03:緑の女帝-02
採掘し終えたノレクト鉱石はレインナードさんの手によって油紙で梱包された上、皮袋に詰め込まれた。嵩張る割に重さのない石は器用に紐を掛けられて、軽々とその背に負われる。私がリュックサックのような鞄を背負っているのに対して、レインナードさんは斜めに掛ける肩掛け鞄を使っていた。おそらく、こうして石を背負うことを考えて選んできたのだろう。
「うし、そんじゃ次に行くか」
「はい……第三層に出る魔物って、そこまで強くないですよね?」
レインナードさんの先導で歩き出しながら、どうにも気になって仕方がなかったことを訊く。レインナードさんは肩越しにちらりと私を見ると、すぐに視線を行く手に戻してひらひらと手を振ってみせた。
「まあな。そう心配するこたねえよ。滅多に出やしねえし、出てきても大概が小物だ」
「小物と言うと、例えばどんな?」
「この辺なら、洞窟狼が精々じゃねえかね」
「洞窟狼って、山の中の洞窟に棲むからそう呼ばれてるんでしたよね。それが、ここにも……?」
「んにゃ、もちろん棲み付いてる訳じゃねえ。人の手で作られた迷宮にゃ、野生の魔物は近寄らねえからな。そもそも、迷宮の作り主が残した番人が侵入者を阻む。こん中で現れる魔物は元々ここで発生した迷宮の番人か、召喚術式で引っ張り込まれた余所者のどっちかだ」
「余所の魔物を召喚して、防衛に使ってるってことですか?」
「そゆこと。連れて来られる奴らにしても、いい迷惑だろうぜ」
やれやれ、とばかりに肩をすくめて、レインナードさんはずんずん進んでいく。
第三層への階段へは、何事もなく到着した。これまで二度下りてきた階段と同じような造りのものを下り、ついに最大の目的の階層へと足を踏み入れる。
――その途端、むっとした空気が鼻先を掠めた。これまでに通ってきた階層とは全く違う、生臭いような嫌な空気。
「……先客がやり合った後か」
厳しい声で、レインナードさんが呟いた。残念なことに、それ以外の答えはなさそうだ。何か外界からの要素がなければ、こんな空気は乾いた迷宮の中に現れないに違いない。
「警戒していくぞ。血に釣られて寄ってくる魔物は居ねえが、もし先客が取りこぼして放置した残りが居たら厄介だ」
「探りましょうか?」
だったら、と声を掛けると、レインナードさんは驚いた風で振り返った。見開かれた眼がぱちくりと瞬く。
「探るったって、どうやるつもりだ?」
「一応、私は風というか、空気に干渉操作するのが得意なんで。壁の中や水の中は届かないんで無理なんですけど、迷宮だったら通路で大体繋がってるでしょう。ちょいっと術を走らせれば、芋蔓式に探れると思うんですけど」
「あー……そっか。学院の生徒なんだもんな。魔術はそりゃ得意か」
そうかそうか、と言われて思い出したとでも言わんばかりの様子で、レインナードさんが頷く。……むむ、私はそんなに魔術師的な貫禄がないのだろうか。いやまあ、見習いは見習いだけれども。
「寒空ん中、わざわざ川に足突っ込んで物探ししたから、てっきりそういうのは使えねえもんかと思ってたぜ」
「うっ……!?」
そうだった、レインナードさんにはその現場を目撃されていたのだった……!
「あ、あれは、水の中は風が届かなくて探れなかったからでありましてですね」
もごもごと弁解すると、レインナードさんは小さく噴き出した後で、くしゃりと相好を崩して笑った。
「ああ、分かってる分かってる。冗談だ、誰しも得手不得手はあらあな。――んじゃま、ちょいっと調べてくれっかい。この辺に居る魔物なら、魔力に反応して襲ってくるような頭もあるめえよ」
了解です、と答えて体内の魔力を循環させる。
「開式――巡るに遠く、駆けるに速く」
循環させた魔力を、呪文によって成形。
「触れるに広く、浸みるに深く――……私の声は、彼方へ至る」
形作った術式を、結びの呪文に合わせて一息に放出する。
それは言葉にすると、意識が枝分かれして拡大していくような感覚だった。私の目と耳は風に乗って、いくつもの分かれ道をそれぞれに進んでいく。どっと流れ込んでくる情報を、精神を集中させて選別する。
――西側、二つ目の三叉路の右側に壁面の崩落有。道が塞がっている。東側二つ目の丁字路の左手、砂山有。罠発動の痕跡か。
そうして探索を続けて、数分ばかり。考え得る中で最も嫌なパターンとして、この階層の様子は提示された。
うへえ、と思わず呻くと、レインナードさんが首かしげた。
「どうした?」
「ここから真っ直ぐに進んで、最初の分かれ道を右、次の丁字路を左、十字路を左、三叉路を右に進んだ先に、この階で一番魔力の濃い通路がありました」
「――けど、そこに魔物の残りがいたってか?」
こちらの言いたいことを察して問い掛けてくるレインナードさんに、ただ頷き返す。
魔力を貯蔵する性質を持つ「碧の女帝」であるから、魔力が濃ければ濃い場所ほど、そこにある確率は高くなる。魔物がいるからといって調査をしないでおくには、余りに惜しい。
どうしますか、と尋ねる代わりにレインナードさんを見る。
「んじゃ、まずはその魔物を仕留めてから採掘といくかね」
あっけらかんとした言葉に、図らずも目が見開いた。
「いいんですか?」
「おうよ。言ったろ、ここらの魔物はまだ小物だって。石を背負ってようが、軽いもんだぜ。第一、おれはこういう時の為にいるんだからよ。――さあて、再出発だ。念の為、弓と矢は持っときな」
レインナードさんは石を背負い直し、歩き出す。弓を左手に握り、矢筒から一本矢を取り出してから、私も慎重にその後に続いた。
「ったく、先客ってのはろくな腕をしてねえらしいな」
レインナードさんが低い声で言ったのは、しばらく歩いた先、三度目の分岐点となる十字路を曲がった瞬間のことだった。そして、それは今まで漂っていた生臭いにおいが一際強くなった時のことでもある。
「……ひょっとして、現場に到着しました?」
問い掛けながら、じわりと背筋が震えた。「現場」は、まだレインナードさんの背中が目隠しとなって見えず、魔石のランプも通路の隅々まで照らし出すほどの光量は望めない。できれば、残された痕跡は都合よくランプの光の届かないところで収まっていてくれればいいと、かなり切実に思った。
「おう、ひょっとしなくても正解だ。始末の仕方が雑だし、こんだけ派手に飛び散らしてるってこたあ、客の方も無事に済むめえよ。泡食って戦って、大方始末したにはしたが、全滅はさせられなかったし、無傷にもいかなかったってところだろうな」
軽く溜息を吐いて、目の前の背中はずんずんと進んでいく。嫌な予感がしつつも続くと、
「いくらなんでも、これはちょっと……うえっ」
案の定、戦闘の跡はランプの光の届かないところだけに収まってくれているはずもなく、ひどいものだった。喉の奥から込み上げる不快な兆候を努めて飲み下しながら、必死の思い出足を止めずに歩く。
白茶けた石畳に飛び散った血と臓物。無秩序に転がる獣の死骸。どういう戦い方をしたのやら、壁に叩き付けられたような血痕もあった。ライゼル・ハントとして生まれてから狩りをして得た獣を捌いたりして、いくらか死骸や臓物への耐性はついた。ついてはいるのだけれども、これはちょっと違う。純然たるスプラッタというか、いくら何でもさすがに許容範囲外というか。
「あー、やっぱ無理だったか? 吐きそうか?」
歩く足は止めないまま、レインナードさんがちらりと目線だけで私を振り返る。私は眉間に寄った皺を解せないまま、首を縦に振りたい勢いに耐えた。
「さすがに平気だって見栄を張る元気はないですけど、堪えます」
首を横に振ると、レインナードさんは「そうか」とだけ言って、再び前を向いて歩き出した。意識して目の前の背中だけを見るようにしながら、少し早くなった歩みについていく。
「……ここで戦った人は、何をどうしたんでしょうね。飛び掛かられて、むちゃくちゃに振り回して壁に投げつけたって印象なんですけど」
「んー、まあ、大体はその予想通りなんじゃねえ? 罠にかかるのは仕方ねえとしても、その結果ここまで大事にしてるんじゃあなあ……ほんと、ろくなモンじゃねえよ。罠を回避する自信がねえなら、それをできる奴と組んでおくか、罠にかかる前提で対処できるようにしとくのが定石ってもんだ。この分じゃ、よっぽどの新米だろうな」
血みどろの通路を抜けて曲がり角を左へ折れれば、少しの間は真っ直ぐの道が続く。振り返っても血の色が見えなくなったところで、おもむろにレインナードさんが足を止めた。
「ライゼル、これ持っとけ」
振り向く動作に合わせて差し出された手には、小さな巾着があった。ランプの光の下では実際の色味とは少し違ってしまっているだろうけれど、薄緑の可愛らしい包みであるように見える。
「何ですか、これ」
何が入っているのか見当はつかなかったものの、レインナードさんなら変なものを出したりしないだろうというあんまり根拠のない判断の下に矢を持ち替えて右手を出すと、ぽすりと巾着が置かれる。さらさらした手触りはサテンに似ていた。掌の感触では、何やら丸いものがいくつか入っているような……?
「中から一つ出して、食べてみ。少しゃ気分も変わんじゃねえか」
言われるままに、弓を一旦しまって巾着を開ける。緑の袋の中に入っていたのは、小さな梅のような実だった。予想外の中身に、不覚にもギョッとする。
梅に似た、その丸い実の名をプディナという。私は子供の頃、少したちの悪い風邪を引いた時に一度食べたことがあるけれど、クローロス村では行商のキャラバンでも来ないと手に入らなかった珍しい果実だ。南の方の特産だから、もちろんガラジオスではよく売られているという訳でもない。流通の頻度そのものはクローロス村とは段違いだろうけれど、元々が栄養価の高く病人にも良い食べ物として重宝されるものなので、仮に売っていたとしても買うのは容易でないはずだ。
「どうしたんですか、これ」
「プディナの実は、食うと鼻とか喉とか、すうっとする感じするだろ」
見た目に反して、プディナの実は柑橘系の味と匂いがする。食べると、鼻から抜ける清涼感があるのが独特だ――なんて、子供の頃に食べた記憶なんてほとんど残っていないので、知識としてしか知らないのだけれど。
「だからよ、迷宮ン中で気分悪くなったりした時に、あったらいいんじゃねえかと思って買っといた」
で、その地味に結構貴重品扱いの実を。まるで遠足だから酔い止め用意しといた、みたいなノリで。……無頓着と言えばいいのか、器が大きいと言えばいいのか。
「ええと……これ、おいくらでした?」
あんまり高価なものであったら、気安く「いただきます」なんて言えない。恐る恐る尋ねると、レインナードさんは何故か明後日の方向へ目を逸らした。
「……あー……秘密」
「ちょっ、何ですかその微妙な沈黙! それに秘密って!?」
「あーあー聞こえねえ聞こえねえー! いいじゃねえかよ、大人しく受け取っとけよ! 例え高かろうが安かろうが、請求する気はさらさらねえから気にすんな! ったく、ほんとに子供らしくねえなあ……」
「とは言ってもですねえ、気になるものは気になると言いますか」
「だから気にすんなってのに……あーもうえーと、あれだよ、あれだあれ……何だっけな」
「全力であやふや!」
「おお、あれだ、依頼を遂行する為の必要経費――だったか?」
合ってるっけ、とばかりにレインナードさんは首を捻る。……いや、そんなこっちに訊かれても。
「まあいいや、とにかくだ。ただでさえ荷物を背負ってる以上、お嬢ちゃんがへばっても担いでやる訳にゃいかねえのよ。傭兵ったって、ちゃんとギルドに登録してる真っ当なのから、犯罪の片棒を担いでその日暮らしってのまでいるしな。その面倒な方と遭遇しねえで済む保証なんざどこにもねえんだ。万が一の時、手がふさがってて対応できねえとか洒落にもならねえ。つーことで、お前さんにゃなるべく自前の足で歩いてもらわねえと俺が困る。だから、気にするなら値段がどうのこうのよか、ちゃんと歩いて戻れるよう心掛けてくれ」
その言葉は思いの外に真摯で、真剣であり、確かな経験に裏打ちされたものだった。迷宮初心者の私には、反論の仕様もない。軽く息を吐いてから、分かりました、と頷いて見せる。
「そういうことなら、有難くいただきます」
「おう、そういうことなんで、そうしてくれ」
どことなしかほっとした風で笑って、レインナードさんはくるりと踵を返す。そして、その動作の最中。まるで何でもないことのように、鼻先に飛んできた虫を払うかのような気負いのない姿で――手に握った朱槍を振った。
ぎゃん、と獣の断末魔が上がる。続くのは、どさりと何かが床に落ちる重い音。……そこまで聞いていても、私は一瞬何が起こっているのか理解できなかった。
「ちいと暢気にお喋りしすぎたんで、あっちから出てきてくれたみてえだわ。ま、これはこれで早々に安全を確保できて都合がいいってもんだろ!」
その言葉を聞いて、やっと状況を把握する。何てこったい! 既に魔物は接近していたのだ。私はそれに気付かなくて、レインナードさんは気付いていて――そうして、先んじて攻撃に打って出た。
「て、手伝いましょうか!?」
巾着をポケットに押し込み、慌てて弓矢を手に取る。けれど、レインナードさんはどこまでも軽い風で、
「んにゃ、要らねえ要らねえ。大人しく自分の身に気を付けてろい」
朱い槍を一閃、また一匹獣を仕留めて見せた。それからの流れは、いっそ呆気ないくらいのものだった。
通路は高さも幅も、目測で五メートルもない。レインナードさんの槍が二メートル弱程度だとしても、それだって取り回しには気を付けなければならない狭さだ。壁に穂先を引っかけてしまっては、刃も痛むし隙になる。そんな状況にありながら、レインナードさんの槍捌きには一片の淀みも、一瞬の停滞もなかった。
振り下ろす動きで一刀両断、返す刃で一突き。薙いではあっさりと首を刎ねる。気が付くと、五匹余りいた狼はレインナードさんの槍の届く範囲から一足も進むことが出来ないまま、あっさりと全滅していた。断末魔の悲鳴すら、ほとんど上がらない。鮮やかなお手並み、と言う他ない早業だった。
……そりゃあ、さっきの通路の血みどろ具合に苦言を呈する訳だ。綺麗というのもおかしな話だけれど、ここまで見事に片付けてしまえるのなら、先客の戦いぶりの結果はさぞ拙いものに見えたに違いない。
「あ、しまった。全部突いて殺しときゃ、まだ血が少なくて済んだか」
その上、そんなことを気にする余裕まであるのである。……ひょっとしなくとも、私はかなり腕の良い傭兵さんを引き当ててしまったのかしらん。
「さて、一丁上がり――っと。どうよ、初戦闘の感想は?」
槍の露を払いながら、レインナードさんはニヤリと笑う。
「……結構なお点前で」
「オテマエ?」
「お見事でした、ってことですよ。こんなに素晴らしい槍捌きの傭兵さんにご協力いただけて、誠に光栄です。私はよっぽど強運の星の下に生まれたらしいですね」
私の言っている意味が分からなかったのだろう、きょとんとするレインナードさんに小さく笑ってみせ、早く進みましょうと促す。
「『碧の女帝』、上手く見つかるといいですね」
「お、おう?」
要領を得ない風のレインナードさんの背中を押し、罠を避けつつ狼の死骸をまたいで進む。
それからの、たまにプディナの実を齧りながらの採掘は、幸いにも第一目標の採掘ポイントだけで終えることができた。くすんだ碧の魔石はノレクト鉱石よりもずっしりとしていて、計五個約二キロを採掘したものの、鞄の中に納まる量で済んだ。その分、鞄の紐が肩に食い込むような重さになるのだけれど、手に持っていくよりはよっぽどいい。売るとちょっとした金額になると言う、青いスフリーゼ石を見付けられたのも収穫だ。
「ううむ、やっぱり私は運がいいのかもしれない……」
「かもなあ、スフリーゼ石、割と珍しいはずなんだけどな。――と、まあ、これで採掘は終了だな。けども、ギルドに帰るまでがお仕事です、ってな。帰り道も気を抜かずに行こうや」
そうだった、まだ目的を果たした訳ではないのだ。ここで浮かれてヘマをしてしまっては元も子もないし、目も当てられない。
「う、浮かれて気を抜かないようにします……」
「おう、宜しく頼まあ。そんじゃ、再出発だ!」