01:白き宝冠の国-02
ヴェイセルさんは、それから三十分ほどしてから戻ってきた。
なんでも城下の家は、かつて宮廷魔術師としての功績によって下賜された大邸宅らしい。自分一人では到底管理しきれるものではないので、人を雇って世話をしてもらっている。だから、人を招くとなれば、事前に知らせておかねばならなかったのだそうだ。
因みに、戻ってきたヴェイセルさんに、ヴィゴさんが「お前もう三十一とかだろ。まだ一人なのかよ」と失礼なことを申したところ、「俺も何かと忙しい身でね」と独身であることが発覚したりした。まあ、その後にヴィゴさんはしれっと「そう言うお前はどうなんだ?」と問い返されて口ごもり、「どうでもいいだろ、ほっとけよ」とお世辞にも上手いとは言えない返しで逃げていたので、兄弟の力関係を垣間見た気分である。もしやヴィゴさん、お兄さんに大分弱いな……?
「さて、こちらの準備も整ったことだし、拙宅へご案内するとしよう。問題ないか?」
「あ、すみません、その前によろしいですか」
「いいとも、何かな?」
軽く挙手して声を上げれば、真っ向からあの橙の目を向けられる。その眼差しに相対してしまうと、どうしてか妙に落ち着かない気分になる。
その眼が、たぶん、どうも駄目なのだ。知っている色なのに、その人じゃない。それが。
「先程のご提案ですが、お受けします」
胸の奥底に揺れる違和感めいた感慨を飲み下して、言い切る。口に出してしまえば、もう取り返しはつかない。今更になって、心臓がばくばくと鼓動を早めていくのが分かった。
なるべく表情に出ないようにはしていたつもりではあるものの、意味があったかどうかは分からない。偏見かもしれないけれど、宮廷魔術師ともなれば、腹の探り合いも、表情の読み合いも日常茶飯事だったりしそうだし。
ヴェイセルさんは、ごく短い間、私を見下ろしていた。それから、「そうか」と微笑む。
「思ったより早く決めてくれて助かった。君が同行してくれるとなれば心強い。よろしく頼む」
精悍な面差しに浮かぶ人懐こい笑顔もまた、どこか既視感がある。こうして見ると、何から何までよくよく似た兄弟だった。あくまでも「似ている」のであって、「同じ」ではないけれど。
右手が差し出されたので、よろしくお願いします、と握り返す。温かく硬く、厚い掌だった。
「嘘こけ。俺たちに密談させる為に、わざわざこれ見よがしに部屋出てったろ」
握手の手を離すと、またしても隠しもしない不満げな声が聞こえた。振り返ってみれば、ヴィゴさんがじっとりとした目でヴェイセルさんを見つめている。ともすれば、睨んで見えるほどの眼差しの強さだった。
剣呑一歩手前の眼差しにも、ヴェイセルさんは平然としている。それどころか、おどけて肩をすくめてみせるくらいだった。
「時間は有限だ。有効に使おうとするのは、智恵あるものとして当然のことだろう?」
「へいへい、そーですかよ」
「そーですよ。――さて、他には?」
「では、私からも一つ」
次いで、バルナバーシュさんが手を挙げた。どうぞ、とヴェイセルさんが促すと、一瞬私に目を向けた後、静かに切り出した。
「そちらは、私の素性についての情報開示を受けているか?」
単刀直入な問い掛けに、刹那の沈黙が落ちる。
ややあってから、ヴェイセルさんは小さく息を吐き、頷いた。
「件の禁術により擬似蘇生させられた、かつてのラビヌの騎士団長。北の神の走狗とせしめられていたが、現在ではその支配を脱し、ハント殿に真名をもって仕えている……と聞いている」
「ああ、その認識で間違いない。であれば、理解しているのではないか? 私はライゼルの護衛だが、使者に伴われてエルフの元へ趣くにあたっては、人選としておよそ適当でない。あちらを警戒させるだけだ」
「ふむ、一理ある」
「私はルカーシュと共に居残り、件の術の分析に協力する。それは貴国の利ともなろうし、貴重なエルフとの縁の守りを手薄にするのは、そちらにとっても本意ではあるまい。代わりに誰か――ヴィゴと共にライゼルを守るに相応しい人材を手配してもらいたいのだが、可能だろうか」
バルナバーシュさんが問い掛けると、何故かヴェイセルさんは小さく笑った。何だろう、と内心で不思議に思っていると、
「なるほど、さすがに食えない御仁だ。その名前を連ねられて『相応しい人材を』などと言われては、俺も黙ってはいられないな。――心得た。あなたの代わりは、俺が務める。粗忽な弟の出る幕などないほど、十全に働いて見せよう」
「誰が粗忽だ、この野郎」
「お前だ、音信不通の筆不精」
あちこち移動するくせに、それを知らせないのだから手紙の一つも送れやしない。
ヴェイセルさんが呆れ顔でぼやけば、ヴィゴさんは明後日の方向を向いて、何も言い返せずにしかめっ面。その反応には、苦笑を禁じえない。
去年の夏以降、何だかんだでヴィゴさんとは日常的に一緒に過ごすようになっていたけれど、思えば手紙を書いているような姿は一度も見たことがなかった。私だって、昔――というか、この世界に生まれる前、大学生になって家を出て、一人暮らしを始めた弟に似たようなことを度々言ったものだ。お母さんが心配するから、定期的にメールなり手紙なり寄越しなさいよ、なんて。
図らずも場の空気が緩むと、バルナバーシュさんが「それは心強い」と笑い含みの声で言う。
「念の為に確認しておきたいのだが、使者となる者は、他にどれほどの数が?」
「誰も」
けれど、ヴェイセルさんがあっけらかんと答えた瞬間、緩んだはずの空気が硬直した。
「だ、誰も?」
思わずどもって問い返せば、「そうとも」とどこまでもアッサリと肯定される。
「それは、つまり、エルフの砦を訪ねるのは、私と、ヴィゴさんと、ヴェイセルさんだけ」
「そういうこと」
にっこりと笑顔で答えられるに至り、私は唖然として、先生ですら目を見開いていた。まさか、そんな、少数精鋭とか、そういう次元ですらないじゃない……?
「正使が護衛を兼ねるというのもおかしな話だが、そういうことも稀には起こるさ」
「起こらねえよ。お前が起こしてるだけだろ」
「瑣末なことは気にするな。まあ、半分は冗談としても、そこまで割ける手がないのも事実だ。今は北の守りを固めねばならないのでね。――ところで、ハント殿は自らの護衛が分断されることを承知しているのかな?」
「え、ええ、はい」
再び水を向けられて、我に返る。
その点については、ヴェイセルさんが席を外している間に皆で話し合って、納得済みだ。そう答えると、ヴェイセルさんは満足げに頷いた。
「では、全て問題はなし、と。実に結構。巧遅と拙速の適不適は時と場合によれど、用意は周到であるべきで、初動は速いに越したことはない」
「要するに?」
回りくどいんだよ本題言えよ、と言葉よりも雄弁な表情で言うヴィゴさんへ、ヴェイセルさんは爽やかに言い放つ。
「明日出発します」
「「早ッ!?」」
私とヴィゴさんは、異口同音に叫んだ。
時間がないんだよなあ、とヴェイセルさんは本気とも冗談ともつかない風で肩をすくめていたけれど、それにしたって……!
早くも精神的な疲労で倒れそうになったものの、ヴェイセルさんのお屋敷に向かう道中で、図らずも元気を取り戻すことになった。
モーネボートという看板のお店の前で馬車が止まった時は何事かと思ったものの、詳しく聞いてみれば、貴族御用達の菓子店なのだとか。恐る恐る足を踏み入れた店内は煌びやかに飾り付けられ、ショーケースの中ではケーキやクッキーを始めとして、様々なお菓子が陳列されている。
「こんな情勢にあっては、満足に帝都見物もさせてあげられないのでね。弟が世話になっている礼も兼ねて、好きなものを好きなだけ選んでくれ」
そして、そんなことを言われた時には、再び唖然としてしまった。「好きなものを好きなだけ」なんて、中々に聞かない台詞だ……。
「何だよ、えらく気前がいいじゃねえか」
「はっはっは、宮廷魔術師は金が余る」
「……ライゼル、遠慮すんな。むしり取れるだけむしり取っとけ。むしろ端から全部いっとけ」
「そんな無茶な……」
結局、お屋敷にいる人たちに加えて、私とヴィゴさん、ヴェイセルさんの分のケーキを選ぶことにした。途中からヴィゴさんが口を挟んできて、何やかや数が嵩んでいったのは、何も見なかった聞かなかったことにしておいたけれども。
ささやかな寄り道をしつつ到着したヴェイセルさんのお屋敷は、帝都の閑静な住宅街の中にあった。住宅街といって侮るなかれ、周囲のお宅は軒並み清風亭が三つ四つ余裕で収まりそうな敷地を誇る。ヴェイセルさんのところも戦功で下賜されたものだというから、元々は皇帝とか国の持ち物だったのだろうし、周りも貴族やらそういった身分の人たちのお宅なのだろう。
「お帰りなさいませ、ヴェイセル様」
「お客様をお迎えする用意はできております」
お屋敷で私たちを迎えてくれたのは、家政婦長のカルロッテさんと、執事のヨーアンさん。
どちらも五十がらみのベテランの方で、お屋敷が戦功で下賜される際に合わせて――皇帝陛下の推薦を受けて――やって来たそうだ。どうせ明日の早いうちに出発するのだから、と挨拶をするのは、こちらの二人に留められた。
ちょうど到着した時刻が三時過ぎていたこともあり、カルロッテさんの提案でお茶の席が設けられた。城下に出て、自宅に帰ってきたからか、はたまた久しぶりに会う兄弟の前だからか。お茶会でのヴェイセルさんは、一層に気さくだった。
「俺から見れば、君も妹のようなものだ」
「娘の間違いじゃねえの」
「自分の家のように、とはいかないだろうが、寛いでくれ。そして、粗忽者は人が喋っている最中に口を挟むんじゃない。黙って飲み食いしているように。いいか、黙ってだ」
「息をするように圧力かけてきやがるコイツ」
「ハント殿――と呼ぶのも堅苦しいか。名前で呼ばせてもらっても?」
「ええ、はい、どうぞ。私も、断りなくそう呼ばせていただいていますし」
「はは、名字は同じだからね」
着慣れない礼服から私服に着替えて、美味しいお茶を飲んで、美味しいケーキを食べる。そうしてお喋りなんかしていれば、自然と気分も和むというものだ。
当然ながらヴェイセルさんは魔術に詳しく、些細な会話でも勉強になることが多いし、時には軽妙な語り口で子供の頃の失敗談――主にヴィゴさんの――まで披露してくれた。それにヴィゴさんが噛み付くまでがワンセットで、笑いすぎた私は危うく涙が出そうなほどだった。
「ああ、笑った……。お腹痛い……」
「楽しんでもらえて何よりだよ」
「お前は何もしてねえだろ、俺をダシに使っただけだろ」
ヴィゴさんが顔をしかめる。ついつい笑わせてもらってしまったけれど、身内に話の種として暴露される昔話ほど居た堪れないものはない。昔は私もお正月やお盆の親戚の集まりで、定期的に同じ面倒臭さを味わったものだった。
「まあまあ、そう怖い顔しないで。こっちのケーキ、少しあげますから」
「ケーキで騙されろってかよ」
「好きでしょう、甘いもの」
そうでもねえよ、とヴィゴさんは唇を曲げるけれど、何かにつけて私にお菓子を作らせようとするのだから、好きじゃない訳がないじゃないか。
「へえ、お前いつの間にそうなったんだ」
やり取りを横で見ていたヴェイセルさんが、おもむろに興味深いものを見るような、面白がるような顔をしてヴィゴさんに言った。
「え、ご実家にいた時は違ったんですか?」
「まあ、田舎の農村だから甘いものといっても、限りはあったがね」
「おいヴェイセル、ほんとお前余計なこと言うなよな」
ああ、またヴィゴさんの顔が恐ろしいことに。これはそろそろ本格的に話を逸らさねば。
「まあまあまあ、ほら、こっち一口どうぞ。ついでに、そっちも一口下さい」
私とヴィゴさんは長方形のテーブルの長辺に並んで座っている。すぐ隣なので、ケーキの載せられたお皿を行き来させるのも簡単だ。
さすがは貴族御用達の肩書きを得るだけのことはあり、モーネボートのケーキは、マリフェンにも勝るとも劣らない美味だった。クリームは滑らかで舌触りよく、しっとりしたスポンジは口の中でふんわりと軽く崩れる。ヴィゴさんのご機嫌を取る以上に、私が別のケーキを食べてみたい思惑が強かったけれど、まあ、それはそれだ。
特にお菓子の類だと、私が一口交換を持ちかけるのは、今や日常茶飯事になりつつある。最近では慣れたのか、或いは諦めたのか、ヴィゴさんも何も言わずに応じてくれる。ケーキを分け合う私たちを、向かいに座るヴェイセルさんは微笑ましいと言わんばかりの表情で眺めていた。美味しいケーキに浮かれてはしゃぎすぎたか、と思わず背筋が冷えたものの、全て後の祭りである。
一応、ヴェイセルさんの表情はあくまでも微笑ましげな風であり、呆れたりしてはいなさそうなのが、救いと言えば救いかもしれない……?
「ライゼル、私のものも一口食べるかね?」
「テメーほんとふざけんなよクソ兄貴」
「ははは、冗談だ」
軽やかに笑うヴェイセルさんに対し、ヴィゴさんは苦虫を噛み潰したような顔をしている。たぶん兄弟仲は悪くない――というか、何だかんだでいい方なのだろうと思うけれど、あれかな、親しいからこそ遠慮がないのかな。
私も弟妹がいるとはいえ、前は下に弟がいるだけの二人姉弟で、今は三人姉妹。上に兄姉がいたことはないし、男兄弟にも馴染みがないから、二人の様子がよくあるものなのかどうなのかは、いまいち分からない。
「お二人は仲がいいんですね」
ただ、そう言った時――
「まあ、それなりにね」
ヴェイセルさんがにこりとする一方、ヴィゴさんは明後日の方向へ顔を背けたまま、何も言わない。それでも、決して否定することもないのだ。
その素直じゃないところは、もう二度と会えない弟を思い出させるようで、「やっぱり仲いいんじゃないですか」と笑いながらも、ほんの少しだけ胸が痛かった。




