2:あなたに捧ぐ花のこと-01
本作は番外掌編集第1巻(2016.1.31初版)書下ろし掌編の再録です。
アシメニオス王国王都ガラジオスは、国一番の大都市である。その王都の傭兵ギルドへ持ち込まれる依頼と言えば、膨大にして多種多様。諸々の条件や取り決めについて詳細にまとめた依頼書が、カウンター脇の掲示板には所狭しと貼られている。
故に、ヴィゴがその依頼に目を留めたのも、純然たる偶然によるものだった。
「……メロアル氷林の氷晶花採取依頼、なあ」
メロアル氷林とは、アシメニオスの北の隣国にしてヴィゴの祖国でもある、キオノエイデ帝国との国境沿いに広がる白木の樹林帯を指す。雪深いキオノエイデの国の中でも、特に通年寒冷なことで知られた。
メロアル氷林は、何も実際に樹木が氷でできている訳ではない。ただ、魔力を吸って冷気を生む、花に似た形に成長する魔石「氷晶花」が特別多く採れる。それ故の特殊な気候であり、この暑い夏の盛りには、ある意味うってつけの避暑地と言えた。
「ヴィゴ、何だお前珍しいな。あのお嬢ちゃんが来る前までは、討伐仕事ばっかりだったのによ」
掲示板を眺めていたヴィゴに横合いから声を掛けたのは、顔馴染みの傭兵だった。橙の双眸をちらりと壮年の男に向けてから、ヴィゴはかすかに頷く。
「まあな」
かつては南方の戦争に雇われ兵として加わったこともあるヴィゴは、戦いに昂揚する気質と相俟って、何かと賞金首探しだの魔物狩りだのと、戦闘の発生が見込める依頼ばかりを受ける傾向があった。この春にとある少女との契約を結んでからは、雇い主の方針に従って探索や採集に勤しんでいたが、それでも仲間内ではやはり「戦いを好む」という見方が強い。
「またお嬢ちゃんの用事か?」
「んにゃ、別件」
重ねて問い掛ける男に、軽く頭を振って見せる。
「そのお嬢ちゃんは今、試験期間中とか何とかで部屋にこもりっきりでよ。ちょいちょい飯も忘れるわ、たまに部屋から出てきたと思えば目の下に隈こさえてくるわで、熱心過ぎんのも考えもんだぜ」
「へえ、そうかい。……で、結局その依頼見てんのは何でなんだよ? 採集に目覚めたのか?」
「んな訳あるかよ。最近、暑くなってきただろ。そのお嬢ちゃんの生まれ故郷は、王都よりもっと涼しかったんだと。そんじゃあ、そんな暑い中で七面倒臭え勉強してんのは辛かろーと、何か差し入れでもしてやるかって思ってただけだよ」
言うと、傍らで小さく笑う気配がした。
「お前、案外尽くすタイプだよなあ」
「あ? んなこたねえだろ」
あるって、と笑いながら、傭兵は手頃な依頼を見つけたらしく、依頼書を掲示板から剥がしてカウンターへ持っていく。言い逃げされた格好のヴィゴはしばらく釈然としない風で唇をへの字に曲げていたが、おもむろに掲示板から依頼書を剥がすと、後を追うようにカウンターへと向かっていった。
「おや、珍しいじゃないか」
先だって依頼の受注に向かった傭兵と入れ違いに近付いてきたヴィゴの姿を認めると、カウンターの中で手続きを行っていた女が意外そうに眉を上げた。
鮮やかな赤毛の、妙齢の女。――他でもない、このガラジオス傭兵ギルド長である。
「ライゼルはどうしたんだい?」
「宿にこもって勉強中」
「ふうん、それで単独行動許可が出たって?」
「そういうこった。大怪我しなけりゃ、好きに依頼受けてきていいってよ」
軽く答えるヴィゴを切れ長の眼で一瞥すると、ギルド長は「ふうん」と探るような眼で相槌を打った。
現時点のヴィゴは以前と変わらず傭兵ギルドに所属する傭兵ではあるものの、あくまでも契約を結んだ雇い主の専属護衛という肩書が最優先される。その契約には傭兵ギルドも一枚噛んでおり、無断の単独行動ならば契約違反として止めねばならないが、雇い主から許可が出ているのであれば言うことはなかった。
「なら、あたしが言うことはないけどね――って、メロアル氷林で氷晶花採集? アンタ、悪いもの食べたんじゃないだろうね……」
依頼書に目を落とすや、目を丸くさせて言うギルド長に、ヴィゴは軽く顔をしかめて見せた。
「お前ら何だ、そんなに俺が戦いに行かねえとおかしいと思ってんのかよ?」
「思ってるに決まってるじゃないか。アンタ、今までその手の仕事しかやりたがらなかっただろう?」
言いながらも、ギルド長の細指は依頼書にてきぱきと受注の印を捺していく。
「納品は今日から十四日後まで。報酬は五万ネル」
問題ないね、と念を押す言葉に頷き返し、ヴィゴは壁に貼られた地図を見やる。北の国境に最も近い街はドルブールだ。その街からメロアル氷林までは、確か大人の足で徒歩四時間ほど。ヴィゴの足で休まず走り続ければ、三時間……いや、二時間あれば足りるはず。――それなら、今日中に戻れる。
「ドルブールには転送機で行けたよな?」
「行けるけどね、アンタそれじゃあほとんど利益が残らないじゃないか」
「いいんだよ、金が欲しくて行く訳じゃねえ。必要なもんを取りに行くついでだ、ついで」
呆れた顔をするギルド長に言って返し、ヴィゴは壁掛け時計を見上げた。まだ朝の九時を過ぎたばかり。上手くやれば、夜になる前には帰って来られる。
やれやれ、とばかりに肩をすくめるギルド長の姿は見えなかったことにして、ヴィゴは財布から取り出した硬貨をカウンターに置いた。
「おら、転送代金はこれで足りんだろ」
「はいはい、毎度あり」
何をそんなに急ぐんだか、と呆れた風の声には、敢えて答えなかった。いかに大雑把で細かいことを気にしない気質であっても、言えば余計な火種になるだけだと、その程度の推測はついた。
からかわれ笑われるか、或いは気味悪がられ窘められるか。どちらの反応をされるかは分からないが、どちらにしても御免こうむりたい。何も好き好んでそんなことをする訳ではないと言ったところで、その時の周囲は聞く耳持たないに決まっているのだ。
現在試験勉強真っ只中の雇い主殿は、自分の契約した傭兵が一晩戻らなかったところで気付きもしないに違いない。それ以前に勉強に集中するあまり、放っておけば食事や睡眠さえ疎かにするきらいがある。ヴィゴは、それを無理矢理にでもさせるのが自分の仕事の一つだと自任していた。だからこそ、なんとしても早く戻り、その暮らしぶりに注意していなければ。
おそらく当人に言えば即刻拒否されるであろうことを考えながら、ヴィゴはギルド長に促されるまま、転送機の設置された部屋へと向かった。
広大な北の国境沿いのおよそ全域を覆うメロアル氷林を成す樹木は、葉も枝も全てが塗り込めたように白い。特別寒冷なことに加え、その木々の無機物じみた白さもまた、「氷林」の名の由来となったのだろう。
きっかり二時間でドルブールの街からメロアル氷林までを走破したヴィゴは、一面の白林を前にして小さく息を吐いた。予想していたよりも、いくらか肌寒い感がある。時刻は正午近いというのに、吐く息は時に白く色づいて散るほどだ。
「あの時も、こんなに寒かったっけかな……」
十三年前、ヴィゴは行商人の旅団に加わって、この白い林を抜けた。考えてみれば、この場所に立ち寄るのは、以来これが初になるか。あるかなきかの郷愁を抱きながら、足を進めた。
林の中に踏み込むと、一層気温が下がって感じられる。空に輝く太陽は今も燦々と照りつけているというのに、寒気で軽く身震いがした。
「こういう探し物の時こそ、手え借りてえよな」
そんな中、つい独り言が落ちる。
ヴィゴの雇い主である少女は、現在試験勉強真っ只中であることからして明白なように、学徒である。しかも、アシメニオス王国が誇る王立魔術学院に、平民ながらも入学を果たしたという出来物だ。
その彼女は特に風の扱いに秀で、周囲の探索も得意とした。今ここに居てくれれば、氷晶花の群生地など瞬きの内に見つけ出してくれただろうに。……もっとも、それでは本末転倒でもあるが。
「一等寒いトコ行きゃ、あるかね」
呟きながら、ヴィゴはさくさくと林の中を進んでいく。しかし、如何せん十三年前の子供の時分に一度通過したきりの場所である。土地勘など無いに等しい。小一時間ばかりうろうろしたところで、花の一本も見つけることはできなかった。
「これだから採集だとか収集だとかってのは、好きじゃねえんだよ」
図らずも優秀な探索役の不在を手痛い打撃として思い知らされた格好である。苦り切った表情でため息を吐き、やれやれ、と頭を掻いた――その時。
俄かに、その表情が引き締まった。油断のない目付きで周囲を見回したかと思うと、行く手のある一点に据えられる。そして、弾かれたように走り出した。
ヴィゴは優れた身体能力に加え、人並み外れて鋭敏な五感を持つ。その耳が、いくらか離れたところで尋常ならざる音の発生を捉えたのだった。
真白い木々の間を、ヴィゴは飛ぶように駆ける。雪景色とも見まがう光景だが、足を取られる雪はない。瞬く間に目的地を目視できる距離にまで駆け抜けると、最後の一足で大きく跳んだ。
空中にある内に、右手に握った槍を構え直す。着地すると同時に一閃、今にも飛び掛からんとしていた狼を斬り捨てる。都合七匹集まっていた白狼は、その一撃でその数を半数近く減らした。更に返す刃で最も接近していた狼の眉間を貫き、重ねて追撃に出るべく地面を踏みしめ、槍を繰り出そうとした――
「残り三つ! ……て、およ?」
その瞬間、上がったのは細い鳴き声だった。怯えるように鳴いたかと思うと、狼たちは尻尾を巻いて逃げてゆく。まさに脱兎という態で走り去る狼を、ヴィゴは呆気にとられた風で眺めていたものの、逃げる三匹の獣の姿が木立に合間に消えたことを確認すると、肩をすくめて槍を下ろした。
「ま、いいか」
今回の目的は氷晶花の採集であって、狼狩りではない。目的を果たせたのならば、敢えて深追いする理由もなかった。
「よう、無事か?」
槍に付着した血を払って振り返ると、果たしてそこには地べたに転んだまま、茫然とヴィゴを見上げる少年の姿があった。その腕に抱えられた籠の中には、いくらか折れてはいるものの、紛れもない氷晶花が収められている。氷晶花を摘んだ帰りに襲われた、というところだろうか。
「立てっか?」
少年の前で腰を屈め、左手を差し出してみると、
「だ、大丈夫。立てる」
おずおずとしながらも、少年はヴィゴの手を掴んで立ち上がった。歳は十前後か、立ち姿は思いの外に小柄だ。見掛けの幼さに反した、しっかりとした口調で言いながら、律儀に頭を下げてみせる。
「助けてくれて、ありがとう」
「おう、どう致しまして。あれか、坊主は近くの村とかから来たのか?」
「あ、うん、氷晶花を取りに。夏には、遠くの大きな街で欲しがる人が多いから。お兄さんは?」
「俺も同じだ。最近、めっきり暑くなってきたろ。雇い主――いや、付き合いのあるお嬢ちゃんがよ、涼しいトコの生まれだってんで」
「その人に氷晶花を取りに来たの?」
「そーゆーこった。てことで、氷晶花の生えてるトコ教えてくんねえ?」
「いいよ、こっち!」
そう言って少年はヴィゴの手を取ると、薄気味悪そうな顔を浮かべつつも狼の死骸の傍らを通り抜け、森の奥へ向かって歩きだした。その方角から狼に追われて逃げてきたのだろう。地面には、いくつもの足跡が乱雑に散っていた。
「ここだよ! いつもたくさん咲いてるんだ」
「お、こりゃすげえ」
しばらく歩いた末にヴィゴが案内されたのは、一際空気の冷たい、開けた場所だった。辺り一面に、透き通った結晶質の花が咲き並んでいる。正しくは草花を模った鉱物ではあるのだが、その光景は正に花畑と呼ぶにふさわしかった。
依頼の達成に必要な数は、花をつけたもので十本以上。氷晶花はそれほど脆い石ではないが、先だって狼に追われた少年が転んだ際に破損していたように、強い負荷が掛かれば折れることもある。
「お兄さん、これ使うといいよ」
「お、あんがとな」
少年が取りだしたのは、小さなナイフだった。
きれいに摘めるんだよ、と笑う少年の言う通り、刃の薄いナイフは野の花を摘むように結晶の細い茎を断っていく。少年があちらこちらを見回り、これが綺麗だ、これは形がいい、と助言をくれたお陰もあり、すぐに必要な数を摘みきることができた。
しかし、ヴィゴは何故かそれを地面に並べるや、何やら思案するような素振りを見せる。
「お兄さん? どうしたの」
「ほれ、言ったろ。お嬢ちゃんに持ってくって。一番いい奴はどれかと思ってよ」
「あ、そっか。――じゃあ、これはどう? 花が一番大きく咲いてる」
「お、いいな。そんじゃ、それにしとく」
少年の示した花を選り分けると、ヴィゴは鞄から取り出した綿布で、丁寧に残りの花を包んだ。慎重な手つきで包みを持ち上げ、取り分けた花は手に持ち、少年を振り返る。
「ありがとうな、お陰で早く済んだわ」
「ううん、僕の方こそ。お兄さん、帰りは急ぐ? 時間があるなら、僕の村においでよ。助けてもらったから、お礼をしなくっちゃ」
「お、そりゃありがてえや――って、時間が問題だわなあ……」
さて、と首を捻って空を見上げる。林に到着してから、既に短くない時間が経っていた。しかし、太陽はまだ充分高くに座して照り続けている。……この分であれば、少しくらいの寄り道も許されるだろうか。
そう思ってしまえば、ヴィゴの決断は早かった。
「長居はできねえかもしれねえけど、折角だしな。寄らせてもらうわ」
「本当!? じゃあ、案内するよ!」
こっちこっち、と踊るように少年は駆けてゆく。小さく笑って、ヴィゴはその背中を追った。




