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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
85/99

19:そして太陽は輝く-02

 ヴィゴさんは顔を背けると、どこか気まずそうに頭を掻く。

 その言葉は、少し意外だった。眼を閉じた瞬間に、意識を失ったものかと思っていた。

「ぼんやりしてるけど、ってどれくらい覚えてるんです?」

「あー……お前の声は聞こえちゃいたんだろうが、まともに残ってんのはさっきの台詞くらいだな。後は途切れ途切れって感じだ。その他は、まあ……なんだ」

 ふんふんと頷きながら聞いていれば、突然もごもごと口を濁される。何だろう、と首を捻り――はたと気が付いた。一抹の、嫌な予感。

「……もしかして、何されたか、も?」

 恐る恐る訊ねると、ヴィゴさんは観念したように目を瞑り、重々しく溜息を吐いて頷いた。一瞬、少し自分の頬が引き攣ったのが分かる。

「それについては、そのー、アレです、緊急事態でそれ以外に術がないと判断した訳でして……ほら、傷を癒すのと同時並行で解呪もやらなきゃいけなかったでしょう? そうなるとさすがに少々厄介で、外からあれこれやるより内側からの方が上手く干渉できるかなーなんて思ったりして。だからですね、石と水を飲ませる必要があったという」

 ぐだぐだな説明具合に、存外自分が動揺していることを知る。あの時は必死だったけど、今落ち着いて振り返ってみると、何ともはや中々に気まずいというか、後ろめたいというか……。

 ついつい泳いでしまう視線は、うっすらと赤や黄色に色づいた生垣を彷徨う。

「ええと、つまり――そう、一種の医療行為ということで、こう、ご容赦頂けると……」

 尻すぼみになる言葉につられて、肩も落ちていく。最終的に項垂れて弁明すると、「何言ってんだ」と呆れたような声が聞こえてきた。

「助けてもらっといて、何をどう責めるってんだ。お前にゃ、俺が落としたと思ったもんを拾ってもらった。感謝しかねえよ。……この恩は、一生忘れねえ」

 姿勢を正し、ヴィゴさんは深々と頭を下げる。少なくとも、怒ったり、露骨に嫌がられたりはしていない……のかな、これは。それなら、なんというか、良かった。

「いえ、こちらこそ。危険を冒してまで、たくさん助けて頂きました。ありがとうございます」

 泳いでいた視線を据え直し、背筋を伸ばして、私もまた頭を下げる。少し間を置いてから顔を上げると、ちょうど同じ状態のヴィゴさんと目が合って、思わず笑ってしまった。向かい合って二人して頭を下げ合っているだなんて、何をしているのやら。

「とりあえず、これで差し引きゼロってことで?」

「俺の方は異存ねえ……っつーか、むしろお前の方こそ良かったのかよ?」

「良かったって、何がです?」

 意図を掴み切れずに問い返すと、またヴィゴさんは口ごもり、視線をウロウロと泳がせた後で、

「その……アレだよ。死にかけて伸びてる俺に、なんだ、飲ませてくれた訳だろ」

「ああ、それなら別に。必要だと思って、それ以外にないと判断してやったことですし。――ほら、アルマでのと同じですよ。山から落ちた時の。だから、ヴィゴさんが不快でなければ、それで」

 肩をすくめてみせると、ヴィゴさんは眉間に皺を寄せて唇をへの字に曲げた。釈然としなさげな表情。

「何でこう、お前は変なトコで思い切りがいいんだかなあ。不快とか、ある訳ねえだろ。むしろ役と……って、いや、間違えた。何でもねえ。まあ、この歳で、初めてって訳でもねえし、そう気にしてもらうこたねえよ」

「ですか。そう言って頂けると助かります」

 答えながら、何故か妙なもやっとした感慨が胸の内に揺蕩っていることに気付く。もやっというか、これは、もしかしなくとも、あれか……。あれなのか……?

 眉間に皺を寄せて考え込んでいると、「おい、どうした?」と声が掛かる。その声色はどこか、不安げであるようにも聞こえた。おっといけない、要らぬ心配をさせてしまう。

「いえ別に、大したことじゃないんですけど」

「大したことねえって面じゃなかったじゃねえか」

 ぬう、意外に食い下がってくるな……。

「や、ほんとに大したことじゃないんですって。私、意外にヴィゴさんのこと結構好きなのかもしれないなーって思っただけで」

 そう言った瞬間、ヴィゴさんはあんぐりと口を開け、大きく目を見開かせた。ぱくぱくと酸欠の魚みたいに唇を開閉させていたかと思うと、獣の唸るような声を上げて掌で目元を覆う。

「おっ前なあ! いきなりそういうこと言うんじゃねえよ! つーか、意外に結構かもしれないって、何だそりゃ!」

「いやー、我ながらなんかよく分からないというか、複雑で。やっぱし、頼りにしてる傭兵さんは取られたくないじゃないですか。でも、契約外のことまで縛っちゃ駄目だよなーとも思う訳で」

 はっはっは、と笑ってみせると、ヴィゴさんはいよいよガックリ肩を落としてしまった。うん、風情も何もない具合で申し訳ない。

「何だよそりゃあ……。前に二十三年生きてたんじゃねえのかよ」

「残念ながら、その手の経験はお世辞にも豊富な人生じゃなかったんですよねえ。それに十七年間まるっと子ども扱いされ続けてきたんで、思いの外に子供気分に染まってしまったというか」

「あ? 家族は知らねえのか?」

「んー、言えなかったんですよね。ほら、生まれてきた子供が純粋に自分たちの子供じゃないって、気味悪くないですか。いや、そんな風に気味悪がる人たちじゃないとは思ってるんですけど。それでもこう、余所のお家に入り込んじゃったみたいな感じがしてて、なんだか申し訳なくて」

 そういうもんかねえ、と呟くヴィゴさんは、分かったような分かっていないような顔をしている。

「てことなので、くれぐれもさっきの話は内密に」

「了解。他人の事情を吹聴して喜ぶ趣味はねえよ」

「助かります。――にしても、意外にあっさり信じましたね?」

「そりゃあ、普段のお前を見てりゃあな。やたら子供らしくねえし、後は人形遣いとの話もチラッと聞こえちゃいたしよ。あいつもお前と同じように生まれたってこったろ?」

「みたいですね。なんか変な干渉とかあったぽいですけど」

「干渉?」

「その辺については確証がないので、王都に戻って確認が取れ次第また追々。ちゃんとお話ししますんで」

「絶対にか?」

「ええ、絶対に」

 念を押す言葉には、素直に頷き返す。すると、ヴィゴさんはそれ以上言葉を重ねることもなく、「分かった」と引き下がった。

「ちゃんと教えろよ」

「そりゃあもう。ここまで関わってるのに、今更隠したって仕方ないでしょ――」

 う、と言いかけた、まさにその時。

 ぐるる、と気の抜ける音が語尾に被った。一瞬呆けたような顔をしてしまったのは、私もヴィゴさんも同じだ。けれど、どちらかと言えば音の発生源である私は、情けなさの方が勝った。

「……すみません、お腹減ってて」

 引き攣りそうな頬を無理矢理動かして笑ってみせると、ヴィゴさんもまた仕方がないとばかりに笑みを浮かべる。

「何だ、飯も食わねえで来たのか?」

「いきなり裏庭行けって放り出されたんですよ。ローラディンさんに。問答無用で!」

「そりゃ災難。とりあえず、飯食いに行くか。じきに昼だ、ちょうどいいだろ」

「ですね。久しぶりのご飯は何かしらーっと」

 二人揃って立ち上がり、四阿を出る。隣を歩きながら、ついつい盗み見るようにしてしまったヴィゴさんの歩き姿には、少なくとも異変らしきものは見られない。ほっと安堵の息が口を突いて出る。

「何ため息吐いてんだよ」

「ため息じゃなくて、安心したんですって。ちゃんと歩けてるんだなーって」

「心配し過ぎだろ」

「心配もしますって、ほんとに酷い怪我だったんですから」

 四阿を出て、小川のような水路を超える。昼食の準備もできてきたのか、お腹の空くいい匂いが鼻先を掠めた。香ばしいパンが脳裏に浮かぶ。おっと、よだれが。

「ていうか、災難て言えばヴィゴさんのがよっぽどですよね。街で行き会っただけの人間の為に、こんなことになっちゃって」

「それも縁って奴だろ」

「縁ねえ……。あんまお人好しばっかやってると、その内ほんと死んじゃいますよ」

「だから、俺は別に人が好い訳じゃねえっつの。あん時、広場の商人連中が噂してんのを聞いたんだよ。ろくでもねえ貴族がやらかしたって。んで、若い娘が一人で困ってると。だってのに、誰も助けに行かねえと来た。そうなりゃあ、俺が行くしかねえだろが?」

「それが人が好いってことだと思いますけど」

「どこがだよ。俺はそのアホな貴族が気に入らなかっただけだぜ」

「ああ言えばこう言う……」

「そりゃお前だ。後は――まあ、アレだな」

「アレ? 何です?」

 首を傾げて隣を見上げると、ガシガシ頭を掻きながらヴィゴさんが足を止める。逃げるように橙の眼を傍らの生垣へ向け、

「男ってのは、単純なもんなんだよ。美人が相手なら、あってねえような親切心も倍増し」

 投げるような言葉に感じたのは、まず驚きだった。

「えっ、ヴィゴさんもそういうのあるんですか」

 思わず本音が口から飛び出せば、呆れたような顔が振り返る。

「あのなあ、お前は俺を何だと思ってんだ」

「いやだって、いつも恋愛関係の話振ると嫌そうな反応してたじゃないですか。だからこう、つい戦うの大好き過ぎて女の人とか興味ないのかと」

「そう思わせといた方がお互い苦労がねえと思っただけで、そこまで偏った性格してねえよ。田舎から一人で出てきた、十七の娘の護衛をするってなったら、俺だって少しゃあ考えらあな。守り守られる関係にゃ、それなりの信用関係が要る。いつ襲い掛かるかも分かんねえような奴だと思われたんじゃ、何かあった時に困るだろうが」

 何を馬鹿な、とばかりにヴィゴさんは言う。

 てことは、何か? 私が警戒しなくて済むように、敢えて女性関係の気配を断っていたと……?

「まあ、思ってたよか上手くいきすぎた面もあるけどな……」

 ぼそりと付け加えられた言葉の意味は、少し掴みかねた。私が警戒しなさ過ぎるようになってしまった、ってことだろうか。……あ、確かに人形遣いやら何やら絡まれてばっかだ。本当に申し訳ない。

「つまり、俺も人並みに思うところはある訳だ」

「さよですか」

「……反応軽くねえか、オイ」

「え? あ、美人と期待された割にあんまり期待に添えてない感じで、どうもすみません」

「はあ!? どうしてそうなんだよ」

「え、そういう話の流れじゃあ?」

「じゃねえだろ! あーもう、発端はともかく、俺はお前の傭兵をそれなりに満足してやってる訳で、お前の言葉を借りりゃあ『結構好き』なんだよ。だから、お前に心配される謂れはねえ」

「はあ、まあ、確かに夏からこっち戦う機会には恵まれて来ましたしねえ。やりがいを感じてもらえているなら、それは喜ばしいと言えなくもないですけど」

「……お前、意外に鈍いよな?」

 はああ、と深々としたため息。なんでだ。

「え? そんなことないと思いますけど」

「自覚がねえのが余計タチ悪いんだよ。――まあいい、そういう訳で、あんま軽々しく好きだなんだいうんじゃねえよ。自惚れるだろ」

「どういう訳ですか、ってのはともかく、別に自惚れていいんじゃないですか? 傭兵としてそれだけ評価してるってことですし。私の評価じゃ足しにならないかもしれませんけど」

 言った途端、ヴィゴさんが項垂れた。あれ? なんで?

「もーいい、なんか疲れた。いつか覚えてろ」

「何故に恨まれているのか私は」

 とぼとぼと歩き出す背中に、首を捻り捻りついていく。やっぱり、お互い本調子ではないのかもしれない。或いは、つい最近まで断絶していた関係性の余波か、どうも意思疎通が上手くいっていない感じだ。

「まあ、どうにかなるでしょ」

「あ? 何か言ったか?」

「お腹鳴りそうでやばいなって」

「起きたばっかでそんな食い過ぎんなよ」

「この服借りものなんで、せめてお腹は破らないようにしときます」

 そういう問題じゃねえだろ、とぼやくのを目の前の背中越しに聞く。かと思えば、ちらりと肩越しに振り返る眼があり、

「折角似合ってんだから、はしゃぎすぎて汚すなよ」

「そんな子供じゃありませんて」

 開口一番そんな言葉が出てしまったのは、まあ、何というか半分は照れ隠しだ。真っ向から似合ってるとか言われると、さすがにちょっと照れる。

「その恰好も、お前を放り出した奴の差し金か?」

「あ、こっちは別です。ちょうど廊下で会ったメイドさんが用意してくれたんですよね。髪も全部やってくれて――いつもと違い過ぎて自分じゃ上手く判断できないんですけど、ほんとに似合ってます?」

「おう。元がいいから余計にな」

「……ヴィゴさん、変なもの食べました? そういうキャラでしたっけ?」

「こんにゃろ、人が真面目に褒めてみりゃあ……!」

 そんな話をしながら、私達は裏庭を歩いていく。

 少しずつ秋枯れていく草地を、生垣を、頭上で輝く太陽が燦々と照らしていた。その眩さも、今はもう何も遮るものはない。暗雲も、死霊の群れも、何一つ。輝かし過ぎるほどの光は、目に痛いほどだった。

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