4:知らぬは、
本作は製本版第2巻(2017.2.12初版)書下ろし掌編の再録です。
ああ、ここもか。
ライゼルと共にアルサアル王を訪ねたヴィゴは、ある種の新鮮な驚きをもって王の館を眺めた。
ソノルン樹海奥深くに築かれたエルフの隠れ里は、戦を乗り越えた後に特有の喧騒で満ちている。以前に訪ねた折には居心地が悪く思えるほど静まり返っていたこの館も例外ではなく、前回の記憶が嘘のように慌ただしくエルフが出入りしていた。
先の戦いでは、幸いにも里へ戦火が及ぶことはなかった。エルフたちが奔走する理由は、ひとえに大量の負傷者の為だ。戦いに出ていた戦士たちの被害が如何なるものかは、同じ戦場に立っていたヴィゴにとって説明されるまでもない。共に戦った戦士も、まだ多くが広場の即席の診療所から出られないでいる。
彼らの全員を癒すには、それだけの人手が要る。王の館を訪ねたのは依頼の報酬についての――おそらくは交渉の為だが、なるべく早く済ませてやろう、とヴィゴは思った。さっさと終わらせて、少しでも雑務を減らしてやった方が、きっと誰にとっても幸せだ。
そうして臨んだエルフ王との謁見は、思いがけず順調に終わった。願ったことは無事に叶えられ、それどころか金貨を二袋、宝物庫から一品まで加えてくれるという。ただ、宝物庫から何か――守りの飾りでも、との提案を受けた時、驚くほど心が動かなかったことには、自分で自分に驚いた。
戦うのは好きだが、もちろん死にたい訳ではない。戦いを楽しむには、まず生きていることが大前提だ。――だと、分かってはいるつもりなのだが。現状、己の装備や戦闘傾向がやたらと攻撃に偏重していることは、さすがにヴィゴ自身も自覚していた。
その点、エルフ王の指摘は正しく、間違いなく受け容れるべきものだった。しかし、依頼の報酬を選べと連れてこられた王の館の宝物庫で、煌びやかな装飾品を目にするうちに思い出してしまったのだ。
未だ扱い兼ねたまま、眠らせ続けていた存在。かつて北方の国境で得た、銀の指輪を。
「貴殿は如何する。王は守りの飾りをと仰せだが」
宝物庫へ先導してきたエルフに声を掛けられ、ふと我に返る。その口振りから察するに、いつの間にかライゼルは目当てのものを見つけ出していたらしい。
ちらりと目を向けてみれば、少女の緑の眼が無言で見つめ返してくる。訳もなく後ろめたいような心地になり、意味もなく首筋を掻いた。
「そうは言われたって、別に必要とも思わねえしなあ。……それよか、今持ってる装備を改良してもらいてえ。今は手元にねえ奴なんだけどよ」
なるべく平静を装って口に出したつもりだが、何分腹芸は不得意な性分だ。自信は全くない。
「どのような?」
「あー、んん……見せた方が早えから、一度戻って持ってきていいか?」
傍らの少女のきょとんとした眼差しには、努めて気付かなかった振りをした。確かに不思議だろう、ヴィゴが持つ装備など、槍を除けばどれもこれもライゼルの手製ばかりだ。重ねて言えば、それらの中で破損しているものも、今身に着けていないものもない。
頼むから追求してくれるな、と祈るような気持ちでいると、考え込むような仕草を見せていたエルフが、ようやっと頷くのが目に入った。
「念の為、王にお伺いせねばなるまいが……否とは仰るまい。委細は後で聞こう。門番には伝えておく故、急ぎ戻ってきてくれ」
「あいよ、手間掛けんな。――つー訳で、俺はひとっ走りしてまたここに戻って来るわ」
エルフに答え、次いでライゼルへと口早に告げる。はあ、と呆気に取られたように頷いた少女は何を問うでもなかったが、問われなくて幸運だったと思う。
あれ以上長く問答を続けようものなら、挙動不審として怪しまれない自信が、まるでなかった。
守るべきであり、守りたいと思う人物の窮地に駆けつけられないことほど、歯痒いことはない。
今回の戦いで、ヴィゴはよくよく思い知った。
自分の知らないところで危ない目に遭われるのは、二度と御免だ。己の与り知らぬ間に、あろうことか腕を吹き飛ばされかけていたと聞かされた時など、どれだけ肝が冷えたことか。
ヴィゴが守ってきたその人物は、若さ故の危なっかしさはあるものの、自分の命を守る為に助けを求めることを躊躇わない果断さを持っている。手段として可能でありさえすれば、不測の事態には必ずヴィゴを呼ぶだろう。そう確信できるだけの信頼関係は、築いてきたと思っている。
ならば、その手段を作ってやればいい。
王の居館の前で少女と別れたヴィゴは、大急ぎで目的のものを宿代わりの邸宅から持ち出し、王の館に取って返した。
「こいつを『門』にできるか? 持ち主が決めたもんを、すぐに手元に呼び出せるようにしてえんだ」
指輪を見せてそう切り出すと、件のエルフは表情に乏しい顔にあるかなきかの納得の色を浮かべ、
「ああ、やはり求婚するのか」
まるで予期せぬことを、平然と言った。
何が「やはり」なのか。全くもって理解できない言葉を聞かされ、ヴィゴはぽかんとした。これでもかと間の抜けた表情を晒す男を見返して、エルフは不思議そうに首を傾げる。
「そうではないのか?」
「どうしてそうなんだよ!?」
思わず叫ぶと、エルフは訳が分からないとばかりの顔をした。訳が分からないのはこっちだ。
「何故、とは――……ああ、そうか。忘れていた。貴殿らは我々の風習を知らぬのだったな」
知る訳ねえだろ、と言い返したかったが、咄嗟に呑み込んだ。風習という、その単語に嫌な予感を覚えてならなかったのだ。
「我々の里では、男女が一つの同じ杯から逆月の泉の水を含むことで、婚姻の証とする」
あっさりと告げられた言葉の、衝撃たるや。
その場に崩れ落ちなかった自分を誰か褒めて欲しいと、ヴィゴは心の底から思った。どこに向けて言いたいのかも分からないが、何でだよ、と呻く。
何をもって同じ器から水を飲んだと判断しているのか、そもそも例の件はどこまで話が伝わってしまっているのか。色々と質したいことはあったが、その気力さえも涸れてしまいそうだ。
「我々の風習はともかく、指輪を贈るのなら、いっそのこと済ませてしまってもいいのではないか」
何をだチクショウ、と呻きたかったが、止めた。どんな言葉が返ってくるかなど、分かりきっている。聞きたくなかった。これ以上心を折られたくない。
「……ツッコミどころが多過ぎんだけどよ、まず俺誰に渡すか言ってねえよな?」
「ライゼル・ハントではないのか? それとも他に誰か当てがいるのか?」
「いねえけどよ!!」
だからってそうじゃねえだろ、と頭を抱える。どうしてこう、この指輪が関わるとおかしなことになるのだ。予想の斜め上を飛び過ぎている。こんなことで心臓に悪い驚きなど、求めていない。
「ところで、『門』にするのは可能だが、何を召喚対象にするか目途はついているのか?」
「切り替え早過ぎだろ、お前……」
がっくりと落とした肩を持ち上げて、ヴィゴはため息を吐く。ここで「目途」について語るのは、先までの話を蒸し返す悪手にしか思えなかったが、言わなくては何も始まらない。
「まず登録すんのは、俺」
「了解した。ところで、本当に求婚しないのか?」
「何がところでだ、しねえっつってんだろ!!」
真顔の問い返しに、ヴィゴは三度叫んだ。
しないとは聞いていないぞ、と真面目に返され、最早紡ぐ言葉さえなくしてしまいそうな気分だった。危うく「もう好きにしてくれ」と投げ出しそうになったが、辛うじて残った理性で呑み込んでおく。
「そうか。だが、我々と違って人間の一生は短い。行動するなら、早い方がいいぞ」
「なあ、俺は何でこんなとこで人生相談受けさせられてんだ?」
もう帰らせてくれ。
誰に願えばいいのかすら分からなかったが、死んだ魚のような眼で、ヴィゴは願った。




