違和感以外は何もない
「お前だったか」
「ん?なんの話っすか?」
「いや、なんでもない」
今更思い出したところで男を恨めしくは思わなかった。それよりも、自分の部屋のどこに服がしまってあるのか思い出せないことの方が重要だった。
「やっさん本当にここで暮らしてたんすか?」
「お前がいうならそうなんだろう」康隆は部屋の真ん中にたってあたりを見回す。
「誰かこの部屋に出入りしていたか?」
「いや、普段は俺も仕事だから日中はいねぇすけど人が入ったってのは聞いたことねぇすね」大家のおばちゃんが掃除しに入ってたみたいすけど、と付け足す。
「でも大家のおばちゃんも荷物持ってくとかはしないと思いますよ。一応聞いてみますか?」
頼むというと男はすぐよんでくるっすと言って部屋を出ていく。そのあとでもう一度、康隆は部屋を見回してみた。
ほとんど記憶のない康隆にもこの部屋には違和感を覚えざるを得なかったのだ。
住む前に不動産屋に見せられた部屋がこの状態ならなんの違和感もないだろうが、この部屋はそうではない。
康隆が使っていた部屋だ。
そのはずなのにこの部屋には家具が一つもない。
生活の形跡が見られない。
一瞬住所を間違えたかと思ったが、自分を知っているあの男がこの部屋だといった言ったということは多分間違いではないんだろうと思い直した。
何度見回しても違和感以外には何もないこの部屋を三週程見回した辺りで男がでかい声を出しながら勢い良くドアを開けた。
康隆は、わざわざ連れてこなくても良かったんじゃないかと思ったが、大家の話を二人で詳しく聞こうということで連れてきたらしい。
「さあ、話してください大家さん」
「そう言われてもねぇ、私にも良く分からないのよ」
「どういうことっすか?さっきは何があったのか知ってるって言ってたじゃないすか」
「言ったけどそう言う事じゃないのよ」
うるさいわねと言い一つため息をついた。
「急にピシッとしたスーツきてサングラスかけた人が何人も来てね、借金を取り立てに来たとか言うのよ。でも康隆君、毎月きっちり家賃払ってくれてたじゃない?借金するようにはどうしても思えないし、康隆君病院に行ったばっかりだったからなんとか抵抗してみたんだけど。あの人たち、本人が払えない状況にあるのは既に知っている。だから生活用品の差し押さえに来たって言い出して」
「それで全部もってかれちゃったわけっすか」
「そうなのよ、康隆君借金なんかしたの?おばちゃんに言えばちょっとくらいは貸してあげられたのよ?」
借金という響きに不思議な懐かしさがあったのが、康隆には気になっていた。
はて、自分は借金をしたのだろうか。思い出そうとしてみるがやっぱり出てこない。
「やっさん、服ないみたいっすよ。どうします?なんなら俺の貸しましょうか?」
今の話に同情したのか、男の口調が先程より慎重なものになっている。
「いや、構わない。病院の服で足りる」
服がない以上、ここにいる理由はない。康隆は、早く病院のベッドに戻りゆっくり眠りたくなったので帰ることにした。
もんの前まで男と大家のおばちゃんが見送りに来ていたので、康隆は一言お世話になりましたと言っておいた。
「やっさん、戻ってくるの楽しみにしてますよ」
「康隆君、嫌かもしれないけど、借金のことちゃんと御両親にいうのよ」
「両親」
大家さんの言葉の一部がまた、康隆の胸に引っかかる。
二人は康隆が見えなくなるまでその後ろ姿を見ていた。そしてたまたま、この時二人は悲壮な康隆の背中を見て同じことを思った。
ダメかもしれないと。
康隆は胸に引っかかった二つの言葉の意味を考えながら、ついさっき覚えた電車で帰路についた。