17:星降りの射手-04
飛翔速度が尋常でない分、掛かる風圧も凄まじい。ともすれば大鷲の首に回した腕を剥がされそうになりながら、苦労して顔を上げる。そうして見えてきた景色に、軽く絶句した。
これまではとにかく振り落とされないようにするのに必死で、どの方向に逃げていて、誰がそこにいるかなんて探れていなかった。単純に先生の言葉を信じて、行く先にはその人がいるのだと思っていた。
「先生ちょっと、これ詐欺じゃあ!?」
『何がかね』
「ラファエルさんと合流するって言ったじゃないですか!」
平然と答えてくる先生の声に、許されるものなら頭を掻きむしりたい気分になった。
視界の中央で戦っている人影は、どう見ても目的の人ではない。ラファエルさんより微妙に体格がいいし、髪は赤じゃなくて銀だし、そもそも持ってる武器が剣じゃなくて槍だ。
『ラファエルもこの場に向かっている。何も間違ったことは言っていないぞ』
「あーもう、そうですか! そうですね! 嘘は言ってないですね! 言ってなかったことがあるだけで!」
ちっくしょう、と内心で呻く。
そんなことをしている間にも目的地は刻一刻と近づき、火花を散らして刃を交える二人も、こちらに気付いてしまった。二人揃って、いっそおかしいくらいに目を丸くさせる。大鷲がちょうどその間に割り込むようにして滑空すると、互いに武器を弾くようにして後ろに跳び、距離を取った。
ざざざ、と音を立てて地面を滑りながら、ぎろりとヴィゴさんが大鷲を――私を睨み上げる。うわあ、顔が怖い。まるで歯を剥いて威嚇する獣みたいだ。
「おいコラてめえ、ライゼル! んなトコで何してる!」
「私は私で目的を達成する為の作戦行動中です! で、ちょっとはしゃぎ過ぎたらしくて、要らんもん釣り上げちゃったんで、援軍を探しに!」
謝る場合でも、謝れる立場でもなしに、とりあえず状況説明がてら叫ぶ。
ヴィゴさんは「ああ!?」と怪訝そうな声を上げると、黒騎士を一瞥した後でこちらに向かって走り始めた。その意図を察したのか、旋回した大鷲がヴィゴさんに向かって低空飛行で再接近を試みる。
「ほんっとに、お前は手のかかるじゃじゃ馬だよ」
そんな声が聞こえたかと思うと、地上にあった人はひらりとその上に飛び乗ったのだった。私の後ろに、大鷲に跨るようにして。その途端、むせ返るような血の臭いが鼻先を掠めた。
それは正しくどれだけ過酷な状況に身を置いていたかという証明でもあり、心臓が縮み上がるような感慨を覚える。けれども、こうして大鷲の背に飛び乗ってこられたということは、少なくとも行動を阻害するような大怪我は負わずに済んだのだろう。戦いは凄惨を極めていたはず……本当に良かった。
ともすれば感傷に傾いてしまいそうな心境を意図して制し、誤魔化すように大きく息を吐く。まだ安堵する訳にも、緊張を緩める訳にもいかない。ちらりと肩越しに視線を向けると、眉間に皺を寄せた剣呑な眼差しが返された。
何か言いたいけれど、下手なことを言うと勝手な感傷路線に火が点いて自爆してしまいそうな気もする。それは大変に宜しくないので、結局口から出たのは「ヴィゴさんまで乗っちゃったら、重くて墜ちちゃいませんかね?」なんて言葉だった。
もっとも、その結果と言えば、
「痛い!」
ぱしーんと、デコピン一発。
「お前なあ、もっと他のこと言えねえのかよ!」
『元気は結構だが、暴れないでもらえるかね。人を二人乗せた程度で墜ちはしないが、騒がれては話は別だ。――それに、来たぞ!』
先生の声に窘められ、慌てて大鷲の首に掴まり直した瞬間、大きく鳥の背が傾いて急上昇を始める。その軌道を追うようにして、空中で次々と爆発が起こった。ヴィゴさんとの合流で飛翔速度を落としていたからか、追い付かれてしまったらしい。
「待て待て、何だこりゃ!? 何でこんなことになってんだお前ら!」
右に左にと旋回しながら、大鷲は辛うじて爆撃を回避していく。止まない爆発を目の当たりにして、ヴィゴさんが叫ぶように声を上げた。
「だから、ちょっと厄介なもの釣っちゃったんですって」
『左腕が吹き飛ばされかける目に遭う相手を、ちょっとと評していいものかは分かりかねるがね』
「あっ、先生それは言わなくても――あいだだだあ!?」
「お・ま・え・は、本っ当に何をやってんだかなああああ!?」
「いたたたた、ちょっと待ってマジ待って、痛い痛い痛い!!」
ドスのきいた低い声が上がると同時に頭を後ろから掴んで締め上げられ、図らずも悲鳴が口を突いて出る。危うく本気で泣きが入りそうになったところで、幸いにもアイアンクローからは解放されたものの、残る痛みの余韻は思い出すだに涙が出そうなレベルだ。あーもう痛かった……。
「で、敵の詳細は」
「切り替え早っ! ……あー、いきなり腕を吹っ飛ばしにくる時点でやり口が王都の時と似てる上に、他に候補もいないだろうという消去法で、人形遣いじゃないかとは思ってるんですけど」
そう答えると、ヴィゴさんは小さく唸るような素振りを見せ、深い溜息を吐いた。何だろう、何か気に掛かることでもあるんだろうか。
「どうかしました?」
「そりゃあどうもするだろ。お前はどうしてこう、頭は良いのにアホなんだかなあ」
「何です、藪から棒に。失敬な」
「自分から危険に飛び込んでくんじゃねえよ馬鹿、ってことだよ」
そう言ってもう一度溜息を吐くと、「ま、小言は後にするとしてだ」と前置きしてから、ヴィゴさんは難しい表情で続けた。
「前々から思ってたんだけどよ、あの野郎言ってることとやってることがおかしくねえか? お前にこっちの軍門に降れっつっときながら、普通に逆探知して反撃してくるわ、腕吹っ飛ばそうとするわ、明らかに潰しに来てんじゃねえか」
「あ、言われてみれば」
『個人的に恨みでも買ったのかね?』
「個人的に恨みィ!? そんなの、ある訳――」
ない、と言いかけて、はたと思い出す。
――アルマでは君の為に痕跡を残す不始末を仕出かしてしまったが、王はかえって君を評価した
王都で、あの人形遣いはそう言って私を誘った。それすなわち、彼――と、仮に呼ぶとしよう――の顔に泥を塗ったということでもあるはず。そりゃあ口では何と言っていても、内心で恨んでいる可能性は否定しきれない。
「……ある訳ないと思いたかったですけど」
『つまり、思い当たる節があると』
「ぐぬぬ」
先生のダメ押しの一言には、唸る以外の反応が返せなかった。
「まあ、アルマじゃあ散々に引っ掻き回したしな。恨みの一つや二つ買うってもんだろ。――つっても、お前を勧誘してんのはあの人形遣いの更に上の親玉のはずだ。その命令違反を突くっきゃねえわな」
「そんな突くったって、いくら何でも無理でしょう。この現場における最高権限の指揮者が、あの人形遣いなんでしょうし」
「ま、物は試しだ。――よう、あの黒い奴んとこ戻ってくれ」
『何か考えが?』
「ちょっとな」
『ふむ……了解した』
先生の声がそう答えると、大鷲は爆撃を避けながら大きく弧を描いて、ヴィゴさんの示す辺りへと方向転換する。辺りの木々は爆発に巻き込まれ、ほとんどが爆散するか倒れてしまっていた。お陰で、見晴らしはすこぶる良い。
標的たる黒騎士は未だ戦闘現場から動くことなく、黙然とその場に佇んでいた。剣を鞘に収め、何をするでもなく文字通り突っ立っている。私達からすれば幸いなことだけれど、意外だ。ヴィゴさんが退けば、すぐにも泉への進軍を開始してしまうのではないかと、一抹の懸念を抱いてはいたのだけれど。
「やっぱりな。期待を裏切らねえ奴だぜ」
小さく笑って、ヴィゴさんが言う。どういうことだろう。
「期待?」
「野郎が受けた命令は『結界を破れ』であって、それ以上のことをする気はねえんだと」
「なるほど、動かないでいるという行為をもって反抗に代えている訳ですか」
「そういうこった。奴がそうやって逆らってるうちに、とっとと仕留めちまいたかったんだけどな。こうなりゃ仕方ねえ、一時保留ってもんで、上手く使わせてもらう」
「使うって、何か策があるんですか?」
「ぼちぼちな。どの程度連中の指揮系統が確立してんのかは知ったこっちゃねえが、通常一番上が一番優先されるもんだろ」
そう言って、ヴィゴさんは黒騎士の姿が見えてくると、大鷲の背の上で腰を浮かせた。
「てことで、ちと行ってくらあ!」
そんな言葉を残して、大鷲が黒騎士の傍を飛び過ぎる瞬間に宙へ身を躍らせる。その反動で大鷲の背中が揺れ、思わずヒヤリとする。大鷲の首に掴まり直しながら、地上に降り立つ後ろ姿を横目に確かめる。ううん、見事な着地。それこそ犬というよりは猫みたいな。
「とりあえず、私達は聞き耳立てつつ、回避の一択ですかね」
『そうだな、会話はこちらにも中継してもらえるかね? 飛翔の操作をしながらでは、さすがに手が回りそうにない』
了解です、と答える傍らで探索の術式を調整する。もちろん人形遣いの痕跡を辿ることは諦めはしないけれど、ヴィゴさんと黒騎士の会話を把握しておけるように。
相変わらず爆撃は続いており、爆発が起こる度にひどい音が耳を刺す。さっきからどうも耳に膜が張っているようなおかしな感じもするし、このままでは鼓膜の方が先にやられてしまいそうだ。探索の魔術によって捕捉される会話は、聴覚ではなく魔術式を通して頭の中に直接反映される。最悪耳が使えなくなっても問題はないけれども……。
そうは言ったところで、不安なものは不安だ。気休めにもならないとは分かりつつ、とんとんと掌で耳を叩いてみる。もちろん改善するはずもなかったけれど、その最中に術式を伝って声が聞こえてきた。少しだけ意識をそちらに集中させる。最低限の状況も窺えるように。
『さて、一人で戻るとはどういった風の吹き回しだね』
『ちと、訊きてえことがあってよ。――お前らんトコの指揮系統はどうなってんだ? 優先されるのは直属の飼い主の命令か? それとも、一番上の王様か?』
槍を構える風も見せず、ヴィゴさんは気安げな風で黒騎士へと近づいていく。その姿を不思議そうに見やり、黒騎士は首を傾げた。
『どういうことだ? 何を言いたい』
『お前の飼い主の人形遣いと、その上の親玉とで、やってることが違うってこった』
あっけらかんと言い放たれた言葉に、黒騎士はいよいよ目を丸くさせた。淡い光を纏う、赤い眼を。
ヴィゴさんはその赤色を真っ向から見返して、ともすれば淡々として聞こえるくらいの落ち着き払った声音で続ける。
『お前らの一番上は、人形遣いを仲介してライゼルを勧誘してたろ。その割にゃあ、当の人形遣いの行動がおかしかねえかって話だよ。王都じゃあ、あいつの探索魔術を逆探知して反撃してきた。上手く逃げなきゃ、どうなってただろうな。んで、今さっきはいきなり左腕を吹っ飛ばしに来たとよ。それが勧誘相手にやることかってんだ。それとも、あれか? 連れ帰るのは死体でも構わねえって指示でも出てんのか?』
ヴィゴさんが最後の一言を吐き捨てるように言うと、黒騎士は戸惑うように緩く頭を振った。
『いや、そのような話は聞いていない。極北の暴君は、自らの下僕を出し抜いた彼女に興味を持ち、連れ帰れと言った。……そうだな、確かに奴の行動は妙だ。王都でもわざわざ私に彼女を攻撃させた。主の望みを十全に叶えようとするなら、あれは悪手に過ぎる』
『だろ。だから、俺は訊いてんだよ。――お前の優先事項はどっちだ?』
『私は――』
黒騎士は皆まで言わず、顔を天へと向けた。厳しく細められた血の色の眼が、晴れた空を睥睨する。そして、おもむろに右手を振り上げた。禍々しい紋様の刻まれた、あの黒い剣を。
「うわっ!?」
その途端、空のあちこちで爆発が起こった。遠く近く、右で左で。爆音が轟き、爆炎が閃く。まるで空を埋め尽くすかのように。
『これは……奴の仕業か。我々に差し向けられる術式が次々と破壊されている』
先生の声に驚いて、反射的に彼の人がいるはずの方角を見やる。距離がある上に、樹木やら爆炎やらが障害物となって、その姿を捉えることはできなかったけれど。
代わりに、探索の術式が状況を教えてくれた。
『言うまでもあるまい。我々が従えられているのは、王の目的を果たす為。であれば、その意向に逆らうような真似は厳に慎まれるべきだ。――だろう?』
『そうさな、全くもって同意だぜ』
『同意をもらえて光栄だ。であれば、私は王の求めを叶える為、彼女を守らねばなるまい』
きっと、話している二人は揃って悪い笑顔を浮かべているに違いない。そんなことを思わずにはいられない会話を聞いている間にも、大鷲は煙の残る空を悠々と旋回して滑空していく。ただし、目的地は会話の中継元ではない。爆撃を免れ、まだ緑の木々の青々としている一角だった。
大鷲が緩やかに降下していく先――その木陰に、人影があった。
剣を携えた、赤い髪の長躯。呆れたような面差しで、こちらを見上げる灰色の眼。図らずも撒くような格好になってしまっていた、少し前までの同行者。
「本当に君は、私の話を聞かない」
大鷲が地面に降り立つや否やに溜息を吐きながら向けられた言葉に、私はただ鳥の背の上で頭を下げた。
「その件に関しては、全くもって弁明のしようもなく。兄弟子殿の意外な面倒見の良さには、感謝しきりです」
「私は最初から君にはそうしてきたと思うがね」
やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめる仕草には、私もそっくりそのまま同じ仕草を返す。
「さあ、どうでしたかね。――ともかく、いくらか状況も収まってきたようです。まずはヴィゴさんと合流した方が良さそうですよね? じきに敵の黒幕も出てくるはずですし、各個撃破されるよりはと思うんですが……。ラファエルさんは状況をどの程度?」
「粗方は把握しているとも。君の意見にも、ひとまず異論はない」
『では、急ぎ戻るとしよう』
言うが早いか、大鷲が嘴を空へと向ける。翼で空を打つようにして羽ばたき始めると、銀の躯体は徐々に浮かび上がり、瞬く間に十二分な高度を得るに至った。ただし、ラファエルさんを地上に残したまま。
私とラファエルさんは、一瞬無言で上と下から目を見かわした。
「待て、ルカーシュ。私を置いていく気か」
『残念ながら、この鳥は一人乗りだ。稀に二人になることもあるが。目的地は近い、お前の脚なら大して遅れもすまい』
そうとだけ言い残し、大鷲は飛翔を開始する。ラファエルさんが何か言い募っているようだったけれど、その声もすぐに聞こえなくなってしまった。森の緑を切り裂くように飛んでいく大鷲の背で、私は何とも言えない気分になって声を上げた。
「あのー、先生、良かったんですか? 一緒に乗せてこなくて」
『別に差し迫って奴の手が必要だと言う訳でもない。後で追い付いてくるだろう』
「……なんか、反応冷たくありません?」
『教え子を危険な場所に放り込むような輩に対して、その師が寛容な態度を取れると思うのかね』
しれっと発された一言に、一瞬言葉に詰まる。……ええと、その、なんだ。
「即席に近いのにそこまで言ってくれる先生を持てて、教え子は光栄ですよ」
『礼は菓子類で結構だ。この館には食欲の権化が山ほどいる』
返された言葉に、思わず笑う。
「分かりました。無事に生き延びられたら、その時には」




