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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
82/99

18:命溢るる逆月の泉-07

 音よりも速く、遠くへ至る光の矢。

 その有用さも厄介さも、あの島で嫌という程に思い知らされた。――だからこそ、今度は私がそれを使ってみせる。使いこなしてみせる。

 音もなく這い寄る黒靄、虚空を焼いて翔ぶ光条。

 そのどちらが、次の一手として速いかなんて。残りの魔力の粗方を使って編んだのだから、そんなもの明白でなくては困る。そして何より、こちらには必中の弓があるのだ。それをもって射たからには、負けるはずがない。

 果たして、白い光はヴィゴさんに接触される前に黒靄を射抜いた。

 矢の着弾した部分―――腕のように伸びていた辺りはおろか、肩相当する部分までもが光に灼かれて完全に消失する。不定形の靄の姿であろうと攻撃を受ければ衝撃が与えられるのか、隻腕と化した靄の塊はたたらを踏むように二歩三歩とふらついた。

「ヴィゴさん、こっち!」

 反撃がないことに心の底から安堵しつつ、声の限りに叫ぶ。ヴィゴさんは一瞬顔をしかめるような素振りを見せたものの、靄から目線を離さないまま、じりじりと後退を始めた。

 本当ならその援護もしたいのだけれど、二矢目を編むにはもう魔力が残っていない。ひどく忌々しい気分で、泉の中から立ち上がる。ああ、全身ずぶ濡れだ。

「総員、魔術矢に切り替え! 鋼であろうとミスリルであろうと、形あるものでは奴を止められぬ! ――何としても押し留めよ、泉に近付けてはならぬ! 今しばらく留めれば、王が封じて下さる故!」

 エルフの兵を指揮するローラディンさんの声が聞こえてくる。顔を上げれば、雨霰と降り注ぐ光に圧されて、一歩また一歩と靄は後退りしている様が目に入った。けれど、それでも消え去る気配はない。その断片に過ぎないとは言え神と呼ばれるもの、一筋縄ではいかないということか。本当、厄介だ。

 溜息を吐きながら、弓を下ろして座り込んでいた腰を上げる。消耗のせいか、上手く身体が動かない。這うようにして泉の縁に手を掛けると、

「エラスト、今度こそ死に損ないを仕留めろ。その首を持たずしての帰参は叶わぬと思え」

「畏まりました。――ですが、この裏切り者は」

「取るに足らぬ。目端に入れる必要もない」

 そんな声が聞こえ、バルナバーシュさんの姿が突如掻き消えた。影も形も、何もなく。思わずギョッとして気配を手繰ってみれば、何故か結界も何もかも通り越した森の外に放り出されているらしい。まずい、バルナバーシュさんは通行許可の御印を持っていないから、仮に近くまで戻ってこれたとしても結界を超えられない。

 やばい、どうしよう。焦りも手伝って、意図せずそんな声が漏れてしまう。それを耳敏く拾われてしまったのか、人形遣いがこれ見よがしに笑うのが聞こえた。

「狼狽とは見苦しいことだな。エラストは『門』だ。これが潜入してさえいれば、どのような結界も、距離も、時間も、私の手を阻むに至らない。――となれば、その門を逆に向けて開けば良いだけのこと。まあ、貴様には到底できぬ技だろうが」

「あっそ、それで森の外に飛ばしたって訳ね」

 くそ、と内心で歯噛みする。バルナバーシュさんはこの消耗戦において、ほとんど唯一の万全に近い手札だった。それを奪われてしまったのは、正直最悪に近い。

 ただし、人形遣いが敢えて「門」を通じての追加派兵による物量押しではなく、バルナバーシュさんの放逐を選んだことに一抹の光明も見えてくる。おそらく、あちらももう後がないのだ。追加の派兵はない。全ての兵力を使いきったのか、召喚するだけの余力がないのかまでは測りきれないけれど。

 そんなことを考えている間にも、鈍色の騎士――エラストが名称のようだ――がヴィゴさんに近付く。叩きつけるように振り下ろされる黒剣を、ヴィゴさんは退きつつ辛うじて受け流した。隻腕と言えど、あちらは疲労や消耗の概念自体が存在しない。事ここに至っては、完全なる形勢逆転だ。

「ヴィゴさん!」

「人のこと気にしてる暇があったら、自分のこと心配しやがれ!」

 叫べば怒鳴り返される。最悪だ、どちらか一つなんて選べないのに、選べときた。

 歯を食いしばって、重い身体を泉から引き上げる。いかな癒しの泉と言えど、度重なる負傷と消耗の全てを一度に元通りに戻すことはできないらしい。やっとの思いで二本の足で立ち上がると、人形遣いがにやりと口角を吊り上げるのが見えた。

 酷薄に唇を歪め、靴音高く歩み出す。他でもない私の方へ……泉の方へ。

「さて、再び私と貴様の一騎打ちだ。悪足掻き御苦労、ここで倒れて我らに降れ。我が君の手前、死ねとは言わずにおいてやる」

「余計なお世話どうも。後がないのはそっちも同じでしょうが、むしろ殴り合いなら私の方に分があると思うね。何せ山育ちの獣だそうだから」

 答えながら、弓を握り直す。痛みの収まらない右手で矢筒を探ると、吹っ飛ばされた時に大半が折れてしまったのか、指先に触れたのはたったの一本だけだった。

 どうしよう、と考える。この一本で何ができる。脚のどちらかを射て機動力を奪う? いや、奪ってどうする。走って戦うような相手でもあるまいに。むしろ奪うなら声、詠唱。でも、矢で喉を潰すのは無理だろう。どうやったって致命傷になる。殺してしまうのはまずい。

 焦る。さながら火で炙られているかのように。ろくな手段が思いつかないのも、視界の端でヴィゴさんが四苦八苦してエラストの剣を防いでいるのも、何もかもが私を焦らせた。

『――全く。一騎打ちとは笑わせてくれる』

 その時、おもむろに私と人形遣いとの間に降り立つものがあった。

 銀の影。その姿を認めた人形遣いが、あからさまに顔をしかめる。

「ああ……まだもう一つ残っていたか」

『幸いなことに。この翼が如何なるものか、見ていなかった訳ではあるまい。これ以上先に進むと言うのなら、今度は君自身を相手に振るわねばならないが』

 先生がそう言うと、人形遣いはぴたりと足を止めた。そして同時に、ひやりとするほど鋭い声が響き、人形遣いの足元に何条もの光の矢が突き立った。

「加えて、私もいる。投降しろ、北の悪神がしもべよ。貴様こそ死にたくはあるまい」

 カツン、と靴音が聞こえて、彼女がすぐ近くまで接近していたことに気が付く。ちらと見れば、険しい表情を浮かべたローラディンさんが、人形遣いに向けて手を翳していた。その手には白い光が灯っており、いつでも追撃ができるという意思表示でもあるのだろう。

 人形遣いの表情が更に苦々しげに歪む。唇を噛み、目を伏せたかと思うと、

「……逆月の泉がなければ、蘇えることはないなどと思わないことだ。所詮は手段の一つに過ぎない。試みるには手頃で、容易であっただけのこと」

 思いの外にきっぱりとした口調で、そう言った。

 何、とローラディンさんが気色ばむ間にも、人形遣いの姿が足元から揺らいでいく。逃げようとしているのだ。

「ローラディンさん、あれ!」

「分かっている! しかし、あれはアルサアル王ですら介入しかねる門路だ。おそらく北の悪神が一枚噛んでいる」

 叫んだローラディンさんが光の矢を放つものの、それらが人形遣いに命中することはなかった。陽炎のように揺れる人形遣いの身体は徐々に透けていき、光の矢は空を切るようにただ通過してしまう。……要するに、打つ手なしってことだ。

「エラスト、命に変わりはない。必ず、その傭兵の首を持って帰れ。――お前には過分な心遣いだが、我が君は場を整えて下さるそうだ。そこまでして頂くからには、分かっているだろうな」

「心得ております」

 声だけで応じる配下に軽く頷いて見せると、それきり人形遣いの姿は消えた。最初からそこに居なかったみたいに。

 結局、取り逃がしてしまった。そこに多少の悔しさはあれど、現状では敵が減ったことを素直に喜ぶべきなのだろう。これでヴィゴさんの援護もできるし――って、そうだよ、こんな悠長にしてる場合じゃない! 戦いはまだ続いてて、少しの猶予もないってのに!

「ローラディンさん、私は良いんで、ヴィゴさんを! あの人を助け」

 ――そう声を上げた、まさに真っ只中。

 突然、音が消えた。え、と目を丸くした次の瞬間にはとてつもない圧力に身体ごと後ろに吹っ飛ばされて、硬いものに背中から叩きつけられる。痛みと衝撃で、軽く呼吸までもが止まった――ものの、意外に回復は早い。するすると背中の痛みが引いて、どうにかこうにか息が吸えるようになる。

 何故か、といえば簡単な話だった。

 泉の縁に立っていた私は再び泉に落とされて、あの巨大な杯に叩きつけられたのだ。辺りを見てみれば、すぐ傍にいたはずのローラディンさんもアクィラも忽然と姿が消えている。少し離れた草地に布陣していたはずのエルフの部隊だってそうだ。同じように吹っ飛ばされてしまったのかもしれない。私はちょうど背後に泉と杯があったから、助かった。運が良かったのだろう。

 今や見える範囲において自分の足で立っているのは、ヴィゴさんとエラスト。そして、黒い靄が揺蕩っていた場所に対峙する、いつの間にやら現れた新たな二つの人影ばかりだった。その内の一つはアルサアル王で、もう一つは地面に落ちた影がそのまま立ち上がったような黒いシルエット。どちらも半ば透けている様を見るに、魔術による投射映像のようだ。

『鄙の王とは言え、多少は使うと見える。観客にも要らぬ雑兵など、蒸発させてくれようと思ったが』

『お前の好きにはさせません』

『我が身を弁えぬ大言壮語は笑わせるだけよ。爪先ほどの断片とて、余はお前なぞに捉えられるものではない。泉の行く末は、従者同士の決闘をもって決着としよう。精々焦って駆け付けるが良い。その頃には結果も出ていよう』

 そう残して、黒いシルエットは霧散するように消えた。悔しげに口元を震わせたアルサアル王がこちらを――泉の方を振り返るのが見えたけれど、何かを言うよりも早くその姿は消えてしまう。不自然に揺らめき、ノイズが混じるようなざらつき加減で消えた様子からすれば、何らかの妨害でもあったのかもしれない。

 まさしく「場を整える」という言葉そのままに。

 かくして残されたのは、隻腕の騎士と満身創痍の傭兵。打ちつけた背中の痛みは和らいでも、すぐには行動を再開できない私はまるで観客だ。吹っ飛ばされた時に弓も矢も手から離れてしまったから、援護しようにもできない。

「よう、聞いたか。俺とお前で勝ち負けを決めていいらしいぜ」

「では、貴様が死ね。私はあの方に貴様の首と、泉と、勝利を捧げる」

「言ってろ」

 短い応酬。それきり二人は口を閉ざし、各々が武器を構えた。黒い剣に刻まれた紋様が禍々しい赤光を宿し、朱い槍に再び炎が燃える。

 先手は、ヴィゴさんだった。雷光が如く閃く槍、狙うはまっすぐ心臓。エラストは横合いから剣を当てて穂先を逸らし、刃を倒して槍ごと抑え付けたかと思うと、その上を滑らせるようにして振り抜く。最短最速で首を刎ねる剣筋。身体を傾ける最小限の動きで回避したヴィゴさんは、一歩も引かないまま槍を振り抜くも、エラストが踏み込んできたことで互いの位置が入れ替わり、不発に終わる。

 双方狙うのは、確実に一撃で息の根を止められる急所。必殺を期した剣戟の応酬は、息を吐くことさえも躊躇わせるような、凄まじい緊張感に満ち満ちていた。疲労を感じない人形と比べても遜色ないほど、未だヴィゴさんの槍は冴えを失っていない。けれど、それは長続きするものではないはずだ。一歩踏み込む度、一撃繰り出す度、足元には鮮血が飛び散る。実際に、戦いの場もわずかながら確実に、泉近くへと移動していた。何とかしないと、と思う。

 少し休めたお陰で、身体の感覚も戻ってきた。そもそも、決着を二人に託すなんて戯れ言に、私まで付き合う必要はない。あちこちが罅割れそうに痛む身体に鞭を打って、立ち上がる。まだ手元に残っている装備は――ああ、石が何か残っているかも。

 震える指を、ポケットに手を突っ込む。硬い感触が指先に触れたことにほっとするものの、取り出してみれば、落胆してしまうほどに数が少ない。使えそうな欠片は……光を生むジャエル石と、魔祓いのカタルテ石くらいだろうか。掌に握り込んで、雀の涙のような残りの魔力を全部注ぎ込む。

 意識を目の前の戦いに戻すと、やはり一進一退の攻防が続いていた。ヴィゴさんは巧みにエラストの腕のない方に回り込んで攻め立て、対する相手は疲れ知らずの膂力に物を言わせて押し返す。二人の立ち位置は絶えず激しく変化し、一瞬たりとて留まることがない。これじゃあ、援護のタイミングもかなりシビアだ。ああもう、口から心臓出そう。

 気分はまさに、一日千秋。――そして、その時はやって来た。ヴィゴさんが泉に背を向ける。エラストが泉に正対する。その瞬間、私はジャエル石の欠片を空へと投げた。

「ヴィゴさん、(ダエグ)!」

 背を向けている人に言葉少なく、正しく意図を伝えるには、これくらいしか思いつかなかった。私にルーンを教えてくれたのは、他でもないヴィゴさんだ。ならばきっと、察してくれると信じて。

 人ではない人形は、疲れも感じない。それでも、人と同じように眼で物を見ている。強い光を浴びれば、一瞬一秒だろうと、必ず視界は奪われる。あの人なら、その好機を絶対に逃がさないはずだ。

 くるくると回転する欠片が、中空で眩いばかりの光を放つ。地上に落ちた太陽のように、模造の瞳を焼く爆弾のように。

「小賢しい真似を……!」

 閃光をまともに浴びたエラストが、顔をしかめて顎を引くのが見えた。それは強烈な閃光を嫌って逃れる、攻撃でも防御でもない、刹那の空白。

「ハッ、てめえにねえ信頼を恨みやがれ!」

 強い声。ヴィゴさんの背中から、燃え上がる炎にも似た魔力が立ち上った。ぐんと上体を屈めた構えは低く、踏み込みは石畳を割るほどに。一筋の炎を纏う槍は過たず心臓――核に狙いを据えており、これで決める気なのだと確信する。

 エラストの剣は、もう守るにも攻めるにも間に合わない。やった、と拳を握る。仕留めたと、

「舐めるな、死に損ないが!」

 ――思って、いたのに。

 槍が命中する寸前、エラストが身体を沈めた。そこまで迫ってしまえば、狙いの修正はきかない。派手な破砕音を立てて、槍が人形の喉笛を貫く。

 驚きは、それだけに留まらなかった。喉を貫かれながら、更にエラストは踏み込む。ヴィゴさんの驚きの声。そりゃあそうだ、標的が貫通したまま距離を詰めてくるなんて。人間相手じゃ、まず起こり得ない事態で――だからこそ、有効だった。

「王よ、今一度私に力を!!」

 血を吐くような叫びに呼応して、黒い剣を取り巻く暗い赤色が輝きをいや増す。喉を貫通させたまま間合いを詰められては、槍を引き戻すのも、振り抜くのも容易でない。想像を絶する光景に、私は石を投げることも忘れて呆然としていた。

 禍々しく輝く剣が、濡れた音を立てるのも。見慣れた背中から、血濡れた剣先が飛び出すのも。全てを目の当たりにしながら、ただ。

「嘘でしょ」

 そんな言葉しか、出てこなかった。

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