14:節制の民-02
ローラディンさんの転送魔術の腕は王城の宮廷魔術師もかくやというほどで、私達は一瞬でケーブスンの街から鬱蒼とした森の中へと移動していた。どうしても必要なんですお願いします、と拝み倒してイジドールさんと馬車も同行させてもらう許可を得たのは良いものの、この大質量を転送するのはさすがに骨の折れることであったらしい。私達は里の中ではなく、里から少し離れたところに築かれた儀式場へと転送された。余計な手間を、と不機嫌そうにするローラディンさんを宥めながら馬車を引き引き、里への道を辿ること十数分。
樹海のエルフの隠れ里は、これまで通ってきた森にも増して鬱蒼とした緑の真っ只にあった。外縁部にはぐるりと石垣と木柵による境界が敷かれ、空に向かってきらきらと輝く粒子が立ち上っている様を見るに、侵入を阻む結界の魔術でも上掛けされているのだろう。儀式場からまっすぐ敷かれた一本道の延長線上には巨大な木の門が設けられ、その両端に門衛が立っていた。やはりここでも検問のようなものがあるのだろうか、と一抹の不安を抱いていると、
「お勤め御苦労」
そうとだけ言って、ローラディンさんは門を開かせた。門衛たちは何一つ言い返すことなく、礼をして粛々と門を開ける。顔パスだ。……もしかしなくても、ローラディンさんはかなりえらい人なんだろうか。そう言えば、前回もエルフ王からの言伝を持って私達に接触した訳であって、ある意味では王の名代として動いていたともとれる。そこまで王の信任深く、その命令を直接受けて動くような立場だとしたら――
「……いや、気付かなかったことにしよう」
どうにもまた私の手には余る事態であるような気がしてならない。深く考えると厄介なことになりそうな予感しかしなかったので、意図的に考えないことにして、黙々と足を進める。
里の中は意外に多くの建物があった。どれもこれも木造で、石造りのものは余りない。森の中だけに、やはり材質もそこから採れるものに偏るのだろう。表面を丁寧に均され、整えられた道をしばらく進むと、開けた場所に出た。集会か何かに使う広場なのか、円く形作られた空間の中央には天に向かって真っすぐに伸びる白い樹と、演台のような壇が置かれている。
何とはなしにぐるりと広場を見回していると、おもむろにローラディンさんが私達を振り向いて口を開いた。
「馬車とその主はここに置いてゆけ」
はたと足を止めて、厳しい口調で言う水先案内人を見やる。はあ、と相槌を打つと、ローラディンさんは眉間に皺を寄せ、見るからに苦々しげな表情を浮かべてイジドールさんを示した。
「そやつは招かざる客だ。これより先に連れては行けぬ。そなた達二人は、このままついて参れ」
もっともな話だ。無理を言ってここまで同行させてもらえただけでも、随分な僥倖というものだろう。薄情なようだけれど、私としてもここから先イジドールさんを連れていかなければ困るということもない。そもそも元々の目的が違うのだし。
「では、そういうことで」
なので、そう頷いて見せると、
「おいおい、あっさり引き下がるなよ!?」
最後尾からブーイングじみた抗議が上がった。いや、でも、そんなことを言われましてもね。
「引き下がるも何も。里の中まで入れてもらえたんだから、約束の一つは果たしたでしょう」
「そりゃ、まあ……」
もごもごと口の中で呟くイジドールさんの反応は煮え切らない。あわよくばこの隠れ里の王と謁見を、とか思っていたのかもしれないけれど、そこまでは私が面倒見ることじゃないしな。
「この里でのことなら、ローラディンさんにお願いしたらどうです?」
言って、どうですか、とローラディンさんに話を振る。――まあ、一応のポーズとして振ったみたものの、その反応なんて分かり切ったことで、
「ならぬ。同じことを何度も言わせるな。どうしてもと懇願された故、ここまでの同行は許したが、増長するでないわ。この場に留まることを許されただけでも幸運に思うが良い」
ずんばらりんと一刀両断である。ばっさりとローラディンさんに切り捨てられ、イジドールさんが押し黙る。そこに更に畳み掛けるように、厳しい声音が続いた。
「それから、商売をするのも構わぬが、あくまでも我らは節制を旨とする。無理強いをするようであれば、即刻放逐すると肝に銘じよ」
「……へいへい、了解しましたよ」
さすがにこれ以上の抗弁は悪手と判断したか、肩をすくめてみせたイジドールさんがそれ以上の抗弁をすることはなかった。
かくして不服そうなイジドールさんと別れ、私達は先に進むことになった。王がお待ちだ、と先を急ぐローラディンさんに促されて広場を抜け、更に里の奥へと進む。
まだここまで戦火が広がっていないとは言え、騒乱の真っ只中にあるからか、道中は閑散としたものだった。女子供は家に篭っているのか、それとも避難して身を隠しているのか。どちらかは分からないけれど、早くもイジドールさんの売上が懸念される。後で文句を言われたら面倒だなあ、とひそり思いつつ歩むこと十数分――
「この館に、王はお住まいだ」
ローラディンさんが足を止めたのは、とてつもなく巨大な樹の前だった。樹齢何千年……いや、その単位で足りるかも分からないほどの巨木。どれくらい大きいかと言えば、その上に立派なお館が丸々一つ載るくらい。お陰で幹に沿って設けられた階段を上って樹上の館に辿り着く頃には、すっかりうんざりしてしまっていた。因みに、階段の段数については、早々に百を超えたところで数えるのを放棄した。
樹上の館の門の前には、やはりまた門衛が立っていた。彼らもまたローラディンさんに何を言うこともなく、頭を下げるだけで粛々と扉を開ける。勝手知ったる風で館の中をすいすい進んでいく先導について、長い廊下、いくつかの扉を通り過ぎると、やがて一際大きな扉の前に辿り着いた。
派手に輝く金属光沢や鉱物装飾こそないものの、精緻な彫刻や見事な彩色が施された大扉。もしかして、なんて考えるまでもない。こんな扉の向こうにいる人が誰かなんて、決まり切っている。
はああ、と思わず深々とした息が口を突いて出る。まさか生まれてこの方「王」と呼ばれる人に謁見する機会に恵まれるなんて、思っても見なかった。心臓はばくばくと早鐘を打つようで、今更だけれども緊張で胃がしくしく痛みだすような気がした。
「そう心配することはない。あちらも君の若さは承知の上だろう」
どうやら緊張と動揺は背後にまで筒抜けだったらしい。低められた声が聞こえ、つい苦笑する。……そうだった、今の私は、たぶんまだそれを理由にすることが許される年齢だった。
「だと、いいんですけど」
ぼそりとシェーベールさんに囁き返すと、不意にローラディンさんがこちらをへ顔を向けた。厳しい眼差しが突き刺さる。おっとっと、ハイ、分かっていますとも。お口にチャック!
慌てて口元を引き締めると、ローラディンさんはきっかりそれを見届けてから、重厚なノッカーを鳴らした。そうして、朗々とした声を張り上げる。
「アルサアル王、ローラディンが戻りました! お役目、十全に果たしてございます」
その声が響いた途端、何の前触れもなく大扉が中から引き開けられた。一度頭を下げてから扉をくぐるローラディンさんに倣い、軽く会釈をしてから、先を行く背中に続く。
目を丸くするほど広い部屋の中には、柔らかな光が満ちていた。突き当たりの壁の丸窓からは外の梢越しの陽光が降り注ぎ、壁と天井に等間隔に設けられた魔石灯が、小さな家なら丸々収められそうな空間に温かみのある光を放っている。それらの光を一身に浴びるようにして、その人は佇んでいた。
音も無く流れ落ちる細滝を思わせる白金の髪。薄絹の長衣を纏う、すらりとした長躯。額を飾る緑を帯びた金の冠は、まるで瀟洒な花枝を編んだものかと思わせるほどに精巧な造りをしている。神秘的な紫の双眸を向けて微笑む彼の人は、まさに私が日本に生きていた頃物語で触れた「エルフ」そのものの、神憑り的な麗しさを溢れんばかりに湛えていた。
「ありがとう、ローラディン。よく務めを果たしてくれました。――お二方、どうぞもっと近くへ」
吹き抜ける涼風にも似た穏やかな声に促され、更に足を進める。その間にも美しき女王は「い、いけません王! 玉座でお待ちを!」というローラディンさんの制止にも構わず、広間の最奥に据えられた玉座から降り、広間の中ほどでごく短い距離を挟んで私達と相対する格好で立ち止まった。その姿を目の当たりにしているだけで呆然としてしまうような、これが王かと膝を突きたくなる神々しさ。
「わたくしが、ローラディンをあなた方の迎えにゆかせたアルサアルです。お名前を教えて頂けますか」
たおやかに微笑まれて、はっと我に返る。
「ラッ、ライゼル・ハントと申します!」
それだけ言って、頭を下げた。普通にどもったのとか、ちょっと声が裏返りかけたのは、それこそ若さゆえの過ちって奴だと見逃して頂きたい。恥ずかしくて死ねそうである。
「バルドゥル・シェーベールと申す。此度は森のエルフ王御自らの招聘、光栄に存ずる」
その一方で、シェーベールさんは何ともスマートに挨拶を述べていて、さすが元騎士かと経験の違いに愕然とした。けれども、幸いアルサアル王は私の凄まじい挙動不審っぷりも見なかったことにしてくれたらしい。特に言及されることもなく、
「ライゼル、バルドゥルですね」
にこりと微笑んで言う麗しの王に、ただ無言で頷き返した。
「あなた方がこの地へやってくる為、少なからぬ困難を経ていることは既に知っています。故に、無為な弄言で時を消費するのは失礼というもの。ですから、直截に伝えましょう。――ライゼル、あなたは死霊の傀儡を解き放つ術を握っていますね。あなたの持つものが、戦況を打開する決め手となります。鳥に託して、声を南へ。一刻も早く、その術を己のものとしてください」
その言葉を聞いた瞬間、まず初めにやってきたのは驚きだった。そして、ああそうかと納得する。
曰く、森のエルフ王は千年万里を見通すとか。であれば、きっと私が何を持っていて、どんな繋がりをもっているのかも先刻承知なのだろう。考えてみれば、割と当然の話であったのかもしれない。戦力として期待できない私をそれでも雇おうと言うのだから、戦闘能力以外の部分で必要とされるものがあるに決まっている。……それにしても、エルフの人たちは誰も彼も、完全に契約が成立している前提で話すんだなあ。契約書も取り交わしてないのに――というのは、まあ、冗談だけれども。
とりあえず、一度よく考えてみよう。この契約によって得られるもの、失うもの。
まずは……ううん、しばらく里から出ることはできなくなりそうだ。エルフの側としては、人形の軍勢を無力化する決定打が、少しでも早く欲しいはず。対する私は、必ずしもそれが最優先ではない。ここに来たのは、人形を殲滅する為ではなくて、人を探す――もとい、人に会う為なのだから。
感情的な面だけに目を向けて言えば、要請を保留ないし拒否して、すぐに森に入りたい。ただし、それにはかなりの危険が伴うし、エルフの側からすれば契約の不履行にあたる。エルフから見れば既に契約が成立したことになっていて、しかも王から直々に言葉をかけられている状況を踏まえると、下手に心証を損ねて怒りを買うのも厄介だ。そもそも考えなしに戦場に突っ込んで行っても、足手まといが増えて状況を悪化させるだけ。となると、身を守れるように手立てを講じて、欲を言えば状況を好転させるだけの手札も用意しておきたい。その点、要請を受けたことにすれば堂々と援助を要請する口実にできそうだし、仮に却下されたとしても、少なくとも衣食住の便宜は図ってもらえるだろう。ここはひとまず従っておいた方がいいかもしれない。
そう考えていた時、王の声がシェーベールさんを呼ぶのが聞こえた。
「バルドゥル、あなたにはライゼルの護衛をお願いします。そして、最終局面ではあなたにも存分に腕を振るってもらわねばなりません。その心づもりを」
心得た、とバルドゥルさんが短く答える。
「ライゼルも、問題はありませんか」
「あ、はい!」
そう言えば、うっかり返事をし損ねていた。不意にこちらへ視線を向け直した王に慌てて頷いてみせると、にこりと微笑みが返される。
「ありがとう。あなたならば、きっと果たしてくれると信じていますよ」
眩しいくらいの微笑に圧倒されて、つい「はあ、はい、善処します」などと間抜けな返事が口を突いて出た。……けれども、そんな反応が「王」と呼ばれる人へ許されるはずもない。ゴホン、とローラディンさんがこれ見よがしな咳ばらいがするのが聞こえ、我に返った途端、どっと冷や汗が出た。
「し、失礼を致しました。ご期待に沿えるよう、全力を尽くします」
ぺこぺこ頭を下げて口早に言う。すると、衣擦れの音が聞こえたかと思うと、思いの外に近いところから苦笑する気配がした。
「そう畏まることはありません、顔を上げて」
細い指に頬を包まれて、ゆっくりと顔が上向きに誘導されていく。そうして目に映るのは、絹糸のような金の髪。宝石のような紫の眼。王、とローラディンさんがまた窘める声が聞こえた。けれど、それにも構わず王は穏やかに私を見下ろす。
「ライゼル――あなたは望まれ、願われた子。多くに愛され、多くに求められ、走るあなたの軌跡は世界を回す。あなたの道行を、私は楽しみにしています」
今度こそ相槌も忘れて、ぽかんとした。間抜けに口を開ける私に淡く笑んでみせて、王は頬を包んでいた手を放す。その途端、ここぞとばかりにローラディンさんが声を上げた。
「王、お戯れはここまでに。両名の宿は我が館に用意してございます」
「ああ、そうでしたね。では、案内をして差し上げなさい。旅の疲れが癒えるよう、よくよくもてなしを」
「心得ております。――行くぞ、ついて参れ」
深々と王に頭を下げたローラディンさんは、打って変わって素っ気なく私達に言うと、颯爽と歩き出した。私とシェーベールさんもそれぞれ王に挨拶をして、ローラディンさんの後を追う。
「全く、このような者たちに王自らお声掛けなど……」
道中、ローラディンさんは不満そうに独り言を零した。まあ、確かにイジドールさんに聞いていたエルフの前評判とは、だいぶ異なる対応だった。ローラディンさんがこう言うってことは、たぶん珍しいことなのだろう。とはいえ、それは別段私達が求めたことでもないので、その不機嫌は是非とも胸の中にしまっておいて頂きたい。
それからはまたうんざりするほどに長い階段を下って、地上に戻った。相変わらず、辺りは戦いの最中だというのが信じられないくらいに静まり返っている。その静寂の中、連れていかれたのは、あの巨木からも程近い館だった。さすがに王の居館とは比べるべくもないけれど、それでも十二分に立派なお屋敷。
「これが我が館、そなたらが里に滞在する間の宿となる」
館の玄関前で足を止めたローラディンさんは、そう言って胸を張った。
首を逸らしてお屋敷を見上げながら、なるほど、と内心で相槌を打つ。まさしく、これは自慢するに相応しいだけの威容だ。敷地の規模で言えば一歩譲るものの、造りの優美さというか細やかさは王都のルラーキ侯爵のお屋敷に勝るとも劣らない。樹海の隠れ里だからか、あちこちの装飾に蔦や花葉のモチーフが取り入れられて、それは美しく建物を彩っている。まるで館そのものが一つの芸術品のようだ。
それを率直に伝えると、ローラディンさんはますます得意そうな顔になった。実年齢百歳越えという事実に目を瞑れば、何とも微笑ましい反応である。頭とか撫でてみたい。
「うむ、そなたは中々見る眼がある! 裏庭には小さな泉の庵もあってな、暇があれば案内してやろう」
「騒ぎが落ち着いたら、是非とも宜しくお願いします」
そんな話をしながら、館の扉をくぐる。外見だけに留まらず、内部の様子も見事なものだった。整然とした内装、埃一つない清潔さ。この大きな館でその状態を維持するには、そうさせるだけの人員を抱えることができて、尚且つきちんと働かせられる力をも持ち合わせていなければならない。やっぱり、ローラディンさん――或いはローラディンさんの家は、よっぽど力のある家系なのかもしれない。
それからひとしきり建物の中を案内してもらいながら聞いたことには、私とシェーベールさんはこの館で一部屋ずつ客間を貸してもらえるらしい。館には当然のようにローラディンさんに仕えるエルフの人たちが何人もおり、用があれば彼らに申し付けるように、とまでのお墨付きである。何というVIP待遇……。
「それで、これからのことだが――ライゼル、そなたはまず王の命を全うせよ」
「そうですね、早急に死霊憑きの人形を無力化させる方策を確立できるよう手を尽くしてみます」
「うむ。バルドゥルの方は――」
「ハント嬢の供回りに努めよう。だが、その前に戦況を詳しく教えてもらいたい」
味方と敵の数と位置、地形の詳細な情報、防衛設備について云々……。シェーベールさんが求めた情報は、素人の私でもそうと分かるほど、戦いにおいて必須なものだ。
それを知らずに戦いに行くのは自殺行為に近しく、私達にそれなりの働きを期待するからには教えない訳にもいかない。ローラディンさんは少し考えるような様子を見せたものの、特に反論もせず頷いた。
「分かった、食堂にささやかながら茶菓を用意しておいた。それで休憩としながら、併せて話そう」




