第五章
第五章
「あと一回! あと一回で大金持ち!」
空中でくるくると回転しながら、フィオナは歌い、舞った。
「ああ。いよいよ決勝戦だな」
「ところで、決勝の相手はだあれ?」
「なんだよ……ほんとに全く試合見てないんだな……。アテナ流剣術道のハザード=ディエンドって人だよ」
「そうなんだ。そういえば、そのアテナって人のこと何か思い出した?」
「ああ、思い出したよ。昔、先生が何度かその名前を言ってたことがあったんだよ」
「ふうん? 先生――レオルガって人と何か関係があったの?」
「若い頃に戦ったことがあるらしい。何でも、結構手こずった相手だったって。しかもそのアテナって人、女性だったらしい」
「レオルガさんって、すごい拳道家だったんでしょ? その人が手を焼いたって……」
「相当凄腕の剣士だったんだろうな。で、ハザードって奴はそのアテナの弟子、と」
コウガは自分の体でどっと血が沸くのを感じた。かつて師が戦い、苦戦した相手。その流派と戦うことができるのだ。
勝ちたい――
純粋な拳士としての欲求がコウガを駆り立てた。勝てば、レオルガに一歩近づくことができるだろうか。あの拳聖と呼ばれた偉大なる師に。
*
長刀を振り下ろされたコウガは呼吸を整え、その刃を右腕で受け止めた。
異常なことに、刃は腕に食い込むどころか、皮膚すら傷つけてはいなかった。
「だいぶ呼吸法を自分のものにしてきたな」
レオルガは振り下ろした刀を鞘に戻すと、十二歳になったばかりのコウガに講釈を始める。
「特殊な呼吸法によって時に爆発的な破壊力を生み出し、時に鋼鉄よりも硬く肉体を変化させる。それが俺が教える拳道の極意だ。それによってこれからお前の身体能力は格段に向上していくだろう」
「はい、先生」
「だが、肝に銘じておくことがある」
レオルガは収めた刀を瞬時に抜刀し、その切っ先をぴたり、とコウガの首元で止めた。
コウガは凍り付いた。その刀の切れ味よりも鋭利なレオルガの殺気にあてられて。
「呼吸を整える前に攻撃を受けたら? 呼吸のできない水中で魔物に襲われたら? 呼吸法で高めた能力を上回る敵が現れたら?」
刀を振り上げ、それを思い切り地面に突き立てるレオルガ。山道にまばらに生えていた雑草がすぱりと切れて風に舞う。
「俺は昔、アテナという女剣士と戦ったことがある。その時、腕を一本失いかけた」
「先生が……?」
「剣術相手に負けることなどほとんどなかったからな。少し、見誤った。その一瞬の判断ミスが命取りになる。己の力を過信するな。肉体的な力以上に状況を判断する力を磨け」
「はい、先生。あの、それで、そのアテナという人との戦いはどうなったんですか?」
「ん? さぁ、どうだったかな」
レオルガは実にさらりと、そう言った。
その言葉はコウガにとって予想外のものであった。
負け知らずの拳聖。当代きっての英雄。世間では既に伝説の人物として崇められ、どこにも属さなず旅を続ける孤高の戦士レオルガは、コウガにとって憧憬の対象であった。
一も二もなく勝利したと言い放ってくれるとどこかで期待していたコウガは、肩透かしを食らったようで二の句が継げなくなった。
アテナ――そんなに強い剣士がいるというのか。
世界は、広い。思っていたよりも、ずっと。
*
「コウガあ、ぼーっとしてどうしたの? そろそろ出番だってさ」
「ん。あ、あぁ……」
思い耽っていたコウガは、自分の出番が近づいていることを知らされ、試合会場へと足を向けた。
(アテナ流剣術、どれほどのものか見せてもらう)
『ついに! いよいよ! 決勝戦の幕開けだ! 北の門からはコウガ選手! 銃弾を跳ね返し、魔法を無力化するという人間離れした身体能力の持ち主! レオルガ流拳道、まだまだ隠された奥義がありそうです! 南の門からはハザード選手の入場だ! 五王剣の名は伊達じゃない! 一回戦、二回戦であっという間の決着を演じた実力! しかもまだ全ての武器を抜いてはおりません! どちらも余力十分だ!』
この後も場内アナウンスは、決勝戦であるいうことを差し引いてもことさらに二人の英雄性を誇張した。コウガはおもはゆそうにぽりぽりと頬を掻きながら周囲に愛想を振りまき、ハザードは観衆に一瞥もくれない。
『さらに末恐ろしいのはこの両者、互いに年齢が十八という若さであることです! 新しい時代の奔流か! 次代の大物同士、決着の時は近い!』
「同い年か。よろしく、ハザード」
「殺し合いの前に馴れ合おうとした奴は初めて見たな」
「武道家の出会いは一期一会。たとえ相手を殺すことになっても戦う前には敬意を払うのさ」
「俺は剣で語るクチでな。そういう礼節は持ち合わせていない」
『両者、所定の位置に戻る! さあ、いよいよ決勝戦開始の号砲が鳴ったあ!』
コウガが軽快にステップを刻み始めると、ハザードはゆっくりと腰から両刃剣を抜いた。
睨み合う二人。先に仕掛けたのはコウガだった。
「らあああっ!」
驚異的な踏み込みの速さでハザードとの距離を一気に詰め、刃を構えるハザードに正面から近接戦を挑む。
(速いっ……!)
ハザードはあっという間に懐に潜り込んだコウガを認め、剣を振り下ろさんとする。
だが、一瞬早くコウガの掌底が剣の柄を打ち抜いた。ハザードは腕ごと剣をかちあげられて体勢を崩す。
「はあああっ! 穿孔鬼烈拳!」
がら空きになったハザードのどてっ腹に強烈な正拳突きを叩き込むコウガ。
「ぐ、ふっ」
簡素なチェインメイルでは十分に威力を吸収できず、荒れ狂う暴風に飲み込まれたような衝撃がハザードの体内に拡散する。
足を引きずりながら後ずさるような形で後方へ吹き飛んでいったハザードは、倒れることなく何とか踏みとどまった。
表情一つ変えず剣を構えなおすハザード。
「ん……。今ので決まらないのか」
少々驚いたようにコウガは自分の拳を見た。確かに手ごたえはあったのだ。
相手も相当修練を積んで身体能力を鍛えていると見るや、コウガは一層気を引き締めて構えなおす。
「目が覚めた」
ぼそりと呟いたハザードは上段に大きく剣を振りかぶった。
「爪牙閃!」
高速で剣が振り下ろされ、三日月状の白い波がコウガめがけて発射される。
見たこともない、斬撃を飛ばす技にコウガは面食らった。
(絶影脚とは少し違う……魔法の類か? いや、それも違う……!)
コウガは敵の攻撃を冷静に見極めるや、受け止めるのは下策と判断し、側転で回避行動に出る。危うくコウガの脚を捉えそうになった斬撃は空を切り裂いてやがて中空で消えた。
「真空波――カマイタチみたいなものか」
「触れれば斬れる。それだけの芸当さ」
ハザードは両足を開き深く腰を下ろすと、再び剣を振りかぶり――
「爪牙連閃!」
目にもとまらぬ連撃を繰り出した。
空中で振り回された大剣は三日月状の真空波をいくつも生み出し、その悉くがコウガを襲って飛来する。
「触れなければ斬れないってことね」
コウガは軽くステップを踏むと、淀みない動きで次々と飛翔する斬撃をかわしていく。
『コウガ選手、まるで流水のような動きだ! 当たらない! まるで当たらない! ハザード選手が休みなく白刃を撃ち放つが、全て紙一重でかわしているぞ!』
これ以上は無駄と見るや、ハザードは剣を振り回すのを止め、おもむろに口を開いた。
「なるほど。流石はレオルガの弟子。師が煮え湯を飲まされたというのは本当らしいな」
「……やはり先生が言ってたアテナってのは、君の師匠だったのか」
「南のレオルガ、北のアテナと並び称された剣士だ。師が息災ならばおそらくレオルガを超えていただろう」
「息災……? 死んだのか?」
「魔族の呪いによって長い眠りについている。目覚めさせるためには膨大な治癒力を持った魔法具が必要だ」
「アカシックメタル……あれが狙いか」
「そういうことだ。あれが当たりかわからんが、試してみる価値はある。悪いが勝たせてもらう」
ハザードは剣を担いで肩にかけると、前方へ飛び出した。コウガを射程圏内に捉えるや、剣を横薙ぎに振り回す。
跳躍でかわすコウガ、同時に両足を開脚し、ハザードの顔面に蹴りを繰り入れる。
体を落として蹴りをさけるハザード。同時に右手を背中にかけ、斬馬刀を抜き、一気に振り下ろす。空中で体勢を変えられないコウガは、両腕を交差させて剣をしかと受け止めた。
「……腕を捨てたのかと思ったが、なるほど、一回戦で見せた銃弾を跳ね返した技か」
「レオルガ流拳道の秘奥義、青の呼吸。皮膚の一部を鋼鉄に変えた」
「ならば鋼鉄ごと両断してやろう」
数歩後ずさったハザードは両刃剣を収め、斬馬刀を両手持ちに構え直した。
「閃!」
踏み込むと同時に一気に斬り込む。コウガは右腕でその刀を受け止め――
「む……?」
その皮膚に刃が食い込み、一筋の血が流れた。
「青の呼吸が破られた……?」
「次は完全に斬り落とす」
刀を翳し、一刀両断の勢いで斬り降ろす。
「竜鱗斬!」
ぞくり、と悪寒を感じ、コウガは横に転がった。
バターを切り裂くように地面にするりと刀が入っていく。腕で受けていればさすがのコウガも寸断を免れなかったろう。
「よく避けたな」
「受けるか避けるかよく見極めろって先生にずっと言われてきたんでね」
「だが、いつまで避けられるかな」
ハザードはコウガに休む暇を与えずに連撃に出た。
コウガは暴れ回る刀を、時にはかわし、時には受けてやり過ごす。さらには、一瞬の隙を突いて正拳、手刀、蹴りで反撃を撃つ。
『これは激しい打ち合いになった! 互いに一歩も引かない! 拳で、剣で、二人が語り合っているかのようです! まるで決定打が出ない! これは長期戦になるか!』
場内からはこの激しい戦いにその日一番の歓声が上がった。
めまぐるしい攻防に、繰り出される数々の技に、惜しみない拍手が送られる。
「白華連撃!」「虎砲斬波!」
両者の奥義がぶつかり、弾ける。
共に相手の攻撃を受け、さばき、かわしていく、致命傷を避ける戦いが続く。
激戦は収束する様子を見せず、やがて消耗戦の様相を呈し始めた。
「はぁ……はぁ……強い……! アテナ流剣術……!」
「剣を生身で受けるとは……化け物が……げほっ」
『決着がつかない! 第一回武王トーナメントの決勝は! 全試合を通して最長の試合時間を記録すると共に! 最高に白熱した試合展開と相成りました!』
「アカシックメタルが目的なんだろ? 俺が優勝しても副賞はお前にやるよ。だから安心して倒れてくれ」
「心配するな。お前を切り伏せてちゃんといただくつもりだ」
『両者、腰を落として構えなおした! また激しいぶつかり合いが――』
その時、激しい爆発が起こった。
コウガとハザードは――いや、会場中の全員が、爆発音のした北の門上方を見遣る。
『な、何が起こったあ! あそこは賞金と副賞が置かれている台座があった位置だ!』
もうもうと黒煙が上がるその場所から、一つの影が飛び出した。
影はふわりと滞空しながらゆっくりと試合会場の中に降り立った。
「ファティナ=フェイタル……!」
コウガは驚きの声を上げた。
闖入者は自分が二回戦で破った相手、ファティナであった。
「ついに手に入れた……! アカシックメタル! 衛兵に少し手こずったがついに私のものになった!」
見れば、彼の掌の上には優勝者への副賞、紅く光る鉱石――アカシックメタルが握られてる。
「それを易々と見逃すと思うのか?」
ハザードが斬馬刀と共に鋭い眼光を向けると、ファティナは数歩飛び退って笑った。
「貴様はこれが何か分かっているのか? この世を統べる力を秘めたこの石を!」
「この世を……?」
要領を得ないコウガを目の前に、ファティナは手の中の鉱石に魔力を込め、粉々に砕いて見せた。
『な、なんだ! 砕かれたアカシックメタルの中から膨大な量の赤煙が巻き起こっている! 煙が……徐々に固まっていくようです! 人のような……大人三人分の高さくらいはある巨人のような形になっていく!』
ファティナは興奮して巨大な人型を構成していく煙を見つめた。
「これだ……! 古代文書に記されていた魔族の将! 紅く輝くレアメタルに封印されていたという記述は事実だった……!」
煙はやがて固まるように顔を――目を、耳を、鼻を、口を。体躯を――腕を、胸を、腰を、脚をかたどっていく。
そして、声が発された。
「永い――永い眠りについていた」
その声は静かであったが、怖気がするほどの凄まじさと重みをもって、びりびりと大気を震わせた。
「我は魔将ベルグラス。貴様か? 我を目覚めさせたのは」
「いかにも。俺はファティナ=フェイタル。魔導士だ。お目にかかれて光栄だ、破壊の闘将と呼ばれた魔将ベルグラスよ」
その時、ベルグラスの頭部で火炎弾が炸裂した。
見れば、闘技場の観客席のさらに外周にある高台から、数人の魔導士が魔法を撃ったようだった。
『巨大な魔族です! アカシックメタルの中から巨大な魔物が現れました! しかしご安心ください! 緊急時に控えていた我らがサイバリース王国の魔法兵団が迎え撃っています! 重装歩兵集団も間もなく突入するとのことです!』
「目障りな猿め」
ベルグラスは真っ赤な双眸を怪しく光らせた。その両の瞳から熱線が放たれ――
魔導士たちはその直撃を受けて蒸発した。
会場が悲鳴と混乱に包まれる。
「うるさいゴミどもだ。殺してもよいが……」
ベルグラスは何やら呪文の詠唱を始めると、両の腕を激しく地面に叩き付けた。
「アナザーワールド」
刹那、大きな地鳴りが起こる。立っているのが困難なほど会場中が激しく揺れ、数瞬の後、闘技場の内部、コウガ達がいる試合場の空間だけが黒いドーム状の半球に包まれた。
コウガはこの間、何が起きているのか思考がついて行かず、成す術なくただ見ていることしかできなかった。ハザードもまた、腕を組んでことの顛末をただ見守っていた。
黒い半球の内部にいるのはベルグラス、ファティナ、コウガ、ハザードのみとなった。
「これで外界とは隔絶された。さあ、ファティナとやら、望みは何だ?」
「望み?」
「人間がわざわざ我の封印を解いたのだ。何か望みがあるのであろう?」
「望みか……ふ、ふふ……」
ファティナは心の底から湧き出でるような笑いを堪えもせずに口に出す。
「そうだな、俺の望みは、これだ」
魔法の詠唱に入るファティナ。右手を前に出し、光を放つ。
「エンハンス・サブミッション!」
言葉を受けて光の筋は太い鎖となった。鎖は幾重にもベルグラスの体に巻き付き、がんじがらめにする。
「貴様を使役し、世界を服従させる力を得る。それが俺の望みだ!」
「ほう、なるほど。世界を従えるのが貴様の望みか」
全身を縛られたベルグラスは、しかしながらくつくつと笑い、一つ雄叫びを上げた。
すると、光の鎖は粉々に砕け雲散霧消する。
「な、なに……!」
「下級魔族なら貴様の意のままにできたであろうが、我を従えようとはまこと、愚かなり」
「馬鹿な……! 貴様は弱っているはずだ! 数百年封じられていたのだぞ!」
「その通り、我の力はまだ半分も回復してはおらぬよ。おらぬが、な」
ベルグラスは言葉を紡ぎ終わるが先か、右手を高速で突き出した。
ファティナの体を巨大な魔族の人差し指が貫通する。
「が、はっ……!」
断末魔の叫びをあげる間もなく事切れたファティナの、その体を、ベルグラスは丸呑みにした。ドクン、という心臓の鼓動が大気を震わせる。
「うむ……。なかなかの魔力だ。少しは我の力が戻ったか」
顎をさすりながら満足したような声を上げると、眼下の男たちを睥睨する。
「貴様らもなかなかの力を感じる。我の力になってもらおう。そのためにこの空間の中に閉じ込めたのだからな」
指名を受けた二人の男――コウガとハザードは、示し合わせたように嘆息した。
「やっぱりこうなるのか」
「拳道家。エサになって奴の力になるようなヘマはやるなよ。倒すのが面倒になる」
「心配してもらわなくても俺が倒すさ」
ベルグラスの口が大きく開かれる。
「愚かなり。人間共よ」
喉の奥から業炎が渦を巻き――激流のごとく、どうとうねりを起こして吐き出された。
「藍の呼吸!」
炎を正面から受け止めるコウガ。魔法障壁が爆炎に干渉し、コウガの左右をすり抜けるように分かれて逸れていく。
「ぐっ……うう……」
完全に炎をやり過ごせず、コウガはじりじりと熱に押された。熱気にあてられて、四肢からしゅうしゅうと煙が上がる。
「どいてろ」
コウガの真後ろにいたハザードは驚異的な跳躍力でコウガの上を飛び越え、ベルグラスに一直線に向かう。
「竜鱗斬!」
両手持ちに翳した斬馬刀を上段の構えから振り下ろす。ベルグラスの眉間目がけて刃が空を裂いていく。
しかし、ベルグラスは右手の人差し指一本でそれを受け止めると、左手を後ろに振りかぶり、勢いの乗った拳をハザードに叩き付けた。
「ぐっ!」
殴り飛ばされたハザードは弾丸さながらに思い切り地面に体を叩き付けられもんどりうった。その隣で何とか炎を凌いだコウガががっくりと膝を折る。
「攻撃も防御も段違いか……」
忌々しげに強大な敵を見上げるコウガ。ベルグラスは勝ち誇ったように笑う。
ハザードがむくりと起き上り、コウガの隣に立つ。
「ハザード、寝てるんだ」「貴様では無理のようだな」
同時に相手に声をかけ、同時に顔を見合わせた。む、と口を尖らせる二人。
「師に弱い者は救うよう言われてきた。アテナ流剣術、人間相手には使うのが躊躇われる秘技がある、引っ込んでろ」
「君が惨死したらかわいそうだから使わずにおいた奥義がレオルガ流拳道にもある。安心して休んでてくれ」
「ほざいてろ」「言ってろ!」
脱兎のごとく二人は飛び出した。
だが、戦況は全く好転しなかった。
深紅の魔将ベルグラス。その巨体は鋼のように硬く一切の攻撃を通さなく、鋭利な爪や拳、蹴りといった体術に加えて豊富な魔法攻撃を連発してくるため一切の隙がない。
初めは攻めに徹していたコウガとハザードであったが、やがて防戦一方となり、嵐のような怒濤の攻撃を凌ぐのが精一杯となっていた。
魔将の瞬拳に打たれるコウガ。すかさず斬りかかったハザードもその刃を掴まれ、刀ごと体を振り回され地面に投げつけられた。
「しぶとい人間だ。だが、それでこそ我が贄となるに相応しい。せいぜい足掻くがよい」
「ぐく……魔族めが……心臓さえ貫ければ……」
ハザードは魔族との戦いに慣れている。人型の魔族ならば眉間か心臓を貫けば倒すことができることはわかっているのだ。だが、ベルグラスが相手ではそこに至る道程が遙か遠き道のりに思えた。
ハザードは、いよいよ節を曲げてコウガに打診した。
「げほ……おい、拳道家。一瞬でもいい。奴の動きを止められないか……。そうすれば心臓を貫く渾身の技を叩き込んでやる」
「はぁ……はぁ……出来なくはないけど、それには力を溜めないと……。少しの間、あいつを引きつけておいてくれないか」
「……わかった」
「呼吸を……」
コウガは腰を落とし、奇妙なリズムで呼吸を刻み始める。呼吸を速く、遅く、短く、長くを繰り返す。それにつれ、コウガの体内で生命の鼓動が躍動する。
その奇妙な光景をベルグラスが放っておくわけがなかった。
「何をする気か知らんが……」
両腕を前に突き出し、合わせるベルグラス。掌を開くと青い光が収束し、人間の大人ほどもある巨大な球体が出来上がった。
「去ね」
エネルギー渦巻く球体がコウガめがけて射出される。
だが、コウガは微動だにせず――
その前に、ハザードが立ちはだかった。
「お前の相手はこの俺だ」
地を蹴ったハザードは斬馬刀を振り抜き、青い球体を両断した。分断された魔法弾は軌道をそらされ、コウガから外れた地を打って爆発した。
ハザードは着地するや、刀を向けて敵を挑発する。
「うるさいハエが。我に楯突くか」
ベルグラスは標的をハザードに変えると、その巨躯からは想像も出来ないほど軽やかに空中へ舞い上がった。右脚を振り上げ、地鳴りがするほど強烈な踵落としをハザードがいた地面に叩きつける。
体一つ分横へ移動して攻撃をかわしていたハザードは刀を横薙ぎに、ベルグラスの足の付け根を斬りつけた。だが、鋼鉄の体は刀を通さない。
「無駄なことよ。非力な人間」
ハザードはバックステップで距離を取り、刀を背中に収める。前傾姿勢になると、一つ、鷹揚に構えた。
「ならば。五王剣――乱舞の型」
丸腰のハザードから裂帛の気迫が発せられ、ベルグラスは僅かに目を細めた。
だがすぐに右手で拳を作ると、飛び上がって地面ごとハザードを殴りつける。
ハザードは両刃剣を勢いよく抜くと、ベルグラスの攻撃に合わせ――その膨大な体重の乗った拳を打ち返した。淀みない動きで剣を収めると右手で背中から斬馬刀を抜き、左手で腰から小太刀を抜く。疾風の如く前進したハザードは渾身の力を込めて十字を切るように両手の刀を振るい、その剣線が見事にベルグラスの腱を切った。あの、鋼鉄の肉体を。
「ぐ、ぬ……!」
目を見張ったベルグラスは、しかしながら浅い傷に悶えることもなく、傷を負った脚を振り上げたハザードを踏みつけんとする。側転でそれを逃れたハザードは、起き様に腰からナイフを抜いて投げつける。十字に切った相手の傷の、その中央にナイフが突き立った。
「せやあああ!」
心の底から声を震わせたハザードは、最後の一剣、背中に掲げた大鉈を抜き、ベルグラスに斬りかかった。連続攻撃でダメージを蓄積した魔将の脚を、まさに断ち切らんとする。
「愚かなり」
ベルグラスは飛び退ってハザードの攻撃をかわす。傷を負ったその脚からはナイフが抜け、みるみるうちに傷口がふさがっていく。
「そのような矮小な威力の攻撃など、いくら受けたところで我を倒すことはできぬわ」
「そうかな? 自慢の鋼の肉体も、俺の剣で斬れるとわかっただけで十分だ」
「ふふ。心臓に致命の一撃を狙うつもりだろうが、そうはいかん」
狙いを見抜かれ、ハザードは少し眉を動かした。ベルグラスの心臓を貫く。それが難事であることはハザードにもよくわかっている。
だが、だからこそ、協力体制を敷いたのだ。この男と――
ハザードが後ろを見やる。そろそろお膳立ては済んだはずだ。
「極奥義――虹の呼吸!」
この時、大勢互角の戦いをしばらく見つめていたコウガがついに動き出した。
コウガの体から生命エネルギーが爆散する。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の光の礫が体表から中空へと巻き上がっている。
「待たせたな」
「遅い。俺だけで倒してしまうところだったぞ」
勢いよく飛び出したコウガは、ハザードとすれ違い様に、すまない、と声をかけた。
その自信に満ちた顔を見てハザードもまたふっと笑いを零す。
「三分しかもたない! 一気に決めるぞ、ハザード!」
「わかった」
高々と跳躍したコウガ。ベルグラスはコウガのその体を、虫を殺すかのように、両手で左右から叩き潰した。
だが、打ち合わされた掌の、その内側から爆発的な力が弾けた。
小さな体の両腕で巨大な魔族の掌を押しのけるコウガ。超人的な膂力を見せつけた少年はさらに空中で体を横に回転させると、両足を開脚して勢いよくベルグラスの手を蹴り飛ばした。
「むうっ!」
両腕を遙か後方まで弾かれて、ベルグラスの体が大きくのけぞった。
大きく体勢を崩した魔将の、その胸ががら空きになる。
「今だ! 行け! ハザード!」
「でやああっ! 秘技! 玄甲刺貫突!」
ハザードは高々と飛び立つと、斬馬刀を閃かせた。
一直線に飛び、ベルグラスの心臓のその中央に、刀の根まで深々と斬馬刀を突き立てる。
「グ、ウオオオオ!」
ベルグラスは胸に杭を穿たれて、野獣の如き咆哮を上げた。
「まだ浅い……! 拳道家!」
その声に呼応するようにコウガは驚異的な力で地を蹴った。
ベルグラスは胸の刀に手をかけんとする。だが、コウガがそれを許さなかった。
「おおおおっ! 流星覇滅脚!」
突き立てられた刀のその柄を、疾風のごとく飛びかかったコウガの蹴りが打ち抜く。
ずぶずぶと刀はさらに体内へと押し込まれていき――
コウガは体ごとベルグラスの胸を貫通した。ベルグラスの背中から刀を脚にしかと捉えたコウガが飛び出してくる。
「ば、ばかな……我が……」
ベルグラスは目を見開いた。信に耐えずといった表情で蹴り抜かれた胸を見る。
「我が……人間如きに……! ばぁかあなああああっ!」
深紅の巨躯は胸にぽっかりと穴を開け、そこから崩壊が浸食するように、体の末端に向けて体が徐々に光の粒となり、蒸発して消えていく。
「ぐああああああ!」
幽玄とした紅い光芒が露と消え、辺りが静寂に包まれると、コウガとハザードを閉じこめていた黒い空間がねじ曲がる。数瞬の後、二人はもとの空間へと戻ってきた。観客がすっかり避難を終え、閑散とした闘技場の中に。
二人は、国を救ったのだった。
「えええっ! 賞金はナシ? なんでなんでなんでえ!」
素っ頓狂な声を上げたフィオナはわたわたと手足を動かした。
「しょうがないだろ。あんなことになって、会場はめちゃめちゃになっちゃったし。仕切り直すにもしばらく日がかかるってんだから」
「待つよ! 何ヶ月でも待つよ! 百万ルナは? 副賞は?」
「ハザードの方がもうこの国を出るって言ってるんだからどうしようもないんだよ。だから決着つかずで賞金もナシ。副賞は粉々になっちまったよ」
「だって、コウガはこの国を救ったんだよ? せめて折半! ハザードって人と賞金を半分こして五十万ルナはもらえるって!」
「もうすんだ話なの! いらないって言ってきちゃったの! 名誉だけでいいの!」
フィオナはぎゃあああああと叫声を上げて頭を抱え込んだ。あまりのショックに錯乱してしまったようだ。
「お金持ちの夢が……グルメが……ああ……」
それがあまりに不憫に思えたのか、コウガは宥めるように声をかけた。
「今日一日は街で好きな物を食わしてやるから元気出せよ。な?」
ぴくり、とフィオナの耳がはねる。
「ほんと? 何でも?」
「ああ、何でもだ」
現金な妖精は顔をにやけさせると、飛び上がってコウガの背中をぐいぐいと押した。
「じゃあ早く! 今から街に行こうよう!」
かくしてグルメの大海に漕ぎ出したフィオナは、頬を食べ物でいっぱいにし、左手に大量のお菓子を入れた袋を下げ、右手に串団子を持って至極満悦した顔でコウガの隣を飛ぶ。
「はぁ……旅の資金が……」
財布の中身を見てコウガはひどく落胆した。
なにせもうかれこれ一時間はこうして食べ歩きに付き合わされているいるのである。
出費はそろそろ五万ルナに到達しようとしていたが、フィオナの破竹の勢いはとどまることを知らない。
「お、おいフィオナ。そろそろ……」
何とかこの状況を終了させようと、おずおずと話を切り出すコウガ。
そんな彼の声を掻き消すように、フィオナが声を張り上げた。
「あああああ! 百万ルナ返せえええ!」
何事かと目を細めたコウガは、彼らの行く先にハザードが立っているのを認めた。
フィオナにとって彼は百万ルナを反故にされた犯人ということらしい。
「なんだ。この生き物は」
「ハザード……」
「拳道家か。貴様の連れか? このうるさいのは」
「返せ返せ返せええ!」
暴れながら涙を浮かべるフィオナ。あまりに騒がしいので、コウガは麻袋を腰から取り出してフィオナにすっぽりと覆いかぶせた。
「ああっ! ここはどこ? 暗いよう! 恐いよう……」
風船がしぼむように意気を落としていくフィオナを確認して、コウガは袋の口をきゅっと締めてからそれを腰にぶら下げた。
「ハザード。もう旅立つのか?」
「ああ。この町に俺の目当てのものはなさそうだからな」
そうか、と短くコウガは答えた。
すると、二人の間に沈黙が続き、次第に空気が張り詰めてくる。
不意に、ハザードが腰の剣に手をかけた。咄嗟に構えるコウガ。
「……決着がつかなかった戦いというのは初めてだった。特に体術使いには勝って当たり前だったんだがな」
「白黒はっきりさせたいのか?」
ふっ、と息を漏らすハザード。
「町中だ。やめておこう。またいつか会うことがあれば、その時にでも」
「同感だ。俺も、今は戦る気がしない」
ハザードはそれ以上は何も言わず、踵を返すと町の人ごみに消えていった。
コウガはその後ろ姿を黙って見送りながら――
(先生。次こそは勝って見せます……)
心の中で強く誓った。
レオルガ流拳道とアテナ流剣術道の戦いは引き分けに終わった。だが、これは二人の出会いの物語に過ぎない。当代きっての英雄二人の、ほんの、始まりの物語。
「俺もそろそろ旅立つかな」
強敵との出会いがコウガの目を開かせた。より広い世界へ羽ばたきたいと胸を躍らせた。
より強く、より高みへ――師を超えるために。
コウガも来た道を振り返ると、ハザードとは逆の方向へと歩き始めた。
晴れ渡る空から降り注ぐ光が、新たなる旅立ちを祝福する。
こうしてコウガは新たなる旅路へとつくのであった。
「ちょ、ちょっとちょっと! ここから出して! まだ食べたりないってばあ!」
(闘技場の死闘 おわり)