根を跳び渡り進むアリスは、異様で懐かしい光景を見ていた。
時間の停止した世界。魔法師はピタリと動きを止め、空を飛ぶ鳥は飛び回り植木鉢に咲く花は風に揺れる。そんな静と動が二分し、けれど同じ空間に確かに存在する対極的な存在。
アリスはそんな世界を見下ろしながら、昔を思い出していた。以前のアルヴィスがよく使っていた魔法の1つなのだ。
アリスは屋根から屋根に跳び移りながら思い出に浸っている状態でも、僅かに魔法に抗い動いていた魔法師達を確実に仕止めていた。
強い魔法耐性がある実力者だからこそ抗えているわけだが、抗うのに精一杯で隙だらけなのだ。そんな格好の的をアリスが仕損じるはずがない。
そうして何人かの帝国魔法師を仕止めながら進んでいくと、アルヴィスの魔法領域外へ辿り着いた。
アリスは一際高い建物の屋根に跳び乗ると、数百メートル先に見える人の群れを注視する。
「あれがこの都市の主力じゃな」
アリスの視界に映るのは都市ノクタルの魔法師団だ。その数は既に5000人は集まっている。都市の規模からしてまだまだ集まり万に届くだろう。
「さて、久方ぶりに全開といくかのう」
アリスは左手薬指のルビーに似た赤い宝石が装飾されている指輪を外すと、今まで抑え込まれていた魔力が解放される。
溢れ出るほど膨大な魔力。その魔力は周囲に影響を与えていた。
空を飛ぶ鳥達は鳴きながら消え去っていき、〈時空停止〉効果外の住人達はその場でガクガクと震えていた。中には腰が抜けたように尻をついている者もいる。
膨大な魔力が放つ圧倒的な殺気。それは、野うさぎが突然百獣の王に遭遇したような状態に追い込んだ。
その魔力は距離のある魔法師団にまで伝わっていた。兵の中に魔力感知に秀でた者がいるのだろう。
アリスも気付かれたことに既に気付いている。アリスほど魔力に敏感な者はいないと言っても過言ではないほどの感知能力を持つ彼女は、指輪を外した今、数百メート先だろうが何人の魔法師がいてどのくらいの実力者が揃っているのかすら感じ取れるのだ。
「少しは骨のありそうなやつも混ざっておるようじゃのう、カッカッ」
アリスは嬉しそうに笑いながら、両手に魔力を集め始める。右手には炎を纏い、左手には冷気を纏う。さらには全身に風を纏わせ、宙を浮き始めた。
飛翔し高速で一気に間合いを詰めると、アリスの蹂躙が始まったのだった。
「にゃあ~、エレにゃぁ……本当にこんにゃ所に魔物にゃんているのかにゃ?」
「猫殿、そこは主人の感知能力を信じましょう」
ルナは現在、エレナを護衛にしてクリストフ隊待機場から離れた森林奥へとやって来ていた。これもアルヴィスの提案した作戦の1つなのだ。
目的は、ルナの魅了を利用して魔物軍を作ろうとしているのだ。集めた魔物達に、さらにアリシアの洗脳魔法をかけて操ることで都市ノクタル攻略後の防衛兵代わりにしようしているのだ。ルナの魔法だけでは、言うことまではきかせられず、アリシアの魔法だけでは数を集められない。2人の魔法を合わせることで意のままに操れる魔物軍を作れるのだ。
よって現在ルナは鈴付きチョーカーを外している。半年以上振りの魅了完全発動により、ルナは久しぶりに魔力消費による身体の怠さを感じていた。
何度かエレナにおぶってもらおうと飛び付くが、その度に振り落とされていた。そんなことをしながら進むこと半刻。ついにアリスが教えてくれた洞穴に到着した。
アリス曰く、この洞穴には獣系の魔物が多く住み着いているというのだ。といっても、この洞穴だけでは精々20~30匹といったところだろう。このように、アリスがいくつか感じ取った魔力反応ポイントに2人が赴き、魔物を魅了して集め回るのが目的だ。
洞穴に入っていくと、奥深くから響いてくる獣の遠吠えや、羽を羽ばたかせているような音が2人の耳に届く。アリスの言っていたことは本当だったんだ、と2人に思わせるには十分だった。
「では猫殿、頼んだぞ?」
「ん~……頼まれてもニャアは特ににゃにもしにゃいんだけどにゃぁ……」
ルナは無意識に魅了を発動させている。コントロール不可能な魔法を頼まれても困ってしまうのは仕方のないことだ。とはいえ、この作戦はルナにしか成せないことだ。そして大好きなアルヴィスに久しぶりに頼まれた大役でもある。ルナは耳をぽりぽりと掻きつつ、とりあえず魔力を練り上げてみることにした。
頭上の猫耳と臀部の尻尾がぴんと立ち、魔力を全身から放出させるその姿は、普段のどこか抜けているルナのものではなく元【七つの大罪】メンバーだったということを思い出させるものだった。知らぬ間に加入していたとはいえ、さすがは元メンバーといった魔力量だ。
全開のルナを見るのが初めてのエレナは、彼女の魔力を見て少しばかり驚いていた。自身より弱いと分かっていても、全開の魔力量が予想よりも膨大だったからだ。それでも、到底自分には勝てないと思うエレナであった。