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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
幕間
96/99

X:彼と彼女の日常

本作はコミティア127発行の「番外掌編集vol.2」に収録したものの再録となります。

「X:彼女と彼の日常」の前日譚にあたります。

「そろそろ髪切るか」

 窓の外は吹雪いているが、小型暖炉の配備された清風亭の一室は、驚くほど暖かい。ヴィゴが突然に思い立ったのは、十二月の冬真っ只中のある日――その暖炉の前でのことだった。

「何です、いきなり。この寒い季節に敢えて切るなんて、風邪引きますよ」

 呆れた声で応じるのは、窓際の机で分厚い魔術理論書を読んでいた部屋の主だ。

 ライゼル・ハント。緩く編んだ薔薇色の髪を背中に垂らして、緑の目を怪訝そうに細めた歳若い娘。傭兵であるヴィゴを自らの護衛と恃む、十七の身空で辺境の故郷から単身王都へ上り、王立魔術学院に通う苦学生である。

 ヴィゴは自らも隣の部屋を借り受け、王都における宿として活用している。それにもかかわらず、何かと理由をつけてライゼルの部屋に入り浸るのは、護衛としての役目ばかりでなく、半ば以上がお節介であることは周知の事実だった。

 何しろ、ライゼルには集中すると寝食を忘れ、己の限界さえも無視するという悪癖がある。夏には夜を徹して勉学に励むあまり、廊下を歩いている最中に一瞬意識を失い、壁に激突する騒動を起こしたことさえあった。以来、ヴィゴは事あるごとにライゼルの様子を窺うようになり、その部屋に入り込むようになったのである。

 寒さの厳しくなった昨今は、「どうせ部屋でゴロゴロしてんなら、こっちにいた方が節約になんだろ」というのが、もっぱらの言い分だった。もちろん、その言葉が態のいい建前であることは、ライゼルでさえ分かっていた。

 部屋に備え付けられた暖炉は自由に使うことができるが、当然の帰結として、使えば使った分の燃料費を支払わなくてはならない。お世辞にも裕福であるとは言いがたい学生の身であるライゼルにとって、それが大いに悩ましい問題として降りかかっていることを、ヴィゴはよくよく理解していた。

 部屋に滞在する対価として、燃料費を半額負担する。その申し出は単純ながらも効果的で、勝手に人の部屋に居座って、と日常的に苦言を呈している――それもまた一種の装いであることは、周囲には明白な事実であったが――ライゼルでさえも、頷かざるを得なかったのである。

「お前は負担が減る、俺は暖を取れる。いい取引だろーよ」

「そりゃあ、助かることは否定できませんけど。でも、これの何をもって『取引』と言うのか、私には全然さっぱり分かりませんけどね!」

 かくして、ヴィゴは見事隣室への滞在権を勝ち取り、今日も今日とて机に向かって課題の消化に勤しむライゼルを横目に、槍の手入れやら昼寝をするやら、気ままに過ごしていた。

 髪を切る、などと言い出したのは、まさにその穏やか過ぎるほどのひと時のことだった。

「なあ、鋏とか持ってねえ?」

 部屋の主の渋面も無視して持ち込み、勝手に暖炉の傍らに置いた椅子に座るヴィゴは、鬱陶しそうに前髪を指先で払い除ける。

 長らくソノルン樹海の戦乱にかかわっていたこともあり、夏から秋に至るまで満足に整えられることもなく放置され続けた銀の髪は、今や半端に伸びて額に落ちかかっていた。平時であれば定期的に短く刈り、邪魔にならぬよう図っているだけに、その額にちらつく常ならぬ感触には、どうにも落ち着かないものを覚えてならない。

「鋏はありますけど、紙を切るものであって、髪の毛の方を切る為のものじゃないですよ」

「切れりゃ何だって構いやしねえよ」

「いや、私が構いますから。そもそも髪って、脂で切りにくいんじゃないですっけ?」

「知らねえ」

「……でしょうねえ」

 聞いた私が間違いでした、とライゼルがため息を吐く。小休止を入れることにしたのか、机の上で開いていた本に栞を差し込んで閉じると、くるりとヴィゴを振り返った。

「いつも、どうやって切ってたんです?」

「立ち寄った街の床屋とか、後は宿とかで適当に鋏借りてたっけかな。んで、じゃきじゃきやる」

「それ、本当に適当過ぎじゃないですか……」

 ため息混じりに吐き出したライゼルは、頭痛でも堪えるようにこめかみに手を当てる。対するヴィゴは、いかにも不服そうに唇を曲げた。

「あんだよ、そんなこと言うなら切ってくれたっていいんだぜ」

「嫌ですよ」

「即答かよ」

「そりゃそうですよ」

 どこまでもきっぱりとした返答に、そんなに嫌か、とヴィゴの表情が一層に渋くなる。しかし、そうぼやく前に、

「だって、人の髪とか切ったことないですし。それに街とか歩いてて『あの人カッコいいのに、髪型ひどすぎ』とか囁かれたらどうします? そんなもん聞いちゃったら、私はしばらく立ち直れない自信がありますね。自信しかないですよ」

 無理無理、としかめ面を浮かべたライゼルは、顔の前で手をひらひら横に振って見せる。

「だったら、私がたまに行くお店でも紹介しますけど……って、何ですか、そんな唖然として」

「いや……別に、何でもねえけどよ」

 きょとんとして首を傾げるライゼルから、ヴィゴはそれとなく視線を外す。純粋に不思議に思っているらしい眼差しが、やたらに居心地悪い。

 はああ、と肺の中の空気を一息で吐き出し、ヴィゴは天井を仰ぐ。

「お前、時々すげえ鈍いけど、すげえ真っ直ぐ突っ込んでくることあるよな」

「はい? 何です、貶されてます?」

 怪訝そうな目顔からするに、言いたいことは何一つ伝わっていないらしい。それを素直に嘆けばいいのか、いっそ「らしい」ことだと笑ってしまえばいいのかは、何とも判断がつかないが。

「貶してねえよ。……その店ってのは、すぐに予定が組めるもんなのか」

「まあ、連絡してみれば近日中には予約も取れるんじゃないですか」

「んじゃ、適当に頼まあ」

「はいはい、分かりましたよ」


 果たして、ライゼルが利用するという理容店の予約は、三日後に取ることができた。

 大通りから少し外れた、小さな佇まいの店である。店の前には冬枯れた背の低い観葉樹の鉢が几帳面なまでに列を成して並べられ、明け方まで降っていた雪も綺麗に掃かれていた。

 窓越しに窺った店内には、女性客と男性客が一人ずつ。少なくとも肩身の狭い思いはしなくて良さそうだ、とヴィゴはひそりと安堵する。

「ここ、ラシェルさんに教えてもらったんですよね。店主さんが気さくで腕もいいって」

「へえ、そりゃ期待できそうだ」

 軽く相槌を打ち、店の扉を開ける。そのまま扉を押さえていると、ライゼルが一足先に店内へ歩みを進めた。初夏の頃などは、そうする度にどこか緊張したような素振りを見せていたものだが、今となってはすっかり落ち着いたものだ。

 ごく自然に先を行き、ヴィゴの様子を窺うこともない。それだけ慣れたということでも、信頼されているということでもあるのだろう。

 そう考えると、中々に悪い気はしない。

「こんにちはー、ハントですけれども」

 明朗に響く声を聞きながら、ヴィゴもまた店に足を踏み入れる。赤々と火の燃える暖炉のお陰だろう、暖かな空気が漂っていた。

 店の中央では、二人の先客が今まさに髪を整えられている。客の正面の壁には大きな鏡が掛けられており、広く店内の様子を写し取っていた。

「いらっしゃい、ライゼル。ああ、そっちが噂の傭兵さんだね? まだ椅子が空かないから、ちょいと待っていておくれよ」

 ライゼルの呼びかけに応じ、散髪を行っていた店員のうちの一人が扉を振り返る。四十絡みの金髪の女で、おそらくはこちらが店主なのだろう。もう一人の店員が年若い、よく似た色合いの金髪の娘である様子を見るに、親子であるのかもしれなかった。店主は客の周囲を動き回り、小気味よい音を立てて、手にした鋏を動かしていく。

「その辺に座ってていいですか?」

「いいとも、お好きにどうぞ」

 店主がにこやかに答えると、ライゼルは「ありがとうございます」と応じ、ヴィゴの手を引く。

「ヴィゴさん、こっち。座ってましょ」

 ライゼルが向かう先――入口の扉すぐ近くの暖炉の傍には、客を待たせておく為であろう椅子が並べられている。促されるがまま、ヴィゴは先に座ったライゼルの隣に腰を下ろした。

 整髪剤の類だろうか、ふと嗅ぎ慣れない匂いが鼻先を掠める。香水とハーブが入り混じったような……さほど強いものではないのだろうが、人と獣の二つ形を持つ人獣族であり、余人より鼻の利くヴィゴにとっては、些か刺激的だ。

 つい眉間に皺を寄せると、傍らに座る娘はそれをどう解釈したのやら、妙ににやついた顔を向けてきた。面白がっているような、どこか悪戯っぽい笑顔。近頃は難しい表情で分厚い本に向かう姿ばかりを見ているだけに、楽しげであるのは喜ばしくあるものの――どうにも誤解されている気がしてならない。

「もしかして、ちょっと緊張してます?」

「してねえけど、慣れねえ場所だから落ち着かなくはあんな」

「何だ、つまらない」

「つまらねえとは何だ、つまらねえとは」

「だって、何かいつもとは違った反応でも見られるかと思ったんですもん」

「んなもん、見たって何も面白くねえだろ」

「そんなことないですって」

 十分面白いです、と嘯くライゼルに、どうだかな、とヴィゴは緩く返す。もうじき知り合ってから一年になるが、未だにライゼルの価値観や感性には、理解しきれない部分が多々あった。

 もっとも、それも一種当然のことではあるのだろう。年齢も違えば性別も違い、生きてきた環境も選んできた道も、およそ何もかもが異なる。それどころか、ライゼルとヴィゴとでは、文字通り見てきた世界そのものが違うのだ。

 ――それでも、とヴィゴは黙考する。

 例え、分かり合うことはできなくとも。分かりたいとは思うのだ。そう願う感情に、まだ名前をつける気はなくとも。

「……まあ、何だ、若えお嬢ちゃんの考えることは、よく分かんねえな」

「その台詞、すごいおじさんっぽいですよ」

「うっせ」

「まあ、もうすぐ誕生日ですもんね。二十七歳。四捨五入して三十歳」

「わざわざ重ねて教えてくれなくていいっつの。第一、四捨五入して三十なのは二年前から変わってねえかんな」

「そういえば、二十五歳を超えると、一気に身体の衰えがくるって聞いたことあるんですけど、本当なんです?」

 純粋に不思議そうに見上げてくる眼差し。

 それを真正面から受け止めた瞬間、ヴィゴは図らずも言葉に詰まった。お前人の話聞いてねえだろ、などと言い返そうと思っていたことも忘れ、ごくりと唾を飲み込む。

 ライゼルの生きてきた時間は、その外見から推測される期間と同一ではない。かつて本人の口から打ち明けられたことには、今現在の十七年間の人生の前に、二十三年の生きて死んだ経験があるのだという。すなわち、ライゼルは――その名前を得る前の「彼女」は、二十五歳を迎えることもできなかった。二十三の時に、死んだ(殺された)のだと、他でもない本人が語っていた。

 そう打ち明けられた時のことを思い返す度、腹の奥底でひどく冷たい感情が揺蕩う。そして、それが凝縮された怒りであり、殺意に近いものであることを、ヴィゴは正しく自覚していた。その犯人とやらが自分の目の前に現れようものなら、問答をするよりも前に自慢の槍で喉笛を貫かない自信が、まるでない。

「……そんなもん、自分で二十五になってみりゃ分かるだろ。自分の身体の具合なんざ、他人の話を聞いてみたところで、どうするってんだ」

「まあ、それもそうなんですけど。でも、ほら、人生何が起こるか分からないじゃないですか。だから、参考までに」

「何が起こるか分からねえとしても、お前は二十五にゃなる。俺がついてて、早々死なせるもんかよ。つまんねえ話は、そん時自分で考えろ」

 そのつもりは毛頭なかったが、知らず突き放すような物言いになってしまった。しまった、と内心でひやりとしたものを覚えたが、

「何だよ、その顔は」

「いーえ、別に何でも」

 ライゼルはその緑の目を丸くさせていたかと思うと、ゆるゆるとほのかな笑みを浮かべた。ヴィゴが怪訝そうに眉根を寄せてみせても、ただにこりと微笑むばかり。

「私が二十五歳になったら、ヴィゴさん三十四とかですよね」

「……あんま考えたくねえけどな」

 その時には、もう「おじさん」という呼称から逃げることもできなくなっているのだろうか。

 お世辞にも嬉しいとは言えない想像だった。まさかな、と笑ってしまいたいが、何故だろう、何となく背中が寒い。いや、この寒気は季節的なものであり、心の奥底で実はうっすらと覚悟している何かのせいとか、そういうものではない。ないったらない。ないと信じたい。

「十年後、なあ」

 脳裏を過ぎった思考を振り払うべく、声に出して呟く。その頃って、何してるんでしょうね。遠くに思いを馳せる声でライゼルが言うので、自然とヴィゴの思考もつられて遠くに飛ぶ。

 三十路を過ぎた自分が、どうなっているか。何をしているのか。戯れに考えてみようとしたものの、どうにも頭の中にそれらしき像が浮かび上がらない。時間をかけるだけ無駄だと、ヴィゴはすぐに考えるのを止めた。

 ただ、少なくとも十年前の十六の自分は、今日置かれているような状況は想像もしていなかったに違いない。それだけは、確信を持って言えるような気がした。

 十近くも年下の、まだ子供とも言える歳の娘を守り、時に振り回されながら――こんなにも穏やかに過ごしているなどとは。

「何か、意外に思いつきませんよね」

「だな」

「というか、問題は十年後より今ですよ」

「あんだよ、問題って」

「もうじきヴィゴさん、誕生日じゃないですか。誕生日と言えばケーキ、そしてプレゼントです。プレゼントは用意してるので問題ないとしても、ケーキをどうするかが悩みどころですよね」

 思わぬ言葉に、ヴィゴの目が瞬く。

 確かに、誕生日を教えたことはあった。だが、その為に「何か」を用意しているらしいこと、それを自分に全く気付かせずにいたこと――二重の驚きが、胸を突いた。

「プレゼントって」

「何だ、って質問はなしですからね」

 口に出そうとしていた文句を先回りされ、再びヴィゴの眉間に皺が寄る。明らかに不服げな表情を見ながら、ライゼルはにこりと笑った。

「ここで教えちゃったら、面白くないでしょう」

「ここまで仄めかした後で秘密にされても、それはそれで面白くねえけどな」

「ほんのちょっとの辛抱じゃないですか。それよりもケーキですよ。折角なんで、マリフェンでいい感じの買いたいですよね。あ、蝋燭は二十七本立てます?」

「誰が立てるか。針山みてえになんだろ」

「それはそれで愛嬌が」

「ねえよ」

 全く、とため息を吐き出す。ライゼルが面白がっているのは、一目瞭然だった。薄紅の唇が、にんまりと三日月にも似た弧を描いている。

「人で遊ぶんじゃねえよ」

「遊んでませんよう、真面目な提案です」

「嘘吐け。――ったく、ケーキケーキって、自分が食べたいだけだろーがよ」

「まあ、半分は」

「やっぱりかよ」

「いや、でも半分ですからね。だから、こうやって意見を聞いてる訳ですし」

 さもなければ、勝手に決めてます。

 きりっとした表情で言い放つ姿に、ヴィゴは何とも言えない頭痛のようなものを覚える。ソノルン樹海の戦乱に巻き込まれた時はどうなることかと思ったものだが、こうして誕生日やケーキを巡って騒げるようにもなった。それ自体は、単純に喜ぶべきことなのだろうが。

 ……どことなしか、こう、釈然としない。

「半分ってことは、俺の意見も聞く気はあるってことだよな」

「まあ、誕生日なのはヴィゴさんですからね」

「だったら、作ってくれよ」

「はい? 何をです?」

「ケーキ」

「ケーキぃ? 何でまたそんな、マリフェンでいいじゃないですか」

「店で買ったのを食うんじゃ、半分どころか全部お前の得だろ。半分は意見を聞く気があるってんなら、いいじゃねえか。それとも、何だ? 嫌だってのかよ」

 じろりと横目に睨んでみせれば、ライゼルが唇を尖らせる様子が目に入る。

「べーつに、嫌じゃないですけどー」

「けど、何だよ。お前はケーキ食う、俺はケーキ作ってもらう。半々じゃねえか」

「そんな馬鹿な論理がありますかっての」

 ライゼルが顔をしかめる。だが、ヴィゴは平然と椅子に座り直すだけで、黙っているに留めた。おそらく、と未だ不確定のことではあるが。確信にも近いものがあったのだ。

「あーもー……ほんと、正気ですか? マジでです? どうしても?」

 初めどんな反応を装っていても、結局は、彼女が自分の意見を容れるであろうという。

 ゆえに、寸前に向けられたものによく似た笑い顔で、ヴィゴもまた答えた。

「そりゃあ、『どうしても』だ」

「マリフェンのが美味しいのに……」

「お前のだって美味いだろ」

 即座に切り返してやれば、ライゼルは呻き声とも唸り声ともつかない声を上げて絶句した。それから、長々とした息を吐き、

「こんにゃろう、分かりましたよ。そこまで言うなら仕方がない、作りますよう」

 全く、と唇を尖らせてぼやくライゼルに悟られぬよう、ヴィゴはひそりと含み笑う。

 人をお人好しだ何だって言いやがるが、お前だって大概に俺に甘いじゃねえか――などと口に出せば、それこそ本格的に機嫌を損ねるであろうから、飲み込んでおかねばならないが。

「一応訊いておきますけど、どんなのがいいとかお好みはあります?」

「お前の一番得意な奴」

「また訳の分からないオーダーを……」

 ライゼルが眉間に皺を寄せ、ため息を吐く。すると、ほとんど時同じくして、店主に散髪されていた男性客が立ち上がった。

 ようやっと、待ちに待った順番が来たらしい。客が代金の精算をし、掃除や細々とした後処理を終えると、店主が苦笑を浮かべながら歩み寄ってくる。

「ライゼル、兄さん、待たせたね」

「いえ、全然大丈夫です。……よね?」

 窺うように問い掛けられたので、おう、と軽く頷き返す。店主はそのやり取りを、微笑ましそうな目で眺めていた。

「仲が良くて結構! それじゃあ兄さん、お席へどうぞ」

「あいよ、宜しく頼むわ」

 軽やかに招く店主に答え、ヴィゴは椅子から腰を上げる。大きな鏡の前で待ち受ける店主は、愛想のいい笑顔で続けた。

「おうとも、お任せあれ。どんな風にするか、好みはおあり?」

「好みぃ? 別にねえなあ、邪魔にならねえように短くしてもらえりゃ」

「まあ、聞き甲斐のないこと。ライゼルは?」

 俄かに店主が待合いの椅子を振り返る。え、と素っ頓狂な声が聞こえた。

「びっくりした、何で私に振るんですか」

「何でも何も、連れだろう?」

「それはそうですけど、何か意図してるものが違うような――まあいいか、じゃあ、一つ」

「一つっきり?」

「ええ、一つだけ。格好いいのが、損なわれないようにしてください」

 ライゼルが言った途端、一瞬の沈黙が落ちた。そして弾けたのは、店主の笑声。

「随分と素敵なオーダーだねえ!」

「だって、どっかの傭兵さんってば、本当に大雑把なんですもん。素人に切らせようとするんですよ。そんなことしちゃったばっかりに、目も当てられない有様になったらどうします? 申し訳ないったらないじゃないですか。ほんと、元がいいと、逆に変に余裕できちゃうんですかね?」

「さあ、どうだろうねえ。本人のご意見は?」

 店主が顔を正面に向け直し、鏡に向かってにやりとしてみせる。

「とっとと切って終わらせてくんねーかなと、心の底から思ってる」

 鏡に映り込んだ自分の顔を睨みながら、ヴィゴは努めて素っ気無い声を出した。――が。

「兄さん、口元にやけてるよ」

 囁き声の指摘は、聞こえなかったことにした。何せ、格好良さを損ねてはならないので。


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