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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
62/99

15:悪魔囁き人過つ-04

 ざざざ、と草木を掻き分けて、ローラディンさんの駆る樹獣は森を進んでいく。ヴィゴさんと黒騎士率いる別働隊の戦闘現場までは、このままの速度で五分もあれば目視できる距離にまで近付ける計算だ。

 距離が縮まれば縮まるほど、探索の術式で得られる情報は増える。今や、その場所でじかに見聞きしているように詳しく状況を窺うことができた。ヴィゴさんは弓兵の援護を受け、また一体の人形を追い込んでいく。胴を断たれ、両腕を落とされた人形は、ほっとしているような悔しがっているような、ひどく微妙な表情で草地に転がった。……それが、とても遣る瀬無い。そんなことを考えている場合じゃあないとは、分かっているのだけれど。

『よう、黒いの。生きてた頃は生まれた国の為に戦って死んで、死んだと思ったら今度は余所の国の侵略の片棒担ぎたあ、てめえも難儀してやがんな』

 新たに挑みかかってくる人形をいなしながら、既にいつもの人間の姿に戻っているヴィゴさんが黒騎士に向かって揶揄するように言うのが聞こえる。割と分かりやすい挑発の言葉ではあったけれど、意外にも答えはすぐに返ってきた。

『ああ、全くもってもう一度死にたい気分だ。――が、離反も自壊もできぬ縛された身の上にあっては、科された仕事を果たさす以外の何もできぬ。実に忌々しい』

 ヴィゴさんの槍が剣で斬り掛かってくる人形の肩を貫けば、援護の矢が片目を穿つ。その間にも会話は続いていく。樹獣に騎乗した弓兵の援護があるとはいえ、多数の人形の真っ只中に一人立つ乱戦でありながら、ヴィゴさんの手傷は驚くほど少ない。俊敏な身のこなしは、流れるようとか踊るようとか例えるよりは、恐ろしく優秀な猟犬の狩りを思わせた。無駄なく淀みなく、迅速巧みに獲物を仕留める。

 もっとも、ある種一方的に見えなくもない現状は、黒騎士が積極的に攻めかからないでいるお陰もあるのだろう。一体どうしたことやら、彼の騎士は初めに多少戦う素振りを見せたくらいで、今は率いてきた人形ばかりを差し向けていた。人形遣いの監視の目がなければ、そこまで本腰を入れて戦う気がないのか、それとも他に何か思惑があるのか……。

『あんだそりゃ、離反ができねえってのは、つまりアレか? 命令違反すんなとか、裏切り行為すんなってことか?』

『その通り。王都での振る舞いが気に障ったらしく、折檻を受けてな。今や私の行動と感情は同調していない。どれだけ私が憂鬱であろうとも、この器は奴の為に働くという訳だ』

『なるほどな、そりゃ七面倒臭え。――てめえが大人しくこっちの話を聞ける状態だってんなら、手っ取り早く契約切って、くたばり直させてやろうと思ってたのによ』

『私とて、そうしてもらいたいところなのだがな。残念極まりない』

 心底そう思っているような、いかにも憂鬱そうな声で黒騎士が嘯く。

 要するに、罠の陣までの意図的な誘引は不可能ということだ。王都で遭遇した時よりも縛りが強固になっているのなら、前回のような手心というか水面下の協力も無理だろう。そこまでされているからには、そう容易に契約も切れるとは思えない。……全く、頭の痛い話だ。

『ま、仕方ねえさ』

 ヴィゴさんが軽く言い返しながら、片目と片腕を破壊された人形を残る腕ごと袈裟懸けに叩き斬る。胴体を断ち切られた人形がまた草むらに崩れて、これで残りは六体。

 ――と、その時。おもむろに朱い槍の穂先に赤々とした炎が灯った。

『どうにもならねえことなら、気にするだけ無駄ってもんだ。互いに退けねえとなりゃあ、やるこた一つっきりだろ。てめえ自体にゃ大した恨みもねえが、俺の目的の邪魔だ。今ここで、確実に潰しておく』

『望むところだ、存分に励んでくれ』

 そう言いながら、騎士は剣を抜く素振りを見せない。あくまでも、まずは人形に任せるつもりらしい。

 ならば、まだ今少しの猶予はあるだろうか。そう思って、探索の術式に傾けていた意識をやや戻し、目の前の小さな背中に声をかけ――ようとして、ギョッとした。

「ああもう、何でそうなるかなあ!?」

「何だ、何事だ!?」

 思わず叫んだ声には、目の前から肩越しの視線と共に問い掛け。いよいよもって本当に頭痛がしてきた気がする。軽くこめかみを押さえながら、目を丸くさせたローラディンさんに答えた。

「今現在、敵の総数は七体です。内訳は別働隊を率いてきた人形遣いの腹心の部隊長と、後はそれに従うものが六つ」

「ふむ、それがどうした?」

「あの猪突猛進な人は、よりによって今この時に敵の頭に向けて特攻仕掛けてくれやがったんですよ!」

 返す声は、図らずも半ば叫ぶようになってしまった。

 探索の術式は、リアルタイムにヴィゴさんが周囲を取り巻く残りの人形を完全に無視し、黒騎士へ向かって一直線に駆けていく動きを伝えてくる。慌てて援護の弓兵が他の人形に矢を集中させるけれど、如何せん一体仕留める間に次の一体が襲い掛かってくるのが厄介だ。

 ああもう、仕掛けるにしてもさあ! こう、もう少し時間を稼いで援軍が到着してからとか、敵の数が減るのを待ってからとか、タイミングを計ってくれないかなあ! ほんとにあの人って奴は!

「全く、よくよく蛮勇を振るう男だ。ライゼル、掴まっていろ! 先を急ぐ!」

「お願いします!」

 地面に立っていれば地団太を踏みたい気分で叫び返し、ローラディンさんの背中に掴まる。傍から見れば小さな子供にそこそこの歳の私がしがみついている格好になる訳で、何とも恰好がつかないことこの上ないけれど、この際細かいことは言っていられない。

 びゅうびゅうと耳元で鳴る風の音を聞きながら、再び探索の術式へ意識を戻す。

 弓兵の人たちの尽力によって一体、二体と人形が倒れていく一方で、ヴィゴさんは残る人形に一斉に襲い掛かられていた。炎を帯びた槍の穂先が奔り、最も距離の近い人形の喉笛を刺し貫く。かと思えば、喉を貫いた人形を丸ごと持ち上げ、隣の人形へと叩きつけた。派手な激突音を上げながら、二体の人形が草地に転がる。振り抜く軌道で大きく弧を描く槍は、そのまま身体の反転する動作に合わせて一閃。別方向から迫っていた人形の両目を、横一線に断った。ふらついてよろめく人形の目元から、眼球に使われていた輝石の破片が砕けて飛び散り、きらきらと煌めく。

 巧みに演出されたそれらの隙を見逃さず、降り注ぐ矢は的確に人形を射抜いていった。狙いは総じて肩や膝の関節だ。そこを破壊してしまえば、手足自体が無事でも動くことはできなくなる。けれど、まだ喜ぶには早い。

 これまでの三体の犠牲を利用して、四体目が着実に間合いを詰めていた。振りかぶられる肉厚の剣、受け止めるのは水平に掲げた槍の柄。甲高い金属音が響き渡る――その裏。ひそりと潜むように用意されていた気配を捉えた瞬間、衝動的に口から声が飛び出していた。

「危ない!」

 俄かに黒騎士の剣が赤黒い燐光の尾を引いて輝くや、雨霰の如く放たれる散弾じみた無数の礫。前に王都で見た時と同じように剣を振る動作で射出されるそれは、高密度に圧縮されて物理的な破壊力を付与された魔力の弾だ。

 それが、斬り掛かってきた人形の背後から撃ち出された。剣持て対峙する人形を目隠しに、まっすぐにヴィゴさんへ。すなわち、味方であるはずの人形を巻き込むことを前提とした攻撃。形振り構わないと言えばいいのか、容赦のなさ過ぎるやり口にぞっとする。

『――っぶね! いいのかよ、てめえの手下じゃねえのか?』

 幸いにして間一髪、脇に飛び退いてヴィゴさんは直撃を避けた。礫が掠めたジャケットの二の腕も悲惨なことになっていたけれど、幸い血が流れるほどの傷は受けずに済んでいる。背中から礫を被った人形が大破するのを横目に着地すると、一足飛びに黒騎士へと再接近。

『構わぬさ、必要経費というものだ。私には『“獅子切”を殺せ』という指令が出ている。それを果たす為に手段を選ばず試みているだけのこと。非難される謂れはあるまい。――ああ、核は壊さずにおいたつもりだ。持ち帰ることができたら、是非とも契約を切ってやってくれ』

 しれっとして、黒騎士は言い返す。意外に反骨精神に富んだ発言に驚いたのか、ヴィゴさんがぱちくりと瞬くのが見えた。そうして、にやりと笑う。

『そういうことなら、流れ弾で壊さねえようにした方がいいんじゃねえか?』

 言いながら、槍が大きく横薙ぎに振るわれた。ぶおんと風を切って弧を描く切っ先を、騎士は敢えて受けずに後退して逃れる。払う槍は次いで鋭い突きを放つものの、それをも騎士は退きながら剣を合わせて受け流すだけで、反撃には出ない。

 一見して、ヴィゴさんが押しているように思えなくもない流れだ。けれど、二人の動きを見ていれば、自然とその企みは知れる。あろうことか援護の弓兵から離れ、私達に背を向ける――距離を取るような格好で、あの人たちは移動していた。

 何のつもりで、なんて確かなことは分からない。できるのは推測することだけ。

「ほんと、あの人は何考えてるんだか……一対一で正々堂々の真っ向勝負にでも洒落込もうってか……」

 零した呟きは、どうしても苦々しげな響きを帯びる。さっきの今だけに、ローラディンさんも私の反応だけで状況を察したようだ。

「どうにもヴィゴは自重する気がないらしいな」

「そのようです。しかも、今は私達から離れる方向へ動き出していて」

 答えると、「何をしているのだ、あ奴は」と呆れ返った風で深々としたため息。

 そんな中にあって、探索の術式は更に伝えてくるのだ。

『転がってる人形共の回収は任せた!』

 要するに、手出し無用、と。そんなことを援護の弓兵の人たちに向かって叫んで、黒騎士と武器を交えながら木々の間を駆けていく人の有り様を。本当に頭が痛い。当の本人が目の前にいたら、また襟首掴んで「あんた何考えてんだ! 真性の馬鹿か!」と叫びたいくらいだ。何なの、あの人の頭は無謀と酔狂でも詰まってんの? 計算とか自重とかないの?

「ヴィゴはどれほど離れている?」

「移動速度はそう速くはないです。このままなら、後三分もあれば」

 そのまま動いてくれなければいいがな、と独り言のように呟き、ローラディンさんの操る樹獣が前方に出現した荊の茂みを一足で跳び越える。戦うに手頃な場所でも見つかったのか、移動を止めて本格的に戦い始めたヴィゴさんと黒騎士のところまで、残すは二キロ余り。樹獣の脚をもってすれば、決して遠いとは言えない距離が、今は気が遠くなるほど長く感じられた。

 ヴィゴさんと黒騎士の攻防は、現時点ではおおよそ一進一退。鋭く迸る槍の連撃が攻め立てる一方、黒騎士も重装備を生かした巧みな立ち回りを見せていた。がりがりと表面装甲を削り取られながらも籠手で槍の穂先を強引に逸らし、踏み込んで剣の突く動きで弾丸もかくやの礫を放つ。ヴィゴさんもまた、敢えてそれに槍を向けることはなかった。半身を逸らして紙一重礫を避け、身体の反るままにひねって一回転、円運動の勢いを乗せて槍を叩きつける。

 ぎいん、と背筋の震える音。騎士は剣の鍔元で槍を受け、弾き返そうとする。けれど、ヴィゴさんの方が一歩速かった。素早く間合いを詰めての前蹴り。それを胴に食らった騎士が一瞬仰け反った合間に槍が引き戻され、狙うは顔面。或いは喉笛。堅牢な鎧で全身を固めている騎士も、王都で兜を失っており、頭部を守る装備はない。そこを狙わない道理はなかった。

 急所を狙われていると、騎士とて分かっていなかった訳ではないはずだ。それでも退くという選択を見せなかったのは、人間ではなく人形の身であったからかもしれない。頭を揺らされようが、喉を抉られようが、核が損壊しない限り動き続ける――痛みも疲れも無縁の兵士。

 赤く燃える火を纏って突き出された槍を、騎士はほとんど避けなかった。わずかに顔を逸らして、頭部の完全破壊だけは免れる。燃え盛る炎で半顔は無残に焼け焦げ、片方の眼窩に収められていた眼球の役割を果たす石も完全に砕けていたけれど、それこそ「必要経費」だと割り切っていたのかもしれない。

 黒騎士は顔を掠めて突き抜けた槍を無造作に掴み取ると、逆の手に持っていた剣を力任せに振り抜いた。確実に胴を両断する剣筋が読み取れてしまい、思わず裏返った悲鳴が口を突いて出る。オマケに、うっかり両腕で抱きついていたローラディンさんの腰を締めてしまって、

「ええい、ヴィゴがまた無茶をしたか! 心配になるのは分かるが、私に当たるでない!」

 痛いわ、と肩越しに投げられた視線と共に、伸びてきた掌に顔面を叩かれた。鼻が痛い。

「す、すみません……」

 じんわりとした痛みと衝撃に、不本意ながら涙目になりつつ謝る間にも、戦況は流れていく。

 ヴィゴさんは我が身に迫る剣を捉えるや、意外なことに地面を蹴って高く跳躍した。まさかそう出るとは思わず呆気にとられているうちに、掴まれた槍を支点にして、軽々と騎士の頭上を跳び越える。その反応はあの騎士にとっても予測の外だったのか、薙ぎ払う剣は標的を掠めることすらできずに空を切った。

 黒騎士の口元に、苦笑とも称賛ともつかない淡い笑みが浮かぶ。

『図体の割に身軽だな』

『どっかの誰かみてえに、着込んでねえからよ』

 殺し合いの最中にはまるで場違いな、軽口の応酬。

 そのまま握り続けて手首を破損することを嫌ったか、思いの外すんなりと槍を手放した騎士の背後に、ヴィゴさんが降り立つ。さすがというべきか、その足が地面に着いた時には、既に攻撃態勢が整っていた。構え直された槍が、瞬きの猶予すら与えずに黒い鎧の背に迫る。

『前に獲り損ねた腕、今度こそもらってくぞ』

 しかし、火の粉を散らす槍が背に肉薄しているというのに、黒騎士の表情に焦りはなかった。粗く束ねられた長い髪を翻して振り向く手の中で、再び剣が閃く。

『それは構わぬが、どうもこの器は代償を要求するようだ。上手くねじ伏せてくれ』

 まっすぐに繰り出される槍を、下方から掬い上げるように剣が跳ね上げた。弾かれて浮いたかに見えた穂先は円を描くように滑らかな動きで薙ぎ払いに転じ、またしても剣が峰を合わせて受け流す。ち、と舌打ちをしたヴィゴさんは、そこから一層苛烈に畳み掛けた。鋭く吐き出した一呼吸で、三――いや、四度の突き。目にも留まらぬ閃光じみた連撃は、最早到底人間のなせるものだとは思えない。

 だというのに、三度騎士は捌ききった。二度あることは三度ある、なんてレベルのお話じゃない。悔しいけれど、ヴィゴさんをして何だかんだで腕は立つと言わしめた剣捌きに間違いはなさそうだ。それに、王都での戦いに比べて一つ一つの動作の精度も増しているようにも見えた。やっぱりあの時は乗り気じゃないというか、本腰を入れてなかったところがあったのかもしれない。

「ライゼル、ヴィゴの姿が見えてきたぞ!」

 不意にローラディンさんの声が聞こえて、術式に向けていた意識が引き戻される。ローラディンさんの肩の上から顔を出して前方を窺えば、行く手に小さく炎を灯した槍と、禍々しい赤光を帯びた黒剣とをそれぞれに携えた人影が、凄まじい勢いで武器を交えているのが遠く見えた。

「ローラディンさん、頭下げててください!」

 言いながら、弦を張った弓を握り直す。右手で矢筒から矢を抜き出して、力一杯につがえた。

「ここから射るのか!?」

「ヴィゴさんには中てません!」

 驚いたような声に叫び返しながら、探索の術式の作用範囲を縮小する。その代わり、視覚に重点を置いて精密化。幸い、ヴィゴさんは剣ではなく槍を使っている。槍のリーチの分だけ黒騎士と間合いも開くのだから、狙って狙いきれないこともない。

「ええい、今数秒待て! ヴィゴに繋ぐ!」

 あっちもこっちも勝手にばかり動いて、と腹立たしげな声で言ったかと思うと、ローラディンさんは口早に呪言を唱える。それから一拍、またあの精神感応で接続される感覚。

「そら、話すがいい!」

 荒い口調のゴーサイン。こちらに言わなければならない言葉はひとまず後に回させてもらって、とにかく今の優先はあっちだ!

『ヴィゴさん、聞こえてますね!? 眼で見て射れる距離まで来ました! いつでも撃てます、っていうか援護要ります!?』

『あん!? 思ったより早えな――って、ああいや、何でもねえ。えーと、何だ、まあ、いつ撃つかは任せる! 撃ってくれりゃあ、こっちで適当に使う!』

 予想以上にざっくりとした返事に、どうしたものやら一瞬迷う。でもまあ、あの息も吐けないような剣戟の応酬の中で、指示をくれなんて言うのが土台無茶な話か。……射さえすれば、後は上手く使ってくれる。その言葉を信じよう。

『三秒後に撃ちます!』

 ぎりっと矢を引き絞り、狙いを定める。火花を散らして刃を交える二人の動きをよく見てよく読み、可能な限り推し量る。それはさながら、山で獲物を待ち伏せた過去の日のように。

 おう、と返る答えを聞きながら息を殺して、数えるのは――きっかり三秒。極限まで引いた矢は、射手が驚くほどの速さで森緑の真っ只中へと飛び出した。まっすぐ、ひたすらまっすぐに奔る矢は、それこそ瞬く間に横たわる距離を貫いていく。

 その、時だった。

「――うわっ!?」

 鼓膜を破かれそうな、凄まじい爆音。それから、天地が引っくり返ったような激しい揺れ。

 何が起こったのか、まるで分からなかった。

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