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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
71/99

16:水鏡の塔の崩壊-06

 断続的に上がる、地鳴りを伴う強烈な爆発音。それが何故のことであり、どこで起きたものなのか、気にならない訳ではない。しかし、今現在において最も重要なことは、目の前に対峙する軍勢を押し留め続けることである。ヴィゴは厳しい眼差しを正面に据えたまま、大きく声を張り上げて問うた。

「おい、何が起こってる!?」

「――やられた! こちらは陽動だ! 我々をこの場に引き付けている間に、別働隊が側面に回っていた。結界に直接攻撃を仕掛けられている!」

 返ってきたのは、苛立ちと焦りが如実に表れた怒鳴り声だ。冷静沈着の権化のようにすら思えた、あの指揮官がこれほどまでに感情を露わにしている。ヴィゴはしかめ面で溜息を吐いた。これは随分と厄介なことになったらしいと、認めざるを得ない。

 眼前に居並ぶ軍勢は、相当数を打ち倒したはずなのに未だ数が減ったように見えない。その奥を透かし見るように目を細めながら、

「なるほどな、てめえはよっぽど飼い主に期待されてねえ訳だ」

 これ見よがしに言って見せたのは、露骨な挑発である。乗ってくるか、無視するか。相手の反応は読み切れないが――

「何だと?」

 意外にも、反応はすぐに返ってきた。未だかつてなく低い、不機嫌さをにじませた声で。

 もしや、何か図星を指したか。ヴィゴはにやりと笑ってみせる。

「何だ、本当のこと言われて怒ったか? 別働隊ってのは、どうせあの黒い鎧野郎が率いてんだろ。てこたあ、てめえは奴より格落ちと見られた訳だ。本命を任せるには、腕が――それとも器か? 何でもいいが、まあ、そういうもんが足りねえと」

「黙れ。多少腕が立とうと、口の軽い軽薄極まりない駒が何の役に立つ。奴ではこの場を支えきれん――いや、支えようともすまい。それでは石にも劣る。あの方は、そう判断されたのだ」

 吐き捨てるような声を聞きながら、ヴィゴは静かに思考を巡らせた。

 黒騎士が、隙あらば主である人形遣いを裏切ろうと――或いは自壊しようとしていることは知っている。本来ならば敵方であるはずの自分たちへ、敢えて有用な情報を残していったのも、一度ばかりのことではなかった。仮に今この場で指揮を執っていたとしたら、早々に別働隊が結界破りに動いていることを明かしてくれていたことだろう。

「……つーことは、てめえがあの野郎の言ってたイカレ野郎か。人形遣いに忠義を誓ってるだとかいう」

 逆を言えば、常に情報漏洩の危険のある黒騎士に代わって配置されたのなら、あの鈍色の騎士はその危険性がないと判断された人材であるに他ならない。人形遣いに味方する死霊傀儡が現れたことも、既に他でもない黒騎士の口から明かされていた。

 努めて軽い風の口調で言ってはみせたが、ヴィゴは内心苦虫を噛み潰したような気分だった。

 黒騎士が人形遣いの手勢の中で最も戦闘に長けるのならば、今回軍勢を率いる騎士はそれよりは容易な相手ではあるのかもしれない。さりとて、問題はそれ以前にあった。これまで彼の騎士が剣を抜く機会を得ていないように、そもそも戦闘に巻き込めていない。なるほど、この場を指揮するのならば戦闘能力は関係ない。必要なのは、確実に作戦を成功させる堅実さと忠実さ。黒騎士が外されるのも道理だった。

 適材適所って奴か、と呟いたヴィゴの声は呻くにも似ていた。

「レインナード、退け! この場は我々で押し留める。足の速い者を連れて、別働隊の排除に向かえ!」

「……クソッ、了解!」

 背後から降りかかる指揮官の声に、今や否やとは答えられなかった。苦々しげに吐き捨て、ヴィゴは踵を返す。その自陣へとひた走る後ろ姿へ向かって、再び号令が轟いた。

「ふん、何をほざこうと結末は変わらん。――全軍、進撃再開せよ!」




 * * *




 ラファエルさんに曰く、ちょうどエルフの里と泉を直線で結んだ辺りが戦場となっているらしい。よって、私達は敵に気付かれない距離を取って戦場を迂回し、泉を目指さなければならなかった。そうすれば当然のこと、どれだけ急いでも余分に時間はかかる。

 とはいえ、幸いなことに道中は敵の斥候に遭遇することもなく、なんとか泉を守る最終結界までは無事に到達することができた。結界の中に入ってしまえば、脅威の度合いも格段に下がる。後は結界沿いに辿って防衛隊に合流してしまえば、まずは最初の難関を突破したことになる。最大の難関でも、最後の難関でもないのが惜しまれるけども。

 何はともあれ、遠く爆発音やら剣戟の音やら物騒なものが聞こえてはくるものの、結界の中は大絶賛大規模交戦中という現状の割には静かなものだった。これまで走ってきた森の中とは些か趣が異なり、人――というか、エルフの手で整備されているような様子も窺える。

 競うようにみっしりと生え並んでいた木々は目に見えて数が減り、ある程度雑草も刈られているようで、驚くほど見通しがいい。お陰で、足を取られる頻度も激減した。鬱蒼とした森というよりは、定期的に手を入れて整えた林とでも評すべき様子だ。

「これ、さっきからちょくちょく見かけますね」

 そして何より、ちらほらと人工的な建造物の姿が見られるのだ。

 パッと見、それは石造りの塔か柱のように思われた。規模としてはミニチュアの灯台というか、火の見櫓に毛が生えたくらいの小さなものだ。一応人が出入りは想定されているらしく、壁をくり抜いただけの穴状態ながら、出入り口も設けられている。

 中の様子はよく見えないけれど、外観から想像するだけでも居住性は無いに等しい。尖った円錐状の屋根のすぐ下――塔の最上部は四方の壁がない吹き抜けで、何やら青い光がほのかに漏れ出しているのが見えた。おそらくだけれど、用途は見張り台とか、観測台とか、そんなところだろう。

「ふむ、どうやら泉を守る結界は二重構造になっているようだ。王の敷くものと、この塔を基点にして構築されたもの。念には念を入れて、ということだろう」

 私が声を上げたからか、数歩先を走るラファエルさんもちらりと塔へ目を向け、すぐに逸らした。

 わざわざ調べてくれたのか、解説までしてくれたけれど、その走る足が止まることはない。私にしても、塔を眺めていて得られるものがある訳でもなかった。好奇心的に調べてみたい気はしないでもないけれど、明らかに今することではないし、そもそも今後二度とこの場所に足を踏み入れることもないはずだ。であれば、気にしても仕方がない。

 塔から視線を外し、ラファエルさんの後を追い駆けることに集中する。容赦のない行軍は、気を抜くとすぐに先を行く背中との間に距離ができてしまうのだ。脚力強化の類の魔術にもう少し長けていたら、いくらか余裕もできたのかもしれないけれど。生憎と私はそちらの系統の魔術がそれほど得意ではない――足を速くするとか、腕力を強くするとか、どうも上手くイメージができないのだ――から、殊更気を付けなければいけなかった。

 そんな状況ではあれど、幸いまだ息が上がるほどに辛くはなっていない。この分なら、何とか目的地までついていけそうだ。こっそりと安堵の息を吐こうとした――その時。

「うわっ!?」

 突如、凄まじい轟音が鼓膜を突き抜けた。どおん、ごおん、と響き渡る音に驚く間もなく、揺れる地面に足元がすくわれる。

 元々本来の肉体的スペックでは無理な高速走行中だっただけに、その影響は大きかった。派手につんのめり、危うく顔から地面に激突するところを、間一髪振り返ったラファエルさんに腕を掴まれて免れる。

「あ、危な……。すみません、助かりました」

「いや、それよりも厄介なことになってきたようだ」

「厄介、というと……?」

 問い掛けながら、頬が引き攣るのを感じた。

 これまでにも断続的に、似たような音は聞こえてきていた。けれど、それはあくまでも近くない距離を感じさせる程度には隔たっていて、ここまでひどい――恐怖を覚えるほどのものじゃなかった。

 物理的な圧力さえ感じられそうな激しい爆発音と、多少は弱まったものの地面の揺れは、まだ断続的に続いている。ラファエルさんは苦々しげな表情を浮かべ、掴んでいた腕を離した。また片目を閉じているところを見るに、眼を飛ばして状況を確認しているようだ。

「敵にしてやられたな。屍の大軍勢をこれ見よがしに差し向けて防衛隊の注意を引く一方で、隠形した別働隊が結界への直接攻撃に動いていた。傀儡化した屍が、防衛隊の手の届かぬところで次々と結界に向かって突撃と自爆を繰り返している」

 ため息交じりの言葉に、ぞっと背筋が震える。現場の惨状を思うと、吐き気がしそうだった。そんなもの、想像するだに恐ろしい――というか、想像もしたくない光景だ。

「防衛隊でも、その動きに気付いて何人かが現場に向かっているが……この分では間に合うかどうか」

 ラファエルさんの言葉を聞きながら、ふと視界の端に過ったものに意識が引かれる。

 ついさっき通り過ぎた、あの青い光を零す塔。振り返って見てみれば、その最上階から漏れ出す光は眼を焼かんばかりの眩さに変じていた。そればかりではなく、塔そのものが小刻みに震えている。まるで今にも崩れ落ちてしまいそうな勢いだ。

 思わず、はっと息を呑んだ。あの塔が結界の礎を成しているのなら、損なわれることで導き出される結果は一つに決まっている。それは、絶対に、まずい。

「――ライゼル!?」

 気付けば、走りだしていた。慌てた風で呼ぶ声を背中に聞きながら、塔に向かって真っすぐに戻る。

 人ひとりがやっと通れる程度の穴をくぐって塔の中に飛び込んでみると、予想外にがらんとしていた。床には薄青く発行する魔術陣が描かれているだけで、階段も梯子もない。ただ、陣の中央には円いくぼみがあった。まるで何かを嵌め込むような――

「御印!?」

 閃いた瞬間、ポケットから取り出してそれを床のくぼみに押し込んでいた。追い駆けてくるラファエルさんが塔の中に踏み込むよりも一瞬早く、御印を嵌め込んだ陣が強く光る。一瞬浮遊感に包まれたかと思うと、もうそこは全く違う場所だった。

 狭い小部屋。周囲は四方に壁のない吹き抜け。随分と数の減った木々は眼下に見え、遠くに黒々とした爆炎が空に向かってたなびいている。どうやら、塔の最上階に転送されたとみて間違いなさそうだ。

 部屋の中央には、青く輝く水盤が浮いている。……そう、浮いているのだ。底の浅い、円い水盤。それが何にも支えられず宙に浮かんでいた。外から見えていた青い光は、この水盤が放っていたものなのだろう。眩し過ぎる光に四苦八苦しつつ、近寄って覗き込んでみる。

 水盤の中には、意外にも何もなかった。何一つ沈んでいるものも、浮かんでいるものもない。ただ透き通った水ばかりがなみなみと湛えられていた。恐ろしく澄みきった水は、まるで鏡のように鮮明に私の顔を映し込んでいる。

 結界の基点になっているからには、何かそれっぽい道具が置いてあるんじゃないかと思っていたのだけれど……。

「もしかして、これ?」

 恐る恐る手を伸ばし、指先を水面につける。――途端、頭の中に膨大な情報が飛び込んできた。

 反射的に目を閉じ、雪崩れ込むそれらを選り分ける。結界の構築状況。基点となる塔の様子。地中から引き上げる魔力量とその循環経路。……ええい、今はそんなことはどうでもいいんだ。結界自体の強度を上げるとか、集中させるとか、そういう実践的なことであって!

 余計な情報は、努めて意識せずに払い除ける。前に浮遊島でやってしまったように、許容可能量を超えた情報を受信して昏倒してしまうようなことになっては、目も当てられない。

「もう、まどろっこしい……!」

 ひたすらに取捨選択を繰り返すこと暫し、ようやっと求める情報が見つかった。

 どうやら、結界が攻撃を受けているのは一か所だけのようだ。攻撃を加えているのは別働隊だというから、本隊の方は何とか防衛隊が食い止めてくれているのかもしれない。とは言え、既に攻撃の加えられている部分は消耗が激しく、いつ破られてもおかしくないような具合だ。

「敵がいない部分をちょっとだけ薄めて、補強に回すしかないか……」

 さすがに地中から吸い上げる魔力量を増やす、なんて根本的な部分をいじる権限まではないらしかったので、配分量の操作で対応するしかない。具体的には、攻撃を受けている箇所に集中させて、一時的な結界の強化と補修。

 水盤はそのまま操作盤でもあるらしく、目的を意識するだけで自動的に必要な施術は行ってくれた。結界を攻撃していた側にすれば、あと少しで破れそうに見えたところで急に修復が施されて、きっと驚いているに違いない。若干、してやったりな優越感がなくもない。

 もっとも、所詮はその場凌ぎの応急処置でしかないので、そんなに楽観している訳にもいかないのだけれど。防衛隊から派遣された人たちが、どうにか間に合って食い止めてくれることを祈るしかない。……うーん、念の為もう少しだけ、攻撃されてる場所に強度を集中させておこうかしらん。

 そんなことを考えながら、目を開いて水盤を見下ろす。

「……え?」

 その瞬間、平らに静まり返っていた水面が俄かに波立ったかと思うと、黒い線が走った。

 まるで、鋭利な刃物で斬り断たれたかのように。まっすぐ一線。一閃。

 白い円盤に、ぴしりと亀裂が入る。その音を聞く。黒い線がそのまま切断線になって、ぱっくり二つに割れる。割れた器が床に落ちて更に細かく砕け、宙に投げ出された水は床を濡らして飛び散る。

 私は呆然として、その光景を見下ろしていた。余りにも衝撃的というか、急すぎて何が分からなかったというか。とにかくぽかんとしてしまっていて、水盤を受け止めなきゃ、なんて発想は微塵も浮かばなかった。完全に思考が停止してしまっていた。

 そのせいで、我に返った時にはもう何もかもが遅かった。覆水盆に返らず。まさにその通りだ。床どころか塔そのものが激しく震え、形作る石の一つ一つが緩み、瓦解していく。水盤に触れていたお陰で、その意味を正確に理解できてしまったのは、喜ぶべきなのか否か何とも言えない。ただ最悪の事態に陥った不快感と、今更になって一抹の恐怖が込み上げてきた。

 ああ、と吐息が漏れる。嘆息のような、ため息のような。脳裏で、最後に水盤から伝わってきた情報が反芻された。

 泉を守る、水鏡の塔の崩壊。――すなわち、結界の消失。

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