11:正義の使途-03
気がつくと、薄暗い部屋の中に寝ていた。
ベッドに寝転んでいた身体を起こし、目覚まし時計で日時を確認する。時刻は十二時を少し過ぎたところ。日付は記憶にあるものより一つ進んでいる。……と言うことは、つまり。
「やってしまった」
ちょうど騎士団の詰所から帰ってきてから、丸一日が経過していた。ラファエルさんの約束は、完全にすっぽかしてしまった。馬車はどうなっただろう、寝坊助に呆れて帰っただろうか。
そんなことをつらつらと考えながら、ベッドから降りる。素足で立った床には、私のものでない敷布が置かれたままで、あの人が夏の間構いっぱなしだった氷晶花も、依然として花瓶に挿さったまま、棚の上にあった。いないのは、それらの持ち主であり、贈り主である当人だけだ。
ひたひたと床を歩き、窓のカーテンを開けるべく手を掛けて、何となく思い留まる。この際だから、また寝なおしてしまおうか、とそんな怠惰な思考が脳裏をよぎったのだ。たぶん、昨日も昼から後、そうしていたはずだ。……よく覚えていないけれど。
不思議なことに、あの人が姿を消したと告げられた後、どうやってここまで戻ってきて、どうやって過ごしたのか、全くもって覚えがなかった。それほど空腹でもなく、ちゃんと着替えているようだから、食事や入浴はちゃんとしたのだろうという推測は立つものの。
そんなに衝撃的だったか、と自問して、げんなりする。否、なんて逆立ちしても言えそうになかった。
ああ、そうとも、衝撃的だった。あんな唐突に、何も言われずに、まるで逃げるように消えてしまって。それはもう驚いたし、呆然とした。
呆然としすぎて、何故、なんて考えられないくらいだ。考え出したら、きっと次から次にいろんなことへ思考が広がっていって、きっとひどく疲れるに決まっている。私の手には余るような、すごく面倒なことにも気付かざるを得ないような気もするし。
ため息を吐いて、カーテンから手を離す。窓を閉ざして、明かりもつけないでいる部屋は昼間でも薄暗い。その中をまたぺたぺたと歩いて、何とはなしに床に座った。すっかり床の一部のようになってしまった、綿織物の敷布の上に。いつもあの人が寝転がっていて敷布は、落ち着いた暗い赤を基調として、濃淡の異なる同系色で大きな紋様が織り込まれている。
その紋様をちらりと撫でてから、座った身体をそのまま横に倒す。いつかのあの人のように、敷布の上に寝てみる。厚手の敷布とはいえ、結局はただの布一枚だ。硬い床の感触にそこまでの変化はもたらさない。寝転がるにしても、もっと寝やすい場所にすれば良かっただろうに。
寝返りを打つと、私がいつも使っている机が見えた。あの人はここで、こうやって机に向かう私の背中を眺めていたのだろうか。或いは、机とは逆の位置にある花瓶の載った棚を? そこには、その時には、一体どんな感慨があったのだろう。何を思って、あの人はここに寝ていたのか。
「……ライゼルさん? 起きてる?」
不意に扉を叩く音と、よく知った声が聞こえて、物思いから覚めた。
少し迷ってから、寝ています、とでも答えようかと思い、
「お客様が来ていて、ずっとあなたを待っているのだけれど」
その一言で、言うのを止めた。
のろりと起き上がり、扉に近付く。近付いても鍵は明けないまま、声を上げた。
「今、起きました。そのお客は、赤毛の男性ですか?」
「良かった、起きていたのね! お客様は、ええ、そう、赤い髪の男の方なのだけれど。大丈夫? お断りした方がいい?」
「いえ、大丈夫です。約束をすっぽかしたのは、たぶん、こっちなので。……身支度を整えるので、三十分時間を下さいと伝えてもらえますか。三十分経ったら、この部屋を訪ねて下さいと」
「分かったわ。……ねえ、ライゼルさん、本当に大丈夫? 辛いなら、やっぱり……」
「……逃げていても、どうにもなりませんから。すみません、ラシェルさん。面倒なことに巻き込んでしまって」
言いながら、自嘲じみた笑みが堪えきれなかった。思えば、随分と昨日は醜態を晒した。
ラシェルさんはその後も「面倒だなんて!」とか、「私はいつでもライゼルさんの味方だもの」と言ってくれて、うっかり涙腺が壊れそうだったけれど、何とか耐えた。扉越しで良かったと思う。対面して言われていたら、たぶん耐え切れなかった。
そんな会話の末にラシェルさんが階下に戻っていってから、大急ぎでシャワーを浴びて身支度を整え、部屋の中を軽く掃除した。窓のカーテンを開けて光を入れ、ついでに換気もしてしまう。床の敷布は畳んで棚の上の花瓶の脇に置いて、机の上に出しっぱなしだった参考書も閉じて端に積む。商工ギルドでもらってきた石や、それを加工する工具は最近使っていなかったので特にいじる必要はない。
軽い掃除をしても、約束の時間まではまだ少し余った。どうするかと少し悩んでから、備え付けのキッチンでお茶を淹れることにした。ヤカンをコンロ――電気ではなく魔石と魔術で動く――にかけ、ティーカップとポットを取り出す。食器棚を見た時、あの人が勝手に持ってきて勝手に置いて行った大きなカップが目に入って、また何とも言えない気分になりかけたけれど、努めて頭の中から追い出した。
さて、お茶は何にしようか。紅茶はセラシャにメフェリスと色々あるけれど。迷いながら食器棚の中を眺めていると、すっかり開ける機会を逸したまま今の今まで来てしまった茶筒が目に入った。バベットさんお手製のハーブティ。手紙によれば気分を落ち着けてくれるという話だったから、今この時にこそちょうどいいかもしれない。よし、これにしよう。
そう思ってお茶の準備を始めた時、扉が叩かれた。ヤカンの水はまだ沸騰していないけれど、少し離れるくらいなら大丈夫だろう。
「ライゼル? 私だ」
部屋の中を横断して扉の前に立つと、そんな声が聞こえた。もちろん、声の主が誰かは分かる。分かるけれども、その物言いはどうか。
「私に『私』さんという知り合いはいません」
「……ラファエルだ」
「はい、ようこそいらっしゃいました。ご多忙のところ、約束をすっぽかして申し訳ありません」
苦りきったような声に、努めて平然とした声色を作って返す。扉を開けると、どことなしかふて腐れたような顔をしたラファエルさんが立っていた。
「君は私に手厳し過ぎる」
「自業自得って奴じゃないですか」
答えながら、手振りで入室を促す。部屋の中央には私がいつも勉強に使っている書物机ではなく、食事等に使う日用のテーブルが置かれており、椅子も二脚備え付けられていた。ラファエルさんにはその一方に座ってもらい、私はちょうど喧しく鳴き始めたヤカンの元へと向かう。
「今の今まで待たされ続けた人間に言う言葉がそれかね?」
「それとこれとは別でしょう。……約束を破ったことに対しては、本当に申し訳なく思いますけど」
「体調でも?」
ごく短い言葉は些か言葉足らずな感があるものの、推測するに後に続くのは「優れなかったのか」という問い掛けだろう。ヤカンをコンロから下ろし、ティーポットに茶筒からハーブを二匙投入。それからヤカンのお湯を注ぎ、カップとあわせてお盆に載せながら、我ながら下策だとは思いつつも、露骨に適当な返事が口を突いて出た。
「私にも色々あるんですよ」
そう答え、お盆を持ち上げた瞬間、
「……ふむ。彼が去れば、君は私を頼る他あるまいと思ったが――些か、荒療治が過ぎたかな」
平然と言う声が聞こえ、持ち上げたばかりのお盆が、ガチャンと音を立てて流し台に落ちた。
「なん、ですって?」
まるで、身体が錆だらけのブリキの人形になったような気分だった。振り向いて、相手を見る。それだけのことに、やたらと苦労した。
けれど、そうしてまで振り向いても。そこに立つ男は、どこまでも平然として言い放つのだ。
「彼が君の許から離れたことが君の心痛の原因であるのなら、それは私の責任だ。申し訳なく思う」
その刹那に私の身の内を奔ったのは、久しく覚えのない苛烈な熱だった。錆びついた身体が嘘のように、カッと燃え上がる頭。閃光じみて噴出する激情。危うく、爆発してしまいそうな。
それがそのまま喉の奥から突き上げてきて、息を吸い込む動作から一連なりに飛び出そうとする。何の筋合いで、どうして他人の契約に――瞬間的な衝動のままにそう怒鳴り上げようとして、
「……何故、そんなことを」
けれど、寸前で呑み込んだ。怒鳴る代わりに、怯えでなく苛立ちで震える声で問う。
「君は、怒らないのだな」
なのに、当の元凶はそんなことをぬけぬけと言う。再び喉を突き破って飛び出しそうになった衝動を、また苦労して飲み下さなければならなかった。
「馬鹿なことを言うんですね、どうやったら怒っていないように見えるんです? 怒ってない訳ないじゃないですか。怒ってますよ。怒らない訳がないでしょう。怒るのは疲れるんです。疲れて嫌いなので、これ以上余計な労力を使いたくない。それだけのことです」
「そうか。……彼とは大違いだな。彼は即刻怒鳴ってくれてね。あれこそ考えるより先に口や手が出るという類なのだろうな」
「……あの人は、そういう人ですから」
この人とあの人が怒鳴り合いをするような状況は、私が知り得る限りで昨日のあの時一度きり。薄々予想してはいたけれど、やっぱりそういうことだったのか。
考えてみれば、いつもあの人は先に声を上げてくれていたような気がする。武闘大会に端を発するゴタゴタでも、アルマで最初ソイカ氏につれない対応をされた時も、騒ぎが起きて島王の思惑に巻き込まれかけた時も。あの人が真っ先に真っ直ぐな感情を吐き出してくれたお陰で、私は意図せず随分と楽ができていたように思う。
私は二十三年生きて死んだその末に、仕切り直してからの続きを十七年生きている。或いは、それが老いるということなのかもしれないけれど、最近はどうも鮮明な感情を表すことに疲れてしまっていけない。子供の頃はあんなに容易く怒ったり悲しんだりできていたのに、今はその一つ一つがひどく重くて億劫な気さえしてしまうのだ。だから、怒鳴るとか泣き出すとか、そういう強烈な感情を表すまでにはどうしても瞬発力が欠けてしまうし、できるなら避けて通りたい気にもなる。
その面倒なところを、今振り返ってみると、何気なくあの人は代わりにやってくれていた。私が怒りたい場面で、怒ろうとして止めて溜息を吐くことで逃げてしまう場面で、感情そのままに声を上げてくれていた。それは不思議と感情の発露の代理とも錯覚してしまえて、お陰で私は鬱屈を溜めこまなくて済んでいた部分が、おそらく多分にある。
我ながら狡いというか、老いているくせに子供っぽいというか。――ああ、何と言うか。ちょっと自分が馬鹿馬鹿しくて笑えてきそうだ。笑ってる場合じゃないけど。
軽く息を吐いて、流し台に向き直る。乱暴にしてしまったお盆とティーセット一式は、幸い破損もこぼれもしていなかったようだ。気を取り直して両手で持ち上げ、テーブルに向かう。
「――で、私の傭兵さんと共謀までした真意は何なんです? 今更はぐらかされたりすると、熱いお湯がちょっと手を滑ってあらぬところへ飛んで行ったりしてしまうかもしれませんけど」
「さりげなく脅迫するのは止めないか……」
「まあ、ポットが勿体ないのでやりませんけど」
「ポットではなく私の心配をしてくれ!」
「それは今後の応対によりますね」
答えながら、お盆をテーブルの上に置く。すっかりお茶は濃くなってしまったかもしれないけれど、苦いお茶を飲ませるのも仕返しと思えば悪くもないかしらん。
「全く、君という娘は本当に……。それにしても、共謀というのは人聞きが悪くはないかね。私はともかく、君は君の傭兵までもが君を謀ったと思っているのか? 彼も意外に信用されていないのだな」
白々しく、ラファエルさんは肩をすくめて見せる。
「信用してますよ。その人となりも、割と分かってると思います。だからこそ、あの人は降って沸いたあなたってカードをここぞとばかりに切ったんでしょう」
「ほう? 詳しく聞かせてもらおう」
……あくまでも自分で喋る気はない、か。まあ、いい。折角だから、この茶番にも少しくらいお付き合いして差し上げよう。
「考えてみれば、一昨日の時点で気付いているべきだったんでしょうけどね。私があなたを訪ねることになった時、あの人が『用事があるから一緒に行けない』って言う時点でおかしい。あの人は結構あなたを警戒していましたから、そのお膝元に私が一人で行くとなった時、普通ならお小言の一つ二つ垂れて難色を示してくるはずです。外出に危険が伴う以上、必ず誰かお供に連れてけ、とかも言ったでしょうね。普通なら。それが何も言わず、一人で行って来いなんて、本来まず有り得ない」
「……君は本当に言葉に遠慮がないな。本人を前に警戒がどうのこうのと、もう少し配慮があっても」
「人間、怒ってると言葉もきつくなりますよね。――で、そもそもあなたを訪ねる用事は突発的なもので、そうでなければ私は普通に登校していた。あの人は少し神経質なくらいに私の学院への行き来を気にしていましたから、私が登校しない確信がない限り、用事を入れて同行できないなんて状況を作る訳がない。――となると、私があなたを訪ねる為に学院を休むことを事前に知っていたか、もしくは用事なんて真っ赤な嘘で別行動をしたい理由があったか」
どっちでしょうね、と問うてみれば、ラファエルさんは素知らぬ顔で「さて」などと嘯いた。そのとぼけたような返事に、つい眉間に皺を寄せてしまえば、
「まあ、そう急ぐものではない。今度は私の語る番というものではないかね」
「……はあ、そうですか」
「うむ。君は学院の生徒の中でも、一際図抜けた成績を誇っているとか。ルイゾン師もエドガール・メレスの再来かと期待を掛けているくらいだ、君は名実ともに卓越した魔術師なのだろう。まだ卵、かもしれんかね。――いずれにしろ、それほど将来を嘱望される魔術師をみすみす失う訳にはゆくまい。それに、個人的な誼もある。君は今や、私個人としても、王国の騎士としても、明確に保護する価値と意味があるのだよ。だが、彼はどうやら私よりもその必要性を切実に感じていたらしい。それ故に提案を受け、協力した。それだけのことであって、君に対して悪意や害意があって企んだ訳ではない」
長広舌に耳を傾けつつ、ポットからカップへとお茶を注ぐ。とぽとぽと濃い黄緑色がカップに滑り落ちていく様を見ながら、許されるものなら舌打ちでもしたい気分だった。
ああ、もう、本当に自分の間抜けさ加減に腹が立つ。どっちか、なんて。そんな可愛い話じゃなかった。どっちもだ。あの人は私がラファエルさんに呼び出されることを知っていて、或いはそうなるように仕向けた上で、自分は単独行動に出ることにした訳だ。結局、何もかも二人で企んでたんじゃないか。
憤懣やる方ない思いで黄色みの強い水色のお茶をきっかり二分割し、片方のカップをラファエルさんの前に置く。粗茶ですが、等と言って勧めれば、ラファエルさんは「有難く」と律儀にカップに口をつけてくれた。――そして、その直後。ほんの一瞬で消え去ったものの、秀麗な面差しの眉間にわずか皺が寄ったのを、私は見逃さなかった。……やっぱり、濃くなり過ぎていたのか。飲むのは止めておこう。
一向にカップに口を付けようとしない私を、ラファエルさんが微妙に複雑そうな目で見てくるのは分かっていたけれど、敢えて無視しておいた。いや、本当、真面目に嫌がらせで淹れた訳でなく。結果としてこうなってしまっただけで、他意はないので。そんな傷付いたっぽい目をしないでいただきたい。というか、私だってお陰様で大分傷付いたんだぞ。
「ライゼル」
「あ、お茶菓子でもどうぞ」
物言いたげな口振りを遮って、テーブルの端に置きっぱなしだったバスケットを押しやる。因みに、昨日他でもないラファエルさんにもらったものであり、うっかり床に落としたものの奇跡的に破損を免れていたという曰くつきの代物である。
「どうぞも何も、これは昨日私が君に渡したものであるように見えるのだが」
「よく覚えてますね」
「……やはり、君は相当に怒っているな?」
「いや、怒ってますって、私さっき自己申告したばっかりじゃないですか。何言ってんですか、その耳は飾りですか。それとも私の話なんて聞く耳持ってないって遠回しなお答えですか?」
勢い畳み掛けると、ラファエルさんは絶句した挙句にしおしおと萎れた感じで項垂れた。うーん、苛立ちも手伝って言い過ぎただろうか。それ以前に普通に失礼だったかもしれないけど、なんかもう割とどうでもいい。ちょっと投げやりな気分である。
そう言えば、おかしいな。ラファエルさんてこの国一番の騎士のはずなのに、そんなにそれっぽいかっこいいところを見た覚えが、そんなにない気がする。私なんかにやり込められてどうするんだ、情けを掛け過ぎじゃないか、騎士の中の騎士。
「君は、彼と私で対応に差がありすぎる……」
「人徳って奴じゃないですか。……あの人、本当に底抜けのお人好しですし」
勝手なことをされたのは、正直怒りたくもあるけれど。それでもあの人について悪く言う気にはならなかった。肩をすくめて、ちょっとだけ笑ってみせると、ラファエルさんは苦笑じみた表情を浮かべ、
「彼は単に人が好いのではなく、ただ君に無事でいて欲しいのだろう」
「それ、結局同じことでしょう」
「大違いだとも」
いや、同じでしょうよ、それ。仕事でも何でもなく、自分や家族ですらない、他の誰かの為に危険を冒そうとしているんだから。
そう反論しようとしたものの、その空気を察してか、ラファエルさんが口早に「ともかく」と続ける。出鼻をくじかれた格好の私は、大人しく話を聞く他なかった。
「例え望もうと望むまいと、君の身の振り方はもう定まってしまった。これで先日の手紙の件は受けてもらえると判断して構わないかね?」
「……お好きにしたらいいんじゃないですか。勝手に外堀埋められまくった上に、答えは肯定一択しかない出来レースなんですから。私に選ぶ余地なんてありゃしませんよ」
ケッ、とか行儀悪く悪態を吐きたい気分で言えば、またラファエルさんは苦笑する。その顔は、まるで困った子供を前にした大人そのものであり――なんか、アレだな。精神面老いたとか思ってたけど、私だいぶ子供っぽいな……? やっぱり内面が見掛けに引きずられるってこともあるのかな。あるんだろうな。そのせいだ、きっと。
「そう臍を曲げないでくれ。ひとまずデュランベルジェの屋敷に滞在する間は、よくよく不自由がないよう周囲に言い付けておく」
「別に、そう気を使って頂かなくて構いませんけど。寧ろ、適度に放っておいてください」
「そうすると、暇を持て余した老人が君を構いに行くと思うがね」
小さな溜息を添えて、ラファエルさんが言う。老人――つまり、ルラーキ侯爵か。あの人もイマイチ行動が読めないから、どうしたもんかなあ。ラファエルさんとはまた違った思惑があるようだから、味方につけられれば、かなり強力な援軍になりそうな気はしなくもないけれど。
「……いや、というか、わざわざお屋敷に滞在する必要なんてあるんですか? 事件の調査の為に私を使うんでしょう。あちこち連れ回した方が役に立つってもんでしょうか」
「そうするにも、色々と準備が必要なのだよ。――荷物は後で取りに来させよう。今日はこのまま同行願っても?」
「そうした方がいい、ということなら、従いますけれど。手荷物くらいは許して頂けます? 私の分も差し上げるので、お茶飲んでてください。その間に荷造りしますから」
そう言うとラファエルさんの頬がわずかに引き攣ったような気がしたけれど、たぶん見間違いだろう。そうに違いないので、私は席を立ってクローゼットに向かうことにした。
――荷造り。自分一人でするのは、そう言えば初めてかもしれない。……さて、何を持っていこうか。




