表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
60/99

15:悪魔囁き人過つ-02

 現在六つに分かれて結界の防衛にあたっている部隊には、それぞれエルフの里でも指折りの戦士が指揮官として派遣されている。その六人とローラディンさんは密に連絡を取ることができる――どうも精神感応(テレパシー)系統の魔術っぽい――そうで、作戦の伝達はすぐに済んだ。

 ただ、その時に問題になったのが、案の定というべきか、また敗走を演じた後に追撃を仕掛ける精鋭部隊の人選だった。本隊を統率する指揮官の人によると、植物を媒介に擬似生命を構築する、件の樹獣の術を使える人で動員できるのは百人ばかり。さすがに一騎当千とはゆかずとも、一人一人が十や二十には匹敵する粒揃いだそうだけれど、いくら何でも敵の大軍を追うには寡兵だと異論が上がったのである。

 そこでローラディンさんにお願いして、私も作戦会議の精神感応ネットワークに加えてもらった。

『本当に追い付いて戦いを仕掛ける訳ではありませんし、反撃を貰わないようにするのが第一です。樹獣に同乗させるのは弓を使える人に絞って、距離を取りながら煽ってもらえれば十分なんですが』

『だが、敵は文字通り桁が違う。たかが百で射掛けたところで、無視されて終わりだろう』

 指揮官の人の声は明らかに渋い。樹獣の術を使えるのはエルフの兵だけ、彼らだけが矢面に立たされる格好になることへの反発もあるのだろう。

『追撃隊には、こちらか広範囲の遠隔射撃を得意とする人員を派遣しますし、まだ追撃隊の人数も増やせるはずです。防衛隊の本隊には、ヴィゴ・レインナードという傭兵の人がいらっしゃいますよね』

『ああ、“獅子切”だろう。先ほど部隊に帰還した』

『その人なら、たぶん樹獣と並走できます。それから、身体能力を増強する系統の魔術を使える人がいれば、その人達も部隊に組み込んでください。武器が届かなくても、石を投げるだけでも十分です。あくまでも、焦らせて進軍の足を速められればいいだけなので』

『……副官に確認を取らせる。十五分後にこちらから再度連絡する』

 そう言って精神感応が打ち切られ、話し合いは一度お開きとなった。

 懐中時計で確認してみれば、只今の時刻は十時少し前。罠の仕掛けが順調に済んだ分、予定より時間の余裕はある。その中での十五分の待機時間が長いのか短いのかは、私の頭では何とも判断しきれない。

 ただ、さっきの作戦はヴィゴさんにまで話が届きさえすれば、多少強引にでも協力を取り付けてくれるんじゃないかという気がしていた。ああいう作戦好きそうだし……というのは冗談だとしても、何だかんだであの人は私の提案を尊重してくれるから、今回もそうしてくれてしまうんじゃないかと。

 万が一どうにもならなかったとしても、それはそれとして、こちらはこちらで出来る限りの備えはしておいた方がいいはずだ。どんなに上手く立てた作戦でも、不測の事態によって瓦解する危険性は常に排除しきれない。何たって遊びじゃないのだ、考えられる限りの対策はしておいて損はない。

 それに、私とローラディンさんの隠れ場所だって探す必要がある。どこか陣を窺える場所に潜んでいて、万が一きちんと発動しなかった場合に備えなければならないのだ。ただ、辺りは一面のっぺりしていて、隠れられそうな岩場もなければ、丘もないのが厄介すぎる。木だけはそこらじゅうに生えているから、大人しくそれに上るしかないか。シェーベールさんには防衛隊の方に向かってもらって、敵の進軍に向けて待機に入ってもらわないと――

 そんなことをつらつらと考えていた時、おもむろにシェーベールさんが口を開いた。さっきの精神感応も会話に加わらないまでも傍聴していたので、特に加えて説明することはない。ない、と、思っていたんだけれども。

「随分とヴィゴへの要求が大きいようだが、大丈夫なのか」

 問い掛けられた内容に、はたと瞬く。

 もしかして、シェーベールさんは知らないのだろうか。ヴィゴさんの種族のこと。姿を変えると、恐ろしいくらいの速さで走ることができること。……とは言え、本人が教えていないものを私が教えてしまう訳にもいかない。種族にまつわる話題はデリケートな案件であることも多いと聞くし、普段はまるきり人間と変わらない風に過ごしているから、もしかすれば意図的に隠しているという可能性も捨てきれない。

「大丈夫です。あの人なら、やってくれます。……きっと」

 なので、代わりにそれだけを答えた。シェーベールさんは短い間無言でいたものの、

「では、その判断を信じよう。今や君の方が奴をよく知っている」

「まあ、付き合い長くなってきましたしね」

 肩をすくめてみせると、そうだな、とシェーベールさんも小さく笑った。つられて笑い返しながら、念の為、ともう一方(ひとかた)へと目を向ける。

「ローラディンさんは、何かご不明な点なんかは?」

「ない。バルドゥルが代弁してくれた故」

「では、連絡を待つ間に準備に入りますか。私とローラディンさんは隠れ場所を探さなきゃいけませんし、シェーベールさんはそろそろ移動し始めた方がいいですよね」

「サヴェラムから連絡が入るのは、十五分後だぞ? 奴が拒否の返事をしたらどうする」

 小首をかしげて見せるローラディンさんに、私はただ笑って返した。

「たぶん、どうにかなりますよ」

 果たして十五分後に入ってきたのは、追撃部隊を編成することができたという報告だった。

 防衛本隊指揮官サヴェラムさんは、感情の振幅のよくよく抑え込まれた声で、まるで予め用意された書類を読み上げるかのように淀みなく喋る。今回は予めローラディンさんが精神感応に同調させておいてくれたので、私も報告の一部始終を聞き取ることができた。

『部隊は騎兵百、歩兵二百で編成する。騎兵を私が率い、歩兵を“獅子切”が率いることに決まった。歩兵に限っては自己申告の志願で集めただけに、実際の行軍にどれだけ耐えられるかは分からんぞ』

『充分です、ありがとうございます』

『また、“獅子切”から伝言がある。『お前はどうしていつも突然無茶振りしやがるんだ』だそうだ』

 淡々と代弁された言葉からでさえも、発言者の眉間に皺を寄せた顔が目に浮かぶようだ。はは、と軽く笑ってから、言葉を返す。

『それだけ頼りにしてるんです、とお伝えください』

 全く、とぼやくような反応があったけれど、意外に拒否はなかった。あちらからの伝言もわざわざ伝えてくれたくらいだし、その辺思いの外寛容に対応してくれる人なのかもしれない。勝手に親近感が沸く。

『……ともかく、こちらも準備は始めているが、作戦の開始までは今しばらく猶予を貰いたい。堂々と人員を減らしてみせては、策が露見する。伏兵に割く者は慎重に動かさねば』

『どれほど掛かる?』

 鋭く問い返したのは、ローラディンさんだ。罠の起動以外の作戦立案及び実行は、ほとんどローラディンさんが担っている。結界を解くタイミングや、本隊以外の部隊とのやりとりもあるからだろう、その声は真剣だった。

『三……いや、二時間あれば。正午までには手配を終わらせる』

『では、正午より作戦開始とする。どうしても間に合わぬとあれば、事前に連絡を入れよ』

『承知した』


 十一時を回った頃、私とローラディンさんはシェーベールさんと別れ、罠からもさほど遠くないところに生えていた、枝ぶりの見事な木に上った。青々と生い茂る幅の広い葉は見事に周囲から私達を隠してくれ、頑丈な枝は私達が二人で座っていてもびくともしない。

 それからはローラディンさんが用意してくれてあった携帯食料をかじりつつ、ひたすらに時が流れるのを待った。食べ終わってしまえば、手持無沙汰ついでに装備の確認でもするしかない。弓に弦を張り、矢筒の中身を確かめる。あちこちのポケットに忍ばせた石のチェックまで終えると、いよいよやることがなくなった。

 樹上から見渡す森は、薄気味悪いほどに静まり返っている。かつて戦乱の最中にあったアルマの島の森がそうだったように、鳥のさえずり一つ聞こえない。これこそが嵐の前の静けさか、と埒もない考えが脳裏を過った。

 ――そうして、ただ待つしかない時間をまんじりともせずに過ごし、

「ライゼル、結界が消えた。始まるぞ!」

 ローラディンさんの押し殺した声が囁き、遠くでわっと鬨の声が上がるのが聞こえた。思わず息を詰め、弓を握り直す。どくどくと心臓が早鐘を打つのが分かって、どうにも落ち着けない。

「結界が消えるの、不自然に思われたりしてないですよね?」

「戦いの流れの中で、さほど無理のないよう演出をさせたつもりだ」

「ですか、なら大丈夫ですかね……」

 軽く深呼吸をする。ばくばく鳴る心臓は全然静まってくれなかったけれど、いくらか気分的には落ち着けた気がしないでもない。

 気を取り直して、探索の術式を戦場へと差し向ける。距離があるので、現場そのものは窺えない。それでも地面を震わせる足音や剣戟の響きは感じ取れる。嫌が応にも緊張は高まった。

 傍観している間にも、じりじりと戦線は後退していく。作戦を知っていれば、ああなるほど、と思える程度の作為的な流れで、横に広く布陣した防衛隊の中央が押し込まれ始めた。踏み止まれ、押し返せ、と声を張り上げているのは本隊指揮官のサヴェラムさんだろう。中々に迫真の演技だ。

 そして、いよいよ作戦の第二段階が始まる。

「上手く中央突破を演じたな」

 ほんの少しだけ面白がるような声で、ローラディンさんが言う。

 傍から見れば、綻びが出始めた中央を庇いきれなかったという格好で、防衛隊は雪崩れ込む人形の軍勢に突破を許した。人形の軍勢は左右に分断された防衛隊には目もくれず、真っ直ぐに駆け抜けていく。やはり泉の制圧を最優先に指示されているのだろう。

 人形の軍勢が防衛隊を完全に置き去りにするまでは、意外に短かった。それはあちらの動きが予想より速かったという訳ではなく、どうも数が少ないらしいのだ。とても七千なんていない。私の術の作用範囲に踏み込んできた瞬間にざっと浚ってみたけれど、せいぜいが三千だ。想定していた数の半分もいない。

 サヴェラムさんが『樹獣兵、足の速いものは私に続け! 追うぞ!』とこれ見よがしな指示を叫ぶのを聞きながら、傍らのローラディンさんの腕を突く。こちらへと向けられた顔は、寸前の楽しげな声とは打って変わり、どこか険しい。……おそらく、同じことに気付いたのだろう。

「分かっている。さすがに作戦が漏れたとは考えづらい。直前で察されたか……いずれにしろ、注意するよう通達した」

 いくらかの苦みを帯びた声に、私は黙然と頷き返した。

 人形の進軍の足は速く、瞬く間に私の捉えられる範囲の三分の一の距離を踏破してしまった。わずかな間を置いて、その背中にサヴェラムさん率いる樹獣兵と、ヴィゴさん率いる歩兵部隊が追いすがる。樹獣兵の背には乗り手の他に弓を構えた傭兵がおり、彼らが矢を放つ度に背中から核を射抜かれた人形が隊列から零れていくものの、三千の総数に比べれば微々たるものだ。

『おら、気張れ野郎ども! 下手打って突破された分、てめえで取り戻さねえでどうすんだ! 傭兵ならもらった報酬分くらい働いて見せろっつの!』

 怒鳴り声が聞こえたかと思うと、歩兵部隊の先頭を駆け抜ける二足歩行の獣――もとい、ヴィゴさんが人形に躍りかかった。もちろん、自慢の脚で樹獣を走って追い抜いて。

 その上、人形の軍勢へと飛び込むや、千切っては投げ千切っては投げの獅子奮迅。縦横無尽に振り回される槍が人形を片っ端から薙ぎ倒し、胴をばっさり断たれるものに袈裟懸けに斬り倒されるもの、走る背中へ槍が突きたてられて団子よろしく連なって串刺しにされるものだってあった。……何と言うか、いや全く、実にやりたい放題である。ゲームみたいだ。

「何だあれは……ヴィゴは加減というものを知らぬのか。これでは煽るどころではないぞ」

「あー、その、色々と大雑把な人なので」

 傍らから上がる呆れたような声に肩をすくめて返しつつ、ふと気がつく。

 軍勢を成す人形の中に、あの黒い鎧の騎士がいないのだ。ヴィゴさんとそこそこにやり合えるだけの腕を持っていたのだから、敵方の戦力としては重要な部類に入るはず。泉に攻め込む、ここぞという局面まで温存する気なのだとしたら、それもまた面倒だ。あの騎士こそ、今ここで契約を切らせて無力化させてしまいたかったのに。……まあ、何もかもがそんなに都合よくいくはずもないか。

 やれやれ、とため息を吐いた時、不意に威勢のいい声が聞こえてきた。

『ああん? 何だ、あの黒い鎧のはいねえのかよ。おいコラ鎧野郎、聞こえてんなら出てきやがれ! 臆病風に吹かれて尻尾巻いたんでなけりゃ、付き合って見せろい。今度こそてめえを叩っ壊して、その首うちの嬢ちゃんの土産に持って帰ってやる』

 いや、それはいらない。思わず真顔で呟いてしまった声が、当人に届かないのは残念でならない。

 それはともかくとして、どうやらヴィゴさんも黒騎士の不在には気付いていたようだ。前回遭遇した時の振る舞いを考えると、易々挑発に乗ってくれるようなタイプには思えないけれど、あちらにもあちらで思惑――もっと直接的な言い方をすれば、水面下の反意があるはず。上手く乗せられる振りでもしてもらえたら、最高に嬉しいんだけどな……。

 そんなことを考えているうちに、シェーベールさんが追撃隊に合流したらしい。視界を覆い尽くさんばかりの光線の弾幕が張られ、一目散に進軍を続ける軍勢の背中に襲い掛かる。あちこちで小規模とはいえ爆発が起こり、人形が吹き飛ばされるのが見えた。

「……あの二人は、作戦を覚えているのだろうな? 二人で殲滅する気ではなかろうな?」

 ローラディンさんの真面目極まりない声に、私は何とも答えられなかった。

「とりあえず、進軍速度は落ちていません。速くなっているかと言われれば、まあ、それもさほど変わってはいないんですが」

 罠の場所までは、もうそれほどの距離はない。じきに秒読みに入ることだろう。

「まあいい、あの先遣隊だけでも無力化させることができれば……」

 ローラディンさんが溜息交じりにぼやく――その時だった。

『呼ばれたからには、出ねばなるまい。人形共、かかれ!』

 突如として朗々と響き渡る、聞いたことのない低い男の声。

 驚いたのは私もローラディンさんも、そして人形の軍勢を追っていた追撃部隊も同じだった。何だどうしたと驚き慌てるような反応が、探索の術を介して伝わってくる。そして、その術が、いち早く声の主を捉えたらしいヴィゴさんが、私に状況を教えてくれた。

『ハッ、何が呼ばれたから出てきた、だ。嘘も大概にしやがれ、端っから別働隊で隠れて窺ってたんだろうが! ――歩兵隊、喰らい付いた獲物は逃がすんじゃねえぞ! 細けえトコは騎兵隊長の指示に従え! 俺あ、ちいと別口の相手しなけりゃなんねえ!』

 大きく声を張り上げたヴィゴさんが蹂躙していた人形の軍勢から離れ、追撃隊の側面につく。

 何故その場所に動いたのか、は私にももう分かっていた。やや間延びした感のある追撃隊の列の横腹を突くように、猛烈な勢いで突っ込んでくる一群がある。数は多くないものの、凄まじい速さだ。

 しかも、その先頭に立つのはあの黒騎士。その進軍に合わせられるのなら、間違いなくただの傀儡ではない。おそらく、生前はさぞかし名の知られた戦士だったのだろう。それを複数相手に、ヴィゴさん一人で対応しきれるものだろうか。

「助けに行かないと!」

「駄目だ」

 思わず枝に座っていた腰を浮かせた瞬間、ぴしゃりとした言葉と共に腕を掴まれた。反射的に掴まれた腕の方へ顔を向ければ、険しい表情のローラディンさんが首を横に振っている。

「そなたの役目は罠を十全に起動させ、敵の大多数を無力化させることだ。この場を離れてはならぬ」

「でしたら、ローラディンさんが」

 代わりに行ってくれないか、という提案は、皆まで言わせてもらえなかった。

「私はバルドゥルに代わるそなたの護衛であり、そなたの傍を離れる訳にはゆかぬ。そなたは傭兵でない。戦場に一人で置かれ、生き延びられるのか」

 もっともな言葉に、押し黙る以外の反応が返せない。

「でも、あのままじゃ……」

「サヴェラムが樹獣兵をいくらか援護に出した。無事に罠が起動すれば、追撃隊からより多くの兵も割けよう。後わずかだ、その間辛抱せよ。“獅子切”の槍の冴えは、空恐ろしいほどだと兵の噂にも聞く。必ずや凌ぎきってくれるだろう」

 静かに言い聞かせる調子の声には、同時に有無を言わせぬ強さがあった。

 じくじくと嫌な風に心臓が痛む。少し前までなら考えられないことに、一秒でも早くあの人形の軍勢が来てくれないものかと願わずにはいられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ