13:謳われる死に決別を-02
「さて、何のお茶にしようかしらーっと」
イジドールさんを拉致して隠れ家に戻った後、私が真っ先に行ったのはお茶を淹れることだった。
キッチンには食器類一式どころか、まるで買ったばかりの新品のようにピカピカのヤカンまでもが置かれている。それらをまるっとこれ幸いと拝借し、流しの傍の魔石式水瓶――汲んだ水を保存するのではなく、魔力を注ぐことで水を発生させる――から水を注ぎ、コンロにかけた。肝心のお茶については、市場に出掛けた時に買ってきたティーバッグがある。何種類かある中から、適当に一種類を二つばかりをポットに放り込んでしまえば、後は水の沸騰を待つばかり。
そうして手持無沙汰になったので、ふと思い立ってリビングを覗いてみることにした。イジドールさんは、シェーベールさんの監視付きでリビングのテーブルに着いている――もとい、テーブルに買ってきた食事を並べる作業中のはずだった。
……さて、大人しく仕事をしてくれているだろうか。
「全く、初対面の人間をいきなり担いで攫う奴があるか! この国の傭兵はどうなってやがるんだ、礼儀の一つも知らねえのか」
「生憎と、俺はこの国の生まれではない。生まれも育ちもサルドワーヌだ」
「うん? あの西のか? 葡萄酒とバタイユ豚が名産の、美食の国?」
「ああ」
「ふーん、へえ、そいつはいい。――だったら、人を拉致してきた償いとして、いい葡萄酒を造る醸造所でも教えてもらわねえとなあ!」
「祖国にあった頃、俺は騎士であって職人や商人ではなかった。悪いが、その期待には沿えないな」
「あぁん!? なんだよ、肩透かし食らわせやがって!」
「勝手に期待したのはそちらだと思うが」
おお、意外に会話が弾んでいる。
というか、シェーベールさん、サルドワーヌ出身で、しかも騎士やってたんだ。初めて聞いたけど、それにしても国二つ越えて来なきゃいけないアシメニオスで、何で傭兵なんかやってんだろ。生まれた国で騎士をやってる方が、よっぽど安定した生活を送れるだろうに。
まあ、人それぞれ色々と事情はあるものだ。余り野次馬根性を出すのも宜しくない。ちょうどヤカンもピーピー鳴き始めたことだし。ということで、何も聞かなかったことにして、コンロの火を消し、ヤカンのお湯をポットへ注いだ。用意しておいたお盆にポットと、それから人数分のカップをお盆に載せ、ようやっとリビングへ向かう。
「お茶が入りましたよー」
キッチンよりも窓の多いリビングは当然採光もよく、明るい。そのお陰で、リビングに足を踏み入れた私を振り返る顔の表情も、無駄によく見てとることができた。
「てめえ、おい、ライ坊!」
「だから坊主じゃないって言ってるでしょうが。あ、シェーベールさん、不良商人のお守りありがとうございました」
「いや、さほどのことでもない」
「何がお守りだ、このひねくれ小僧が」
「ひねくれてることは否定しませんけど、小僧でもないって何度言えば分かるんです? ――さ、シェーベールさん。こんな人は放っておいて、ご飯にしましょう。お茶淹れますから、座って下さい」
言葉と手振りで促せば、すでにどっかりと上座に陣取っていたイジドールさんの右手の椅子にシェーベールさんが腰を下ろす。買ってきたものを全部並べてもまだ余裕のある大きなテーブルには四つの椅子が備え付けてあり、私がもう一つを使ってもまだ余る。
本来なら、その最後の椅子も埋まっていたのかもしれないけれど……って、駄目だ駄目だ。余計なことを考えると気分がしぼむ。とりあえず、そこに座っていたのかもしれない人のことは、今は考えない。考えないったら、考えない!
ぶるりと頭を振って絡みつくような思考を振り払い、手早くお茶をカップに注いで二人の前に置く。自分の分のカップを持ってシェーベールさんの向かいに座り、日本でそうしていたように手を合わせる。
「はい、いただきます」
そう言って食事の開始に代えると、いただきます、と二人も揃って唱和するのが、何だか面白かった。
食事が始まれば、何だかんだでイジドールさんも「別に腹は減ってねえんだよ俺はよ」とか言いつつもそれなりに鶏肉の揚げ物やら鴨肉と野菜のサンドやらを摘み、「で、王都での暮らしはどうだよ?」などと村でそうしていたのと同じように気さくな風で話しかけてきた。
その一方で、シェーベールさんはいつも通りの寡黙さを発揮してか、或いは私の思惑の開陳を待っているのか。もぐもぐと買ってきたホットドッグのようなパンを食べるばかりで、喋る気配を微塵も見せない。……まあ、余り勿体ぶる必要もないか。さっさと本題に入ってしまうとしよう。
「ぼちぼちですかね。今はゴタゴタしてますけど」
「ゴタゴタってえと?」
「その辺の事情を知ると、騎士に睨まれることになるかもしれませんけどいいですか?」
「騎士ィ!? お前、まさか金に困って――」
「違います。誰が資金難で犯罪に手を染めますか。……今巷で起こってる、連続爆発事件あるでしょう。それに関する諸々で、私は今重要参考人扱いみたいなもんなんですよ。けど、それに付き合ってられないんで、王都を脱出しようかと」
言うと、イジドールさんは途端に渋い表情になり、まるで苦いものでも噛んだような顔で口の中の揚げ鶏を呑み込んだ。
「まさか、それの片棒担げってのか?」
「そこまでは言いませんよ。例えば、いつもの荷物に加えて、木箱とかを二つばかり運んで欲しいとか。私が依頼するのは、あくまでその程度。……まあ、その、なんですか。ひょっとしたら、ちょっとというか結構というか、危険も伴うかもしれませんけど」
「同じじゃねえか! っつか、危険って何だ危険って!」
ギョッと目を見開き、身体を仰け反らせるようにして、イジドールさんが叫ぶ。
あー……うーん、そりゃそういう反応するよなあ。とは言っても、マイナス面を隠して交渉に及ぶのはフェアじゃないし……。それを踏まえた上で、どうにか乗ってもらうって言うのは――あーもう、改めて考えるとすっごい難しいな、これ!
「いやまあ、でもその辺目を瞑って運んでもらえれば、後々ルラーキ侯爵に繋ぎを作れますから。それに、危険に対して全くの無策って訳でもないんで。侯爵から直々に危険を回避する為の、特製の装備とかもらってますし。一応、考えることは考えてます」
「……へえ?」
俄かにイジドールさんの眼差しが真剣みを帯びる。少しは話を聞く気になってくれただろうか。
少しでも気が引けていればいい、と思う。私の持てるカードは数が少ない上に、その内実が余りにもあやふやで曖昧だ。正直これで交渉ごとに及ぼうとか、無茶と無謀がてんこ盛り過ぎて目眩か頭痛がしてくる。それこそ一笑に伏されてもおかしくない。ここまでくると、綱渡りどころか尽くす人事もなく天に祈るような気分だった。
「私はとある騎士に身柄を捜索されている。おそらく、これは事実です。けれど、これは騎士団の内部で強い影響力を持ちはするものの、あくまでもたった一人の騎士の、個人的な方針に過ぎません。公な逮捕命令だの何だのが出ている訳じゃない。ついでに言えば、私を王都から脱出させるというのは、ルラーキ侯爵自身の意向でもあります。傭兵ギルドを介して持ち込まれた、れっきとした護衛依頼ですからね」
イジドールさんは訳が分からない、とばかりの表情を浮かべる。
まあ、そうだろうな。私だって、こんなこと言われたら、どんな状況だよと思う。ここまでの話じゃあ、その力ある騎士とルラーキ侯爵――この国一番の大貴族が、真っ向から対立しているように聞こえてしまう。とんでもない話だ。
「細かく話すと長くなるんですけど、こちらの知り得る情報を開示するのが誠意というものだと思うので。まあ、ちょっと我慢して聞いてください。シェーベールさんも、すみません、同じ話をもう一度聞かせてしまいますけど」
そう言うと、イジドールさんはぴくりと眉を動かしたものの、別段何を言う訳でもなかった。シェーベールさんも「構わない」と頷いてくれたので、ほっと息を吐いて唇をお茶で湿らせる。
それから私は、長い話をした。絡繰島アルマで起こった自動人形の暴走事件のこと。その事件と、現在この国のあちこちで発生している連続爆破事件について想像されること。それから、よりにもよって王都にアルマの事件の犯人と思しき人形遣いが現れ、遭遇してしまったこと。幸い、その場は護衛の契約を結んでいた傭兵の奮戦によって、どうにか事なきを得たこと。しかし、厄介なことに私は敵に目を付けられてしまって、従わなければ殺すと宣言されるとんでもない事態。不穏当どころの話じゃない。
そこまで話して、私はいったん口を閉じた。単純に喉が渇いたのだ。カップのお茶を一口二口含みながら見やれば、イジドールさんは信じられないとでも言いたげな、複雑な表情を浮かべていた。けれど、唇を横一文字に引き結んで黙っているだけで、何を言う訳でもない。
少なくとも、口に出しては拒絶も否定もされていないのだ。であれば、まだ余地はあると信じたい。
「で、ここから先がさっきの話に繋がるって次第ですよ。犯人と唯一接触した人間なんて、騎士としては放っておけないでしょう。貴重な手がかりですし」
「ま、そりゃ当然だわな。しかも、勝手に敵を呼んでくれるエサでもある。――で? 何で騎士団と侯爵が逆のことしてんだ。それから、その護衛の傭兵はどこ行った? 契約してた傭兵っつって個人名を出さねえんだから、そこのサルドワーヌの騎士崩れのことじゃねえんだろ」
当然の問いに、つい眉間に皺が寄る。それがどうしようもない現実であり、事実であるとしても、口に出すのは愉快なものではなかった。
「護衛をしてくれていた人は、今はいません」
「いない? そりゃまた、一体全体どうしたことだよ」
「……あの人は、一人で発ちました。――おそらくは、一連の事件の犯人を討つ為に」
「お前の護衛を放り出してか?」
「放り出すと言うより、私の身柄を捜索しているとある騎士――面倒なんで名前出しちゃいますけど、ルラーキ侯爵のご子息、ラファエル・デュランベルジェさんと共謀して、でしょうね」
そう言うと、イジドールさんは「ルラーキの侯爵が出てきたと思ったら、今度はその三男かよ」と頭痛を堪えているような顔で呻いた。まあ、本当にビッグネームがコロコロ出て来すぎだと思う。そこは私も同意したい。全く嬉しくないことだけれども。
「ラファエルさんとは、学院の講師の方との縁で知己を得ました。よって、あの人が私の身柄を押さえようとしているのには、危険人物を隔離する思惑以上に、私の安全を確保しようとしてくれている部分があるとは思います」
「へえ、そいつは上手い具合に大物と縁を作れたもんだな」
「全く想定外のことでしたけどね」
今度は私が肩をすくめる番だった。
考えてみれば、ラファエルさんとの遭遇は、それこそ何もかも出来すぎなくらいだった。たまたまアルマに避暑に来ていて、しかも私が懇意にしている先生の教え子だったとか。侯爵の話を聞いた後だからかもしれないけれど、そこはかとない作為を感じてしまうくらいだ。
「そういう訳で、宿で布団かぶって怯えて震えて嵐が過ぎるのを待つより騎士団に預けた方が安全だと判断して、あの人は私に無断で私をラファエルさんに預けることに決めて、独りで行っちゃいました。勝手に。何も言わずに。お陰で私は貴重な護衛を失って、どうしたもんかと困ってる訳ですよ」
改めて口に出すと、何とも言えない不満感が沸き上がってくる。ついつい長い台詞の終わりは拗ねたような変な響きになってしまって、気付けばイジドールさんがいやにニヤニヤした笑みを浮かべていた。
「……何です、その顔」
「いやあ? 護衛なら今もう新しいのが居るじゃねえか」
「シェーベールさんは、ルラーキ侯爵の依頼があって動いてくれています。私が直接契約してる訳じゃありませんもん」
「で、本音は?」
一層ニヤニヤしながら、イジドールさんが言う。何を言われているのかは、まあ、察せていない訳ではなかったけれど。それを問われるまま答えてしまうのは何だか癪で、素知らぬ振りをして問い返した。
「本音、とは?」
「分からねえ振りをするんじゃねえよ、ひねくれ小僧。肝心のところが抜けてるだろーが? お前は敵に狙われてて、そりゃ護衛の傭兵がてめえの役目を返上して騎士団に預けた方がいいと判断するくらいの大事なんだろ? だったら、そのまま大人しく守られとくのが利口ってもんだ。まだ危険が少なくて済む。守ることにかけちゃあ、連中程長けた奴らはそういねえんだからな。――なのに、お前はわざわざそこを飛び出したと来た。その理由は何だ? そこを言えよ」
想像通りの追及に、いよいよもって自分の顔が眉をひそめるに留まらない渋面を浮かべるのが分かった。昔からそうだけど、こと交渉の席に上がると、この人は人の隠しておきたい事情を的確に突いて暴き出してくれるので困る。
「……言えば、こちらのお願い聞いてくれます?」
「甘ったれんじゃねえよ。お前が腹割って話すなら、俺も大人しく『話を聞いてやる』。受けるかどうかは、またその後だ。俺を使おうってんなら、誠意ってもんを見せな」
「うわー、その言葉」
「耳にタコ出来てんだろ」
ふふん、とイジドールさんが鼻で笑う。タコどころじゃないっつの、と苦々しく溜息を吐けば、視界の端でシェーベールさんが不思議そうな顔をしたのが見えたので、
「俺と商談したけりゃ誠意を見せな、って昔からの口癖なんですよ、この人」
「ふむ……まあ、道理だな。騙し騙されではまとまる話もまとまるまい。情報開示をせねば商談にもならないと言うのなら、言う他ないだろう。俺が聞いていてはまずいことであるのなら、席を外しているが」
シェーベールさんは淡々と提案する。ほんと、どっかの誰かとは違って紳士的だなあ。さすがは元騎士さんかしらん。
「あー、いえ、大丈夫です。シェーベールさんはもう知ってるので」
「だったらいいだろが、そら、吐け。吐いちまえ」
「人の会話に口挟まないでもらえます!?」
あんたに言ったんじゃないやい、と言い返したところで柳に風、暖簾に腕押し。イジドールさんはニヤニヤと私の動向を窺っている。……くそう。
「あーもう、分かりましたよ、言えば良いんでしょーが言えば! 訳の分からない人形遣いだか何だかに! 私の傭兵が取られたので! 取り返しに行くんですッ! 行きたいんですよーこれでいいかチクショウめ!」
勢い要らんことまで言った気がしないでもないものの、もうそんなものは知らんのである。半ば以上やけっぱち。まさに儘よという気分で、言った。言ってやった。
これを昔なじみに告げるのは、シェーベールさんに話すのとは違った、何とも言えないむず痒さがあって参る。その上、言わせた当の本人は腹を抱えて笑っている始末ときた。おのれ……この恨み晴らさで置くべきか。後で覚えてやがりなさいよ。
「『私の傭兵』ときたか! あの坊主が、こんなこと言うようになるとはねえ。シモンじいさんがこれ聞いたら、泣いて護衛の奴殴りに行くな」
「さよですか知らんがな。……で、こっちから話せることは大体全部話したんですけど。これ以上何を聞きたいって言うんです?」
いい加減話を変えたかったので、若干刺々しい声を作って訊いてみる。それでイジドールさんはやっと私をからかうのを止める気になったらしく、おもむろにいくらか表情を引き締めて右手の指を三本立てて見せた。
「まず一つ、目的地。俺は中途半端は嫌いだからな。王都から運び出すんなら、目的地まで運んでやる。それが筋ってもんだろ。二つ目に、報酬。危険を承知で運べってんだから、相応のものを貰わねえと話にならねえ。――それから、最後に三つ目。ライゼル、お前はお前の護衛が『おそらく』犯人を討つ為に消えた、って言ったな。つまり、確証はねえんだろ。何で逃げたとは考えねえんだ?」
「一気に来ますねえ……。目的地は、現在調査中です。報酬は……えー、現金支払いのみになります?」
「何か金目のものがあるなら、それでも構わねえけどな。侯爵に繋ぎが作れるって言っても、所詮口約束だろ。もらうもんはきちっともらっとかねえと」
「ごもっとも……」
「まあ、口約束が現実になった時にゃあ、分け前でもいくらか持ってってやるよ」
それはどうも、と答えながらも、私は内心冷や汗を掻く思いだった。慌てて頭の中で算盤を弾く。アルマでもらった褒賞の残額やら、元々の貯金額……まとまった金額を用意すること自体はできなくはないけれど、問題はその桁だ。
さりとて、私には王都から秘密裏に人間を輸送し、危険な旅路を行かせることへの適正な価格がよく分からない。ここは潔く、先に希望額を問うてしまうべきだろうか。そう思って、口を開こうとした時だ。
「報酬については、依頼主のルラーキ侯爵から必要経費として預かっている金貨がある。それでも足りなければ、侯爵宛に請求して構わないと確約を貰っている」
そう言いながら、シェーベールさんが一通の書状らしきものを取り出した。食料を避けてテーブルの上に広げられた一枚の紙には、シェーベールさんの言葉通りの文面が書き記され、末尾にはルラーキ侯爵のサインと捺印までもが施されている。
あんぐりと口を開けたのは、私もイジドールさんも同じだった。本物かこれマジかよ、と驚愕の滲んだ声で呟くイジドールさんに、心の底から同意する。これはもう至れり尽くせりとか、そういうレベルじゃなくて、そこまでするか!?
「よって、問題となるのは目的地だけだろう。――ハント嬢、それについての心当たり及び目星についてはどうだ」
周囲の驚愕など少しも気にした風を見せず、シェーベールさんが言う。
その言葉ではたと我に返り、私は上着の内ポケットに入れたままだったものを取り出した。目的地がどこか、ということについては、まだ明確には考えがまとまっていない。けれど、おおよその目星はついている。それを端的に示すものが、他でもない「これ」だった。
掌に載せてそれをテーブルの上に差し出すと、今度はシェーベールさんが目を見開いた。
くるくると回るいくつもの円環と、揺らぐことなく一方向を指し続ける針のオブジェ。この王都に住まうもので、その姿を見たことがない人間は、おそらくまず存在しないに違いない。
「ルラーキ侯爵から借り受けた、『青の羅針儀』のレプリカです。ここのところ、ずっと南を指しているとか。……この針の示すところに、この国の敵と目されたものがいるのだと思います」




