17:星降りの射手-02
じゅわ、と蒸発する音でも聞こえてきそうな光景だった。
空から降る光の雨に打たれた途端、戦場に蠢いていた屍は糸の切れた操り人形のように倒れ伏していく。操っていた死霊が強制的に引き剥がされ、元の動きもしなければ喋りもしない、ただの屍に戻ったのだろう。
そうして動かなくなった屍は、ざっと七十余り。光の届かないところに逃れたもの、そもそも射程に入れられなかったものも多少は残ってしまったけれど、作戦は概ね――ただ一つの例外を除いて――成功したと言っていいはずだ。当初の五分の一にまで減らせたのだから。
「にしても、さすがに手強い……」
矢をつがえた弓を構え直しながら戦場の様子を見直してみれば、ついため息が出る。
『ふむ、一体やたらに高性能な人形がいるな。カタルテ石で剥がせないとなれば、よほど強固に縛り付けられていると見える』
毎度のお約束で勝手に人の頭の上に陣取ってくれながら、銀の鳥は興味深げな声で言った。私の探索魔術は共有していないから、先生は先生で遠見でもしているのだろう。
私は何とも苦く笑って、軽く相槌を打った。
「まあ、でしょうね。敵の人形の中でも一番強いだろうって人ですし」
先生の言っている人形こそ、カタルテ石の光雨を浴びて尚平然としている例外――目下最大の敵である黒騎士その人だ。
今も敵が一気に減ったのを好機と攻めかかるヴィゴさんの槍を、多少苦戦するような風を見せながらも手堅く凌いでいる。浄化による影響が全くない訳ではなさそうだけれど、どうも効果としてはささやか過ぎるとしか思えなかった。
「カタルテ石の浄化は効かない、矢を射ても中らない。本当、手強くって困るんですけど……先生、何かいい案ありません?」
『ないな』
バッサリ。
抱いていた一抹の期待を一刀両断するような声音に、思わず呻き声が漏れた。
「そ、そこを何とか!」
『何とかしようにも、この距離を隔ててどうにかしようというのが土台無茶な話だ。そもそも、君の役目は彼の人形を仕留めることではないだろう。君の傭兵が対峙しているのなら、彼の援護を考えるべきではないか』
「……ごもっとも」
『まあ、まるで効いていない訳でもあるまい。二、三射れば、もう少しは動きを鈍らせることもできなくはなさそうだが』
「それじゃあ消費に対して、あんまりにも成果が乏し過ぎますよ」
『だろうな。では、どう――』
する、と先生が言うのを頭が痛くなりそうな心地で聞いていたその時、再び雷鳴にも似た轟音が鼓膜を突き刺し、ぐらぐらと塔が揺れた。余りの音に、思わず矢を持ったまま耳を塞いでしまう。それ以前に矢を射るどころか、立ってもいられなかった。窓枠を掴み、ふらつく身体を何とか支える。
「こ、今度は何事です!?」
発した声は、ほとんど裏返っていた。
円を描くように周辺を探っていた術式も、今は黒騎士を射る為に一方向に集中させてしまっている。彼の戦場から離れたところで何が起こっていても、今の私では知りようがない。
『分からん。が、凄まじい魔力を感じる――何だこれは?』
先生の声にも焦りのような色が滲んでいる。どっちの方です、と半ば叫ぶように問うと、頭の上から飛び立った鳥が『こちらだ』とまた違う窓の方へと飛んでいく。まだ塔はひどく揺れていて、私は手を床に突き、這うようにして後を追わねばならなかった。
「ああもう、まだ収まらないの!?」
苛立ちもそのままに毒づき、必死の思いで銀の鳥が降り立った窓辺に向かいながら、ふと気が付く。もしかしなくとも、その方向にはエルフの防衛隊が布陣していたのではなかったか。
その瞬間、ざあっと頭から氷水を浴びせかけられたような震えが走った。考えてみれば、この森を脅かすような何かを仕出かすのは高い確率で敵の本隊か、黒騎士率いる別働隊のどちらかに決まっている。黒騎士の方は既に一度派手にやらかした後で、今さっき大きく戦力も削がれたはず。であれば、敵の本隊が何か仕掛けてきたに決まっている。
ヴィゴさんは黒騎士の相手をするべく行動を別にしているけれど、エルフの防衛隊にはまだシェーベールさんが残っていたはずだ。一体何が起こって、どうなったのか。知りたいけれど、知るのが怖い。ドクドクと不穏に鳴る心臓の音が、やたらに喧しく感じられてならなかった。
這う這うの体で鳥の待つ窓辺に辿り着き、外を見やる。
「何、これ」
そして、絶句した。
空が黒く染まっている。曇っているとかいう次元の話ではなく、一面に墨を塗り込めたような漆黒。その黒色が竜巻のように渦を成して、何度も何度も結界に穴を開けようと打ち掛かっている。あのひどい雷鳴のような音と、凄まじい揺れは黒い渦が結界にぶつかる度発生していたものであるらしかった。
『これはまた――見るからにおぞましいな』
苦りきった声で先生が吐き捨てるのが聞こえる。
その意味は、すぐに理解できた。黒渦と結界が衝突する轟音に紛れて、呻き叫ぶような人の声が聞こえてくるのだ。目を凝らしてみれば、空を覆い、渦を成す黒色の中に苦しみ悶える人の顔のようなものすら窺える。泣き叫び、呻き喚く無数の顔、顔、また顔。
ひしめく死体の群れとはまた違った種の、おぞましさとグロテスクさ。背筋がぞっと震え、息が詰まる。目を逸らしてしまいたいのに、奇妙に魅入られたように視線を外すことができない。
『ライゼル! しっかりしたまえ、今ここで自失してどうする!』
「いったあ!?」
叱咤する声が響いたかと思うと、額が固いもので突かれる。思わず叫ばずにはいられなかった痛撃に我に返れば、目の前でばたばたと翼を打ち鳴らす銀の鳥。ま、まさかその嘴か……!
「せ、先生、割と真面目に痛いです!」
『ならば、悠長に竦んでなどいるものではない。ここまで首を突っ込んだのは、君自身の意思であり、責任だ。生きて帰りたいのなら、気を強く持ちなさい。今は特に、誰も助けになるものがいない』
「……はい」
厳しく告げられる正しい言葉に打たれて、ようやっと冷静な思考が戻ってくる。黙したまま頷き返すと、銀の鳥はそれでいい、と言わんばかりの様子で器用にも首肯してみせ、再び宙を舞って窓辺に降り立った。恐る恐る、という形容は拭えないものの、私も倣ってそのすぐ傍に並ぶ。
相変わらず空は見渡す限り黒一色で占められ、結界は空から穿ち下ろす猛攻に晒されている。泉を守る水鏡の塔による結界は破られてしまった後だから、あれは純粋にアルサアル王が敷いているものだ。あのエルフ王の手による結界が早々に陥落するとは思えないけれど、この音と揺ればかりは尋常でない。
「見守るしかない持久戦って、胃に堪えますね……」
『ともかく、エルフ王が勝ることを祈るしかあるまい。……分は悪そうだがな』
「ですね。それから、あれ、人――が、混じってますよね……」
前方の青空ならぬ黒空を指差しかけ、寸前で手を下ろす。何となく、明確にあれ、と指で示してしまうのが躊躇われたのだ。さすがに指差すくらいで呪いをもらったりはしないだろうけれど、そうなってもおかしくないような異様な空気が満ち満ちている。
銀の鳥はちらりと空へ頭を向けると、嘆きの深い声で答えた。
『単純に人と呼ぶには、些かどころでなく躊躇われるが。おそらくは傀儡に使っていた死霊だろう。多量の魂を贄として、その力の一端でも召喚してみせたか』
「な、何のです……?」
掠れかけた声で問い掛けると、先生が皮肉っぽい声で笑うのが聞こえた。
『君は森のエルフ王と互角に競り合うものに、いくつも心当たりがあるのかね?』
「……ないです。てことは、北の悪神とやら……?」
『ああ。それそのものを呼び込んだ訳ではなさそうだが、一端とて我々にとっては十分すぎる脅威だ』
全くだ、と内心で頷く。
「とりあえず、援護しなきゃですよね。死霊なら、カタルテ石が効くはずですし」
『……君はよくよく豪胆だな。仮にも神と呼ばれるものに弓引く躊躇いはないのか』
「いや、普通に怖いですよ!? 怖いですけど、何もしなかったら、きっともっと悪くなる一方でしょう。だったら、自分のできることをしておいた方が、まだマシってもんじゃないですか」
答えながら、未だグラグラと揺れ続ける床に注意しつつ矢束のところに戻る。取り上げるのは矢――ではなく、残り四つのカタルテ石だ。それから、緑陽石をいくつか。
本当なら、できるだけ温存しておきたいのが本音だったけれど。事ここに至ってしまっては、出し惜しみなどしていられない。今負けてしまっては、それこそ何もかもが台無しになってしまうのだから。
虎の子のカタルテ石を、全部ぶつける。それで少しでも有利に傾くことを祈るしかない。
『それを矢に括って射ると? いくら何でも重すぎるだろう』
まだ揺れの激しい中、再び銀の鳥の留まる窓辺に戻る。鳥は戻ってきた私の姿を認めると、くるりと首を回すように傾げて見せ、怪訝そうな声を上げた。
「まあまあ、細工は流々仕上げを御覧じろって奴ですよ」
そうとだけ答え、床に片膝を突いた。握りしめていた弓は傍らに置き、腰のベルトから短剣を鞘ごと引き抜いた後で、刃を抜き放つ。もっとも、使うのはそちらではない。今回使うのは、鞘の方だ。
鞘はところどころがミスリルで補強され、特に先端が厚く装甲されている。カタルテ石も緑陽石も脆い性質でこそないけれど、さすがにミスリルには遠く及ばない。床に並べた石へ先端を下に向けた鞘を打ち付けると、容易に割ることができた。
かん、かん、かん、と鞘で石を打つこと暫し。それぞれが親指の爪くらいまでに砕けたところで石を集め、手早く矢と一緒に魔力を通す。概ね馴染んできたことろで、意識を集中。軽く目を閉じて、求めるもののイメージを固め、強く思い描く。
――それは、輝ける一矢。空を覆う黒色を裂いて貫く流星のような。
ひとしきり沈黙が落ちた後、不意にバチリと手元で魔力の弾ける感触が走った。目を開けて見下ろしてみれば、手の中にはいつの間にか一本の矢が収まっている。
白く透き通った結晶で形作られた、元の形より一回りは大きな矢。全体的に緩やかな流線型を思わせる造形で、内側から淡く発光している矢尻はいかにも鋭利な抉り貫く螺旋状。その一方で、矢羽にあたる突起だけは薄く溶いた絵具をさっと刷いたように、ほの明るい緑陽石の色が差していた。
「ひとまずは及第点、かな」
一通り検めてはみたものの、造形においてはそう問題点もなさそうだ。上手くカタルテ石と緑陽石も混ざって馴染んでいるようだし、脆さも感じない。
ほっと小さく息を吐き出しながら、鞘に収めた短剣をベルトに差し直す。弓を手に取るついでに、変成されきらずに残った小さなカタルテ石の欠片も回収しておいた。もしかしたら、後で何かに使えるかもしれないし。何たって貴重な魔祓いの石なのだし。
『なるほど、見事なものだ』
粗方の後始末を終えて立ち上がると、そんな声が聞こえてきた。
「ありがとうございます」
にやりと笑って、ちょっと見栄を張るような気分で答える。私は魔力を素にして一から何かを作るのは苦手だけれど、既にあるものを加工するのは意外にそうでもないのだ。
『後は中るかどうか、か』
「ですね。――まあ、折角準備も整いましたし。一丁、やってみますか」
応じて心機一転、弓と矢を持ち直して構えを取る。一時とて落ち着かない足元は厄介極まりなく、相応に重くなった矢に四苦八苦する有り様ではあったけれど、どうにか弓につがえることはできた。
となれば、次は標的の設定だ。本来なら、正確に標的を捉える為にも探索魔術の範囲指定の再設定をしなきゃいけないけど――まあ、この際別にいいか。空一面が目標みたいなものだし。細かな狙いは、この弓が上手いこと調整してくれるだろうし。
よって、探査術式は敢えて変動無し。弓を引くことに集中する。ギリギリと音を立てて、弓弦を引き絞る。遠く見据える空は今も真っ黒く塗りこめられ、その中で死霊が悶え叫び、狂ったように呻いている様が嫌でも目に入ってきた。本当、ひどい光景だ。どうかしている。後で夢に見そうだ。
うんざりした気分で唇を舌先で舐めてから、最後に一つ深呼吸。いつまでも、うだうだと要らぬことに思考を割いている訳にはいかない。吸って、吐いて――よし、これで腹は括った。覚悟も決めた。後はもう射ることに全身全霊を注いで、そして放つだけ。
「開式、爪弾く私は汝へ告げる」
出だしは低く、徐々に強く声を張って唱えていく。
かつて死ぬ前の私は、実家に棚も仏壇もあれば、クリスマスもハロウィンもバレンタインも便乗する典型的な日本人だった。墓参りや寺社仏閣詣でには度々出向いたことがあるものの、実のところ信心なんて言われてもよく分からないし、宗教なんてものを明確に意識したこと自体あったかどうか。だから、その言葉の深い意味や本当の意図は理解できていないと思う。
ただ、それでも。その言葉は、とても今この場所に相応しい文句であるような気がしたのだ。
「土は土に、灰は灰に、塵は塵に……」
死して尚迷うもの。本来あってはならないはずの姿。それらがあるべき姿へ戻り、あるべきところへ至る為には。
「――夜を穿つ陽光の矢!」
ごっそりと魔力を消費する感覚に、軽く目眩を覚える。それでも放った矢の軌跡ばかりは、黒空を背景にくっきりと浮かび上がってよく見えた。
音と風とを裂いて、白い矢が虚空を突き進んでゆく。螺旋の尾を引きながら、まっすぐに漆黒の空へ。
矢の飛翔していた時間など、実際にはほんの数秒にも満たなかったのだろう。けれど、私にはまるで数分にも数十分にも感じられた。
空から降る黒渦が結界を打つ。凄まじい衝撃に震えながらも、辛うじて結界は持ち堪える。私が狙ったのは、その直後の一瞬だ。
結界が打突を耐え抜き、黒渦が根負けしたように解ける。そうして次の渦が編成されるまでの、ごくわずかな時間。その合間だけ、この場所から空に向けての射線が通る。
祈るような気持ちで、私はその時を待った。カウントダウンなんてできない。もう矢は光の粒のように小さく遠ざかってしまった。つられて緊張しているのか、銀の鳥は窓辺から微動だにせず、先生もまた一言も発さずにいる。
――そして、来るその時。
「やった……!」
私は拳を握り締めて、低く声を上げた。
新たに結界へと殺到する渦の真下をすり抜けて、矢は過たず空へと至った。一際眩く輝いた矢は真昼のように辺りを照らし上げると、落雷じみた音を立てて青空へと突き抜けて見せたのだ。矢の穿ち抜いた後――森の上空を覆っていた黒色にはぽっかりと巨大な円い穴が空き、本来の青空が顔を覗かせている。
いつもの空。青い色。陽光に照らされる森の緑。
何の変哲もないものに、これほどの安堵を覚えたことがあっただろうか。加えて、それをやり遂せたのが他でもない自分なのだという事実が、深い達成感となって気分を昂揚させている。久しく覚えがないくらい浮かれている自覚も、ないではなかった。
その勢いのまま、窓辺の鳥を見やる。
「先生、ほら、見えました? 上手く行き――」
口早に言い掛けた途中、不意にぞくりと背筋が震えて声が詰まった。極度の興奮ですら、一瞬で冷めてしまう。それほどまでの違和感、或いは緊張感。もしかしたら狙いを付けられた獲物はこんな気持ちになるのかもしれない、とろくでもないことまで考えてしまうような。
嫌な汗が頬を伝う。今や全身が強張っていた。先生が『どうした?』と訊ねてくるのにも答えることができない。自然と息を殺していた。何かが背後から忍び寄ってくるような怖気。
―― み つ け た
そして感じたのは、まるで耳元で囁くような、声だった。




