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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
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02:女教皇は闇に棲む-02

 傭兵ギルドは、一見して酒場にも見えるような佇まいの木造の建物だった。夕暮れ前でまだ人気が絶えるには早いはずなのに、周囲にはさっぱり人影らしきものが見えない。大通りからは外れているとはいえ、そこそこに大きな道に面しているので、人通りが乏しいはずはない。

 この世界では、危険な動物やモンスターの生息する野山に生える植物や鉱物が入用になった際、自分で赴く代わりに傭兵に採取の代行を依頼すると言う選択肢は、割とポピュラーなものだ。そうであるくらいには、傭兵の社会的な認知度も低くはない。けれども、やはり武器を取ってそれを振るうことで金銭を稼ぐと言う行為は、やはり一般的に考えると恐ろしく思えるものだし、だから用事のない人は近付かない風潮でも出来ているのやも知れない。もっとも、そういった事情など無く、単に寂れているだけかもしれないけれども。

 そんなことを考えながら、深呼吸をして見るからに頑丈そうな扉を開ける。キィ、とかすれた音を立てた開いた扉の奥からは、がやがやと賑やかな話し声が聞こえてきた。

「お前たち、ここは酒場じゃねないって何度言えば分かるんだね」

「おいおい、人聞きが悪いな。分かってるさ、分かってるからこうやって自前で酒瓶持ち込んでんだろーが」

「そーだそーだ! 自前だ自前!」

「阿呆! 馬鹿言ってんじゃないよ、尚悪いわ!」

 扉の中には、ぽっかりとした空間が広がっていた。まさしく酒場のようなカウンターと、広いフロアに乱雑に置かれたたくさんの机と椅子。カウンター近くの壁には大きな掲示板があり、何やら書き込みのされた紙が所狭しと貼り付けられている。あそこに持って来られた依頼が掲示されているのかもしれない。

 カウンターの中には、鮮やかに赤い髪の女性が立っている。細身の煙管を片手に堂々とした佇まいで、テーブルに三々五々座る男性――若い人も老齢に近い人もおり、年齢層はまちまちだ――を怒鳴りつけている様からすれば、彼女がギルドの管理者なのだろう。おそらく歳は三十半ば、どれほど多く見積もっても五十には届かない。そんな女性が傭兵を統括しているというのは、少し意外だった。

「――って、ありゃあ? お嬢ちゃん、どうしたんだい。まさか依頼かね?」

 その女性が、私に気付いて素っ頓狂な声を上げた。とりあえずおいでなさいよ、と手招きをされたので、その言葉に従ってカウンターに向かう。その途中で「おい、ありゃ魔術学院の学生服だぜ」「てことは貴族か?」「貴族がなんでここに?」と囁き交わす声があちこちから聞こえたけれど、女性が一睨みするとすぐに聞こえなくなった。

「喧しい外野は放っておいてだね、確かにそのナリは学院の生徒さんのようだけど――ウチは傭兵ギルドだよ。傭兵に何か用事でもおありかい?」

「用事――依頼を出すのか、ということであれば、違います。近々お願いする予定ではありますが、今すぐにという訳ではありません。今日は、ええと……知人? を、訪ねてきただけで」

「知人?」

「ヴィゴ・レインナードさんはいらっしゃいますか?」

 問いかけると、女性は澄んだ青色の眼を真ん丸くさせた。



「お? ライゼルじゃねえか、どうしたよこんなトコで」

「馬鹿、そんな挨拶があるかい! わざわざアンタを訪ねてきてくれたんだよ!」

 外出していたレインナードさんが戻ってきたのは、カウンターの席を勧められるまま座り、傭兵ギルドを訪ねるに至った経緯をちょうど一通り説明し終えた頃のことだった。

 幸か不幸か、やはり昨日の一件は人目を引くこと甚だしかったらしく、話をすると「ああ、昨日の」という反応をする人が少なくなかった。正直居た堪れないどころではなかったので、あの馬鹿息子は可及的速やかに性根を入れ替えるべきだと切実に思って止まない。まあ、そのお陰でいくらか同情票をもらえたというか、今後ギルドに出入りしても白い眼を向けられることは無さそうな空気になってくれたことには、少しだけ感謝……しなくもない、ものの。

「俺を訪ねてきたって――あ、アレか? 何か護衛が必要になったとかそんなんか?」

 言いながら、レインナードさんは外から戻ってきたその足で、私のすぐ隣の席に腰を下ろした。日本ではよほど混んでいない限り何かと一つ席を空けて座ることが多かったような気がするし、クローロス村は村そのものが一つの家族のようなところがあったから、その行動は何だかひどく新鮮に感じられた。……いや、日本でもこの世界でも田舎に生まれ育った私が知らないだけで、都会ではそういうのも普通なんだろうか。別に普通じゃなくてもいいけれども。

「一応、近々その予定もあることにはあるんですけど、今日は別件で」

 そう言うと、レインナードさんはきょとんとした顔で首を傾けた。

「昨日、随分とお世話になりましたから。改めてお礼をと――学院から来る途中で買ったので、ささやかですけど」

 持参した菓子折りを差し出すと、レインナードさんが今度は両目をぱちぱちと瞬かせる。

「……ヴィゴ! ぼけっとしてないで、何とか言ったらどうだい!」

「お、おう!」

 カウンターの主であり、ギルド長でもあるスヴェアさんが大きな声を出すと、レインナードさんはやっと我に返ったらしかった。私が差しだしたお菓子の箱を受け取っては、困惑したような居心地の悪そうな、何とも言えない表情で頭を掻く。

「なんつーか、本当に子供らしくねえっつか、大人びてんな」

 呟きにはただ笑うだけの反応を返すに留めた。大人として扱われず、大人としての対応を求められない以上、二十三歳の頃から大人として成長できている気は余りしないけれど、さりとて子供らしく振舞えているかと言われれば、それもできていないような気はしていた。

「昨日もさんざもてなしてもらっちまったし、ありゃあ俺が俺の為にやっただけだから、そう気にしてもらうこともねえんだけどな」

「まあ、それはそれ、これはこれ。こっちは私の気持ちという奴で」

「気持ちかー。そんじゃ、有難く頂いとくわ。そん代わり、依頼があった時ゃあ全力でやるんで、期待しといてくれ」

 にかりと笑んで見せるレインナードさんに頷き返すと、今まで会話に耳をそばだてていた傭兵の人たちの中から声が上がった。

「学院の生徒が傭兵に依頼する用事とは、どんなものだ? 今だかつて聞いたことがないのだが」

「直近で予定しているのは、エルヴァ地下迷宮の探索の護衛と先導ですね。学院の課題で必要になる鉱石を取りに行かなくちゃいけないんです」

「買えるものではないのか?」

 声のした方を振り向きながら答えると、質問をした声が重ねて問い掛けてくる。

 短い黒髪に淡い黄緑の眼をした、レインナードさんと同じくらいの歳の男性だった。

「百ルマーグあたり三万ネルで、最低五百ルマーグ、失敗することを考えたらその三倍くらいは欲しいんですが」

 そう答えると、しんとした嫌な沈黙が流れた。傭兵の人たちが何やら察したような顔で目を見かわしているのも気まずい。

 因みに、ルマーグはこちらの世界――アシメニオス王国における重さの単位、ネルは通貨単位だ。日本で言うグラムと円がそのまま名前だけ変わったようなものなので、単位に戸惑うことがなくて非常に助かっている。

「何と言うか、その、すまない……」

 問い掛けてきた男性が律儀にも頭を下げてくるので、思わず苦笑する。

「いえ。ある程度予期して備えては来たんですが、入学早々そんなに出費するとなると、後々困りそうじゃないですか。なので、迷宮の探索ついでに何か換金できるものでも回収してこようという、そういう魂胆な訳です」

「成程な。学院の生徒になったらなったで、また苦労があるという訳だ」

 そういう訳です、と応じてから、レインナードさんに向き直る。

「課題の提出は来月の二十日なので、できれば今月中に採取しておきたいのですけど。ご都合はいかがですか?」

「都合なあ……特に今んとこねえけ――どぉ!? な、何だよ!?」

 レインナードさんが言っている最中、スヴェアさんがいきなりカウンターを勢いよく叩き、その声が引っくり返る。何か気に障るようなことをしただろうか。私もギョッとしてスヴェアさんを振り返ると――そこには、何故か、妙にいい笑顔が。

「さあて、ここでガラジオス傭兵ギルド長から提案があるんだけどねえ。聞くかい?」

 妙な笑顔のまま、スヴェアさんが殊更もったいぶったような口振りで言った。レインナードさんと顔を見合わせた末、とりあえず頷いて見ると、カウンターに叩き付けられていた手がゆるりと宙に持ち上げられる。その仕草でひらりと翻るのは一枚の紙で、どうやら手ではなくこれをカウンターに叩き付けた恰好であったらしい。

「今月末までにエルヴァ地下迷宮でノレクト鉱石採取の依頼がある」

 ……もしかして。

 そう思ったことが顔に出たのだろう、私を見るスヴェアさんは一層にやりとした。

「お、ライゼルは『もしかして』って顔をしてるね。察しがいい子は好きだよ。ヴィゴは――その間抜け面……。アンタ、本当に戦いのこと以外になるとからきしだね」

「うっせ、ほっとけ」

「じゃあ、猪突猛進のお馬鹿にも分かるように話してあげようかね。ライゼルが入用のものを取ってくるついでに、ノレクト鉱石を取って来てくれれば、ウチは依頼が一つ片付く。アンタたちは依頼の報酬も手に入る。悪い話じゃないだろ?」

「要するに、俺が迷宮での依頼を遂行するのにライゼルを同行させる態にして、護衛料金をチャラにしたらどうよって話だな?」

「ま、そういうことだね。――で、話の肝はここからなんだが」

「あ? まだ何かあんのか?」

「お馬鹿。それだけの話の為にここまでもったいぶる必要があるかい。――ライゼル、学院の他の生徒は、基本的にどういう風に課題に必要な材料を集めるんだい?」

「第一が、お金で買う。第二に……多分、私兵というか、子飼いというか、そういうものを派遣して集めさせるんじゃないですかね」

「そう、それが順当なところだ。貴族と言ったって、実際にはピンキリだ。誰もが誰もセッティみたく羽振りがいい訳じゃないからね。――だから、絶対に第二の手段に出てくる家はあるはずなんだよ」

 スヴェアさんの笑顔がそれまでのからかうようなものから、まるで獲物を前にした肉食獣のようなものへ変わる。……成程、と思った。

「その第二の手段に出そうな家の生徒に、それとなくギルドのことを話せばいいんですね? ギルドにはどこそこでの採取に長けた人材がいる、とか」

「正解! さすが、学院に入るだけのことはあるね。貴族連中は、基本的にウチを使いたがらない。信用してないからね。けど、ライゼルが実際にウチを使って材料を集めてるって分かれば、金に困ってる家であればあるほど考えるはずだよ。だから、ライゼル、アンタにはきっちり必要なものを集めて、それを堂々見せびらかせて他の連中の前で使ってくれないかい? そうやって広告塔になってくれりゃ、依頼の報酬とはまた別に金一封出すよ。どうだい?」

「やります」

「おやおや、良い返事だね」

 スヴェアさんは少し驚いたような素振りをみせるものの、私としては、そりゃあもう全力で即答もしようというものだ。実質ほとんど労力ゼロの+αなのだから。稼げるなら稼げるうちに稼いでおいた方がいいに決まっている。

「ライゼルは乗った、って訳で、ヴィゴ? アンタもライゼルの『広報活動』の手伝いをしてくれるなら、同じように金一封出すけど?」

「……別に乗るにやぶさかじゃねえけどよ、なーんか良いように使われてる気がすんだよなあ」

 渋い表情で、レインナードさんはスヴェアさんを見やる。値踏みするようなその視線にも、ギルドの長は泰然として笑うばかり。案の定、と言っていいやら悪いやら分からないけれど、溜息を吐いて先に視線を逸らしたのはレインナードさんだった。

「分かったよ、ここで手を離すのも癪ってもんだ。やりゃいいんだろ、やりゃあよ」

「ハッハッハ、アンタのその妙にお人好しなところ、アタシゃ結構嫌いじゃないよ」

「そいつはどーも」

 やれやれ、とレインナードさんは肩をすくめる。その仕草に余りにも緊張感が欠けて見えたので、思わず「ちょっ」と間抜けな声が口をついて出た。

「え、いや、良いんですかレインナードさん? これ、多分どころじゃなくてかなり長期の話になりますよ?」

「そりゃ分かってるけどよ、今更引けねえだろ」

 唇をへの字に曲げて、むっすりとレインナードさんは言った。

 そういう問題だろうか、とは思うものの、そういう問題だと思っているから、売り言葉に買い言葉のような有り様で話に乗ってきたのだろうし。何と言うか、昨日手伝ってくれたこともそうだけど、中々に独特な思考回路かも知れない、この人。……それが「お人好し」ってことなのかもしれないけれども。

 ――とは言え、一応全て仕事としてのことであるのだし。本当に嫌になったら、辞退するなり何なりしてくれるだろう。スヴェアさんにしても、そこまでレインナードさんに強要する理由はないはずだ。

 それから私はレインナードさんと一緒にスヴェアさんの手引きで諸々の契約書を作成し、エルヴァ地下迷宮の探索についての軽い打ち合わせをしてから、ギルドを辞すことになった。……なった、のだけれども。

「あー、真っ暗」

 気付けば、すっかり日は落ちて、外は夜になっていた。これはまずい。大変に宜しくない。帰るのがおっそろしい!

「ありゃ、こいつはしくじったね。ヴィゴ、送ってってあげな!」

「へいへい、言われねえでもそうするつもりだよ。行くぞー、ライゼル。ついでにどっかで飯でも食ってこうぜ。差し入れもらった分、奢ってやらあな」

「え、いや、そこまでは……」

「いーからいーから、気にすんな。そんじゃ、行ってくらあ」

 レインナードさんは私の手を掴むや、さっさと歩き出す。

「ちょ、待って――あ、それじゃこれで失礼します。色々と良いお話をありがとうございました!」

 引っ張られながらどうにかお礼を言って、ギルドを出た。

 宿までの帰り道で食べたのは、ガラジオス名物の香草イーロタを使った鳥の蒸し焼きを野菜と一緒に挟んだパンで、レインナードさんが露店で買ってくれた。初めて食べたけれど、イーロタの柑橘類にも似た独特の匂いが風味を引き立てていて、いくらでも食べられそうなほど美味しい。

「むぐ、美味しいですねコレ」

「だろ、俺のお気に入りでよ。てーか、こうやって露店とかで買って食べるとか、やっぱしねえもんなのか? やっぱ学院で禁止とかされてんのか?」

「いや、そう言った規則を聞いた覚えはないんですけど。こう、単純に何となく寄らないでいたというか」

 食事代をケチっていたというか、とまでは言わないけれども。

 ふーん、と同じようにパンを食べながら相槌を打っていたレインナードさんが、不意に「じゃあ」と言って私を見下ろした。まるで悪戯を思い付いた子供のような笑顔を浮かべている。

「これから暇を見て美味い飯屋とかでも案内してやるよ。折角王都に来てんだ、名物とか食っとかねえと損ってもんだろ?」

「へ? まあ、そうですかねえ……。じゃ、ご迷惑でないなら、宜しくお願いします」

 軽く頭を下げると、おう、とレインナードさんは屈託なく頷く。

 昨日からどうにも思いもよらない目が出続けているような気がするけれど、王都や採集先に詳しい人物と知り合えたというのは、喜ぶべきことなのだろう。……美味しいお店も、単純に気になるし。

 それからレインナードさんとは、また明日の午後傭兵ギルドで打ち合わせをする約束をしてから、宿の前で別れた。



   * * *



「……姐さん、どういう風の吹き回しだ」

「おやおや、その口振りじゃ、まるでアタシが何か企んでるように聞こえるじゃないか」

「企んでいるのではないのか」

「何だい、騎士気取りかい? そう怖い顔をするもんじゃない。……ヴィゴは確かに腕が立つ。けど、アンタも知ってるだろう? 一見お人好しに見えようと、あいつの本質は戦いを愉しむところにある。目の前の戦いに昂って興じて、命がいくつあっても足りないような生き方をこれからも続けるんじゃ、早晩墓の下だ。太く短く働かれるよりね、多少細くとも長く働いてもらった方がウチの利益になるんだよ」

「彼女が、その重石になると?」

「何だかんだ言っても、ヴィゴがお節介焼きってのは変わらないからね。近くに守るべきものがいれば、そこまで無茶はできない。そういう奴だよ。それに、そういう単純な頭の奴はね、あの子にとっても救いになる。……きっと学院の連中とじゃ、ろくに茶飲み話だってできないだろうからね」

「三方にとって利のある話、という訳か」

「そういうこと。見直したかい?」

「余りの計算高い腹黒さに恐れおののいている」

「……。……アンタねえ……」

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