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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部・番外
93/99

3:矜持の所在

本作は製本版第2巻(2016.5.5初版)書下ろし掌編の再録です。

 かつてヴィゴは一度だけ、この館――王立魔術学院は「叡智の館」を訪れたことがある。夏の盛りをやや過ぎた頃で、その時も現在と同じく護衛の契約を結んだ娘に同行する形だった。目的は大きく異なり、破損した槍の修繕の一環ではあったが。

 その時の印象と言えば、とにかく騒がしいの一言に尽きた。あちこちの部屋から得体の知れない呪言だの物音だのが聞こえ、扉の隙間からは煙が漏れ出している。自分一人ではなかった手前、平静を装ったが、落ち着かない気分であったことは未だに覚えている。

(……そんでも、今に比べりゃ可愛いもんか)

 胸の内で一人ごち、静まり返った広大なホールを見渡す。以前はあれほど騒がしかった人声も物音も聞こえず、人の気配そのものが希薄だった。

 それが何故かなど、思い当たる理由は一つきりだ。国内で頻発している、連続爆破事件。騎士団か、或いは王城に座すお偉方か。大方そのどちらかの命令で、館に篭る魔術師は皆召喚されているのだろう。

 ――では、そんな状況下にあって、わざわざ学院にまで出向いてきた騎士の真意は何か。一体どのような用件があれば、この国随一と謳われる騎士が自ら足を運ぶような事態が発生し得るのか。

 ヴィゴは改めて、相対する男を見やる。

 ラファエル・デュランベルジェ。ヴィゴの契約主にやたらとちょっかいを出してくる厄介者でもある。それがまさか今日この時、この場所で待ち伏せに遭うとは思ってもみなかった。しかも、その動機も動機だ。

「は? この国一番の騎士が? 学生の護衛に?」

 己の歩幅で二歩分前に立つ同行者――ライゼルが、素っ頓狂な声を上げるのも無理はなかった。

 ヴィゴの目から見ても極めて優秀な彼女は、さすがと言うべきか、王立魔導学院の首席の座にある。平民という身分を度外視すれば、未来の宮廷魔術師候補の筆頭だと言えた。国としても、その能力は少なからず惜しいはずだ。騎士団が保護の必要性を感じたのだとしても、まるでおかしな話ではない。

 ――だが、護衛にやってきた相手が問題である。アシメニオス王国随一と名高き騎士にして、王に次ぐ権勢を誇る大貴族の直系。明らかに場違いだった。

 さて、どう質したものか。首を捻ったその時、不意に鐘の音が鳴り響いた。大きく二度。もしやと目の前の娘へ目を向ければ、何やら落ち着きのない素振り。やはり今回の目的――館の一室で行われるという講義の開始の合図か。現在のヴィゴの役割は彼女を無事に講義に出席させ、宿まで連れ帰ることである。であれば、ここで足止めを食らわせる訳にはゆかない。

「先に行ってろ、護衛の話は護衛同士で詰めとく。もしも何かあったら、逃げて来い。少なくとも、ここから外には出やしねえから」

 ぽん、とその背中を叩くと、鮮やかな緑色の眼がこちらを振り向いた。一瞬躊躇うような素振りを見せはしたものの、意を決したように頷く。

「すみません、お願いします」

「おう、任せとけ」

 軽く頷いてみせれば、娘は騎士に会釈をして走り出す。その後ろ姿がホールを出て行き、足音が聞こえなくなるのを待って、ヴィゴは再び口を開いた。

「……で、護衛ってのは本当かよ?」

「もちろんだとも。私は彼女を守る為にこそ参じた。その目的に、誓って偽りはない」

誓約(ヴァーラル)をもって誓うか。もしそれが嘘で、あいつを嵌めようってんなら、素っ首叩き落とすぞ」

「ヴァーラル? ……ああ、北の約定術式だったか。君の祖国の(まじな)いかね? いいだろう、誓約(ヴァーラル)をもって誓う。私――ラファエル・デュランベルジェは、ライゼル・ハント嬢を決して害することはない」

 騎士が言い放った途端、周囲で誓約成立を示す赤い燐光が瞬いた。誓約(ヴァーラル)の宣誓の下に約された事柄は、反すれば物理的な制約すら受ける。気休めに近いが、何もないより安心できるような気がした。

「これで満足かね?」

「一応は。……つっても、てめえは仲良く護衛しようなんて思うタマじゃねえだろ。お互いに暇じゃねえはずだ、とっとと本題に入れよ」

「そちらが迂回させたのだろうに。――音に聞こえた〈獅子切〉に依頼がある、と言ったら?」

「俺はあいつと契約してる。その最中に、余所からの話を聞くつもりはねえな」

「それが彼女を守る為でも、かね?」

 さらりと告げられた内容に、ヴィゴは束の間言葉を失った。薄く笑う騎士を、忌々しい気分で見返す。

「……聞くだけ聞いてやる」

「では、単刀直入に言おう。我々はアルマ島における自動人形暴走事件及びアシメニオス王国内連続爆破事件の犯人と思しき者の居場所を絞り込むことに、おそらくは成功した。君はその現場に潜入し、可能であれば討伐をしてもらいたい」

「ああ? おそらくって、何だそりゃ。舐めてんのか」

 あやふやな物言いに、ついヴィゴの口から恫喝にも似た低い声音が飛び出す。

「まさか、大真面目だ。……彼の地は、我らが王の威光の届かぬ場所。あちらの王の許可なくては、騎士は足を踏み入れることができないのでね」

 更に思いがけない言葉に、ヴィゴの目が見開く。このアシメニオス国内において、その王の支配下に無い場所など、たった一つしか存在しない。

 人間とは異なる種族――森のエルフの住まう禁域。

 ヴィゴは思わず顔をしかめた。その心当たりには、今現在となっては何ら嬉しくない因縁があった。

「……ってこたあ、南の樹海か」

「残念なことに、その通りだ。でなくば、わざわざ外部に依頼などすまいよ」

 だろうな、とおざなりな反応を返すヴィゴの脳裏を占めるのは、以前件の土地を訪れた際に受けた予言である。遠からぬ未来にこの森で争いが起こる、その時助けとなるように――というエルフの言付け。

 現状からして、一連の騒動の犯人にして、先日ヴィゴとライゼルを襲った人形遣いこそが、予言の争いを起こす張本人と判断して間違いあるまい。

 舌打ちをしたい気分で、ヴィゴは頭を掻いた。件の予言が自分だけに宛てられたものであれば、まだ良かった。敵も有象無象の盗賊や魔物であればまだしも、一島一国を相手に企む大犯罪者ときている。ライゼルを同行させる気には、到底なれなかった。しかも、先日の襲撃以降、彼女は気鬱が続いている様。その上また更なる危険に晒されるのでは、余りにも哀れだ。彼女を争いに巻き込むことなく事態を解決できるのならば、それに越したことはない。

「……その依頼、受けてやってもいい。ただ、こっちからも条件がある」

「ほう、何だね?」

「ライゼルを、必ず守り抜くと約束しろ。何があっても、誰に狙われてもだ。騎士としてじゃなく、てめえ個人として誓え」

 加えて、ライゼルが名指しで敵に狙われているという状況も、どう受け止められるか分からない。この国は何かと貴族が優先され、平民の軽んじられる風潮がある。素直に保護してくれるならば良いが、危険因子として処断されるなど、断じてあってはならない。その点、ラファエル・デュランベルジェを味方につけておけば、万が一の場合もまだ歯止めが掛けられる。

「約束なら、既にしたと思うがね」

 騎士は怪訝そうな表情を敢えて無視し、ヴィゴは殊更何食わぬ顔を装って続ける。

「危害は加えねえってだけだろ。何かあった時に、見過ごされちゃ困るんだよ」

「やれやれ、用心深いことだ。――誓約(ヴァーラル)をもって、ライゼル・ハント嬢を守り抜くと約束する。これで今度こそ満足してもらえたかね?」

 再び燐光の瞬く様を視界の隅に捉えつつ、ヴィゴは「ひとまずはな」と頷いてみせる。頷きながら、他に何か彼女の為にできることはないかと考えたが、どうにもすぐには思いつきそうにない。彼女とはまるで出来の違う自分の頭が、少しだけ恨めしかった。

「ところで、現在騎士団では件の『宝石盗人』について議論が紛糾していてね」

 急に転じた話題に、はたと我を取り戻して目線を向けてみれば、騎士の飄々と肩をすくめる姿。

 ……胡散臭い、と思った。

「先日奴が王都に現れたのは単なる陽動ではなく、何か明確な目的あってのことではないか――例えば、誰かを狙ってきたのではないか、とか」

 そして、話題は嫌な方向へと転がり始めた。ヴィゴが黙っているのにも構わず、騎士は語る。

「その原因の追究、捕縛も検討され始めている。このままでは、命令が下されるのも時間の問題だろう」

 君は何か知ってはいないかね、とわざとらしく問われた瞬間、ヴィゴは腹の中でカッと火が点いたような感覚を覚えた。まさか、ここで彼女との契約を破って己に従うよう仕向けたのは――

「てめえ――端っから何もかも承知の上で、それで俺とあいつを引き離そうって腹か!!」

 あいつを売るつもりか、とヴィゴが衝動的に怒鳴ると、騎士は煩わしそうに片耳を塞ぐ仕草を見せた。

「ただの確認だ、そういきり立つな」

「確認だあ!?」

「君の要求と反応からして、真実ライゼルが狙われていたのだろう。ならば、早急に匿う必要がある」

 そうだろう、と問い掛けられ、ヴィゴは口先まで出かかっていた怒声を呑み込んで頷く。

「とはいえ、彼女は警戒心が強く、用心深い」

「人の依頼主を野生動物みてえに言うんじゃねえよ」

「事実なのだから仕方あるまい。その上、かなりの貴族嫌いのようだ。私が助けを申し出たところで、すぐに受け入れてはくれまい」

「……かもな」

 ライゼルが貴族に対し良い感情を抱いていないことは、これまでの付き合いでヴィゴにもよく分かっている。しかし、彼女も馬鹿ではない。必要だと理解すれば、その手を取ることができるはず。

「つっても、ちゃんと話しゃ納得するだろ」

「その手間を掛ける間に、何かあったらどうする。騎士団の方針がどう定まるか分からない上、敵が再び襲撃を企てないとも限らないのだぞ」

「そりゃあ、そうかもしれねえけどよ……」

 それでは、余りにも彼女の気持ちを蔑ろにしてはいないか。そう思うと、ヴィゴは容易には頷きかねた。肯定も否定もできずにいると、騎士は呆れたような表情を浮かべ、ため息を吐いてみせる。

「君は彼女に対して甘い。そもそも彼女は人並み以上に頭が回るのだぞ、猶予を与えては悟られる」

「悟られるって、何をだよ」

「我々が今話しているようなことを、だ。例え薄々察しているとしても、騎士団が身柄を捜索していることを、彼女に知らせたくはない。全面的に信用して欲しいなどとも言えないが、敵のように思って過ごすような生きにくさを負わせることもないだろう」

 それはそうかもしれない。信じきれないとしても、敵愾心を持って警戒し続けるよりは、いくらかマシであるはずだ。ようやっと、ヴィゴは頷き返す。

「よって、彼女には迅速に私の庇護下に入ってもらう必要がある。その為の準備は、既にしておいた」

「早えなオイ」

「時間が惜しいと言ったろう。私は明日、彼女を騎士団の詰所に呼び寄せる。その間に、君は傭兵ギルドで彼女との契約を解消する手続きを進めてくれ」

「はあ!? そりゃねえだろ、いくら時間がねえったって、何も話さねえで契約切るのは道理が通らねえ」

「通そうと思っていないからな。話せば、君は丸め込まれるに決まっている。泣き落としにも弱そうだ」

 ぐっとヴィゴが言葉に詰まる。不覚にもその未来が想像できてしまったので、否定ができなかった。

「一時の感情と、最終的な目的と。天秤にかけるまでもないだろう。違うかね?」

 悔しいが、言われていることは間違っていない、と思う。だが、それは間違いなく彼女を惑わせ、もしかすれば傷付けることにもなりかねない。

 刹那に瞑目し、ヴィゴは軽く息を吐いた。

 未だ迷いはある。二重の誓約に重ねたとは言え、それでも自分が離れた後を思うと不安が残った。契約を途中破棄することで失うものも、気にならない訳ではない。これまで培ってきた信用も、傭兵としての信条も、戦士としての矜持もある。

 ……だが、それでも。そうすることで彼女が守られるのならば。それは、賭けるに値することだろう。

「分かった、てめえの提案に乗ってやる」

 重々しく、傭兵は頷いた。

 例え後で非難されることになろうとも、その行為によって果たされるものがあると信じて。

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