11:正義の使途-02
デュナン講師の研究室を出て玄関ホールに戻ると、ヴィゴさんとラファエルさんは真剣な顔をしてまだ何やら話をしてるようだった。近付く私に気がつくと、会話を止めてこちらを見る。
「……話は、もういいんですか?」
「ああ、概ねは終わっていた。午後も講義があるのかね?」
ラファエルさんの問い掛けに、軽く頷き返す。解呪理論学です、と答えると、
「解呪……となると、その講義はベルティール・セルネの担当かね?」
「ええ、はい、そうですけど」
「彼女は今、王城で人形に対する解呪に関する会議に出席している。――ということは、自動的に休講だな。今日は君もこれで帰りたまえ。騎士団も警戒を強めてはいるが、昨今いつ何が起こるか分からんのだからね」
何と、それは初耳だ。学院も休講なら休講で事前に知らせておいてくれればいいものを……。
「はあ……マジですか」
「マジだとも」
真面目くさった顔で、ラファエルさんが言う。……どうでもいいけど、スラング似合わないな、この人。
「ヴィゴ、帰りは君一人で構わないかね」
「問題ねえよ」
「では、宜しく頼む。――ライゼル、これを」
そう言って、ラファエルさんは懐から何やら取り出す素振りを見せた。そうして私に向かって差し出されるのは、滑らかな質感の白い封筒。手紙、だろうか。
「なんです、これ? 用事があるなら、今ここで口頭で伝えてもらえれば充分なんですけど」
「きちんと書面にした方がいい用件というものもあるものだよ」
「……嫌な予感がするので、受け取りを拒否したいんですけれども」
「そうした場合、手紙の内容を承諾したと見なすがね」
ふふんと不敵に笑い、ラファエルさんは言う。お、おのれ卑怯な……!
仕方がなしに、手紙を受け取る。わあー、指先で触っても分かる紙質の上等さ。嫌な予感しかしない。ついしかめ面になって手紙を鞄に入れていると、不意にラファエルさんが表情を引き締めるのが見えた。
「あの人形遣いが、わざわざ王都に――しかも君の許に現れた。まさか、それが偶然ではあるまい。奴は意図して、君に接触するべく現れたのだろう?」
静かに問う声音に、私は答えなかった。
ヴァイヤン卿には、襲撃現場での事情聴取の際に私が知り得たことをおおよそ伝えてはあるけれど、黒ローブの人形遣いの明確な目的については「分からない」と答えるに留めておいた。私を殺す気で来たらしい、と伝えることで事態がどう転ぶか、読み切れなかったからだ。運がよくとも重要参考人扱いで騎士団に連行されるだろうし、最悪の場合、王都に災厄をもたらすものとして殺されるかもしれない。何せ私は平民、貴族たちは処分することに躊躇いは見出さないだろう。
ヴィゴさんも私が意図的に事実を伏せたことについては、何も言わなかった。教えなくて良かったのか、と言われるようだったら全て私の杞憂だったかもしれないけれど、何も言われなかったのだから、たぶん、そこまで間違った判断でもないのだろう。
「騎士団はまだ、君と人形遣いに因縁があるとの認識は持っていない。だが、このまま状況が進めば、誰かが邪推する。そうなってしまえば君が望むか否かに関わらず、君は騎士団――ひいては王城へ招かれることになるだろう。その手紙は、そういった状況になった場合にも君を守れるよう、手を打つ為のものでもある。よく読み、よく考えてくれ」
そこまで言われてしまえば、大人しく押し頂く他ない。
ラファエルさんとは、そのまま「叡智の館」で別れた。護衛に来たと言ってはいたけれど、本来はそんな余裕もないほど多忙なはずだ。騎士団の詰所に戻ると言っていたけれど、たぶんそこに仕事が色々残っているんだろうなあ……。
「忙しいでしょうに、なんでわざわざ来たんでしょうね」
「さーな、来たかったんだろ」
そんな話をしながら、私とヴィゴさんは学院を出た――訳ではなく。向かったのは、普段は貴族の子弟たちで賑わっている噴水のある中庭だ。
午後も講義があると思って来ていたので、今日はお弁当を持ってきてある。このまま帰って清風亭でお弁当を広げると言うのも空しいので、学院の無人をいいことに中庭で食べていくことにしたのだ。幸い、今日はよく晴れて天気もいい。風もないので、噴水の傍のベンチに座っても寒くはなかった。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
お決まりの口上の後は、静かなものだった。普段だったら、それこそあれやこれやと他愛ない世間話をしながらになるのだけれど。
先日からの気鬱が尾を引いて、どうにも私はお喋りをする気になれなかった。そうなると頼みの綱はヴィゴさんになるものの、こちらもまた珍しく黙りこくっている。慣れない場所、或いはいつ急襲されるとも分からない状況にあっては、世間話よりも周囲の警戒が優先されるという判断なのか、それとも他の事情があるのか……。
結局、私達は晴天の下、きらきらと飛沫を輝かせる噴水を眺めながら、まともな会話らしい会話もなく食事を終えた。
「ご馳走さん。美味かった」
「お粗末様です。量、足りました?」
「んー、腹六分目ってとこかもだ」
「じゃあ、次はもうちょっと多めに作りますか」
お弁当箱を片づけ、荷物を持って立ち上がりながら言うと、ヴィゴさんは「あー、いや」と言葉を濁すような反応を見せた。
「いいよ、無理すんな」
「……そうですか?」
もしかして、さっきああ言ってはいたけど、お弁当が口に合わなかったのだろうか。全部食べてくれたようだけど、無理をして食べさせてしまったのなら申し訳ない。
「あ、違えからな! 要らねえとかそういうんじゃなくて、その、あれだ、あんま手間掛けさせんのも悪いだろ。お前、ただでさえ色々忙しいしよ」
慌てた風で言われたその言葉が、お世辞的なフォローなのか、本当にそう思ってのことなのかは、今一つ測りがたい。はあ、と曖昧に頷いておくと、ヴィゴさんは私が信じていないと受け取ったらしく、不服そうな表情を浮かべた。
「嘘じゃねえかんな。お前の飯は美味えけど、それで苦労させてちゃ意味がねえだろ」
「ですか。……まあ、なんですか、ありがとうございます」
「おう。美味い飯も食ったし、もう用もねえ。とっとと帰ろうぜ」
そうですね、と頷き返す間もなく、ヴィゴさんに促されて歩き出す。
……どうも、さっきからヴィゴさんの様子がおかしい気がした。ラファエルさんとの話し合いで、何かあったのだろうか。そう思いながらも結局問うことはできず、私はただ黙々と歩くに留めた。
清風亭に戻ってからも、ヴィゴさんの微妙な異変は続いた。ラシェルさんや昼間から入り浸っている常連客に軽快な挨拶をするのはいつも通りながら、普段なら勝手に私の部屋に入り込んでくるのに、今日に限ってさっさと自分の部屋に戻っていく。そして、そのことに対して何を言うでもない。
ラファエルさんとの話し合いの結果、何か用事ができたのかもしれない。そうでなくとも、手紙を受け取った私が気兼ねせず読めるようにという計らいかもしれない。……だから、たぶん、きっと、私に何かある、という訳ではない、のだろう、と思う。思いたいだけかもしれないけれど。
そんな本人に訊かなければ分かるはずもないことを無駄に考えながら、私は一人きりの部屋であの手紙を広げた。指先に引っ掛かりもしない、滑らかな用紙が今はむしろ不愉快に思えてくるのだから、八つ当たりも甚だしい。
手紙の書き出しは、「我が親愛なる妹弟子殿へ」という一文から始まった。
それにしても、貴族の手紙というものはやたら仰々しい。ビジネス文書と比べたら、目眩がするような文量である。礼儀正しい季節の挨拶から最近のご機嫌伺い、それらの長々とした文章を読み下した後で、ようやっと本題が始まるのだ。
何事かと思うような大げさな手紙ではあれど、実際の用件はと言えば、ごく簡単だった。
ラファエルさんは今、この国で発生している連続爆破事件を追っている。おそらく騎士団もその真犯人については、あの黒ローブの人形遣いだと見当をつけており、だからこそラファエルさん自身が護衛という名目をもって、私に接触することにしたのだろう。敵を知る者は多い方がいい。情報というものは、時と場合によって紛れもない武器の一つとなるのだから。
――そう、手紙の要旨はつまり、人形遣いの追跡における協力要請だった。爆破事件の現場から回収できたものの分析や、それに対する意見を聞かせて欲しい、という。
けれども、それをそのまま鵜呑みにする訳にもいかない。騎士団にも魔術師はいるし、必要であれば王城に仕える魔術師を借り受けることもできるはずだ。そちらの方が技術や技量において断然確実であるし、おそらく私とは比べ物にならない。その人達に対して、私が何かアドバンテージを持っているとすれば、それこそ敵を知っていることだけだ。とはいえ、それも武器にできるほどの情報量ではない。
であるからには、やはり別の思惑があると考えるのが当然だ。人形遣いに狙われている私を市井から隔離しておく、或いは私を泳がせることで人形遣いをおびき出す。その二点だろう。そして、少なくともそれがラファエル・デュランベルジェの名の下に行われることであるのなら、横槍が入ろうとしてもある程度は退けることができる、という訳か。
……まあ、あれだ。私だって気付いていなかった訳じゃない。あんまり考えたくなかったというか、考えないようにしていただけで。
あの人形遣いが私を狙い続けるのなら、私が居る場所こそが危険になる。清風亭のことを考えるのなら、事態に収拾がつくまで身を隠しているべきだ。ただ、それをするには少なからぬ費用が必要になり、尚且つ現状の生活がほぼ維持できなくなるということでもある。命には代えられないので、この際は学院の単位については泣く泣く諦めるとしても、上手く護衛を付けなければ、隠れたところで即発見抹殺される結末が見え透いている。笑えなくて震えがきそうだ。
その点、ラファエルさんの要請は渡りに船でもあった。捜査に協力するなら、その間に発生する費用は全てあちら持ち。オマケに見事やり遂げれば学院の成績にも色を付けてくれるという。護衛についても、国一番の騎士が傍に居るのだから、それほど心配する必要はないはず。
良心的、というか――なんだ。こちらとあちらの立場の都合上、色々疑いたくなるし、実際疑ってもいるけれど。この手紙を読む限り、ラファエルさんができる限りの条件を整えて私を助けようとしてくれることも事実であると、認めない訳にはいかない気がした。もちろん、あちらにだって相応の思惑はあるだろう。それでも大した譲歩と条件だなあと思う。
とは言え、こちらもこちらで色々と事情がある。ヴィゴさんとの契約もあるし、傭兵ギルドの方にも全くの無言で済ませる訳にもいかない。ギルドの方で違約金とかが発生するのなら、それも計算に入れなければいけないし……。いずれにしろ、手紙だけでは全容を測ることもできない。一度きちんとした話を聞いてみなければ。
「明日の十時に迎えを寄越す、ねえ」
手紙の末尾には、そんなことも書いてあった。既に騎士団の詰所にお迎え頂ける手筈が整っているらしい。なんとまあ、手回しの早いこと。
とりあえず、明日に予定が入ったことはヴィゴさんに伝えておいた方が良さそうだ。一通り読み終わった手紙を封筒に戻して引き出しに入れ、部屋を出る。ヴィゴさんの部屋は目と鼻の先ながら、思えばあちらの部屋に入ったことは、ほとんどないような気がした。いつも入って来られるばかりだった。
自分の部屋とは違うナンバープレートの掛かった扉の前に立ち、軽くノックする。
「ヴィゴさん? ライゼルですけど、ちょっといいですか?」
声をかけると、すぐに扉は開いた。部屋の主はいつも通りの朗らかさで、来客を迎える。
「おう、どうした?」
「ラファエルさんにもらった手紙の件で。明日十時にお迎えの馬車が来るそうなので、お呼ばれしてこようと思うんですけど」
「明日かあ……。俺は明日外せねえ用事があるんで、一緒に行けねえんだよな。……そんでも大丈夫か?」
小首を傾げて言うヴィゴさんへ、少し考えた末に頷いて見せる。相手がラファエルさんなら、そう危険なこともないだろう。行き来は馬車になるようでもあるし。
「まあ、大丈夫だと思います。……で、多分、それから帰ったら色々話すことができてると思うんですけど。そちらの用事はいつ頃終わりそうですか?」
「あー……どうだかなあ、なるべく早くに終わらせてえとは思ってんだけどよ」
煮え切らない風で、ヴィゴさんはがりがりと頭を掻く。いつもはもっとスッパリ即断即決みたいなところがあるのに、また珍しいな。
「うーん、じゃあ、戻り次第になりますかね」
「そう、だな」
どこかぎこちない頷き。……何だろう、明日の用事は気乗りしない感じなんだろうか。
「明日の用事って、どんなのなんです?」
「へ?」
「いや、随分反応が渋いので。気が進まないようなのなのかな、と」
「気は……まあ、進まねえなあ。ものすげえ進まねえ。できるなら、ケツまくって逃げてえトコだ」
唇を曲げて、ヴィゴさんは肩をすくめる。この人がそこまで言うということは、相当厄介な用事なのではなかろーかしら。
「そんななのに、敢えて行くんですか?」
「そりゃあお前よ、やりたくなくてもやらなきゃならねえことはあんだろ?」
「そうですけど。……とりあえず、その用事が何事もなく終わるように祈っておきますよ。それじゃあ、お邪魔しました」
軽く会釈をして見せれば、「おう」と軽やかな返事。声は軽かったのに、どこか辛そうな顔をして扉を閉めるのだから、何と言うか、よく分からないな。そんなに明日の用事は厄介なんだろうか。
翌日、十時きっかりに騎士団からの迎えの馬車はやってきた。
本来なら私も登校しているはずだったのだけれど、どうせ今日も学院は開店休業みたいなものだろうし、自主休講することにしたのだ。ヴィゴさんも用事があるって言うし。
小さな馬車には御者代わりの騎士が一人つけられただけで、簡素なものだった。大人が二人も座れば満員になるだろう、ささやかな造りの車体の中には、私以外には誰もいない。そんな味気ない空間の中で、がたごとと馬車に揺られて二十分余り。
騎士団の詰め所の前で馬車が止まり、外から扉が開かれる。
「よく来てくれた、ライゼル」
案の定というか何というか、扉を開けてくれたのはラファエルさんだった。さも当然とばかりに伸ばされた手を、少し躊躇ってから借り、馬車を降りる。
「まだ、話を受けると決めた訳じゃありません。詳しい話を聞かせてもらいに来ただけです」
「それで充分だとも」
ラファエルさんに案内されたのは、詰所の中の一室だった。
専用の個室なのか、室内に他の人の姿はない。部屋の中には物自体が少なく、本やら書類の詰まった棚の他には執務机が一揃い、申し訳程度の応接セットが一組あるだけだった。ラファエルさんは応接セットのソファの一報を私に勧めると、自分はその向かいに座った。
勧められるがままに腰を下ろしたソファは、何と言うか、また上等だった。滑らかな革張りで、ゆっくりと座るものの体重を受け止めてくれる。たぶん、相当に造りがいいのだろう。そんなものが騎士団の詰所にある意味とは。税金の無駄遣いにはならないのだろうか。それとも個人の所有物かしらん。
「さて、まずは君の用件から伺うとしよう。何を確かめたいのかね?」
埒もない思考が、粛々と響く声に引き戻される。うーむ、私が先手を取っていいのか……。
「それでは、面倒なのは嫌いなので、単刀直入にいきます。私をあなたの権限で同行させることに対する利点は、敵の人形遣いを釣る餌ができること、王都から襲撃の火種を隔離できること。その二つと理解して間違いはありませんか」
ズバリ言うと、ラファエルさんは軽く目を見開いてから苦笑を浮かべた。
「否、とお答えしよう」
「……本当に?」
「私は君に嘘は吐かんさ。君はあのアルマの事件で狂った人形を自壊させずに確保した功労者であり、敵と接触している。頭は回るし、既に一定以上の魔術的技量も保持している。捜査においては多面的な視点が必要だ。その為に協力を仰いだ、他意はない。――それに、グザヴィエからも聞いている。君は一連の事件に関して、公に流された情報はごく限られたものでありながら、それらを繋ぎ合わせて私の行動と状況を見事言い当てて見せたと」
「それは単なる偶然と、まぐれです。私は半人前なので、あの人形遣いに手も足も出ませんでしたしね。探査をすれば逆探知されてやり返され、張られた結界を抜けるのにも四苦八苦。おまけにマトモに戦えもしないから、立派な足手まといの出来上がり」
そう言って、肩をすくめてみせた。多分、上手く笑えてはいなかっただろうけれど。
「おやおや、これはまた随分な自信喪失ぶりではないかね。私を散々に言い負かした、あの時の君はどこに行った?」
「そう言うのがお望みなら、今でもできますけど?」
「……ああ、いや、結構だ。失礼した」
思わず半目になって言い返すと、ラファエルさんは露骨に目を逸らした。何なんだ、ほんとに。
「全く、彼が私に頼み込むほど心配するのも当然という訳か」
挙句、何やらもごもごと呟く始末。おそらく端から私に聞かせる気がなかったのだろう言葉は、最初の「全く」以外ほぼ聞き取れなかった。何ですって、と声を低めて問い返せば、「いや、何でもないとも」と大仰な空咳で誤魔化される。
「ともかく、君が自身にどういった評価を下していようとも、私は君の助力に一定以上の価値があると判断している。それ故の要請だ。私は君を守り抜く気でいるし、囮に使う気など毛頭ない。全く知らぬ仲という訳でもないのだし、そろそろその程度は信じてもらえないかね」
「……約束して頂けます?」
「剣に誓って、言葉は違えんよ」
きっぱりと、この国随一の騎士は頷いた。……で、あるのなら。
「その言葉、信じますよ」
「そうか! これはありがたい」
「いや、まだ受けると確約はできませんけど。傭兵ギルドとの契約のこともありますし、ヴィゴさんとも話をしないと。――契約の解除に違約金が必要になるのなら、その工面もありますし」
「こちらの都合で契約の解除を求めるのだから、そちらについては私の方で用意しよう。必要であれば、ギルドへの根回しは請け負うが、どうするね?」
「いえ、私が挨拶に出向くのが道理というものでしょうし」
「では、明日また同じ時間に迎えに行こう。それで構わないかね?」
ふむ、明日のまた同じ時間……って、明日ァ!? それはまた急ぐと言うか、何と言うか……。
「いや、それは急ぎ過ぎなのでは? その予定でいくと、今日中にヴィゴさんと話をつける必要がありますよね。けれど、今日あの人は用事があって、戻りがいつになるかも分からないんですよ。少し日程に無理があるかと思うんですが」
「何、彼は君を何より大事にしている。君がそうすべきだと判断すれば、拒みはしないさ」
しれっと言う騎士様の、何と無責任なことか。
「国一番の騎士が、そんな楽観的無計画でいいんですか。馬車の手配だって、色々あるでしょう。もし話が終わらなかったら、どうするんです」
「その心配は無用だと信じているよ。私の勘はよく当たるのでね」
そう言い張るラファエルさんを翻意させることはできないまま、その後間もなく話し合いは終わった。
というか、あの人が聞く耳持たないまま、食堂から拝借してきたお菓子やら瓶入りのジュースのお土産を持たされて、そうこうしている間に馬車に乗せられてしまったのだ。
「では、また明日!」
「ああもう、本当にあなたって人も、人の話を聞かない!」
捨て台詞も輝く笑顔で流され、かくして私は再びがたごとと馬車の旅に戻ったいう訳だ。なんという横暴! 人の話を聞かない上に行動力と権力まで十二分持ち合わせているとは、性質が悪いどころじゃない。そんな人にしばらく従って動かねばならないと思うとため息が絶えないものの、実際馬車に乗せられてしまえば、もうなす術もなかった。
緩やかに馬車は街を進んでいく。来た時と同じように、また二十分余り。清風亭に到着したのは、ちょうどお昼頃だった。持たされたお土産を詰めたバスケットを片手に、えっちらおっちら馬車を降りて、御者台の騎士さんにお礼を言ってお見送り。そうしてから清風亭の中に入ると、
「――あっ、ライゼルさん!」
妙に急いだ、或いは焦った風のラシェルさんが駆けよってきた。何事かと首を傾げれば、更には肩まで掴まれる。
「ねえ、本当に全部話をしたの!? 何もかも納得して!?」
掴んだ肩をがくがくと揺らさんばかりの勢いと、掛けられる言葉の強さ。そのどちらにも驚き、また訳が分からなくて、私は目を白黒させることしかできなかった。
「ちょ、ちょっと待って、ラシェルさん……一体何が、どういうことなんです?」
どうにかこうにかそれだけを言うと、ラシェルさんははっとした風で息を呑んだ。途端に、その両目が潤み出し、ぽかんとする私を肩を掴んでいた手で抱きしめる。
「あの、ラシェルさん……?」
「やっぱり、嘘だったのね。ひどいわ、全部話してあって、納得済みだなんて言って。本当は、何も知らないのに。知らせていないのに」
半分泣き声で紡がれた言葉に、嫌な予感がした。ぞっと背筋が震えるような、ひどく嫌な。
ラシェルさんが私を抱きしめる手を緩め、涙の浮かぶ目で私の顔を覗き込む。言い辛いことを言おうとしているのだろう、その唇はかすかに震えていた。
「あのね、ライゼルさん。……ヴィゴさんが、さっき部屋を引き払っていったの。急に、今までそんな話全然してなかったのに」
その言葉を、最初理解することができなかった。
部屋を? 引き払う? 誰が、いや、それは聞いた。分かってる。分かりたくないだけで。そうじゃなくて、引き払った――その理由は?
「な――んで?」
やっとのことで発した声は、掠れていた。ラシェルさんの目がまた一層潤み、ついに一筋の雫が頬を伝って滴り落ちた。
「分からないわ、ただ、ライゼルさんと話はつけてあるから、って。しばらく王都を出るって、それだけしか。――それで、これを」
涙を零しながら、ラシェルさんが何やら白い布で包まれたものを差し出す。どうしてか私はそれを受け取る気になれず、震える声で返した。
「すみません、それ――開けて、もらえますか」
ええ、と頷いて、ラシェルさんの細い指が白い布を退けていく。そうして現れたのは――薄桃色の牙に似た石飾り。過日、アルマで遭難対策としてあの人に渡していた、ラムール石の飾りだった。
「それを、置いて? 出て行った?」
呟いた言葉が、自分で口に出したはずなのに、上手く頭に入って来ない。
まるで身体の中に黒々とした穴が空いて、そこに心臓が吸い込まれていくようだった。底冷えのするような、目眩のするような、筆舌に尽くしがたい、気持ち悪い冷たく動悸のする感覚。
「ライゼルさんに、渡してくれって」
そうして、駄目押しのように一言。
かしゃん、と手に持っていたバスケットが床に落ちて転がるのを、まるで遠い世界のことのように聞いた。




