15:悪魔囁き人過つ-01
石への施術が全て完了した翌日、いよいよ作戦行動に移ることになった。
出立は朝靄立ち込める早朝。お屋敷の前には、家令さんを始めとした人々がずらりと、主の出陣を見送りに並んでいた。中には目を潤ませている人もおり、何とも言えない緊張と昂揚、そして一抹の物悲しさが入り混じったような、独特の空気が流れている。それでもローラディンさんは感傷めいた素振りは微塵も見せず、特に挨拶らしい挨拶をすることもなかった。家令さんに「留守を頼む」とだけ告げ、堂々とした足取りでお屋敷を出ていく。
先頭を行く、ぴんと伸びた小さな背中のすぐ後ろにはシェーベールさん、私はその更に後ろで、ヴィゴさんはその私の隣だ。歪な隊列は朝早い為にまだ人気のない通りを粛々と進み、唯一外に繋がる門へと向かっていく。
しんと静まり返った、目覚めの気配も薄い家並みの合間では、かすかな靴音も殊更に響いた。念の為最後に確認しておくが、と前置きしたローラディンさんの声も、いつにも増してよく通る。
「ヴィゴは防衛部隊に復帰し、可能な限り傀儡を減らせ。我々は件の場所で陣を敷く。準備が整い次第、随時連絡は入れる故、余り戦いに興じすぎぬように」
了解、と軽く答える声が、私の他に二つ。
予定としては、里を出たところで二手に分かれ、ヴィゴさんとは別行動になる。現在第一の結界の外に集まっている人形の軍勢は、直線距離で泉に最も近いところに大規模すぎる本隊を置いている他、五か所から結界の破壊を試みているらしい。明らかな陽動だろうけれど、放置しておくには些か戦力が過剰らしく、防衛隊も戦力を分散せざるを得ないのだとか。
とは言え、私達の作戦が本格的に始まれば、第一の結界は一時的にとは言え消失してしまう。陽動とはいえ侮れない戦力とあれば、何とかして分隊の人たちに止めておいてもらわなければならない。
「罠の完成予定はどんくらいだ?」
未だに眉間に皺を寄せっぱなしのヴィゴさんが声を上げたので、ちらりと目線をやって答える。
「前と違って範囲が広いのが厄介ですが、お昼までには終わらせます。陣を敷く前に結界を破られるのだけは避けたいので、結界の維持を最優先に」
「へいよ。……ところでお前、俺に言うことあんだろ」
「何のことです? あ、やっぱり防衛線に戻るんじゃなくて罠のところで待ち伏せたいとかって話なら、駄目ですよ」
まだ実際に見たことはないのだけれど、シェーベールさんは以前ローラディンさんをして“極光の織り手”と評されたように、剣を携えていながらも光魔術においてかなりの技量を誇るんだとか。しかも、最も得意とするのは光線による射撃――広範囲爆撃も精密射撃もお手物だという凄まじさ――なので、今回第一の結界を解いた後に進軍してくるはずの人形を誘導してもらうにはうってつけの人材だ。
その一方、ヴィゴさんは明らかな対人戦闘特化型だから、攻撃の精度と威力について心配はなくとも、範囲については少々不安が残る。よって、二人の役目を交換することはできないのだ。昨日の夜にローラディンさんから役割分担を発表された時、微妙に不満そうな顔をしてはいたものの、結局何を言う訳でもなかったのは、ヴィゴさん自身それが分かっていたからだろう。
「世の中には適材適所って言葉がありますからね、シェーベールさんの方が追い込みに向いてます」
――などと、敢えてえらそうに講釈など垂れてみたらば、ヴィゴさんの表情が更にアレな方向に悪化してしまった。唇はへの字、眉間に皺を寄せ過ぎてやぶ睨み、今なら通りがかりの騎士に職務質問されても已む無しな感じだ。いやあ、この人は本当に内面が表情によく出るなあ。清々しい。
「ってことで、お分かりいただけます?」
「お分かりも何も、んなこたあ端からお分かってるし、俺が言いてえのは違えことだよ、このアホ!」
あーもー、と牛みたいな呻き声を上げて、ヴィゴさんがバリバリ頭を掻く。
「お前、意外に根に持つな?」
「さあ、それこそ何のことでしょう」
にんまりと笑ってみせると、ヴィゴさんががっくりと肩を落とす。
その時、ごほん、と空咳が聞こえた。ローラディンさんだ。ちらりと肩越しに私達を振り返って、呆れた風な目顔で言う。
「話はそれくらいにせよ、門を出れば作戦の開始だ」
「……へいへい」
渋々といった様子でヴィゴさんが口を閉じ――ほどなくして、以前にも通過した門の前へ到着した。こんな時間でも門衛の人はきちんと番をしており、私達の姿を認めると「ご武運を」との目礼に見送りの言葉を添えて、扉を開けてくれる。
門をくぐって里の外に出てしまえば、ついに作戦も始まりだ。目の前には、どこまで見ても途切れることのない鬱蒼とした森。背後では、門の閉まる重低音。今この時をもって、退路は完全に閉ざされた。後は最後まで、何としても走り抜けるしかない。
軽く息を吐いて、ともすればドクドクと鳴り出しそうな心臓を宥める。ちらりとヴィゴさんへ目を向けてみれば、いつも通りに肩に槍を担いだ背中が目に入った。強いてこれまでとは違うところを挙げるとすれば、どことなしかしょんもりして見えなくもない点だろうか。
……まあ、ほぼ私がそんな背中にさせたようなものなのだけれども。さすがにそろそろ潮時だ。
「ヴィゴさん」
声を掛けながら、ポケットから取り出したブツを投げる。
肩越しに振り返ったヴィゴさんは、突然目の前に出現した物体に目を丸くさせながらも、見事な反射神経でキャッチして見せた。ブツを掴み取った手が開いて、まじまじと確認されてしまう前に口早に言う。
「落し物です。次に忘れていったら、見つけても処分しちゃいますからね」
そう言って言葉を切ると、アレを掴み取った掌へ目を落としたヴィゴさんが、すごい勢いで私に向き直った。嫌だなあ、そんな剣幕で。何か変なものでも投げたみたいじゃない。
「おま、これ……!」
「それがあれば、罠の場所まで迷うことはないでしょう。戦況が怪しくなってきたら、助けにでも来て下さいな」
肩をすくめてニヤリとして見せれば、ヴィゴさんは更にもう一度掌の中のものと私の顔とを見比べて、笑えばいいのか怒ればいいのか迷ったような、何とも言えない表情を浮かべた。二日以上もかわされ続けた結果がこれで、拍子抜けしてでもいるのかもしれない。
「さ、行きましょう」
とは言え、いつまでも反応を待ってもいられないので、ローラディンさんとシェーベールさんへ顔を向けて声を掛ける。ああ、と頷いたシェーベールさんが、まず足を踏み出した。
「俺が先導しよう。ハント嬢は前回と同じく走って移動するものと思って構わないか」
「はい、大丈夫です。ローラディンさんは、どうされます?」
「しもべを作る故、少し待て」
そう答えるや、ローラディンさんは口早に何事か唱え、宙に緑色の石を放った。聞き耳を立てていたのに全然内容が聞き取れなかったことからするに、エルフ語の詠唱だったのかもしれない。
「――わ!」
そんなことを考えていたら、突然空中でくるくると回転する石が光を放ち輝き始めた。かと思えば、眩い光の中から緑の葉を生い茂らせた蔦が溢れ出し、瞬く間に鹿のような馬のような動物を形作る。やがて姿を現したのは、馬というには小柄で、鹿というには大柄な四足の獣だった。
唖然とする私達を尻目に、ローラディンさんはその文字通りの緑の獣の背中に飛び乗る。すると、獣は本物の動物さながらに動き出し、前足で地面を掻いてみせた。
「さあ、行くぞ」
ふふん、とまた得意げな表情をしたローラディンさんがそう言うに至って、やっと我に返る。……後で機会があったら、一度乗せて欲しいかもしれない。好奇心もとい後学の為に。
「一種の擬似生命を作る術、ですか?」
「うむ。そのようなものだ」
「はあ、こりゃ凄い……」
思わず、心からの感嘆でもって呟きが漏れた。ちらりと周囲へ目をやれば、ヴィゴさんとシェーベールさんの大人組も、さすがに少し驚いた顔をしている。
「芸達者なもんだなあ」
「さすがの手腕、ということか。殿を任せても?」
「構わぬ」
ローラディンさんと頷き合ったシェーベールさんの眼差しが、今度は私に向けられる。確認を求めるような目顔であったので、軽く頷き返した。私の反応を確認したシェーベールさんは、更に視線を転じて、
「では、ヴィゴ、私達はもう行くが」
「おう、行って来い。俺も一働きしてくるわ」
掌の中の飾りを以前のようにベルトに装着しながら、ヴィゴさんはひょいを片手を挙げてみせる。
「――で、ライゼル」
「はい?」
「頼まれなくても、断られても、助けにゃ行ってやる。覚悟しとけ」
何ですか、覚悟って――と言い返す間もなく、走り出したヴィゴさんは緑の茂みに飛び込んで姿を消してしまった。……ということは、これは、なんだ。アレだ。
「逃げられた」
「言い逃げだな」
「締まらぬ男だ」
そんな言葉を交わしながら、私達も目的地へと向かうべく走り出したのだった。
罠の敷設場所として選ばれたのは、敵の本隊と泉との直線上にある平地だ。いくつかの候補地から選び抜かれただけのことはあり、いい具合に泉から滲み出す魔力が地脈を通じて流れ込み、凄まじいまでの貯蔵量を誇る魔力溜まりを形成している。
とは言え、それはあくまでもその意図を持って地中を探らなければ見えない要素だ。辺りは狭い道になっている訳でも、崖や丘がある訳でもない。一見して何の変哲もない、地図上でも単なる通過点として見過ごされるだろう、ごく普通のフィールドだ。そんな場所に、敵の進軍ルートと垂直に交わるよう横長の陣を敷く。
罠の仕掛けにあたっては、先生の監修と同時に時折ローラディンさんからの提案も入った。それらに応じた微調整を施しながらの作業は、意外に緊張とは縁遠く進んでいく。もちろん間違えても教えてもらえるだろうなんて甘えた考えをしている訳ではないけれど、それでも第二第三の目でチェックが入るのと入らないのとでは安心感が大違いだ。
『これだけ魔力が溜まっていても、おそらく一度の起動で使い切ってしまうだろう。二度目はない。なるべく多くを引き込みたいところだな』
「ですね。横に広げるか、縦をもう少し伸ばすか、悩みどころですけど」
相変わらず人の頭の上を定位置にしてくれている銀の鳥の声を聞きながら、地面に石を埋めていく。幸いなことに、踏めば足跡がつく程度の硬さの地面は、穴を掘るのにも苦労することはなかった。
陣はおよそ幅一キロ弱、奥行五百メートル。掻き集めた石の数と地中から吸い上げられる魔力とで計算して、それが術の作用する最大範囲だった。敵が真実一万の数に上るとして、陽動にそれぞれ五百振り分けていたとしても、本隊には七千は残っていることになる。連日の防衛隊の奮戦で総数自体はいくらか減っているだろうけれど、千や二千の数を期待するのは些か楽観が過ぎるというものだろう。
この決して広大とは言えない罠の中に、どれだけの数を引き込めるか。端から全てをここで始末できるとは考えていない。それでもできるだけ多くを無力化して、後の戦いを楽にしなければ。
「……とりあえず、これで下準備は完了ですかね。大丈夫そうですか?」
一通り石を埋め終えたところで、頭の上の鳥に声を掛ける。キリキリとかすかにネジを巻くような音が聞こえたかと思うと、先生の声が響いてきた。
『配置の点で言えば、まずは問題ない。後は――』
「仕上げに術を掛けるのみ、ですか」
そうだ、と低く応じる声を聞きながら、深く吸い込んだ息を吐き出す。今更にまた心臓がバクバク鳴りだしそうだった。
これだけ大規模で精密な術ともなれば、鳥を通した遠隔操作での施術は無理だし、いくら魔術に秀でていようとも、実際に構築に関わっていないローラディンさんに任せることもできない。どうあっても私が一人で、それも十全にやりきらなければならないので、緊張感は今までの比ではなかった。
もっとも、今回は先生考案の魔術陣が術式の根っこにある。陣の精確さは緑柱石を加工する作業の中で嫌という程思い知っているから、そこに対する疑いはない。魔術を成すにおいて必要不可欠な「確信」は、既に申し分なく用意されている。後は私が上手く地中の魔力溜まりと陣をリンクさせて、きちんと起動するよう設定する――つまり、技術的な問題だけ。
周囲の探索と警戒にあたっていたシェーベールさんとローラディンさんが陣の外に出ていることを確認し、これから最終仕上げにはいるので陣に入らないよう言葉を掛けてから、最も大きな緑柱石を埋めた罠の根幹となる中心点へと向かう。硬すぎない地面の、靴で踏む度にさりさりと上がる音が、やけに大きく聞こえる気がした。
中心点の傍らで足を止め、地面に片膝を突く。緩く開いた右の掌を石を埋めたその上に当て、細く息を吐き出しながら魔力を注ぐ。
「開式――私の声は汝を捉え、私の指は繰り糸を断つ。荊の軛は私が穿ち、私が解く。傀儡の囚人に解放を、幾千の怨讐に終焉を」
唱え終わった瞬間、地面に押し当てた右手から、ごっそりと魔力の抜かれる感覚があった。バチッと弾けるような音を立てて、流れ込んだ魔力が陣の中に張り巡らせた不可視の回路を駆け抜けていく。中心点から迸った魔力が、回路の最後の一本に至るまで巡りきるのに、およそ五秒。その五秒を見届ければ、それで仕掛けは全て完了だ。
『ふむ、出来は上々と見えるな。これで後は、敵が掛かるのを待つのみといったところか』
頭の上から聞こえてくる声に、意図せずほっと安堵の息が口を突いて出る。良かった、ひとまず及第点はもらえたらしい。
ただ、罠にかかるコストだけは少し甘くみていたかもしれない。実際に陣が起動してから必要になる魔力は地中から吸い上げるとは言え、根本の設計図――指示書としての構築式には私の自前の魔力を費やさねばならない。ざっくりとした手応えだけれど、さっきので最大値の半分くらいは持っていかれた気がする。これからの戦況も何が起こるか分からないのだし、省エネを心掛けた方が良さそうだ。
早くも安堵から一抹の不安感に見舞われつつ、何はともあれ陣の外で待機していてくれたローラディンさんとシェーベールさんのところへ向かう。
「お待たせしました、仕掛けは全て無事に完了です」
そう言うと、ローラディンさんが軽く頷いて見せ、
「では、早々に隠れねばな。陣の起動は、そなたの方で操作が必要か?」
「最初の侵入から十秒後に自動起動です。なので、その分勢いよく突っ込んできてもらわないと」
「では、俺は背後から追い立てた方がいいか」
かすかに首を傾げるようにして、シェーベールさんが言う。……ううん、戦略的なものは、私は明るくないからなあ。
ちらりとローラディンさんを窺うと、少し考えるような素振りを見せた後で、提案があった。
「防衛隊の一部を今から後方へ伏兵に退かせておこう。結界の解除に伴い、前線に残した部隊に適度な撤退戦からの壊乱を演じてもらう。敵方が撃破の勢いに乗って進軍を始めたら、その背中に向かって伏兵部隊が追撃を仕掛け、進軍の足を速めさせるのでは、どうだ?」
「だったら、追撃を仕掛けるのはシェーベールさんと後少数の人に絞っておいて、伏兵は罠に掛からずに残った人形への後詰めに使えませんか? その方が一網打尽にできる気がするんですけど」
「だが、余り追撃の手が弱くては、敵の足を速めさせるだけの迫力に欠ける。伏兵を全て後詰めに回すのなら、前線に残す部隊から選りすぐり精鋭を出してもらわなければ難しいだろうな。よほど足が速く、尚且つそれなりの攻撃手段を持つもの。或いは、それこそ馬を連れているか、作り出せるような術者でないと、壊乱を演じたその後に敵の背中へ追い付けるかどうか」
「……ケーブスンから派遣された傭兵は、歩兵ばかりだ。里の兵でも、樹獣の術を使える者はそう多くない。傭兵を相乗りさせたとしても、些か頭数の少なさと、火力の低さが気に掛かる。――ライゼル、そなたの策は得られる結果が大きい分、問題も多いぞ」
ローラディンさんとシェーベールさんは眉間へ皺を寄せ、難しい表情で話し合っている。なので、話を振られた私がニヤリとしてみせると、怪訝そうにした。
「それを補うに足る、心当たりがあるのか?」
「ええ、とびきり足が速くて、攻撃能力にも申し分のない、うってつけの人が」
……まあ、本当のところを言うと、適材適所なんてえらそうに言って別れただけに、やっぱり追撃もお願いしますなんて言うのは、ちょこっとばかり気まずいところがないでもないのだけれども。




