X:彼女と彼の日常
がさがさしている、とライゼルは思った。
――何が。自分の手が、である。
ライゼルの手は、元々十七歳の娘のものとして似つかわしくない形をしていた。弓弦を引くことに慣れた指先は硬く、学生として頻繁に書き物をすることになった結果、立派な筆たこまでもができた。そもそも子供の頃から母や祖母の炊事の手伝いをしてきたこともあり、冬の手荒れは毎年の恒例行事のようなものでもあった。
しかし、今年の冬は些か趣が違う。
手荒れの理由は家事ばかりでなく、薬の為だった。この春から通い始めた王立魔術学院では、課題として魔術を付与した物品の制作が言い渡されることも少なくない。そうした課題が出る度、或いはそれ以外の目的と用途でも、ライゼルは度々鉱石や金属を加工した装飾品を作った。
金属を成形し、鉱石を削り磨く。それらの工程には、研磨剤を始めとした薬品が切っても切り離せない。直接に触れて皮膚に害のあるようなものは使っていないが、作業の都合上、必然的に手を洗う回数は増える。
「ボロボロだなあ」
自嘲を通り越して、よくもここまで、といっそ感心するほどだった。乾いて荒れた皮膚もひどいが、あちこちに残った傷跡もまた、お世辞にも目に快いとは言えない。
夏にはアルマで自動人形の暴走騒ぎに巻き込まれ、秋にはソノルン樹海で北方の悪神に連なる軍勢との対決。お陰で、眼下で広げた手には、数え切れないほど細かな傷の痕跡が刻まれていた。
故郷にいた頃には、祖母の手製の塗り薬で事なきを得ていたが、王都に滞在していては望むべくもない。今はまだあかぎれもないが、このまま荒れた手を放置していては、そう遠くないうちに罅割れが生まれることだろう。
そういえば、階下の食堂で給仕をしているラシェルは、いつも綺麗な手をしていた。時に厨房の手伝いをして水にも触れているはずだが、特に手荒れを嘆いていた覚えもない。
もしや、何か良い対策を知っているのではないだろうか。思い立つが早いか、ライゼルは椅子から立ち上がった。時刻は午後三時筋過ぎ、食堂の忙しさも落ち着いた頃だろう。四半時ほど前までは階下の喧騒がかすかに聞こえてきていたが、今はもうほとんど何も聞こえない。
いつも勝手に部屋に入り込んで居座る傭兵も、今日はギルドに顔を出してくると言って、昼過ぎから出払っている。ひっそりと静まり返った部屋に、一人きり。それこそが本来の状況であるはずなのに、どこか落ち着かないものを感じてしまっている事実からは努めて目を逸らし、ライゼルは部屋を出た。
暖炉で暖められた室内とは異なり、廊下は凍えるほどに寒い。階段を下り、一階の食堂に近づくにつれて空気は暖かくなっていくが、それでも吐いた息は白い。
「お、ライゼルじゃねえか。一人か? 番犬はどうしたよ」
「柄にもなく、腹でも壊したか? そうでもなきゃ、離れやしねえだろ」
ライゼルが食堂に足を踏み入れると、顔馴染みの常連客たちが口々に声を掛けてくる。
「あのですねえ、よく一緒にいることは否定しませんけど、いつでも一緒にいる訳じゃないですから。今日はギルドの方に行ってますよ」
「へえ、たまにゃちゃんと仕事してんだな」
「いや、いつも仕事してますから。ちゃんと護衛してくれてますよ」
「仕事ぉ? お前さんにくっついてんのは、ありゃ趣味だろ」
「あっはっは、違いねえ」
「何が違いないことがありますか。違いしかないですよ」
日常的に顔を合わせる間柄であるからこそ気安い客たちを適当にあしらい、ライゼルは辺りをぐるりと見回す。目的の人物の姿は見えない。客の相手をしていないということは、奥の厨房にでもいるのだろうか。
「ラシェルさん、どこにいるか分かります?」
「さっき休憩だって奥に入ってったぞ」
「ああ、やっぱり。ありがとうございまーす」
何だ寄ってかねえのか、と絡むにも似た物言いに「また今度」と生返事をしつつ、食堂を壁沿いに迂回して奥へと向かう。
すると、表での会話が聞こえていたのか、厨房に顔を出す前に中から人影が姿を現した。
金髪を緩く編んだ、妙齢の女性。ライゼルの姿を見とめると、彼女はにこやかに微笑む。
「ラシェルさん」
「お呼びかしら」
「はい、ちょっとお訊きしたいことがあるんですけど、お時間大丈夫ですか? 休憩中ですよね」
「そんなこと、構わないわ。どうしたの?」
「手荒れとかに効く、いい軟膏とか、おすすめがあれば教えてもらえないかなーと」
こんな状態になってしまって、と軽く手を挙げて見せれば、つられて視線を動かしたラシェルが目を見開く。
「こんなに荒れるまで放っておいちゃ駄目よ」
「面目ない。今までは、こう、忙しかったりして放置しちゃってたんですけど……さすがにひどいなと思いまして」
「そうねえ、何がいいかしら……」
呟いたラシェルが、考え込む素振りを見せる。そのまま、ごく短い沈黙が流れたかと思うと、
「トワジャスナなんかどうかしら。あのお店の軟膏、とてもいい香りがするのよ」
「トワジャスナって、大通りの北の方のお店でしたっけ?」
「そうそう、今度他所の街にも支店を出すらしいのよ」
「へええ、有名なんですね」
「良ければ、試しに使ってみる? ちょっと甘い匂いが強すぎるかもしれないのだけれど」
「あ、じゃあお言葉に甘えてもいいですか?」
お願いします、とライゼルが頭を下げれば、ラシェルは笑顔を浮かべて「少し待っていてちょうだいね」と、厨房とはまた別の部屋へと向かっていく。そこに荷物の類が置いてあるのだろう。
程なくして戻ってきたラシェルの手には、薄く円い器が乗せられていた。ちょうど掌に収まるほどの大きさで、厚みは親指の爪ほど。表面に嵌め込まれた蓋がずらされると、その下から薄紅色の軟膏が顔を出した。
その途端、甘やかな芳香が一面に広がる。
「わ、すごい、結構はっきりした匂い」
「でしょう? 新作だからと試しに買ってみたのだけれど、少し匂いが強すぎて……。効き目は折り紙つきなのだけれど。少しつけてみる?」
「あ、じゃあ、お願いします」
ライゼルが答えるや、ラシェルが指で軟膏をすくい上げる。右手の手の甲を差し出すと、その上にぺたりと塊が乗せられた。ひやりとした感触を温めるように、両手の表裏に伸ばしていく。
「ありがとうございます。これ、お菓子系の甘い匂いですよね」
「ええ、ライゼルさんはどんな香りが好き?」
「うーん、もうちょっと自然っぽい……花とか、果物とか、そういうのが好きかもです」
「花や果物なら、結構種類があったと思うわ」
「えー、それ逆に迷いますねえ。――あ、何かしっとりしてきた」
一通り軟膏を伸ばし終えると、ライゼルは目を瞬かせて両手を目の前にかざした。塗る前はかさついて乾いていた手だが、今は少し滑らかになって見える。
「肌には合いそう?」
「今のところ、問題なさそうです。変に痒くなったりもしてないですし。今度、買いに行ってみます。あんまり荒れさせてちゃ、さすがにみっともないですもんね」
「あ、それなら、もう少し待ってみたらどうかしら。また冬の新作が出るらしいのよ」
「へええ、そうなんですね。それじゃあ、その新作を待ってみます。折角ですし」
気に入るものが見つかるといいわね、と微笑むラシェルに、そうですね、と相槌を打つ。
しばらく世間話に興じた後、ライゼルは自室に戻った。何しろ、ソノルン樹海に出向いている間中、休学していた格好だ。それを補填する代償として与えられた課題が、文字通り山積している。既に学院が冬期休暇に入っていることもあり、徹夜をすることも珍しくない。
ゆえに、わざわざ話を聞いておきながら、ライゼルは朝を迎える前に軟膏を求めていたことを忘れた。集中すると周りを構わなくなる性分が、ここでもまた発揮されてしまったのである。
ライゼルがトワジャスナの名前を思い出したのは、それから実に三日後のことだった。
「ほらよ、差し入れ」
「わっ、何です!?」
そう言って放り投げられた包みに、その名前が書いてあったからだ。
昨日丸一日降り続いた雪も止み、打って変わって晴天の午後。ここ数日、珍しく外出が続いていた護衛の傭兵――ヴィゴが、そろそろ休憩の時間だと部屋を訪ねてきた。それを受けて、小休止に茶でも淹れようかと腰を上げる。
まさに、その瞬間のことだった。
ぽーん、とゆるい放物線を描いて投げられたものを、ライゼルはギョッとして受け止める。
「えっ、これ、どうしたんですか」
「買ってきた」
「買ってきたって、えっ、お店に?」
「他にどこで買うんだよ」
「いや、そりゃそうですけど……」
しどろもどろに答えながら、ライゼルはやはり困惑を禁じえなかった。
手の中に収めた包みは、可愛らしい紅色で飾り付けられている。包装紙の表面には、丸っこく図案化された店名のロゴが、そこここに刷り込まれていた。紛れもなく、先日ラシェルが口にしていた店のものである。
しかし、トワジャスナは、要するに女性向けの化粧品を扱った店だ。自分が同行しているのならばともかくも、二十六歳の男性であるヴィゴが一人で挑むのは、中々に勇気のいることではなかろうか。
「……一人で行ったんですか?」
恐る恐る訊ねてみれば、意外にも「おう」とあっさりとした答えが返ってくる。まるで何も問題はないとばかりに、平然として。
「本当に」
「嘘吐いてどうすんだよ」
「そうですけど。……ああいうお店、てっきり苦手なものかと思ってましたよ」
「そりゃあ、得意じゃねえけどな。用事があんなら、行くしかあるめえよ」
「用事?」
「まあ、そこはどうでもいいだろ。ったく、今日もさみーな。茶あ飲ましてくれ、茶」
ぶるりと身体を震わせて、ヴィゴは暖炉の前にしゃがみこむ。誤魔化しにしてはぞんざいに過ぎたが、折角の厚意と思しきものに追究を重ねるのも、どこか憚られた。
「はいはい、分かりましたよ。炙り終わったら、いつものとこ座っててください」
小さく息を吐き、包みを置いて席を立つ。同時に示して見せるのは、窓際の勉強机ではなく、暖炉にも程近い日用の机だ。主に食事や、こうした休憩の際に使われる。机を挟んで向かい合うように並べられた椅子の一方は、ヴィゴの専用に等しく扱われるようになって久しい。
「お茶、何がいいです?」
「何か温まる奴」
「女将さんに生姜入りの紅茶もらったんで、それにしてみましょうかねえ」
会話の傍ら、室内の一隅に設けられた炊事場で薬缶を洗い、水を入れて火にかける。水の沸騰を待つ間に茶器を用意し、
「お茶菓子どーします? 頂き物のクッキーと、やっぱり頂き物の飴しかありませんけど」
備え付けの小型保存庫の扉を開けながら、声を投げる。返ってきたのは、やたらに不満そうな声ではあったものの。
「何か作っといた奴とか、ねえの?」
「最近は課題課題で、そんな暇ありませんよ」
「これだから課題って奴あ嫌いなんだ」
「私だって好きじゃありませんけどねえ!」
言い返しながら、クッキーを小皿に盛る。自分の花柄のティーカップと、いつの間にか持ち込まれていた大振りのマグカップ、それからポットと並べて丸盆に乗せれば、ちょうど間もよく薬缶がひゅるりと鳴いた。火を止め、茶葉を入れたポットへ慎重に湯を注ぐ。
茶器の中で茶葉の踊る様を確認し、ライゼルは軽く息を吐いた。一通りの準備は終わったが、ここからが一番の難関だ。並々と湯の注がれたポットは、中々の重みを誇る。意を決して丸盆を持ち上げようとすると、
「もう持ってっていいんだよな?」
脇から伸びてきた手が、ひょいと丸盆を持ち上げた。片手で、いかにも軽々と。
「あ、はい。ありがとうございます」
「何の、適材適所ってな」
軽やかに答え、丸盆を片手にヴィゴは机に向かって歩みを進める。歴戦の傭兵として数々の戦場を潜り抜けた経歴の賜物か、歩く間も丸盆はぴくりとも揺らがない。
無事に丸盆が机へと移送されれば、さほどかからずに茶会は始まった。布巾を片手に後から到着したライゼルがポットを手に取り、二つのカップに深い紅色を注いでいく。紅茶のみならず、特徴的な香りが辺りに漂った。
「うわ、すげえ生姜だ」
「中に入ってますもん。ヴィゴさん、生姜苦手でしたっけ?」
「別に嫌いじゃねえけど、好きでもねえな」
「微妙ですねえ」
紅茶を注いだカップをそれぞれの席に置き、クッキーの小皿を机の中央に据える。
「いただきます」
「召し上がれ」
律儀に声を上げる様子に小さく笑いながら、ライゼルもまたカップに口をつける。まだ熱い紅茶を慎重に飲み下していけば、熱の塊が喉から胃へと滑り落ちる感覚が面白い。
クッキーは三軒隣のパン屋の夫人が焼いたもので、まだ売り物ではない試作段階だとして宿に差し入れに寄越されたものだ。茶葉や乾燥させた果実を小さく刻んだものが練り込まれ香り高く、口の中でほろほろと崩れる舌触りが快い。
「あー、この紅茶クッキー美味しい。売り出されたら、ちょこちょこ買っちゃいそう……」
「自分で焼けばいいじゃねえか」
「そんな暇ないです。ていうか、お菓子作るとなると、厨房でオーブンとか借りなきゃいけないでしょう。そんな頻繁にできませんよ」
「オーブンありゃ作れんのか」
「後は時間と材料があれば」
「ふーん」
「……何です、その反応」
「何でもねえって」
「まーた、そうやって雑なはぐらかし方する……」
やれやれ、とため息を吐く代わりに、クッキーを口に放り込んで噛み砕く。
「あ、そうだ。さっき頂いたの、開けてみてもいいですか?」
「おー、おまえにやったもんだ。好きにしろい」
布巾で丁寧に手を拭いてから、席を立って勉強机に置いた包みを取って戻る。
紅色の包装紙と、金縁のサテンのリボンで飾り付けられたそれは、意外と軽い。厚みはそれほどなく、大きさも掌に収まる程度。もしかして、と瞬きながら包みを開けてみれば、
「わ、やっぱり」
平たく円い器。ほのかに紅色を帯びた乳白色の蓋には、小さな花々が浮かび上がるようにして咲き乱れる。
蓋をずらして開けてみると、爽やかな芳香がふわりと鼻先をくすぐった。酸味を思い描かせる果実の香り。とろりとした白い軟膏は、先日試したものによく似ている。
「ありがとうございます、ちょうど欲しかったので助かりました。……でも、いきなりどうしたんです? こんなの」
蓋を閉めた軟膏の器を手に持ったまま、机に戻る。椅子に座りながら問い掛けると、ヴィゴはわずかに眉間に皺を寄せ、クッキーを一度に二枚口に放り込みながら答えた。
「冬場にゃ、そういうもんが要るんだろ」
投げ捨てるような響きではあれど、それがおそらく照れ隠しであろうと察することのできる程度には、ライゼルもヴィゴとの付き合いは長い。
そうですか、と相槌を打ち、ほのかに笑む。
「ラシェルさんから聞きました?」
「……けしかけられはした」
ややあってから、ぼそりと返された答えに、ライゼルの笑みは一層に深まった。
ここで婉曲ながらも肯定をしてしまうのが、全くもって「らしい」ことだと思う。嘘が「吐けない」のではなく、おそらくは「吐かない」。少なくとも自分に対してはそうなのだと、ライゼルはいつしかそう理解していた。
「けしかけられたって、何言われたんです?」
「『気の利いた贈り物でもして、信用を取り戻す努力をするべきです』だとさ」
唇を曲げて、ヴィゴは肩をすくめる。
かつてソノルン樹海の戦乱に関連した出来事の中で、ヴィゴは一見してライゼルを裏切ったと見えなくもない行動を取ったことがあった。ラシェルはその騒動に巻き込まれ、ライゼルの未だかつてない動揺ぶりを目の当たりにしてからというもの、以来一貫してヴィゴに厳しい態度を取り続けている。もちろん、後にライゼルは「裏切り」が誤解である旨や真相を説明はしたのだが、ヴィゴが手ひどく傷つけたことは事実であるとして、未だ振る舞いは軟化の兆しを見せない。
「あらら、ラシェルさん、まだアレ引っ張りますか……。信用してない訳じゃないんですけどね」
「外野っつーか、向こうの側から見りゃ、仕方ねえ反応なんじゃねえのか」
「うーん……でも、折を見て、またもうちょっと話してみるようにしますよ」
「んにゃ、そう気にすんな。自分の仕出かしたことの後始末くらい、自分ですらあな」
「そう言われましてもねえ」
どうしたものか、とライゼルは物憂げにため息を吐く。これも選んだ行動に伴う結果だと言われればそれまでだが、当時の状況はどうあれ、今は当事者間での解決を見ているのだ。第三者の方であまり長く引きずられても困る。
「そう言われようと何を言われようと、気にしなくていいんだよ。今回のコレで少しゃあ誠意を見せたとも思ってくれりゃ、じきに落ち着くだろ」
「いや、その為に余計な出費をさせるのは本意ではないと言うか」
ライゼルが眉根を寄せて言うと、途端にヴィゴが怪訝そうな顔をした。
「あ? 何言ってやがんだ、その為なんかでわざわざ買いに行くかよ。発端つーか、切っ掛けは『そういうのが要る』って教えられたからだが、向こうの機嫌を取る為にした訳じゃねえ」
きっぱりと強く言い放つ言葉に、ライゼルは目を丸くさせる。ぽかんとした顔を向けられ、どこか不本意そうにしながらも、ヴィゴは続ける。
「第一、他の誰かの機嫌を取る為にって押し付けられて、お前は嬉しいかよ」
「あー……多少は、複雑な気分にならなくも」
「だろ。だから、そいつはお前に渡すように、お前の為に買ってきたもんだ」
そこんとこ誤解すんじゃねえぞ、と目付きも鋭く念を押され、ライゼルは反射的に頷く。発言の意図と表情が著しく乖離しているが、ライゼルにはかえってそれが幸いした。
お陰で、投げられた言葉に囚われきらずに済んだ。そうでもなければ、真っ向からの直撃で大いに照れてしまっていたに違いない。紅潮した顔を覆って、右往左往する自分が目に浮かぶ。
そうならなくて良かった、としみじみ思った。
「その、何ですか……ありがとうございます」
「おう。――ま、あれだな。本当は言われる前に気付いて買ってきとけば、格好もつくんだろうけどな。そこまで気の利く頭じゃねえってことで、そこは勘弁してくれ」
「勘弁も何も、十分ですよ。そもそも自分で買いに行こうと思ってたところですし。お返しと言ってはなんですけど、お誕生日のケーキとか、頑張って作りますので」
楽しみにしていてくれていいですよ、と胸を叩いてみせれば、「そういや」とヴィゴが何やら思い出したように声を上げる。
「誕生日の、ケーキじゃねえ方って」
「またそれですか、秘密ですってば」
苦笑を浮かべて、ライゼルは頭を振る。先日散髪に出た際にほのめかしてから、ヴィゴは事あるごとに同じ質問を繰り返していた。
「いいだろ、少しくらい」
「駄目です。あ、これ塗ってみていいですかね」
「やったもんだから好きにしろっつーか、話を変えようとすんなってんだ」
露骨に不満げなヴィゴを尻目に、ライゼルは器の蓋を再びずらし、中身の軟膏を右手の指先ですくい上げる。左手の甲に乗せてはみたものの、
「あ、やっぱ取りすぎだった」
「人の話聞けよな」
「それ、割と日頃の私の台詞ですから。それよりヴィゴさん、手え出して下さい。手」
「あ? 何でだよ」
怪訝そうにしているくせに、素直に手は出してくるのだからおかしい。その手を掴んで、手の甲をすり合わせるように、つけ過ぎた軟膏を移す。
「お裾分け」
「……お、おう」
「やっぱこれ、いい匂いですよねー。……って、何固まってるんですか」
「別に、何でもねえよ」
明らかに「何でもない」風ではない、急に大人しくなったヴィゴの様子に笑いを堪えながら、ライゼルは握った手を離し、自分の手に残った軟膏を両手に塗り直し始める。ヴィゴもぎこちない手つきで軟膏を掌で伸ばしだしたが、
「ところで、ヴィゴさんの照れるライン、私未だによく分からないんですよね。カッコいいことは平気で言うのに、軟膏のお裾分けは駄目とか。どういう匙加減なんです?」
ライゼルがけろりとして言うに至り、低く唸って手が止まる。
「自分でやるのはいいけど、誰かにやられるのは駄目とか、そういう?」
「知るか、放っとけ」
「あ、耳赤い。ヴィゴさんて、たまに可愛い反応しますよね」
「しねえよ。お前、後で覚えてろ……」
軋るような負け惜しみ。暖かな部屋に、軽やかな笑い声が響いた。
(本文中で言及されている「先日散髪に~」にまつわるエピソードは、コミティア127にて頒布予定の掌編集に収録される予定です。イベント後、一定期間が経過した後に公開の予定です)




