10:運命の輪は回る-03
暗く輝く赤の光。黒く煌く守りの壁。衝突の瞬間は、まるで重く轟く鐘の音のようだった。
ずしりと臓腑の奥底にまで沈む衝撃。あの赤い光がどのような性質を持ったものかは分からないけれど、防壁にかかる圧力を思えば自ずと知れる。いずれにしろ、破られれば私の命に関わるのだと。
壁は後どれだけ持つ。ヴィゴさんはいつ追い付く。次の石を使うべきか。
目まぐるしく回転する思考の最中、手の中に残る石に意識をやる。黒瑪瑙が一欠片の他は、邪気払いにも使える瑠璃の小玉と光を生むジャエル石が二片だけ。とてもじゃないけれど、同じだけの質を保った壁は作れそうにない。
最悪の場合、壁が破られる瞬間にその攻撃範囲から飛び出して逃げるしかない。下手をしたら追撃で背中からバッサリなんてこともありそうで、物凄く困るけど。……ああ、まずいな。笑えない未来予測だ、なんて茶化して笑うこともできない。だいぶ余裕がない。
護身用にベルトに差している短剣に手を伸ばす。南海諸島での休暇から戻った後、ヴィゴさんに扱い方は一通り習ったし、これまでも狩った獣の解体でナイフを使ったりもしてきた。けれど、これとそれとは話が別だ。柄を握る手が震えているのが分かる。握ったら、抜いて。抜いて、それから――ああ、どうするんだっけ?
「言ったろうがよ、俺の相手しときながらよそ見すんじゃねえって」
しんと響く声に、はっとする。それから続いたのは激しい打撃音、だろうか。壁の向こうから視界を一杯に圧する赤い光が、それきりふつりと途切れる。
何が起こったのか分からないまま辺りを見回してみれば、黒鋼色の騎士は私の視線上から忽然と姿を消し、通りを縦断する勢いで吹き飛ばされていた。重厚な鎧を纏った長躯が、冗談のように無造作に転がっている。その胴は見事脇腹から横一文字にぱっくりと割れて、血が流れない代わりに黒々とした亀裂が口を開けていた。
人間であれば、確実に致命傷となる痛手。……少なくとも、寸前まで迫った危機は去ったのか。
そう思うと、どっと身体が重くなった。ほう、と吐き出した息すら、ともすれば震え出してしまいそう。そんな私の頭に、掌が置かれた。とと、と軽やかな足取りで近付いてきたその人が、
「怖え目に遭わせて悪かったな、よく耐えた」
更にはそんなことを、まるで小さな子供にするように、ぐりぐりと頭を撫でて言うので。危うく腰が抜けてしまうところだった。まだここでへたれてはいけないと思って、何とか耐えたけれども。
私の傍に立ったヴィゴさんは油断のない目付きで石畳に転がったまま身動ぎもしない騎士を一瞥し、そして未だ佇み続けるばかりの黒いローブの影法師を睨み据えた。
「使い魔はくたばったぜ。大人しく投降するってんなら、そう手荒な真似はしねえでおいてやるが、どうするよ? ――そら、今度はてめえが答える番だ」
ヴィゴさんの声は威圧感に満ちて低く、鋭い。それに対する答えは、やはりまた流れる風の後。
『戯れ言を。――エレメイ。三度目はないぞ』
三度目、と思わず首を捻れば、
「ヴィゴさん! まだ生きてる!」
視界の端に、むくりと起き上がる鎧騎士の姿が映った。叫ぶと同時に、私を抱えてヴィゴさんが跳ぶ。間一髪、私達が立っていた場所を散弾じみた礫が木っ端微塵に粉砕した。それだけに留まらず、騎士の追撃は更に続く。騎士の剣は今や燐光のような赤い光を帯びて底光り、振るう度に礫が放たれた。
あの礫はおそらく、押し固めて物理破壊能力を付加した魔力塊。構造自体は単純だけれど、悔しいことに効果的だ。ヴィゴさんは私を抱えながらも雨霰のように差し向けられる礫を槍で弾き、打ち払って逃げるものの、やはり足手まといがいると戦いにくいのだろう。時折、明らかに私を庇って体勢を無理矢理変える様子があった。それを心苦しくも、申し訳なくも思う。……けれど、放して下さい、なんて格好のいい台詞は言えない。ヴィゴさんから離れたが最後、おそらくそれが私の死ぬ時だからだ。
「ヴィゴさん、すみません。……ちょっとだけ、どうにか凌いでください。私は、私が何らかの魔術を掛けられたとは思えない。なら、この界隈に人払いと、ひょっとしたら出入りを禁じるような結界が張られているはず――」
そう言うが早いかヴィゴさんが路地に飛び込もうとして、見えない壁のようなものに弾き返された。隣の建物にしても、同じ。ほとんど肩から体当たりしたようなものなのに、跳ね返される。
全く嬉しくないことに、図らずも推測の答えが提示された格好だ。私達は、完全にこの通りの中に閉じ込められた。槍で斬り付けてみても無駄だったところを見るに、結界の強度は相当と見える。ヴィゴさんが破るのにてこずるのなら、私だと全力を出して破れるかどうか。……正直、自信はほとんどない。
「……結界が張られているはずどころじゃなく、張られていたので。それを破れないまでも穴をあけて、何とか騎士を呼び寄せられるような術を組みます。私達の手には余る相手ですから、然るべき人に対処を任せましょう。第一、損しかしない荒事なんて御免です。その術が完成するまで、何とか粘ってもらっていいですか?」
「あいよ、了解。国を相手に企むような連中なら、本業に投げるに限るわな」
軽い声を返して、ヴィゴさんは通りを縦横無尽に逃げ回りながら緩んだ石畳を槍で跳ね上げ、或いは通りの端に転がっていた木箱だの樽だのを蹴り飛ばして、騎士に向かって投げ飛ばし始めた。障害物があれば、そうそう連射もできない。事実、騎士の追撃には少しずつ間隔があき始めていた。
その好機のうちに、急いで手持ちの石に魔力を込める。攻撃に使える石がない以上、結界破りが力技になってしまうのは仕方がない。それはこの際どうにかするとして、ここに異変があると明確に通報できるようにするのが何よりも肝要だ。既に辺りは真っ暗、それこそジャエル石が役立つ。
ひとまずジャエル石に必要十分な魔力を込めて、それが終わったら結界破りに全力を注ご――
『エレメイ、いつまで時間をかける気だ。手を貸してやる、早く仕留めろ』
不意にそんな声が聞こえ、慌てて黒いローブを振り返る。すると、その掲げた腕の袖から、何やら黒い影絵のような蔦のようなものが這い出してくるのが見えた。……なんだ、あれ。あれを石畳に這わせて、ヴィゴさんの足でも止めようと言うのだろうか。
「ヴィゴさん、あれ」
「おう、見えてる。あんなもん、来たところで焼き払ってやるっての」
『さて――それは、どうかな』
静かな自負を嘲笑うような、相変わらず耳に障る声音。その瞬間、蔦が目にも止まらぬ速さで動き出した――違う、鳥を模って羽ばたいた!
「洒落臭え!」
矢のように飛来する黒い鳥を、朱の槍は軽々と斬断する。真っ二つに切って捨てた刃で、更に間髪入れずに放たれた騎士の礫を払おうとし、
『ほうら、言っただろう』
「んだと!?」
嘲笑う声に被さるようにして、ヴィゴさんの顔色が変わった。何事かと見れば、斬り捨てたはずの鳥が解けて渦を巻く蔦となり、槍と腕に絡みついている。ギリギリと締め付ける蔦の圧力は並々ならぬものがあるのだろう、ヴィゴさんの表情が苦々しげに歪んだ。
私は何かすべきだろうか。何をすべきだろうか。戸惑いながら「ヴィゴさん」と呼べば、短い一声。
「そのまま大人しくしてろ!」
放たれた声の勢いに、ぎくりとする。やはり、考えが浅かった。この状況で私ができることがあるはずもない。黙って身を硬くして抱えられていると、蔦に縛られて槍を動かせなかったのか、ヴィゴさんは身体を捻って迫っていた礫を避けた。紙一重、礫が掠めることはなかったものの、その体勢の崩れた隙を突いて今度は騎士が突撃してる来るのだから、本当にひどい。笑えないどころの話じゃない。
それでも蔦に締め上げられた腕で尚、ヴィゴさんは騎士の剣を受け止めた。騎士の渾身の突進の勢いまでは殺し切れず、少し前の光景の焼き直しのように吹き飛ばされながらも、抱えた私を放り出しもしなかった。それどころか、より深く抱え込んで庇ってくれさえした。自分が背中から石畳に叩き付けられているのに、私はそうならないようにと。
どうしようもなく、庇い守られている。思えばこの時初めて、そのことを悔しいと思った。その為に結んだ契約ではありながら――自分に戦う力がないことを、私を守る人の助けになれないことを。私がこんな有り様でなければ、足手まといでさえなければ、この人はこんな苦戦をすることなんてなかったはず。
石畳を数メートル背中で滑ってから起き上がるまで、ヴィゴさんの動きにほとんど停滞はなかった。ただし、それは普段と変わりがなかったということではなく、私という荷物を抱えた上での――突き詰めれば無駄を含んだ上での最善であり、どうしてもいつもに比べると精彩を欠く。
追いすがる騎士の剣を受け流す手際に誤りはなかったし、後退しながら騎士と黒ローブのアレを直線上に並べて援護を阻む手際も見事の一言に尽きた。けれど、無理矢理に槍を振るう腕は蔦が皮膚に食い込み、いよいよ血を流し始めていた。
私は、確かにこの人を頼りにしている。考えが甘いと言われればそれまでだけど、でも、それはこんな風に身を削って守ってもらう為じゃなかったつもりだ。その上、この人がいつも通り十全に振る舞えない、その全てが私のせいなのだと思うと、自分を殴り飛ばしたい気分にすらなる。
そんなひどい腹立たしさの中で、かえって覚悟が据わった。毒づきたいのを堪え、握っていた石を一瞥する。もう御託を並べるのは止めだ。持てる手段を尽くして、何がどうあろうと目的を果たす。必ずやり遂げる。それさえできないのなら、本当に今ここで守って庇ってもらう価値も意味もない。
「開式! 私の声は壁を貫き、彼方へ届く!」
一声叫んで、天に向かって石を全力で投げた。石畳を行く人間を捕えることを考えた場合、やはり意識が向くのは地続きの道を塞ぐことだろう。であるなら、空ならまだ手薄になっている可能性が高い。
そう踏んだ通り、石は薄い膜を貫くようにして夜空に突き抜けると、一つが砕けて眩い光をまき散らした。もう一つは込められた魔力をインク代わりにして、夜空にくっきりと光り輝く文字を刻む。
『王国の剣に告ぐ。国乱す孤島の宝石盗人ここにあり』
昼のように夜空を照らし上げる光を見上げて、まず動きを止めたのは黒鋼の騎士だった。剣を下ろし、どこか憂いを帯びた横顔で空を眺めている。初めてまともに意識したその姿は、まるで本物の人間のようだった。黒い髪をうなじで束ねた、厳めしい顔つきの男性。歳は三十半ばといったところだろう。腕や胴の傷の有り様を見ていなければ、人形でなく本当に人間だと思っていたかもしれない。
『……やれやれ、してやられてしまったか。君は中々に多芸だな。やはり惜しいが――仕方あるまい』
耳障りな声が聞こえて、はたと目を向ければ、当の黒いローブは足元から陽炎のようにゆらゆらと揺らぎながら消えようとしていた。おそらくはお得意の転送魔術――テレポートだろう。それを阻むには、それこそ王宮に仕えるような一流の魔術師の結界が必要になる。……はらわたが煮えくり返りそうな気分ではあるものの。その点において私では力不足であると、認めざるを得ない。
『この国の騎士は、鼻が利く。助けを呼ばれてはしたがない、ここは退くとしよう。全く、愚鈍な私の下僕も、君のそれの十分の一でも使い出があればいいのだがね』
「黙れ外道、それにこの人は下僕じゃない!」
反射的に怒鳴り返せば、軽く目を見開いた風の騎士がこちらを見やり。そして、私の見間違いでなければ――ほのかに笑った。……どうも、あの騎士は余り主に忠誠的ではないらしい。主への罵声にもこの反応で、戦闘中にも再三急かされてやっと本腰を入れるような有り様だった。いや、まあ、自動人形は主への忠誠をインプットされるものだから、本来そんなことは有り得ないはずなのだけれども。
淡い笑みを浮かべた騎士が、ふと目線を通りの脇に向ける。訝しんでそちらの方へと目を向ければ、騎士が被っていた兜が、ちょうど黒いローブの影法師から死角になる物陰に転がっているのが見えた。騎士も主同様に足元から消え始めていたけれど、兜はその気配がない。完全に見逃されているのだ。
それを私に伝えているということは、紛れもない主への背反行為だ。内心でぎょっとしつつも表面上は平静を装って騎士へ目を戻すと、あちらも私が気付いたことを悟ったらしい。一度にこりと笑うと、声に出さず唇だけを動かして見せた。
――「 」
動いた唇は、三文字分。それ以上の言葉を紡ぐことなく、騎士は主と共に消えて行った。後に残ったのは、戦闘の後で荒れた通りのがらんとした有り様だけ。
「逃げられちまったか」
やれやれ、とばかりの風体でヴィゴさんが呟き、私を石畳の上に下ろす。私はその言葉に、咄嗟に答えることができなかった。口を開けば悪口雑言が飛び出す、その自覚があった。
アルマの騒乱の黒幕が並々ならぬ魔術の腕を持っていることは分かっていたつもりだけれど、ほんの目と鼻の先から空間転移で逃げ出すのを目の当たりにさせられてしまうと、腹立たしいやら驚くやらで気が落ち着かない。考えてみれば、今回も初手で私達に全く気付かせず脱出不可能の結界も張り巡らせていたのだったか。魔術に関しては、あちらの方が一枚も二枚も上手らしい。
くそ、と吐き捨てたいのを堪えて石畳を蹴れば、小さく笑う気配と共に頭の上に手が置かれた。
「そう臍曲げんなって。逃げられたのは嬉しかねえけど、ひとまず無事に終わったろ。助かったぜ、また芸が増えてんな」
「……結局、大して役に立ちませんでしたけどね。ほとんどお荷物で、足手まといで」
「何言ってんだ、充分大したもんだろ」
そうは言われても、私が現在進行形で足手まといであることに変わりはない。この国に生まれてからも、それどころか日本で生きていた頃でさえ覚えのないような、ひどく忌々しい気分だった。
「――って、何が無事ですか! 全然無事じゃないでしょ!?」
本当に私って奴は役に立たないな、完全に忘れてた! ヴィゴさんの腕は、黒い蔦に締め上げられて血を流していたはずだ。一刻も早く手当てをしないと。
慌てて傍らを見上げれば、当の本人はまるで何でもないような顔をして肩をすくめてみせた。
「あの真っ黒野郎が消えた時、腕を締め上げてたのも一緒に消えたぜ。傷は、まあ……なんだ。今ぼちぼち治してっから気にすんな」
「気にしないとか無理ですからね普通!?」
「いーから、いーから。それよか、あの兜回収しとけよ」
ヴィゴさんもその存在に気付いていたらしい。無事な方の手で、物陰の兜を示す。確かに、あれは今回の騒ぎにおける唯一の収穫だ。忘れずに持って帰らないと。……でも、やっぱりその前に。
「兜は拾っておくので、その前に腕だけ確認させてください。変な呪いとか残されてても困りますし」
「強情だなー、お前……」
「どっちがですか」
そう言いながらも、ヴィゴさんは傷付いた腕を隠すようなこともしなかった。差し出された手を、慎重に取る。むっとする血のにおいに、意図せず眉間に皺が寄った。
軽く息を吐き、紡ぐのは通常の移動時に使うのと同じ探索術式。周囲の調査と同じ要領で人体や負傷を調べるのは、つい先日の治癒魔術講義で習ったばかりのことだ。こんなに早く生かすことになるとは、夢にも思わなかったけれども。
「本当に魔術の反応は無し、目立った損傷は裂傷と内出血だけですね。だけ、って言い方も変ですけど」
「おかしかねえだろ、事実だ事実」
「止血も始めてるみたいですし、私の出番はなさそうですけど。筋とか痛めてるかもしれませんし、数日は安静にしておいた方がいいんじゃないですか」
「あー、まあな。覚えとくわ。それよか、じきに来るお客の相手、頼まれてくんねえ?」
お客……というと、アレか。呼び寄せた騎士への応対か。それこそ面倒なことになる気がしないでもないけれど、仕方がない。怪我人に無理を押させる訳にもいかないし。
「じゃあ、私がその辺の処理をしてますから、ヴィゴさんは兜を回収して休んでてください」
「騎士連中の相手してる間、一緒にくっついてなくて大丈夫か?」
「そこまで子供じゃないんで、大丈夫です」
というか、せめてそれくらいやらないと、本当に今夜の私は役立たず過ぎて空しくなるしな……。
がちゃがちゃと喧しい鎧の音やら松明の灯り、人の声が近付いてきたのは、それからほどなく――十分もしないうちのことだった。やけに早い。王城からなら、三十分はかかるかと思っていたのだけれども。
ずらりと並んでやってきたのは、およそ一個小隊といったところか。少なく見積もって二十人、多くとも三十人少々というところだろう。ヴィゴさんが通りの端で木箱に座って休んでいる傍ら、私は通りの真ん中に佇んで彼らを待ち受けた。
揃いの装束の上に軽装の鎧を身に着けた一団の先頭を歩んでくるのは、深い紺青の髪の男性だ。歳は三十……ひょっとしたら四十近いかもしれない。胸の徽章は、赤い宝石と獅子の意匠。その人は私から三メートルばかり離れたところで足を止めると、私が口を開くよりも早く、朗々と響く声で言った。
「お初にお目に掛かります、グザヴィエ・ヴァイヤンと申します。我々はラファエル・デュランベルジェ卿麾下”
紅玉の獅子隊
”が第一部隊、宝石盗人の出現との報により参じました。あなたが空に光文字を描かれた方――ライゼル・ハント嬢で、間違いはありませんか?」
「え? ええ、はい、そうですが……何故私の名前を?」
「あなたのことは、ラファエル卿から聞き及んでいます。卿は只今、王国各地で勃発している爆破事件の捜査にあたっていらっしゃる為、王都を離れていますが、件の宝石盗人及びあなたの身柄の安全についてはくれぐれもよく気を配るよう、言付けて行かれました。あなたも宝石盗人の一件に関わった身、この王都で彼の者が事を起こすなら、あなたも巻き込まれるやもしれないと卿は気にされていたのです。……ともかく、噂の宝石盗人について詳しい話をお聞かせ願えますか?」
物腰柔らかく、男性は言う。その言葉が本当なら、分かり得たことを伝えるにやぶさかではないのだけれど。如何せん証拠を提示してもらえないと、信用しきれないと言うか。
私の微妙な躊躇いを察してか、男性が苦笑する。
「ラファエル卿から伺ってはいましたが、あなたは本当に用心深い方なのですね。卿からの伝言をお伝えいたします。――赤い蝶は食わせものの老人に投げ返した、と」
赤い蝶……この前の髪飾りのことだろうか。あれについて知っているのは、私とヴィゴさん、それからラファエルさんの三人だけのはず。であれば、真実それを知らされる立場にあると判断してしまっても良いかもしれない。
ただ、それにしても話が出来すぎている。ひょっとしたら水面下で、もっと前からあの「宝石盗人」は王国と騎士団に対して何らかの行動を起こしていたのかもしれない。それこそ、私に火の粉が飛んでもおかしくないような勢いで。それでラファエルさんが独自に私達の動きを見張るような指示を出していたのだとすれば、やけに早い到着も、他でもないラファエルさんの部隊がやって来たことにも、一応の説明はつく。……ような気がする。
というか、王国随一の騎士がたかが爆破事件の為に国中を飛び回ったりするだろうか? どうもヴァイヤン卿の言葉には引っ掛かる部分が多い。それこそ嘘は言っていないんだろうけれど、肝心なところは濁されているような。
もっとも正面からそれを問うたところで、答えてはくれないだろう。まずはこちらから情報を小出しにして、探って行ってみた方がいいだろうか。
「……分かりました、知り得る限りのことをお話しします」
あの黒ローブの出現した状況、口にした言葉についての説明に始まり、残留魔力の計測と解析、それから周辺の住人への説明と破損した石畳他の修繕等々――。何だかんだで諸々作業がかさみ、結局私達が解放されたのは八時をやや過ぎた頃のことだった。
すっかり夜も遅い。この通りにやって来た時とは違う、当然の静寂が辺りを包んでいる。この辺りは酒場もないから、本当に静かなものだ。いい加減減りに減ったお腹が物理的に聞こえる悲鳴を上げてしまわないか、そんな心配さえ現実味を帯びてくる。
「それでは、ご協力ありがとうございました。大変な事件ではありましたが、大事にならず何よりです。今後も、どうぞ身辺にはお気をつけて。……さて、我々は王城へと戻ります」
「はい、そちらもお気をつけて。迅速な捜査の進展と事態の解決を期待します」
そう言って、私達は互いに背を向けた。王城に帰る騎士と私達とは、向かう方向が異なる。
「ああ、そうでした。グザヴィエ・ヴァイヤン卿」
そうして、その別れ際。肩越しに視線をやり、何気ない風を装って声をかけた。
「ラファエル卿がお戻りになったらお伝えください。宝石盗人の犯行の証となる核を現場から見つけ出すのは骨の折れる仕事でしょう、お疲れの出ませんように、と」
そう言った瞬間の、騎士達の変化は劇的だった。ざわり、とさざめくとまではいかないものの、明らかに空気が変わっている。私を振り返ったヴァイヤン氏が、苦笑を浮かべて言った。
「ハント嬢、あなたはそこまでご存じだったのですか」
「いえ、知りませんけど」
「……はい?」
「ただの連想ゲームですよ。都合が良すぎる偶然なんて、そうそう起こりません。予め誰かが手配しておいた必然の方が、よほど可能性が高い。そう思って、カマをかけただけです。……私は無事に学生生活を終えることが第一です。失礼な物言いで探るような真似をしましたけれど、正直なところ余計なことは知りたくないし、首を突っ込みたくもない。王国の剣の邪魔はしません、先ほど申し上げた通り。私は『迅速な捜査の進展と事態の解決を期待します』……それだけですよ」
それだけ言って、歩き出す。敢えて振り返らなかったし、反応も待たなかった。
その私の隣を、ヴィゴさんは黙々とついてくる。何故か、小脇に兜を抱えたまま。
「で、それ何で持ってきたんです? あちらに押し付けてきても良かったんじゃあ?」
騎士達の耳も届かないだろう距離になってから話しかけると、ヴィゴさんは抱えていた兜を持ち直し、その側面を示して見せた。
「んにゃ、この紋章に見覚えあってよ」
「紋章?」
首を伸ばして、兜を見やる。通り沿いにぽつぽつと据えられた街灯の明かりだけでは見づらかったけれど、それでもどうにか何が刻印されているのかは見て取れた。
王冠を戴く盾、その中には勇壮な山脈を背に佇む一匹の獣。
「……何かこれ、私も見た覚えある気がします。魔術史学だったかな……?」
「ほー、さすが首席。ちゃんと覚えてんだな」
ヴィゴさんの声は褒めているんだか茶化しているんだか、今一つよく分からない。たまたまですけどね、と返すに留めた。
「で、その紋章から何か重大なことでも分かりそうなんですか?」
「それは確かめてみねえと分かんねえけど。――それよか、お前の方だって騎士相手にカマかけるだの何だの、よく仕出かしたもんだな。結局ありゃ、どういうことだったんだよ」
「うーん、その辺はややこしいのでまた後ででいいですか? 長くなりそうですし」
「勿体ぶんなあ……。まあ、いいけどよ。つか、腹減らねえ? いい加減何か食おうぜ」
「いいですけど、その血まみれの腕でお店入る気ですか?」
指摘すると、ヴィゴさんは「あっ」とでも言わんばかりの表情になった。忘れてたんかい! どういう精神構造してんの、この人!
「……露店とかで、買って食おうぜ。俺の奢りでいいから」
「……じゃあ、その代わりに露店までお使いしてくればいいですか?」
「お、話が分かるなー!」
「あーもう、頭ぐしゃぐしゃしないで下さいってば!」
ひと騒動あった後とは思えない気楽な会話は、どうも空虚に感じられてならなかったけれど。敢えて意識はしなかった。したくなかった、と言うべきなのかもしれない。
ただ、言葉ばかりは軽々しく響くのに、胸から腹へ沈んでいく石のような重い気分が、ひどく忌々しくてならなかった。




