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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
53/99

13:謳われる死に決別を-03

 王城の奥深くに隠された『青の羅針儀』の針は春頃に一度現れ、北から南へと動いて見せたきり忽然と姿を消した。だというのに、それがまた今になって再び出現し、南を指しているという。その状況は、敵であるところの人形遣いが北の果てからやってきて南の島で騒ぎを起こし、そして現在この国で何かを企んでいると思しき状況とも合致する。よって、羅針儀のレプリカの針の示す先を辿ることで、敵の所在を突き止めることができるのではないだろうか。

 食事を再開しながら、ルラーキ侯爵とのやりとりから知り得た情報と、そこから推測されるあれやこれやを開示していく。すると、おもむろにシェーベールさんが「一ついいか」と口を開いた。

「はい、何です?」

「羅針儀が北を指したという『春頃』が具体的にいつのことか、それは聞いているか?」

「いえ、聞いてませんけど……それがどうかしました?」

「どうかした、というほどのことではないと思う。――が、その針の動いた頃が北の皇帝の前か後かで、印象が変わりはしないか」

 いやに神妙な風の声で言われて、はっと思い出す。

 春から夏へと季節が移り替わりつつあった、あの晴天の日。キオノエイデの皇帝が、確かにこの国を訪ねて来ていた。それは王都を丸ごと巻き込んだ武闘大会も開かれたくらいの大騒ぎだったけれど、言われてみれば、私はついぞその訪問の意図を知らないままだった。別段そこまで興味もなかったし、単に巡り巡って私の耳に入らなかっただけだろうと気にしていなかったけれど。――もし、それがアルマでの騒動が公には伏せられたように、真実一般的には秘されていたのだとすれば。

 あの人形遣いが暗躍していたと思われるラビヌは、キオノエイデから更に北に位置する亡国だ。そこで何か動きがあれば、真っ先に気付くのは彼の帝国だろう。羅針儀の示す敵が現れたのと前後しての、しかも皇帝その人の来訪が、まさか単なる偶然とは思いにくい。

 実際、北の皇帝がやってきた春頃は、わざわざ歓迎の為に祭典が催されるくらいには行事ごとが何もなかった。よって、何かの式典の類の来賓としての来訪であったはずはない。であれば、それこそ北の異変に対する忠告だとか、或いは異変を南へと取り逃してしまった弁明だとか。そんな真相だった可能性も有り得るのじゃなかろうか。

「……ん? てことは、ひょっとしたら、ルラーキ侯爵――いや、王城はアルマに人形遣いが逃げ込んだ可能性を把握していた……?」

 もしも、北の皇帝の来訪の真意が、今考えた通りであったとして。南下する国家の敵が、北の果ての亡国の大禁呪を用いる人形遣いであるという情報がもたらされていたのなら。……その推測は、あながち突飛なことではないように思えた。

 自動人形の運用における肝は、核にどれだけ良質な魔石を用いることができるかにかかっている。核の良し悪しによって、行動や思考の精度が劇的に変わってくるのだ。死者の魂を憑依させるなら、それこそ最上級の逸品が必要になるに違いない。人形の素体自体は、最悪石を積むなり木を組むなりでどうとでもなる。人形遣いが軍勢を増やそうと思うなら、まず魔石の収集から手を付けるはず。

 半人前の私だってその推測ができるのだから、王城の中でもそれが議論されなかったはずはない。……となると、アルマの島にラファエルさんが滞在していた理由――「避暑に来ていた」というのも、もしや方便だったのではないだろうか。考えてみれば、前代未聞の大騒動の真っ只中にある孤島に、近郊の国随一の騎士が居合わせるなんて偶然にしても出来すぎている。

 当時は日にちの割に涼しかったから疑問を覚えなかったけれど、そもそもバカンスの定番と言えば南海諸島だ。アルマはあくまでも自動人形の一大生産地であって、世間的にも避暑地だの観光地だのといった認識は乏しい。商工ギルド主催の南海諸島旅行ツアーはあっても、アルマ島観光ツアーなんてものは存在しないのだ。事前に騒動を予測していた王城の御偉方によって秘密裏に派遣されていたとか言われた方が、よほど納得できるような気がした。

 それに、噂の「ラファエル・デュランベルジェ」という騎士は必要と判断すれば、さらりと嘘を吐いてみせてくれる御仁でもあるらしいのだし。しれっと偽っていた可能性は否定しきれない。もっとも王城からの密命であれば、それを打ち明けることなんてできようはずもなかったのだろうけれど。

 おそらく、私がこの件に関与してしまったことだけが、一連の事態の中で唯一偶然と言える要素だったに違いない。だからこそ、ラファエルさんとルラーキ侯爵、本来同一の目的で動いていたのだろう人たちの間でも、行動と選択に乖離が生まれている。

 そこまで考えたところで、はたと我に返ってシェーベールさんを見やれば、小さく首肯が返された。

「推測に過ぎないが、その可能性は高いだろう。そもそも前代未聞の事件が発生した現場に、あのラファエル・デュランベルジェが居合わせるという状況自体が出来すぎている。それまでの経緯を踏まえれば、事前に北方から情報を得ていて、調査もしくは打倒の為に派遣されていたと考える方が現実的だ」

「異議なし。第一、噂の羅針儀が動くなんて事態に、何の目的もなく国一番の騎士を外に出すか?」

「……言われてみれば、もっともですね」

 イジドールさんにまで畳み掛けられ、苦い気分で頷く。

 単純に考えて、国内最大戦力を余所に出すには、それ相応の理由がなくてはならないはず。北方二国を巻き込む大騒ぎとなれば、理由として足らないということもないだろう。

「それに、だ。ライ坊」

「だから坊主じゃないですって」

「傭兵が連れてかれたくらいで動揺して、まともに考えられてねえヒヨッコなんぞ、坊主で充分だろ」

 そう言って、ハハンとイジドールさんは鼻で笑う。その言い草に思わず反射的に言い返そうとして、

「お前は針を辿れば敵が見つかるかも、なんて悠長なことを言ってるがよ。お前の傭兵が真実騎士団と共謀して、敵をぶちのめしに出てったんだとして、だ。それなら、連中は敵の居場所を知ってなきゃおかしいだろ? 敵の所在も知らねえで、どうやって戦いに出るよ」

「あ」

 言われてみれば、それこそその通りだった。あの人がわざわざラムール石の飾りを残していったのは、万が一にも私が追い駆けてこないようにと張った、露骨な予防線だろう。私が追ってきて困るということは、敵を見つけ出すことにおいて、ある程度以上の自信があったはず。

 とは言え、あの人と私の持ち得る情報量に、それほど差があったとは思えない。騎士団もといラファエルさんから情報提供を受けていたとしても、私がルラーキ侯爵から知り得た以上のものであるとは考えにくい。なのに、私はまだその答えが分からないでいて、あの人は随分先に手を打っている。その差はどこから出た。なら、あの人は一体どこから、それほどの確信を……?

「ラファエルさんは未だに王都にいて、おそらく騎士団も動いていない。とすれば、まだ動くことができないでいる……? あの人と違って敵の居場所を掴んでいない……いや、ラファエルさんと共謀している以上、情報の共有はされているはず。勝率を上げるなら、騎士団を動かしておいた方がいいし、一人で戦わなければならない理由もない……」

 状況を数えるように口に出して諳んじてみても、一向に答えらしきものは思い浮かばない。悶々と考え込んでいると、シェーベールさんが「仮説だが」と声を上げた。

「騎士団が騎士を派遣できない事情があり、ヴィゴの心当たりに成り得る南方の地に、一つ覚えがある。君も知っているはずだ」

「え?」

 えっ、そんなのあったっけ? 私、何か忘れてるっけか?

 思いもよらない言葉に、ぽかんとする。目を白黒させる私の前でシェーベールさんは「覚えていないか」とかすかに首を傾げて見せ、静かに続けた。

「忘れるには、まだ早いと思うが――夏の前のことだ。我々が三人で向かったのも、また南方だったろう。彼の森の奥深くは、この国とは異なる王の統べる土地。二王の間では不干渉の誓約が結ばれ、それぞれの王からの要請があり、それが受理されない限り兵を送ることができない」

 静かにシェーベールさんは言う。まるで律儀に並べて語り聞かせるような言葉に、何とはなしに引っ掛かりを覚え――覚えて――あれ、そう言えば……

「あ、ああああ!」

 瞬間、忘れていた初夏の記憶が弾けるように蘇った。思い出すのは、初夏の深い森。薬草を摘む為に走った獣道、少しぎくしゃくした空気。……それから、川べりで遭遇した珍客。

 それらの記憶がどうっと脳裏に溢れだした瞬間、図らずも奇声めいた大きな声が喉から飛びだし、その勢いのまま立ち上がっていた。そうだった、今の今まで完全に忘れてた! エルフの森、ソノルン樹海! しかも、あの時やたらと意味ありげな予言までされてた!

「思い出したか」

「ええ、はい、思い出しました。本当につい今さっきまで、すっかり忘れてましたよ」

 一人立ち上がっている状況に一抹の気まずさを覚え、そそくさと椅子に座り直しつつ、シェーベールさんに頷き返してみせる。その一方で、事情を知らないイジドールが首を傾げていたので、

「夏の前に、エルフの森に薬草採取に出掛けてたんですよ。なんですけど、意外なことに採集するまでもなくエルフの人から薬草を恵んでもらって――」

「はあ!? あのエルフがか!?」

 驚きの余りにか、私の言葉を遮ってイジドールさんが叫んだ。うーむ、エルフが人と関わらないという情報を聞いてはいたけれど、この反応を見るによっぽど不干渉を貫いてでもいるのだろうか。

「そうです、その『あのエルフ』にです。……けど、あちらにもあちらで思惑があったようで」

「遠くない未来に森で発生する争いへの助力を要請された」

「ま、ぶっちゃけ勝手な依頼の前払い報酬ですよね。そんなだったんで、確かに南の樹海で何か起こるかもって念頭にあったところに羅針儀の動きを教えられたら、そりゃあもういよいよその時が来たかって思うかもですけど――騎士団が全然動いてないってことは、エルフの王からは要請が来ていない?」

「おそらくは、だが」

「まあ、よっぽどの事態にでも陥らねえ限り、そりゃねえんじゃねえの。馬鹿高い矜持の権化みたいな奴らだからな」

 腕を組んで、重々しい口調でイジドールさんが答える。この口振りにさっきの反応と、やけに刺々しい感じだ。もしや、過去にエルフと何らかのトラブルでも起こしたことがあるのだろうか。折角だし、少し突っ込んで訊いてみようか。

「どういうことです? ていうか、エルフに何か恨みでもあるんです?」

「……恨みって訳じゃねえけどさ。連中は、とにかく人間っつーか、異種族? に対して、無関心っつーか排他的なんだよ。人間ってだけで、商談に行っても門前払い。人間から購うものなどない、って一点張りよ。そんなんだから、それこそ隠れ里が壊滅するかしないかの騒ぎにならねえと、向こうから手を貸してくれなんて言って来ねえだろ。言わないっつか、言えねえっつか。エルフの王が人間の王に頭なんざ下げられるか、って話な訳だ。向こうからすると」

 やれやれ、とばかりにイジドールさんは肩をすくめる。私は何とも言えない気分で、唸る以外の反応が返せなかった。

 自分の故郷に危険が迫っているとなったら、正直そんな意地を張っている場合じゃないんじゃないかと、私なんかは思うんだけれども。……或いは、それもまた私が未だ扱いかねている、こちら特有の身分とか何かそういうものに付随するややこしい事情とか感情なのかもしれない。

「その割には、普通に助けを求めてる感じでしたけど」

 どうなんです、とシェーベールさんを見れば、軽く肩をすくめる仕草。

「あれは、あくまでも傭兵を使うに近い感覚なのじゃないか。欲しいものをくれてやる代わりに、我々に従え、と」

「うーん、上から目線! というか、詭弁じゃないですか、それ」

「時にはそういった建前が必要なこともあるものだ」

 妙に実感ありげに、シェーベールさんは言う。騎士をしていた頃の体験に基づく発言だろうか。

 そういうもんですかねえ、とよく分からないながらも相槌を打っていると、ふと閃くことがあった。

「イジドールさん」

「あん?」

「エルフの隠れ里での商談は、今まで成功してないんですよね?」

「そうだよ、腹立たしいことにな」

 応じるのは、苦虫を噛み潰したような顔。その表情は、何とも言えず新鮮に感じられた。

 私の中で凄腕の商人と言えば、それはイジドールさんのことだった。どんな商談でも上手く纏めてしまえるような、そんなイメージの。けれど、その人でも失敗することがある。何と言うか、改めて世の中の広さというか、儘ならない難しさを感じたような気分だ。

 ――もっとも、今回はそれが私にとっての僥倖になるのだけれど。

「でも、実際未練残ってますよね?」

 にやりと笑って言ってみると、案の定イジドールさんは嫌そうな顔をした。言葉での答えはなかったけれど、その表情こそが何よりも雄弁な回答だろう。

「じゃあ、ここで改めて取引をしましょう。イジドールさんは私とシェーベールさんをソノルン樹海まで連れていく。その対価として、私はあなたのことをルラーキ侯爵に話して、便宜を図ってもらえるようお願いする。オマケに、エルフの隠れ里での商談ができるように協力する。その二方と今後も取引ができるようになるかどうかは、あなたの腕次第」

「……言ってくれるじゃねえか」

 私の笑みに呼応するかのように、イジドールさんが口角を持ち上げる。その眼には、まるで獲物を見つけた獣のような好戦的な光が宿っていた。随分とやる気に満ち溢れている。……良かった、これで少しはあちらにも明確な利のある話に持っていくことができたようだ。

 ああ、そう言えば、エルフからの置き土産、取っておいたんだっけ。質のいい絹布だったから、もしかしたら何かに使えるかもってハンカチ代わりに鞄に詰め込んできた気もする。

「お? また急に立ち上がってどうしたよ」

 何の前触れもなく立ち上がった私を見て、イジドールさんが不思議そうにする。それには敢えて反応せず、リビングの隅に置きっぱなしだった鞄の元へ足早に向かった。開けて中を開いてみれば、運よく目的のものはすぐに見つかった。それを手に持ってテーブルに戻り、イジドールさんに手渡す。

 そうして席に戻ってみれば、シェーベールさんが意外そうな顔でイジドールさんの手元を見ているのが分かった。何だかこう、少し悪戯が成功したような気分だ。

「懐かしいものが出てきたな」

「物持ちいいんですよ、私」

「何だ、こりゃ」

「開いてみてください」

 問いに答えず、絹布を指で示す。何だよ、と首を捻りながら折り畳まれた布を開いたイジドールさんは、すぐに「それ」を見つけたらしい。呆然としたように、かぱっと口を開ける。

「こりゃあ――ソノルン樹海のエルフの紋章じゃねえか!」

「ええ、それで確かにエルフとやり取りがあったという証拠になるでしょう?」

「なるどころか、珍品中の珍品だぞ!? 好事家相手に上手くすりゃあ、こいつだけでも一山稼げるんじゃねえか……」

 絹布を見詰めて言うイジドールさんの声には、未だかつて聞いたことのない、掛け値なしの感嘆の色があった。マジかー、そんな代物だったなんて、やっぱあげるの止そ……いや、いけないいけない。下手な欲を出しては、折角の状況が台無し、本末転倒だ。

 あの布に意外どころじゃない価値があったことには驚くけれど、だからこそ、いいカードになってくれるはず。価値が高ければ高いほど、双方にとっての利も増える。元手ほぼゼロで協力を取り付けられるのなら、安いものだ。実際には安くないとしても、それくらい提供しようじゃないか、涙を呑んで。実を言えば、かなり惜しい気もしないではないけども!

「じゃあ、それ差し上げましょうか。契約の手付金ってことでどうです?」

 できる限りふてぶてしそうな笑顔を浮かべて、言ってみせる。すると、一転してイジドールさんは厳しい表情になって私と絹布とを見比べ、難しい表情を作ってしばらく沈黙していたものの、

「……分かった、お前の要求を呑んでやる。その代わり、お前も報酬は両方必ず寄越せよ。それが契約の絶対条件だ。エルフとだけじゃあ許さねえ。意地でも這ってでも生き延びて、侯爵との繋ぎも寄越せ。何があっても、絶対にだからな」

 くどいくらいに念を押す言葉に、思わず苦笑が浮かぶ。分かってますよ、と頷いてみせれば、イジドールさんは更に念を押すように言ってきた。

「俺は御免だからな、あの家に骨とか持ってくのは」

 ――ああ、なるほど。

 ぶっきらぼうに投げられた台詞に、何とも言えない感慨を覚える。申し訳ないような、少しむず痒いような。お陰で、返す言葉は図らずもどこか茶化すような響きになってしまった。

「何だ、そんな心配ですか」

「そんなとは何だコラ。心配してやってんだろがよ」

 あからさまに眉間に皺を寄せての言葉に、ついつい反応に困って頬を掻く。

 ……何と言うか、アレである。表向きの口の悪さはさて置き、まだ本当に子どもだった私のお小遣い稼ぎに律儀に付き合ってくれたくらいには、この人もお人好しなところがあるのだ。振り返ってみると、私の周囲には本当にそういう人が多いような気がした。それが何かの思惑のうちであったとしても、そんな人たちから多くの助力を得ている事実には、素直に感謝したいと思う。とんでもなく幸運で、幸せなことに間違いはないのだから。

「私だって、この歳で死ぬつもりはありませんよ。何が何でも生き残る。そこは絶対です」

 肩をすくめて言い返すと、イジドールさんはイマイチ信用していなさそうな顔で「頼むぜ、ほんとに」とぼやいた。気持ち分かるけれども、何ともはやもう少しくらい信じて頂きたいものである。ついでに、その隣のシェーベールさんまで真顔で頷いていたので、どうにも旗色が悪いことこの上ない。ここはいっそのことと、潔くまるっと華麗に見なかったことにしておいた。


 それからはさっさ食事を終え、用意されていた荷物の最終確認をしながら、馬車を取りに行く為にと隠れ家を出たイジドールさんの帰りを黙然と待った。

 大きな幌馬車が隠れ家の前に横付けされたのは、もうじき日が暮れ始めようかという時刻のことだ。この時間なら、まだギリギリ門は閉まらない。急いで荷物を詰め込み、馬車の荷台に上がって木製の空箱の中に入り込んでいると、

「そういや、これまでの話で結局一度も聞かなかった気がするんだけどな」

 私が木箱に収まり、後は上からカモフラージュ用の軽い荷と蓋を被せてもらうだけとなった時、不意にイジドールさんが口を開いた。

「はい?」

「お前はお前の傭兵が一人で戦いに出てったって言ったけどよ。……その根拠はあんのか?」

 根拠、とな。それは、何か――

「ええと、つまり、何でその傭兵の人が逃げたり隠れたりしたんじゃなくて、戦いに行ったと思ってるのか、ってことですか?」

「そういうこと。何か置手紙とか、言伝でもあったのか?」

「いえ、どっちもなかったですけど」

 事実だったので、きっぱりと首を横に振る。と、イジドールさんは「はあ!?」と大仰な素振りで目を丸くさせた。有り得ない、とばかりの表情に、逆に私が心外である。

「じゃあ、お前、何の証拠もなく、その傭兵が自分の為に戦いに行ったと思ってんのか!?」

「その言い方だと、なんか肯定しづらいんですけど……」

「それ以外の言い方ねえだろうがよ!」

 いや、そうかもしれないけど。けれども、こう、もうちょっと配慮があってもいいんじゃなかろーか。それじゃあ、まるで私が物凄く無鉄砲で自意識過剰な人間みたいじゃないか。……いや、実際今取ってる行動が割と無謀な自覚はあるし、つい最近まで自意識過剰こじらせてたけど。それはそれとして。脇に置いておくとして。

「そうは言われましてもねえ、そういうものだと知ってるものはしょうがないんじゃないですか?」

「知ってるだあ?」

 怪訝そうな顔をするイジドールさんに、ええまあ、と頷いて笑ってみせる。改めて思うと、我ながら笑ってしまうくらいに、多分傍からすれば奇妙に見えるのかもしれないくらいには、そのことについて疑いがなかった。

「あの人は、そういう人なんですよ。付き合い半年にも満たないような人間の為にも、戦いに行っちゃう。信じられないくらい、底抜けにお節介というか、お人好しというか」

 そう言うと、イジドールさんは呆気にとられた表情を浮かべ、それからがしがしと乱暴に頭を掻いた。更には、ちょうど残りの荷物を持って荷台に上がってきたシェーベールさんまで微妙に笑っているっぽいのは、果たして何故なんだか。おかしいな、そんなにおかしなことを言ったつもりはないんだけどな。

「あー、そうかい。聞くだけ無駄だった。おら、頭引っ込めてろ」

 なんて思っていたら、頭の上にばさばさと布の塊が降ってきた。色とりどりの布に溺れるように、瞬く間に視界が覆われていく。うおっぷ、せめて言葉から行動までにもう一呼吸余裕が欲しかった!

「ったく、あの小坊主がなあ。ナントカは盲目ってか」

「それはあちらだろう。詩人に曰く『男は一度女を愛すると、その女の為に何でもしたくなるものだ』」

「へえ? サルドワーヌ騎士は、言うことが違うねえ」

「元、だ。それよりも、荷物はこれで全部だ。全て詰み終わった。じきに日が落ちる」

「へいへい、急いで出発しますよっと」

 ……微妙に一言物申したくなる会話が、箱の外では交わされていたけれど。

(布入れすぎだこれ! 潰れる! 現在進行形で潰される!)

 残念ながら、私にそれをする自由はなかった。訴えたつもりの声は、分厚く積まれた布に吸い込まれて音にもならない。果たして王都を出るまでに窒息してしまわないかと一抹の心配が残るものの、ガタガタと馬車は動き始める。

 何だかんだ微妙に色々と想定外の事態が発生してしまったような気はしないでもないものの、こうして私の王都脱出行は始まったのだった。

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