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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
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01:惑える魔術師の卵たち-02

 ――という経緯の果てに、私はこのまだ肌寒い季節に川の中をウロウロしているという訳なのである。本当に貴族社会って奴ぁ、平民――具体的に言うと私にろくなことをしやがらない。激しく改善を要求したい。しても無視されるけど。というか、学院に現在進行形で提出した要望書を無視され続けているけども。

 またしても吐きそうになった溜息を呑み込み、屈み続けていたせいで痛む腰を伸ばす。青かったはずの空は、いつの間にか薄らと赤くなろうとしていた。……陽が落ちるまでに、帰れるだろうか。不安になってきた。

 王都における私の住処は、司祭さんに紹介してもらった酒場兼宿屋の一室だ。学院には寮があるけれど、案の定平民が入れるものではなかったので、掃除や買い出しを手伝うことで格安に部屋を貸してもらって登校している。一応、門限はないことにはなっているけれど、何も言わずに帰らなかったら心配されてしまうだろうくらいには普通にいい人たちなので、なるべく事は大きくしたくない。

 ……なのに、どんどん日は暮れていってしまうのだ。私は何故か妙に風の魔術に特化しているらしくて、これまで散々勉強してきたのに、未だ光の魔術も火の魔術も使えないでいる。こんな物陰じゃ、街灯の光だって満足に届かない。夜になってしまったら、完全にお手上げだ。

「……ほんと、ついてない」

 呻く。惨憺たる気分だけれど、まだ涙が出てこないだけマシだ。泣くのは自分を憐れんでいるようで嫌だし、気持ちもそこでぽっきり折れてしまう気がする。

「あーもう、止め止め。沈んでもしょうがない……絶対、見付ける。折角、贈ってもらったものなんだから……!」

 殊更明るい声を作って、ついでにぱしんと頬を掌で叩く。冷たい水と、軽い衝撃で頭がはっきりした気がした。気を取り直して、また水面の上に屈みこむ。

「何だ、こんな時間に水遊びか嬢ちゃん」

 ――そんな、時だった。頭の上から、声がしたのは。

 はたと、顔を上げる。真っ先に目に入ったのは、ちょうど暮れていく今の空模様のような橙色の眼。川の縁にしゃがんで私を見下ろしているのは、短く刈り上げられた鈍銀の髪の男性だった。歳は二十半ばといったところだろうか。お世辞にも柔和とは言い難い、鋭い目付きのせいで、つい身構えてしまう。

 この世界は、私がかつて生きていた日本ほど安全ではないのだ。街中でさえ、スリや暴力沙汰は珍しくない。貧民街に行けば、もっと物騒なことが日常茶飯事そこら中で起こっているとすら言う。

「……いえ。探し物を、しています」

 答える声は、自然と硬くなった。探し物、と鸚鵡返しに繰り返し、男性は目を丸くさせる。

「水路ん中に落ちたのか?」

「……落とされました」

「落とされたって、誰に、っつーか、どうしてだよ」

 男性は遠慮なくズバズバと突っ込んでくる。それでもさほど嫌な感じがしないのは、冷やかしたり野次馬気分で言っているのではなく、単純に疑問に思っているらしいことが窺えるからだろうか。

「色々と面倒臭い事情がありまして……」

 けれど、説明は面倒だった。あからさまに濁すと、意外なことに男性は「そか」と頷くだけでそれ以上追及はしなかった。

「もうどんくらい探してんだ?」

「ええと、買い物が終わったのが三時過ぎで、それから――」

「あ!? もう二時間以上やってんのか!?」

 心底驚いたと言わんばかりに、男性は目を見開いた。……ということは、もう六時近いのか。どうりで足の感覚も怪しくなってきた訳だ。

「そんなに大事なもんなのか?」

「大事です。……祖父からもらった、お守りなので。王都で無事に過ごせますようにって、贈ってくれたものなので」

 そうか、と再び男性は頷く。すると、その場からひょいと川へ跳び下りてきた。私より頭一つ背が高く、見るからに屈強そうな体躯は、驚くほど静かに川底に着地する。ぎょっとする私の前で、男性は軽やかに笑った。

「んじゃ、一緒に探すか。落としたお守りってのは、どんなんだ?」

「フクロウのタリスマンで、それなりに重みがあるので、流れていきはしないと思うんですけど――って、いや、そんな悪いですよ」

 うっかり流されるところだった。慌てて首を横に振るも、男性はからからと笑うばかり。

「細けえこと気にすんな。ここまで話聞いちまったらよ、尻尾巻いて帰ったところで気になるに決まってる。あの嬢ちゃん、ちゃんと見っけられたか、まだ探してやしねえか――ってな。だったら、ここで手伝って心残りを解消しといた方がいいだろ?」

「え、いや、そう……ですかね……?」

 さも当たり前のことのように明朗に言い切られてしまうと、何となく否定しづらい。

「迷惑だったら帰るけどよ、実際問題一人よか二人で探した方がいいだろ?」

 確かにその通りだった。男性が実は何か企んでいたら、後で法外な報酬を請求されたら、と不安に思うところはないでもない。けれど、こうしてわざわざ助けを申し出てくれるのに疑うのは失礼だし、正直なところ信じてみたい気持ちもあった。

「それじゃ、すみません……お願いします」

 頭を下げて言うと、男性は「おう、任せとけ」と力強く答えてくれた。

 それから、二人で川底をひたすらに探した。きらりと光るものがあれば拾い上げ、何であるか確かめる。大体は瓶の蓋であったり、稀に硬貨であったりした。そんな風に背中を向けあって川底を探る作業の中で、男性とぽつぽつ雑談をした。

「そういや、嬢ちゃんは名前なんてーんだ?」

「ライゼル・ハントです。お兄さんは?」

「俺はヴィゴだ。ヴィゴ・レインナード。ライゼルは――あ、ライゼルって呼んでいいか?」

「ああ、はい。どうぞ」

「おう、あんがとな。んで、ライゼルは何しに王都に来たんだ? お守り持たされるっつーくらいなら、ひょっとして一人か?」

「ええ、まあ、一人です。……魔術学院に、入ったんです」

 少し迷ってからそう打ち明けると、レインナードさんは「そりゃすっげえな!」と素直な感嘆を口にした。クローロス村で聞いた祝福を思い出して、少しくすぐったいような気持になる。

「ありがとうございます」

「おう。……まあ、何だ、その、俺は学がねえんであんまり上手い言い回しが出来ねえんだが、嬢ちゃんは平民だよな?」

「そうですね、羊飼いの祖父と祖母、狩人の父、仕立て屋の母の家に生まれた、平民のサラブレッドです」

 ぶふっと盛大に噴き出したレインナードさんが「何だそりゃ」と笑う。

「ンなこと言ったら、俺だってそうだぜ」

「レインナードさんはどこの出身なんです?」

「ああ、キオノエイデだ。北の国なんだけどよ――知ってっか?」

「詳しくは知りませんけど……北の魔壁、魔術研究が進んでる雪深い国だと本で読みました」

「おう、年がら年中雪が降ってるんで、中々厳しい土地柄なんだわ。だから、使える人材は何でも使う。貴族は居ることは居るが、無能な貴族よりも有能な平民のがよっぽど重宝される。俺が生まれて育ったのは、そういう国だった。……でも、この国は違うんだよな」

「……そうですね」

 レインナードさんの声音からそれまでの陽気さが消え、私の答える声も、つい苦々しくなった。この国では身分が第一だ。例えどんなに有能でも、貴族じゃなければ思うままにその力を活かせないことなんて、ざらにある。

「魔術学院ってのは、貴族しか入れようとしねえ意地の悪いトコだって、噂で聞いた。そういうところに入ったってんなら、そりゃあ色々と苦労をして、努力をしたんだろ? それをその歳でやってのけたってのは、心底凄えと思う」

 レインナードさんの言葉に、私は束の間返す言葉を失っていた。王都に来てから、今までに積み重ねた努力や、払った労力について褒められたことは、多分なかったと思う。

 どう見ても平民にしか見えない私が魔術学院の生徒だと言うと、大抵の人は凄いと褒めてくれる。ただ、その裏にはほとんど「そんな才能があるなんて凄いね」という言葉が隠れているような気がしたし、実際にそう言われることも少なくなかった。それが悪いと言う訳じゃないし、少し勉強したくらいじゃ覆せない身分の問題があるからこそ、そう言った表現にもなるのだろうと思う。

 でも、その度少しの反発心も覚えていた。私は確かに魔術学院に入学したけれど、それは沢山の人に助けてもらって、自分でも努力をしたからで、その結果なのだ。降って沸いた才能のお陰ではない。それをレインナードさんはさも当然のことのように、認めてくれた。……何というか、結構、じーんとした。

「……レインナードさんも、凄いと思いますよ」

「俺が? そうか?」

 キョトンとしたような声。褒めるのが上手いというのは、それだけで一つの長所だと思う。……まあ、私も奇妙な人生を送ってはいても、大人としての人生経験が豊富な訳じゃないし、そんな偉そうなことは言えないのだけれど。

「レインナードさんは、キオノエイデからアシメニオスに来たんですか? 仕事で?」

「おう、少し前はヴィオレタにもいたぞ。あっちこっち旅をしながら、傭兵してんだ」

 この世界における傭兵は、日本のあった世界とは少しニュアンスが異なる。金銭で雇われて戦う人の総称ではあるけれど、ヴィオレタとエブルの戦争に参加するような人もいれば、傭兵ギルドを通してモンスターの討伐や行商人の護衛をしたりする人もいるらしい。傭兵ギルドに所属していても冒険者や用心棒と名乗る人もいるようで――とりあえず、お金で雇われて依頼主の代わりに戦ったり危険を肩代わりする人々、と思っておけばいいはずだ。

「基本的に討伐系の仕事ばっかしてきたんで、護衛はあんま上手くはねえが、これも何かの縁だからな。何か護衛の頭数が必要なことがあったら、呼んでくれや。格安で雇われてやんぜ」

 そう言う声は、もうおどけるように陽気なものだった。つられて笑いながら、答える。

「魔術学院の課題は、モンスターもいる危険地帯に行くこともあるらしいので、それじゃあ、その時にでも」

「おう、首を長くして待ってらあ」


 シモンさんから贈られたタリスマンは、その会話からほどなくして見つかった。辛うじて日が沈み切る前で、レインナードさんが川底のくぼみに嵌っているのを見つけてくれたのだ。

 川から上がり、二人して川べりに腰かけて脱いだ靴を引っくり返し、入り込んだ水を追い出す。裾を折っていたズボンはそこまで濡れていなかったけれど、うっかりそのまま川に入ったレインナードさんはびしょびしょで悲惨なことになっていた。

「カッコつけねえで、ちゃんと折ってから入りゃ良かった」

 唇を尖らせて言う姿に思わず笑いながら、最低限水の切れた靴を履き直す。

「ま、何にしても見つかって良かったな。これで俺も安心して寝れるわ」

「はい、本当にありがとうございました」

 頭を下げると、レインナードさんは「どう致しましてってな」とひらひら手を振った。鋭い目付きの面差しは、笑うととても人懐こくなる。一緒に川の中を探してくれただけでなく、タリスマンを見付けてくれたこともあって、私の中でレインナードさんを警戒する気持ちはすっかりなくなっていた。

「にしても、災難だったな」

「ですね。……だから、貴族って奴は嫌いなんですよ」

 つい、愚痴っぽくなってしまった。おそらく貴族の単語からおおよその経緯を察したのだろう、レインナードさんが苦笑する気配がしたけれど、何を言う訳でもなく、私の頭に大きな手を置いただけだった。川の水ですっかり冷えた手は、ぽんぽんと軽く頭を撫でてから、離れていった。皆まで言うな、ということだったのかもしれない。分からないけれど。

「ま、妬む僻むしか能がねえ奴は、そのうち潰れるさ。――それよか、もう夜だ。嬢ちゃんが一人で出歩くには危ねえ時間になってきちまった。一人で王都に来てるってことは、どっかに下宿でもしてんのか? 送ってってやるから、帰ろうぜ」

 レインナードさんが立ち上がる。何気ない風で差し伸べられた手を借りて、私もまた立ち上がる。危うく忘れるところだった、物陰に置いておいた荷物は魔術で隠蔽しておいたお陰か、変わらずにそこにあった。ほっと息を吐いて回収をしてから、ふと気が付く。

「そう言えば、レインナードさん、荷物は?」

「あ、そこに放っぽったままだった」

 言って、レインナードさんは少し離れたところに置き捨てられていた一メートル半ほどの棒のようなものと、それに括り付けられた鞄を拾い上げた。あんまりにもあんまりな無防備さに、「ひえっ」と裏返った声が喉から飛び出す。

「ぶ、不用心すぎますけど、それ!」

「まーまー、大丈夫だって。こいつは俺以外の奴は触れねえ特別性だからよ」

 棒を肩に担ぎ、レインナードさんは胸を張る。

「何ですか、それ?」

「俺の武器だあな。槍よ」

「へー……何か、凄そうですね」

 サロモンさんについて山に入り、弓で獣を狩ることもあったからか、武器の類への恐怖感はそれほどない。この辺り私もこの世界に馴染んできたものだと、少ししみじみする。

 レインナードさんの持つ槍はそれほど長さはないから、手槍とかそういうものになるのかもしれない。持ち主しか触れない、ということは何か魔術でも掛かっているのかも。

「自慢する訳じゃねえが、まあ、こいつは結構な業物だかんなー」

「どこで手に入れたんですか?」

「駆け出しの頃に、ちょっとした伝手で――」

 そんな話をしながら、私達は広場を出た。

 広場から十五分ほど歩いたところにある下宿先では、やっぱり女将さんと旦那さんが私のことを心配していてくれて、送って来てくれたレインナードさんが大変感謝されたりなんかもした。その結果、酒場で軽い宴が催されたりもしたようなのだけれど、何だかんだで疲れ切っていた私がその宴会を見届けることは出来なかった。

 ただ、ベッドに潜り込んで眠りに落ちる合間、後できちんとお礼に行かなきゃいけないよなあ、と思った。

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