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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
54/99

14:節制の民-01

 ガタゴトと車体を揺らしながら走り続ける馬車がおもむろに停止したのは、いよいよ私が押し込められた木箱の中で三途の川を幻視しかけてきた時のことだった。検問やら何やら、これまでも出発してから何度か停まったことはあったけれど、今回はどこか違う。御者台で馬を操っていたイジドールさんが荷台に回ってくるような足音が聞こえたし、何より木箱の中に大量の布と一緒に詰められている私とは異なり、護衛役という名目で堂々と荷台の中に座っていたシェーベールさんの足音が近付いてきたかと思うと、あっという間に私を押し潰していた布の山が消え去ったのだ。

 木箱の中に詰まっていたのはどれくらいだろう、一時間か二時間か……。やっと圧迫感から解放され、木箱から這い出すと、図らずも深々とした息が漏れた。ああ、新鮮な空気、容易な呼吸ってスバラシイ!

 幌の張られた荷台の天井からは魔石のランプが吊るされており、意外に明るい。その明かりの下、床に座って自由呼吸を謳歌していると、イジドールさんが荷台に上がってくるのが目に入った。

「おう、元気か坊主」

「危うく窒息死するトコでしたけど! まあ、それは今は追及しないでおくことにしまして、随分すんなり王都を出られたんですね」

 木箱の中で聞こえていた範囲内では、検問を突破する際にもそれほど深く荷物を検査された風はなかった。荷台の中に人を上げてまでの調査はなかったし、周囲の様子ややりとりから察するに、ちらりと中を覗いて終わりになっていた可能性もある。あれだけ私達が厄介に思って、悩んでいたのが馬鹿みたいな容易さだった。

 そう思って言うと、イジドールさんは何とも言えない表情で肩をすくめた。

「俺も拍子抜けした。付き合いのある客の騎士がちょうど番だったお陰なんだろうが、ほとんど荷台も見られずに通れちまったぜ」

「へえ、運が良かったんですかね」

 或いは、その人選にもルラーキ侯爵の根回しでもあったのか……。いずれにしろ、無事に王都を脱出できたのは喜ぶべきことだ。

「ひとまず、食事にしてはどうだ。そのついでに夜間の移動をどうするかも話し合った方がいい」

 言われてみれば、荷台の入り口から窺える外の景色はすっかり真っ暗だった。シェーベールさんの提案に否と応じる人間が居るはずもなく、街道を少し外れた道端に停車した馬車の脇で火を熾し、手っ取り早く食事を済ませることにする。食事を終える頃には、満天の星に加え月までもが皓々と輝いていた。

「――で、この後はどうする? 徹夜で先を急ぐか?」

「どれほど火急かにもよるだろう」

 食後のお茶を飲みながら、口々に言う二対の眼が私を向く。少し考えてから、口を開いた。

「馬の替えもありませんし、下手に急がせるのは逆効果でしょう。周囲の警戒も大変ですし」

 もちろん、少しでも早く目的地に到達したい気持ちはある。けれど、今こそ「急がば回れ」というものだ。下手に気が急くままに無理をして、馬や馬車を痛めたり、事故を起こしてしまっては意味がない。拙速ではまずいのだ。急ぐ時こそ、よく考えて動かなければならない。この夏、嫌という程に学習した。

 そう伝えると、シェーベールさんとイジドールさんは軽く目を見合わせた後、軽く頷いた。

「その判断が最善かは分からないが、悪手でもないのじゃないか」

「俺も左に同じ。夜は俺とサルドワーヌ野郎とで見張りしてやるから、お子様は馬車ん中で寝てな」

「いいんですか?」

「構わない。無理をされては元も子もないからな」

 イジドールさんの申し出には、若干の申し訳なさを感じなくもない。けれど、実際問題私が夜間の見張りの役に立つかどうかは、何とも微妙なところだ。

 そんな不確定な人員を頭数に入れさせてしまうくらいなら、大人しく寝ていた方が誰の為にもなるというものかもしれない。シェーベールさんまでもが重ねて言ってくれたことを踏まえれば、これ以上の抗弁は無用というものだろう。であれば、早々に休んで体力回復に努めた方が良さそうだ。

「では、お言葉に甘えまして。――今宵が穏やかな夜でありますように!」


 王都を発って南下する旅は、その後も順調に続いた。ソノルン樹海に最も近いケーブスンの街に到着したのは、予定通り出発から二晩越した昼頃のことだ。もしかしたら王都から何か通達が来ているかもしれない、とまた木箱の中に隠れた苦労も空しく、聞き耳を立てていた限りでは街に入る為の検問もさほど厳しいものではなかったらしい。するりと通過の許可を得ることができた。

 何もかも、気味が悪いほど順調に進んでいる。ただ、さあ再出発だとなった時、今度は何故かシェーベールさんが呼び止められた。それも「その人相、もしやバルドゥル・シェーベールか?」と名指しで。さては罠だったか、と木箱の中でぎくりと身を震わせながら聞いていれば、

「……その通りだが、何か」

「傭兵ギルド長から、ギルドへ立ち寄るよう伝言を受けている」

「ギルドに? 用件は」

「そこまでの詳細は聞いていない。とにかく、ギルドに寄れということだ。確かに伝えたからな」

 そこで会話は終わったらしく、「行っていいぞ!」と許可を受けた馬車が再び動き出す。

 ギルド長からの伝言……なんだろう。どうにも最初に考えていたのとは風向きが違ってきた。

「話は聞こえていたか?」

 しばらくすると、そんな声と共に木箱の蓋が開いた。

「ええ、はい。ケーブスンの傭兵ギルド長というと、前に一度お会いした方ですよね」

 正しく言えば、この街に来た時と帰る時、二回顔を合わせてはいる。とは言え、私個人がそれほど深く交流を持った訳ではないので、覚えていることはそれほど多くない。確か、眼帯着けた壮年の男性だったはずだ。残念なことに、記憶の中に残っているのはその程度。

 木箱から這い出しながら問うと、蓋を開けてくれたシェーベールさんは「そうだ」と小さく首肯する。地方都市ともなれば、王都ほどに道路整備もされていないのか、石畳を行く馬車は時々大きく揺れた。シェーベールさんの手を借りながら、クッションを置いた床に腰を下ろす。

「彼自身、若い頃には辣腕で鳴らした傭兵だったそうだ。気さくだが強かな男で、容易に権力に屈する類の人間ではない。……と、思う。どうする、行ってみるか?」

「そうですね……。ここまでは来てしまったんですから、後はまあ、どうにかなると信じて――折角ですし、行くだけ行ってみましょうか」

 心得た、とシェーベールさんが御者台に繋がる小窓に近寄る。コンコン、と軽く窓ガラスを叩いてから開けると、

「不測の事態が発生した。傭兵ギルドへ向かってくれ」

「傭兵ギルドお?」

「そうだ。この街の傭兵ギルド長から、名指しで呼び出しがあった」

「呼び出し? 坊主か? それともお前?」

「俺だ。どのような用件かは分からないが、一応訪ねてみることに決まった。ギルドに到着したら、念の為いつでも馬車を出せる体勢のまま待っていてくれ」

 その答えに対する、イジドールさんの返事はなかった。ふうん、と気のない相槌のような反応だけがあり、馬車はまた粛々と進んでいく。

 イジドールさんは傭兵ギルドの場所も知っていたらしく、目的地に到着するまでにさほどの時間はかからなかった。ギルドの前で馬車が止まり、どうするべきか一抹の戸惑いを覚えつつも腰を上げると、「君はここで待っていてくれ」と待ったがかかった。はたと見れば、一足先に荷台から降りようとしていたシェーベールさんが、私を振り返ってその場に留まるよう手振りで示していた。

「呼び出しを受けたのは俺だけだ。無いとは思うが、万が一のことを考えて、君はここで待っていてくれ。異変を感じたら、すぐに馬車を出すように。ここまで来てしまえば、最悪君一人でも辿り着けるだろう。森に入ったら、小川を見つけてそれを辿れ。その源に、エルフの里がある」

 そう言い残し、シェーベールさんは馬車を降りて建物の中に入って行った。万が一とは言っていたけれど、自分が戻らなかった場合においての指示までされてしまうと、否が応でも緊張が高まる。こうなったら、また木箱の中に隠れているべきか、それともいつでも逃げ出せるよう荷物を持って控えているべきか……。

 ぐるぐると悩む頭のままに、荷台の中を歩き回る。うーん、どうしよう!

 とりあえず、スヴェアさんに用意してもらった鞄は置いていってもいいはずだ。あれは旅の道中に必要なものが入っているだけで、現状走って数時間で樹海に入れるところまでは来ているのだから、エルフの里にだって今日中に着けるはず。野営の心配はいらない。そもそも元はといえば、あちらからの呼び出しなのだ。であれば、エルフの里に着きさえすれば、多少の便宜――日用品なんかの融通くらいしてもらえるものと信じたい。

 どうしても手放せないのは、宿から持ってきた旅行鞄だ。あれは本当に正真正銘の貴重品が入っているから、荷物を抱えたことで移動速度が下がるくらいのリスクでは置いていけない。とはいえ、この鞄を手に持って走るのは邪魔以外の何物でもない。この際、不恰好なことになるのには目を瞑って、背中にでも括り付けて走ろうか。

 しかし、そんなことを考えて荷台をウロウロするのも、ごく短い間のことで終わった。

「ハント嬢、来てくれ」

 珍しく驚きを露わにしたシェーベールさんが戻ってきたかと思うと、そう言ってギルドへと招かれたのだ。どこか急いだ、或いは慌てたような様子なので、詳細を問う暇もない。

 その様子を不思議にも訝しくも思わない訳ではないけれど、少なくとも逃げ隠れが必要になるような危険はなかったということなのだろう。何が何だか分からないながらも、とりあえず誘いに従って馬車を降り、だいぶ久しぶりなケーブスン傭兵ギルドへと足を踏み入れる。念には念を入れて、自分の旅行鞄だけは手持ちの荷物として持ち込むことにした。

 ガラジオスのギルドとそれほど作りの変わらない内部は、通りから扉一枚で広いフロアに繋がっている。けれど、シェーベールさんの先導で連れて行かれたのはフロアのカウンターではなく、その奥の小部屋だった。見たところ応接室的な用途と推察される室内には、既に二人の人物がいた。テーブルとソファの応接セットに、テーブルを挟んで向い合せに座っている。

「よう。久しぶりだな」

 一人目は気安げに片手を挙げてみせる、眼帯を着けた黒髪の男性。――他でもない、ケーブスン傭兵ギルド長だ。どうも、と会釈を返すと、にやりと笑って向かいに座っているもう一人を指し示す。

「お待ちかねだぜ」

「……待ちかねたどころか、待ちくたびれたぞ。随分と遅い到着ではないか、“星降りの射手”よ。先だって交わした約束を忘れたか?」

 二人目は、見たことのない美しい少女だった。歳は十歳そこそこくらいか。きらきらと艶やかな金髪を長く伸ばし、深い紫の目の眦を吊り上げている。特徴的なのは、その耳が頭頂に向かって三角を描くように尖っていることだ。まるで日本に居た頃見た映画のエルフのような――って、まあ、その物言いを鑑みるに「ような」なんて言うまでもなく、ソノルン樹海のエルフの人なのだろうけれども。

「先払いの報酬は得たが、三人同時に出向くとは約束していない。非難される謂れはないと思うが」

 呆気にとられる私の前で、シェーベールさんが淡々と言い返す。少女が不満げに唇を尖らせるのを、ギルド長が「まあまあ、それくらい良いじゃねえか」と宥めているのが、何と言うか、ひどく意外だった。ぱちくりと目を瞬かせる私に気付いたのか、ギルド長が苦笑を浮かべて肩をすくめる。

「厄介なことに、ヴィゴの奴の言ってた通りになったぜ。ここの所、このお嬢ちゃんの王様から要請が出っぱなしでよ。この街の傭兵は、軒並み森の奥へ動員だ」

「ああ、それでやけに人が少ない……」

 なるほど、と相槌を打つ。その途中、私の言葉を遮るようにして怒声が上がった。

「ダーレン・ブレイク! 何度も言うているであろう! 私はそなたよりも百年は長く生きているのだ! 童のように扱うのは止せ!」

「あー、はいはい。分かったから、そういきり立つもんじゃねえぞ、お嬢ちゃん」

「貴様……!」

 白い頬を赤くさせて、エルフの少女はギルド長に食って掛かる。それを受け流すギルド長は随分慣れた風で、やはり先の言葉通りケーブスン傭兵ギルドではエルフの里と少なからぬやりとりがあるのだろう。

「……あのう、すみませんけれども、私達も暇ではないので、本題に入って頂けます?」

 さりとて、ここで漫才を眺めている訳にもいかないので、意を決して口を挟む。すると、少女の怒りの矛先が今度はまるっと私に向いてしまった。

「何が本題か! そなたらの到着が遅すぎる故、私がわざわざここまで迎えに来てやったというに!」

「はあ、そうだったんですか。それはどうも、お手数をお掛けします」

「全くだ! 既に戦は始まっているのだぞ。王の御前を離れ、このような場に出向いている場合ではないというに」

 忌々しげに言う少女の言葉に、ぞわりと胸の内で騒ぐものを感じる。……そうか、もう戦いは始まっているのか。

「それは失礼をしました。森のエルフのお方――ええと、レディ? 何とお呼びすれば?」

「……我が名はローラディン。レディでも、お嬢ちゃんでもない」

「では、ローラディンさん。遅れての到着については、深くお詫び申し上げます。ですので、宜しければ軽く戦況を教えて頂けませんか。私達とは別に、先に到着した傭兵の方についても」

「傭兵……? ああ、“炎の担い手”だな? 奴は存分に活躍してくれているぞ。敵は死霊を籠めた傀儡で十重二十重の軍勢を成している。彼の者が上手く兵を率いて敵を打ち返してくれている故、被害もさほど大事にならず済んでいると聞いた」

 そこまで聞いて、図らずもほっと安堵の息が漏れた。これだけの話では無事かどうかまでは分からないけれど、少なくとも兵を率いて敵を押し返せるくらいには元気であるに違いない。それなら、良かった。

 しかし、私の反応などまるで気にした風でなく、ローラディンさん――自分よりかなり年下の見掛けの少女を「さん」と呼ぶのは違和感があるけれど、実年齢百歳オーバーが事実であればやむを得ない――は「だが」と前置きを挟んで続けた。嫌な台詞だ。だが、なんて逆接はつまり、先に話したことと反対の内容を続ける時にしか使われないのだから。ああ、本当に嫌な感じだ。

「敵を完全に押し潰すには、決め手と手数に欠ける。我が兵達のもっぱらの懸念だ。とはいえ、そなたらが加われば、遠からずそれも解決されよう」

 そして、発された言葉は案の定の頭痛を呼ぶような代物だった。疑う風もなく言うエルフに、何とも言えない苦々しさを覚える。

 それは余りにも期待しすぎ、求められるハードルが高すぎだ。私には戦況を引っくり返すような力は何もない。これは謙遜でも何でもなく、純然たる事実だ。シェーベールさんも腕のいい傭兵ではあるけれど、それだって一人で戦場の趨勢を決められるような超越的な存在かと言われれば、多分、そうではないはずだ。それは人間の可能な領分を超えている。

 その考えは同じだったのだろう、傍らに立ったまま口を開いたシェーベールさんの声は、硬い響きを帯びていた。

「それはさすがに楽観が過ぎるというものだ。俺とハント嬢、たった二人の兵が加わって動くほど、戦況は容易ではないはず」

「しかし、アルサアル王はそなたら二人があってこそと仰ったのだ。であれば、そなたらが鍵となるに違いあるまい」

「先見は所詮先見だ。あくまでも不確定の未来の話だろう。先見が可能だからと言って、それを過度に信用し、縛られるのは危険ではないか」

 淀みなく述べるシェーベールさんに容易ならざるものを感じたのか、ローラディンさんは眉間に皺を寄せ、ふいと顔を逸らした。

「我らの在り方について、今ここでそなたと議論する気はない。この街を訪れたということは、遅い援軍に来たということで相違あるまい。事は一刻を争う。準備は良いか、里に転送するぞ!」

 ――って、何とぉ!?

「ちょっと待った、それは急すぎます! 暫し猶予を!」

 王都を出て以降、どうにも順調を通り越して予想を遥かに超越した急転直下具合で事が進んでいる気がする。契約の条件もあるし、ここでイジドールさんを放って森に入る訳にはいかない。私は慌てて部屋を飛び出し、転がるようにギルドの表へと向かった。

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