15:悪魔囁き人過つ-05
私が呆然としている間にも、状況は目まぐるしく変わっていった。
信じがたいほどに揺らぐ地面は、きっと直接足をつけて立っていたとしても、安定を保つことは難しかったに違いない。樹獣の背にあっては、尚のこと困難を極めた。ローラディンさんは樹獣の手綱を操り、辛うじて転倒を免れてくれたけれど、必然的にその分進行速度は遅くなってしまう。探ってみれば、私達と合流するはずだった樹獣兵も転倒したり、術自体が解けてしまったりしている人が少なくなかった。ただ、この状況下でも平然と戦い続ける人もいたりする訳で、驚くやら呆れるやらだ。
それが誰かと言えば――もちろん、ヴィゴさんと黒騎士である。
側面から叩きつける槍を、黒騎士は剣の腹で受けた。けれど、止められること自体は想定済みであったのか、反撃の暇も与えない即時に追撃の蹴りが放たれる。蹴りを受けてたたらを踏んだ黒騎士の背後には、見事に私が放った矢が迫っていた。なるほど、確かに上手く使ってくれている。
背後には矢が近付き、眼前ではヴィゴさんが胸の核に狙いを定めて槍を構え直す。完全に挟み込んだ状態、これで決まりだ。勝利を予想し、内心昂揚を覚えた――その瞬間。
「……やれやれ、いいところで水を差す」
皮肉っぽい声の呟きが聞こえたかと思うと、突如黒騎士の頭上にチカチカと明滅する魔術陣が出現した。暗い色合いの光を放つ陣が一際強く輝いたかと思えば、ぐるりと彼を三百六十度に囲う隔壁が発生する。まるで、外界との接触を遮断する紗幕のよう。ほのかに透ける黒い壁の中では、黒騎士が憮然とした表情を浮かべているのが見えた。
驚いたのは、おそらく私もヴィゴさんも同じだ。勢いのままに突っ込むには不穏過ぎる。そう思ってくれたのかは定かでないけれど、ヴィゴさんが構えた槍を突き出すことはなかった。さりとて、一度放たれてしまった矢はそうもいかない。止まることなど、できるはずがないのだ。誘導により過たず背後から核を射抜く位置に据えられた軌道に沿って、矢はまっすぐに隔壁へと吸い込まれるように飛翔する。
――そして、ぱきんと。乾いた、かすかな音を立てて、呆気なく圧し折れた。
砕けてぱらぱらと地面に落ちていく矢を横目に隔壁の解析を試みてみれば、ひどく硬質な、言い換えれば頑なな気配が窺えた。内部を保護するというよりは、閉じ込める意図の強い組成が読み取れる。囚われている当人の反応からしても、あの人形遣いの仕業と考えるのが妥当だろう。強力な戦闘能力は持つものの、自壊に加え反逆願望のある扱い辛い手駒が破壊される前に回収しにきた……そんなところか。
悔しいことこの上なくも相変わらずの手腕なので、術式の構成は断片程度にしか読み取れない。それでも矢が呆気なく破砕されたことを踏まえれば、ちょっとやそっとの攻撃で壊せるものでもなさそうだ。王都で閉じ込められた時も、脱出にはひどくて手こずったものだし。ヴィゴさんの槍なら、いくらか時間を掛ければできないこともないだろうけれど、それをしている余裕が私達にあるか、そして何より人形遣いが待ってくれるかが問題だ。まあ、どっちにしろ無理な話なのだけれども。
精神感応で『ヴィゴさん』と呼び掛けると、『おう』と短い返事があった。
『こっちも退きましょう。人形遣いの介入なら、たぶん、お開きです』
『……りょーかい』
露骨に不服そうな様子ではあったけれど、了承の言質は取ったので良しとする。
ヴィゴさんは隔壁に囚われた黒騎士から目を逸らすことなく、警戒を続けながらも離脱の姿勢に入る。私がどの方向から近付いているかは、さっきの矢で分かっているはず。じりじりと黒騎士を回り込むようにして、距離を取り始めた。
「“獅子切”」
不意に黒騎士が声を上げ、ヴィゴさんの足が止まる。音声による返事の代わりに向けられた険しい眼差しは、やはりひどく険しい。その視線を受けても泰然としたまま、黒騎士は滔々と続けた。
「自慢ではないが、私は此度動員されている傀儡のうちで最も戦いに長ける一人と自負している。それ故、王都への雛子攫いに同行させられた。――が、結果は見ての通りだ」
「攫うもんも攫えねえで、オマケに反逆未遂発生ってか?」
「左様。奴は己に最も忠義深いものを間近に据えることにした。驚くべきことに、奴に忠誠を誓う傀儡が出たのだ。私と同類でありながら。……故に、努々忘れるな。私だけを狙っていては、いずれ陰から突かれる。奴は――」
黒騎士が喋っている間にも隔壁の透明度が下がり、次第に内部が窺えなくなっていく。それに合わせるように声は次第に遠くなり、完全に姿が見えなくなると同時に途切れてしまった。後に残った漆黒の隔壁も、ゆらりと陽炎のように揺れたかと思うと、魔術陣ごと忽然と消え失せてしまう。
さながら夢か幻でも見ていたかと思わせるほどに、痕跡一つ残っていない。辺りの木々の傷付き、荒れた風景だけが、実際に戦闘が行われていたことを示していた。
「……七面倒臭え」
ぼそりと呟いたヴィゴさんはひとしきり険しい視線で周囲を警戒していたものの、もう何もないと判断したのか、あっさりと戦場であった場所に背を向けて走りだした。まっすぐに私達の方に向かってきていて、私達も速度は落ちたものの進み続けてはいたから、
「一体何がどうなってんだ!?」
と、声も大きく駆け寄ってくる人を肉眼で捉えるまでに、それほどの時間はかからなかった。
「分からぬ、今サヴェラムら指揮官と連絡をとっているところだ。何人か応じぬ部隊長もいる」
答えながらローラディンさんが樹獣の足を止めさせると、ヴィゴさんもまたその傍らで立ち止まった。
ローラディンさんと各部隊を率いる指揮官の人たちは、精神感応の魔術によって物理的距離の問題を無視した直接会話ができる。それに応じない人がいるということは、忙しくて応じる余裕がないか、何らかの問題によって応じることができないか――必然的に、この二択になる。
……できれば、後者でないことを祈りたい。それだと高い確率で対象者に意識がないことになるし、最悪の場合は既に死亡しているとすら考えられる。
「単に後始末に追われていて、手を割く暇がないのだと信じたいですね。音と揺れから察するに、何らかの爆発――」
そこまで言いかけて、嫌な想像が脳裏を過った。
変に言葉を切ってしまったからか、ローラディンさんとヴィゴさんが揃って私に目を向ける。ヴィゴさんはこれまでにも「爆発」や、それに似た言葉をよく見聞きしていたからだろう、すぐに何やら察したような顔をした。ひどく忌々しげな、苛立たしげな表情だ。私は引き攣った笑みを浮かべて、おそらく同じことに気付いている人を見やった。
「……分かりました? 私が思い浮かべたこと」
「全然嬉しかねえけどな」
まさに苦虫を噛み潰したような表情で、重々しくヴィゴさんが言う。
「二人で分かったような顔をするでない、何事だ?」
苛々した風のローラディンさんの反応を見るに、人間社会で起こったあれやこれやは、もしかしなくともエルフの里にまで伝わっていないのかもしれない。
そう時間に余裕がある訳でもなさそうだし、私はヴィゴさんと目を見かわした後、手っ取り早くここ最近連続している地方都市爆破事件について説明することにした。この際だから事件の枝葉はざっくり切り落として、人形遣いは人形を操るだけでなく自爆させることもできるらしく、その為に国内で少なからぬ被害が発生しているという点だけを口早に喋ってしまう。
話し終えると、ローラディンさんはヴィゴさんのような、ひどく不機嫌そうな表情を浮かべた。
「では、残る人形が、その自爆をしたというのか」
「現場を確かめなければ、断言はできませんけどね。連絡がつかない方は、どちらの部隊の?」
「最も西に陣を敷いていたルノス、それからサヴェラムから本体の指揮を引き継いだシェラルレッドだ」
「本隊もかよ!?」
ヴィゴさんが叫ぶ。先に叫ばれてしまったので、私は代わりに眉間に皺を寄せてため息を吐いた。
「……とりあえず、早急に被害を確認してしまわないと。とりあえず結界を張り直して、これ以上の援軍を阻んだ方がいいですかね」
「それについては、既に王へとお伝えしてある。じきに結界は元通りに張り直されるはずだ。ともかく、今は残敵の掃討と負傷者の保護を急がねば」
言いながら、ローラディンさんはこめかみに指先を当てて、考え込むような素振りを見せた。
「私は王の目として、状況を確かめに行かねばならぬ。ヴィゴ、そなたはバルドゥルと合流してライゼルを里へ送り届けよ」
「いいのか? まだ気を抜けるような状況じゃねえだろ」
「ひとまずは、森に侵入していた人形の大部分が無力化された。そなたらが当たらねばならぬような残務もない。そなたらは鍵であり、切り札なのだ。なるべく十全な状態でいてもらわねば。――今は一足先に戻り、私の代わりに王に事の次第をお伝えせよ。変事があれば、すぐに伝える故」
軽く頷いて見せ、ローラディンさんは躊躇いのない口調で言う。
本音を言わせてもらえば、そりゃあ私だって安全が保障されない場所にいたくはない。里に戻っていいのなら、喜んで戻らせて頂きたい。けれども、そう軽々しく了承してしまっていいのだろうか。いや、戦力にならないのは分かってるけど。それでも留まっていれば、半人前なりに何か役に立つことがあるかもしれないし。
判断に困ってヴィゴさんを見ると、何とも言えない顔でバリバリ頭を掻いていた。
「あー……そっちがそれでいいってんなら、ひとまず従っとくけどよ」
諸手を挙げて賛成もしないけれど、特に否定する理由もない、みたいな感じだ。
そして、ヴィゴさんが戻って問題ないと判断するのなら、これ以上私が決断を保留することもない。では、と前置きをして、樹獣の背中から滑り降りてローラディンさんに向き直りながら答える。
「そういうことであれば、大人しくお使いでもしてきます。アルサアル王への面会は、私達だけで向かっても許可が下りますか?」
「問題ない。そなたとヴィゴ、それからバルドゥルに下賜した御印は特別なものだ。それを見せれば、結界の出入りだけでなく、里の中は大部分の通過が許される。もちろん、王の謁見の間にもな」
「え、そんな大層なものだったんですか!?」
先刻承知の通り、里を守る結界を通過するには、それを許可する御印――光り輝く大樹をモチーフにした紋章を刻んだ薄く硬いメダルで、根付のように銀糸の編紐が結ばれている――が必要になる。
真っ先に里を訪ねていたヴィゴさんと違って、遅れて到着した私とバルドゥルさんは、それを今朝の出立の時に受け取ったばかりだ。あっさり「これから必要になるものだ、肌身離さず持っておけ」とだけ言って渡された代物が、そんなとんでもないものだとは、まさか思ってもみなかったけれど。
「では、ライゼル、ヴィゴ。暫しの別れだ。王への報告、宜しく頼んだぞ」
「はい、確かに承りました。そちらも、どうぞお気をつけて」
「うむ。そなたらにも、白き輝きの大樹の加護のあるよう!」
いつの間にか揺れの収まった森に響く明朗な声は、鈴の鳴る音にも似ていた。凛と声を張ってみせて、樹獣の手綱を操る小さな背中は深い緑の中を颯爽と駆け去って行く。
それを見送りつつ、私とヴィゴさんは何とも言えない気分で佇んでいた。
「……里に戻ることの是非はともかく、微妙に嫌な感じしますよね?」
「……まあ、そうだな」
「なんかこう、上手く掌の上で転がされているような」
「あっちの思惑の上を歩かされてるみてえな」
変なフラグになっても嫌だから口に出しはしないけれど、アルマで訳も分からず状況に翻弄されていた時を思い出す気も、しないではない。そんな絶妙に居心地の悪い気分だった。あの時とは違って、今は戸惑うばかりじゃない。情報だって、かなり掴めているはずなのに。
「とりあえず、戻るとしようぜ。バルドゥルの位置分かるか?」
問われて、探索の術式を構築し直す。ヴィゴさんの援護に加わる人員の中に混じっていたらしく、ここからさほど離れていない場所に、その気配はあった。
大体の位置を伝えると、ヴィゴさんはそちらの方角へと目を向け、槍を担ぎ直す。それから微妙な間を挟んだ後、再び私を見た。妙に言い辛そうに「あー、その、あれだ」などと口ごもる風を見せ、
「なんつーかな、この状況じゃあ、そうのんびりもしてられねえしよ。……担いで運んでっていいか?」
一体何を言うのかと思っていれば、そんなことだった。
それこそ「この状況」では、私にとって願ってもない話だ。自分の足で走るよりも速く移動できる上、何より守ってもらえる。拒否する理由なんて、あるはずもない。それはヴィゴさんだって分かっているはずだ。なのに、どうしてこんなに勿体ぶってみせてくれたのやら。
「その方が速い上、はぐれたりする心配もないですもんね」
じゃあ、宜しくお願いします。
疑問はさて置き、ひとまず頷いてみせる。と、ヴィゴさんはひどく複雑そうな、言いたいことを言えずに持て余しているような表情で唸った。……何故に、そんな反応を。振られた話に乗っただけだというのに、何が不満だというのか。それとも、あれか。実はやりたくないとか、そういう?
「何ですか、その反応。嫌なら、別に無理して運んでもらわなくてもいいんですけど」
「誰が嫌だっつったよ」
思わず半目になって言うと、唇をへの字に曲げて言い返された。なのに、その後に続く言葉はない。何なんだ、ほんとにもう。
煮え切らない反応をする人を、じとりと睨む。ヴィゴさんは橙の目をウロウロとあちこちに彷徨わせた後、それは深い、とても深い溜息を吐いてから、重々しい調子で口を開いた。
「……あのな、お前、そうやってホイホイ頷くの、俺が相手の時だけにしとけよ」
はい? また何を藪から棒に。本当に、この人は何考えてんだ。
「そんなの、当たり前じゃないですか。他の人になんて、できる訳ないでしょう」
有り得ない、と呆れて答えてみれば、ヴィゴさんが今度は口元というか頬の辺りを不自然に痙攣させた。反射的に笑いそうになったのを堪えたようにも、不機嫌の表出を留めたようにも見える。
どうもヴィゴさんの意図が読めない。内心を隠そうとしているっぽいことは分かる、というか、分かってしまうから余計に苛々する。つい眉間に皺を寄せてしまうと、頭の上で大人しくしていた小鳥が、不意に喋り始めた。さっきっから急にあっちもこっちも、訳が分からなさすぎるぞ……。
『胸中察する、とだけ言っておこう』
「余計なお世話だこの野郎」
なのに、二人の間では何事か通じ合っているらしい。微妙に一人蚊帳の外に置かれているような味気無さを感じなくもなく、一つ物申してみることにした。
「あーもー、何でもいいですから、早く移動しましょうよ。ていうか、先生は何でこんな時に急に喋り出すんです。また黙りこくってたのに」
『罠が無事発動して結果を出してしまえば、こちらからできることはほぼ無いに等しい。無駄に騒がせてもなるまい』
「それはそうかもしれませんけど、もうちょっと会話しようとしてくれてもいいんじゃありません?」
『戦場に近しい場所において、要らぬことに注意を向けるのは危険でしかないぞ』
「ぐっ……」
反論しがたい正論である。でも、非日常の異常事態の中で少しでも冷静さを保つには、多少なりとも日常を感じられる会話が必要だと思うと、私は主張したい。――したかった、んだけども。
「おい、何お喋り始めてんだ。早く移動しろっつったの、お前だろ」
今度はまた別方向からぐうの音も出ない指摘を受け、黙らざるを得なかった。
「はいはい、分かりましたよ」
降参の意思を示すように、軽く両手を挙げてみせる。ついでに持ったままだった弓矢も合わせて矢筒にしまってしまえば、担がれる準備は万端。
「ていうか、先にもにゃもにゃ言い出したのヴィゴさんの方じゃないですか。しかも、訳の分からないことを」
「あのなあ、お前がここで『訳が分からない』とか言うアホだから、俺だって色々言いたくなるんだろうがよ」
「何ですそれ、責任転嫁って格好悪いと思いません?」
「お前が言うかよ……」
ったく、と嘆息したヴィゴさんは諦めたような顔で近付いてくると、一旦槍を地面に差して手放した後、両手で私を持ち上げた。そこから左腕に座るような格好に抱え直されて、膝の裏に腕が回る。空いた右手が槍を掴み取ったので、これで今度こそ出発も準備も完了……かな。
「ところで、どれくらい急ぎます? そこそこですか、それとも物凄く?」
「あ? そりゃあ、急げるだけ急ぐに決まってんだろ」
「まあ、そうですよね」
ということは、もう少し安全性を確保しておいた方がいいかもしれない。
失礼します、と断ってから伸ばした腕を、目の前の首に巻き付ける。そうした瞬間、肩がびくりと震えたのも分かってはいたけれど、背に腹は代えられない。バランスを崩して、落ちてからでは遅いのだ。そうなってはお互いに困る。締めすぎない程度に掴まると、お陰で大分体勢が安定した気がした。
「……一応訊くけどよ、何してる?」
「走ってる最中にふらついても邪魔になるかと思いまして、安全の確保を」
ああそう、と応じたヴィゴさんが、またしても深々と息を吐く。まるで灰の中の酸素を全部押し出そうとしているみたいに、大きく長く。その後で零された声は、すっかり疲れ切っているようだった。
「もう、あれだ。好きにしてくれ……」
「何でそんな急に疲れてるっぽいんです?」
「何でもねえよ」
『日々是修行、という奴だ』
「うるせえよ人形師、他人事だと思いやがって」
ヴィゴさんが呻けば、先生が珍しくかすかに笑い声を上げた。片方の反応の渋さの割には、どうにも二人の間で言葉によらない共通理解が生じているっぽい。
いつの間に仲良くなったんだろう、と不思議に思っていたのも束の間、ヴィゴさんが走りだす。予想通りに揺れたので、とりあえず落ちないようにしがみついておくことにした。




