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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
40/99

08:力無きものたちの為に-09

 ヤルミルを担いで館に戻ると、ちょうど起き出していたらしいヴァネサと鉢合わせた。慌てた風で玄関から飛び出してきたヴァネサと、大分荒れた身なりで戻ってきた私達。互いに互いを目を丸くして見つめ、発したのは異口同音。――何があったの、だ。

 余りのシンクロぶりに思わず笑ってしまいながら、お先にどうぞ、とヴァネサを促す。

「あ、うん――いや、あたしは何もないよ! 今の今まで、ずっと寝てて……それで食堂に行ったら書置きなんかあるし、それで慌てて」

 そう言えば、書置きには食事を用意しておいたことの他に「ヤルミルが現れた。様子を探ってくる」と書いておいたんだっけ。何だかんだで多分その頃の私もまだ昨夜の動揺が残っていたんだろうけれど、今考えてみると何の説明にもなっていないな。

「書置きの通りだよ。またヤルミルが顔を出したんで、そろそろ決着をつけないとと思ってとっちめてきただけ。何とか無事に回収できたしね」

 言って、ヴィゴさんに担がれているヤルミルを示す。蔦で雁字搦めに縛り上げられた人形を見て、ヴァネサはきょとんとして目を瞬かせた。……まあ、それもそうか。彼女の知るヤルミルは少年の形をしていたはずで、ヴィゴさんに負けるとも劣らない体格の成人男性なんかではない。

「身体を乗り換えたみたいでね。見掛けは違うけど、ちゃんとヤルミルだよ。そこは私が保証する」

「……元に戻るの?」

 縋るような眼で投げかけられた問いに、すぐ答えることはできなかった。元に、というのも、元の人形の身体に、という意味ではなくて、前のような家族に、ということだろう。

「戻れるよう、手は尽くしてみるよ。ただ、それが上手くいくかどうかは分からない」

 嘘を吐いても仕方がないので、正直に答えた。そんな、と悲鳴のような声が上がるのを痛ましく思わない訳ではないけれど、私にしたってどうしようもないのだ。蒼白な顔をしたヴァネサは何事か続けようとして、けれど寸前で留まり、目を伏せた。

「可能性は、どれくらい?」

「島王直属技師連の人形師の腕次第だね。……それに技師連に話をする以上、ある程度あちらにも利益を取らせないと」

 利益、とヴァネサが繰り返す。それに軽く頷き返してから、ちらりと隣を見た。ヴィゴさんがいい加減に休みたさそうな顔をしている。

「詳しい話は、中でいい? ヤルミルと追い駆けっこして、ちょっと疲れててさ」

 そう言うと、はっとした風でヴァネサは頷いてみせた。

「ごめん! 自分たちのことばっかり気にしてて――そりゃあ疲れてるよね。休むんなら、食堂にしよう。あたし、先に行ってお茶の用意してくる!」

 慌てた風で館の中に戻っていく彼女の背中を見送りながら、その後を追うべく歩き出す。……と、「おい」と背中に呼び掛ける声があった。肩越しに振り返れば、怪訝そうな顔をしたヴィゴさんがぼそぼそと囁きかけてくる。

「何か考えがあんのか? 人形師ってのは、ソイカの野郎のことだろ?」

「まあ、そうですね。それなりに考えてますよ。ヴィゴさんが上手くやってくれたお陰で、こっちには最強のカードがあります。想定通りに行けば、かなりいい線でまとまるんじゃないですかね。……ただ、そのカードを『利用』することを、ヴァネサは喜ばないかもしれませんけど」

 そう答えると、ヴィゴさんもおおよその見当がついたようだった。さよか、と軽く答えて、ヤルミルを担ぎ直す。

「無理はすんなよ、余計な荷物を背負い込む義理も義務もねえんだからな」

「一応、その辺りはわきまえているつもりですよ」

 答えながら、ふと鼻先をかすめる有るか無きかのにおいに気付く。ヴァネサが居た場所に漂う、わずかな残り香。――これは、ああ。

「ヴィゴさん、この草っぽいにおい気付いてました?」

「草? ……確かに、さっきっから少し変なにおいはしてたけどよ。何かあんのか、これ」

「ノノラル草と言って、眠り薬になる薬草です。狩人はよく煙玉にして狩りに使ったりするんですけど」

「てことは、この野郎が何かしてたのか?」

 ヴィゴさんが担いだヤルミルをちらりと見て言うので、頷き返す。

「だと思います。心労で寝込んでたんじゃなくて、眠り薬で眠らされてたみたいですね」

 巻き込みたくなかったのか、邪魔されたくなかったのか。ヤルミルが何を思って彼女に使ったのかは分からない。それでも深い狂気に落ちて尚、最後まで自分が護ろうとしたものを傷付けることがなかったという事実には、何故だか少し救われるような気分がした。

「狂っても狂ってるなりに少しは考えてたって訳か」

 ヴィゴさんがそう呟いた時、食堂の方から「お茶淹れたよー」という声が聞こえ、私達は慌てて歩む足を速めた。


 それからは、目の回るような忙しさだった。

 ヴァネサに状況を説明し、件の「カード」を切ることを納得させる。ソイカ氏に連絡を取ってあちらの手札と状況を確認し、高い確率で勝てるだろう確信を得てから、こちらの手札の開示。それからの流れは、概ね当初の思惑通りに進んだ。

 もっとも、私は一国の王を相手取っての交渉を許されるような身分ではない。多少役に立つ肩書があるとしても、所詮は十七歳の平民の娘だ。結局、交渉のほとんどは勝手に私の名代扱いされているラファエルさんの担当するところとなり、直接何かを物申す機会はついぞ与えられなかった。先に「兄弟子」閣下が散々私を「妹弟子」であると吹聴してくれたお陰なのだろうけれど、また大きな借りを作ってしまったことを悩むべきなのか、おそろしく胃に負担のかかること間違いなしの交渉の場に出ずに済んだことを喜ぶべきなのか、今一つ判断がつかない。

 とは言え、ラファエル・デュランベルジェの名前と肩書の効力は、それに目を瞑ってもお釣りがくるくらいの絶大さだ。交渉が思いの外スムーズに進んでいったのは、そのお陰もあるだろう。

『島王は君の要求を全て呑むそうだ。その代わり、今回の件については一切他言無用に願いたいと』

 今やすっかり聞き慣れた男の声で喋る銀の鳥を横目に、私はにやりと笑った。いや全く、上手い具合に状況は進んでいる。

「私の命に危険が及ばない限り、という注釈をつけてもらえるのなら、受けましょう」

『ああ、その点についてはラファエルが何度も念押しをしていた。口を噤むことで君に危害が及ぶののなら、その限りではない』

「ありがたいことです。館の所有権と、ヤルミルの処遇についても万事問題なく?」

『無論だ。綿密な調査の結果、泉と館の主の契約は証明された。無理に所有権を移して枯らせるくらいならば手を引くと、これまでの王たちと同じ結論に至ったようだ。今後は定期的な援助を行う代わりに有事の際に優先的な利用できるよう、契約を結ぶことになったと聞く』

「それは良かった。……ヤルミルの方はいかがです?」

『現状、植えられた種を残したまま生きている唯一の個体だからな。丁重に扱うよう通達があった。まずは呪いの解析、それから分離を試みることになるだろう。分離ができたとしても、その後は日常生活における影響の有無を調べねばならん。――それには、あの館はまさにうってつけだ。人里離れた孤児院。言い方は悪いが、もし何か起きても犠牲が少なくて済む、という思惑だろう』

「或いは、自壊の呪いすら退ける情念に訴える人の盾、ですかね」

『そんなところだ。館での経過観察においては、人形師が傍にあって監視することにも決まった。――まあ、どうせ俺が担当になるのだろうがな』

「でしょうねえ」

『全くもって遺憾だがな。……ともかく、連絡事項は以上だ。何か質問はあるかね?』

「いえ、特に。ヤルミルのこと、宜しくお願いします」

『承った。――ああ、そういえば』

「はい?」

『島王からの『厚意』でな。一連の事態の対処において、君の働きは非常に有用だった。それを称えて、褒賞が下賜されるそうだ。ラファエルに託されるようだから、いずれ奴を介して届けられるだろう』

「へえ、つまり口止め料ですか」

『まあ、そうとも言うな。とは言え、金貨が一袋に魔石の類が一箱だとかいう大盤振る舞いの噂だ。期待しているといい』

 金貨一袋となれば、下手をすれば何十万どころか何百万の額になる。さすがに大盤振る舞いしすぎじゃないだろうか。何か嫌な思惑があるのでは、とつい構えてしまう。

「そこまでします?」

『そこまでしても惜しくないほどの事態だった、ということだ。下手をすればアルマの島そのものが沈んでいた。ラファエルの奴が散々脅していたからな、君に対する下心なぞなかろうさ』

「だと良いんですけどね」

 そう答えたところで、扉がノックされた。窓の外の見てみれば、穏やかに凪いだ海に夕日が沈んでいこうとしている。話をしている間に、すっかり夕食の時間が迫っていたようだ。

 南海諸島を成す島々の中でも最も多く観光客が足を運ぶシェレナ島、その海岸線の美しさは目を瞠るものがあった。今回ヴィゴさんが手配してくれたこの宿は、おそらくかなり上等な部類に入るのだろう。壁際に据えられた書き物机の前の窓から一望できる海岸は、朝に夕にと見事な景観を提供してくれた。

「すみません、こちらはそろそろ夕食の時間みたいです」

『そうか、済まない。長引かせてしまった――休暇は順調かね?』

「休暇に順調という表現が正しいのかは分かりませんが、久々に羽根を伸ばしていますよ」

『それは結構。――またいずれ、アルマに来る時があれば連絡をくれ。その時は君を一人前の人形師に仕立ててやるのもやぶさかでない』

「おや、それは光栄です。その時には菓子折りでも持ってお伺いしますよ」

 おどけて返すと、鳥がかすかに笑う気配がした。

『楽しみにしていよう。……では、良い休暇を』

「ええ、またいずれ」

 動かなくなった銀の鳥を鞄の上に置き、少し迷ってから上着を羽織った。アルマと違ってこのシェレナ島はまさに常夏と言うべき暖かさを保ってはいるけれど、それでも夜になるといくらか冷える。

「お待たせしました」

 足早に部屋の中を突っ切って扉を開けると、廊下にはやはりヴィゴさんがいた。上着を脱いだ薄着で、それなのに暑くてたまらないとでも言いたげな顔をしている。分かってはいたことだけれど、本当に暑いのが苦手なようだ。ヤルミルとの戦闘の際に破損した上着も折角新しく買い替えたというのに、お陰で最近はとんと出番がない。

「別にそんな待ってねえよ。――なんか仕事の途中だったか?」

「いえ、ソイカ氏に最後の結果報告を受けていただけです。それもちゃんと終わりましたし」

 喋りながら廊下を進み、階段を下りる。この宿の一階にはレストランも併設されており、少々値は張るものの見事な料理を提供してくれる。この宿に滞在して今日で三日目になるけれど、特に余所へ出かけることがない日は、階下のレストランで食事をとるのがお決まりになりつつあった。

「じゃあ、何だ。ようやく俺は事の顛末を教えてもらえるって訳か?」

 やっとか、とでも言いたげな口振りに、つい苦笑が浮かぶ。

 何だかんだと忙しかった上に交渉の行く末を思って心理的な余裕がなく、すっかりヴィゴさんには色んな説明をしないままここまで来てしまった。気になることもあっただろうけれど、敢えて何も訊かずに黙って私をここまで連れてきてくれた。その気遣いには、素直に感謝する以外にない。

「まあ、そうですね。夕食のついでに話しましょう」

 言いながら階段を降りきり、早くも顔馴染みになりつつあるレストランのウェイターさんに会釈をしつつ、フロアに入る。案内されたのは窓際の、海辺がよく見える席だった。向かい合って座り、注文は慣れた風でメニューを開くヴィゴさんに任せるとして、さてどうやって説明しようかと私は一人思案する。

 ヴィゴさんが知っているのは、私がヤルミルをカードに技師連及び島王との交渉に及ぼうとしたこと。鳥を介しての会談の場には居合わせていたので、私がソイカ氏を通じてあちらに要求したこと――癒しの泉の館への不干渉、ヤルミルの調査と救護――も知っているはず。後は……ああ、港街周辺に集まっていた自動人形は、ラファエルさんの指揮のもと全て鎮圧されたことも知っていたかな。それ以外のことは私も話していないし、ヴィゴさんも知り得る場所に居合わせなかったはずなので、多分知らない。

 というか、ラファエルさんの手配によってヤルミルとの戦闘を終えた翌々日には南海諸島行きの船に乗せられてしまっていたので、色々と知ったかぶっておきながら、実は私の持つ情報も鳥を介したソイカ氏経由の伝聞取得である。私達が一刻も早くアルマを離れたがっていたことを知っていたからこその気遣いだったのかもしれないけれど、できれば交渉の行く末を確認して出発をしたかった――なんて言うのは、贅沢すぎるか。豪華客船の一等室なんて用意してもらっちゃったしなあ……。

 等々と考えているうちに、ヴィゴさんはウェイターさんを呼んで注文を終えてしまった。ぱたん、と音を立ててメニューが閉じられ、じろりと橙の眼が私を見据える。

「さて、洗いざらい話してもらおうじゃねえか」

「そんな怖い顔しなくったって、今更誤魔化しませんって。――それじゃあ、まず結論から話してしまいましょうか。技師連に預けたヤルミルは呪いの解析と除去が終わり次第、癒しの泉の館での経過観察に入ります。また、館は今後もヴァネサを所有者とした孤児院のまま、王の所有とはなりません」

 言うと、ヴィゴさんは目を丸くし、ぱちぱちと瞬きをした。かと思えば、にかりと破顔する。

「なんだよ、そりゃ考えられる限り一番いい結果なんじゃねえのか?」

「まあ、そうですね。言ったでしょう、想定通りにいけば、かなりいい線でまとまるって」

「ここまで見事にやるとは思わねえだろ。どんな風に言うこと聞かせたんだ?」

「単純なことですよ。ヤルミルの身柄は、アルマにとって喉から手が出るほど欲しいものだった。それを得る為に、こっちの条件を呑めるだけ呑んでも構わないと思うくらいに」

「あの野郎にそんな価値あんのか?」

「状況が彼にその価値を付与した、と言うべきでしょうね。ヤルミルの核から黒い荊が出てきたのは覚えてます?」

「おう。あんな薄気味悪いもん、そうそう忘れられねえよ」

「あれは自壊の呪いでした。予め人形を狂わせ、使役する術に組み込んでおいたんだと思います。核が生きたまま捕獲されて、術を解析されれば、かなりの情報を奪われることになりますからね。核を回収できないなら破壊する、そういう思惑でしょう」

「まあ、合理的っちゃ合理的か」

「ええ、けれど敵にとって想定外なことに、ヤルミルはただ狂っていたのでも、ただ狂わされていたのでもなかった。彼には彼の目的があり、その為に全てを懸けていた。その情念が呪いを阻み、私が休止させる猶予を作ってくれました。――けれど、他の人形はそういう訳にはいかなかった」

「てことは、港の方に集まってた人形は……」

「ラファエルさんとアルマの兵達に制圧された人形の核は、全て自壊していたそうです。一帯には王宮仕えの魔術師が結界を張っていたので、持ち逃げされなかった代わりに手に入れることもできなかった」

「なるほどなあ、そりゃあの野郎を欲しがる訳だ」

「公に緘口令を敷いたとしても、主要な筋に隠し通すことはできないでしょうしね。特にアシメニオスには。そこでそれなりの説明と反論をするには、自動人形の狂った理由とその仕組み、それに対する対策と呪いを解いた後の経過について、詳しく把握しておく必要がある」

「貴重な実験体、てことだな」

「その通り。アルマにしても、呪いを解けば何ら危険は無いと主張したいはずですし、事ここに至ってはヤルミルはよっぽど丁寧に扱われますよ。ある意味、彼の容体にアルマの自動人形産業の浮沈がかかってますからね」

「なるほどな。――泉の館の自由までもぎ取ったのは?」

「私を通じてラファエルさんからちゃんと調査をするよう発破を掛けられて魔術師を派遣したら、実際ヴァネサの言葉に間違いはないと分かったので手を引かざるを得なかったのと、ヤルミルの隔離場所として都合がいいからですね。あそこにいれば、万が一ヤルミルの様子が急変しても踏み止まれる可能性が高いし、最悪の事態が起こっても孤児が数人死ぬだけ。誰の懐も痛まない。監視の人形師を派遣することに決まったそうですから、ヴァネサ一人くらいは守り切れるとも高をくくってるんでしょう」

 その考えは正直あまり頂けないけれど、今更そこに口を突っ込める立場でもなければ状況でもない。私にできる限りのことはしたし、後のことはあちらで折り合いをつけてもらえると期待しよう。……まあ、ソイカ氏が館に派遣されるのなら、そう悪いことにもならないだろうし。

「ソイカ氏から鳥を預かってきたままなので、一応、今後も定期的に情報はもらえるはずです。何かあれば、連絡は来るでしょう」

 そういう訳で、私達のアルマにおける冒険……のようなもの、は決着を見たのだった。

 私が口を閉じると、ヴィゴさんが「ふうん」と何とも言えない表情で相槌を打つ。

「まあ、落としどころとしちゃあ悪くねえんじゃねえ? 損するだけして、結局こっちの取り分が何もねえ気がするけどな。仕事しに行ったんじゃねえから、別にいいけどよ」

「あ、取り分と言えば、島王から口止め料として金貨一袋と魔石一箱が贈られるそうです。後でラファエルさんが届けてくれるとか何とか。折角なんで、ありがたく山分けしましょう」

「へ? いや、そりゃお前がもらったもんだろ?」

「今回の成果に対する報酬なので、私だけに向けたものじゃないですよ。どっちにしろ、私一人だったら早々に死んでたでしょうし」

 到着したら分けましょうね、と畳み掛けると、ヴィゴさんはそれ以上何も言わなかった。小さく唸った後で、がりがりと頭を掻いたかと思うと、

「んじゃ、ありがたくもらっとく」

「どうぞどうぞ。こちらこそ、今回は未だかつてなく色々とお世話になりました」

 軽く姿勢を正して、頭を下げる。そんな畏まるなよな、とぼやく声が聞こえたけれど、敢えて聞こえなかったことにしておいた。

 思えば、南海諸島に到着してもちょくちょくソイカ氏経由で交渉に口を挟んだり様子を窺ったりしていたので、今一つ気が抜けずに休暇と言えるんだか言えないんだかみたいな状態だった。今日これで一連の事態もすっきりしたことだし、ここは一つ打ち上げみたくパーッとやるのもいいかもしれない。

「折角なんで、乾杯とかします?」

「んあ? どうしたよ、いきなり」

「いや、やっと全部決着がついたっぽいので」

「ああ、そういやそうか。――お前も何か飲むか?」

「んー、私はお茶でいいです。もし私が酔っぱらって前後不覚になったりしたら、ヴィゴさんだって困るでしょう」

「そんなに弱えのか?」

「いや、飲んだことはないですけど。そうなったらって」

「慎重だなー。ま、いいか」

 無理強いするもんでもなし、と言いながらヴィゴさんは近くを通りかかったウェイターさんを呼び止める。何か一押しは、トーリックの葡萄酒を入荷してございます、じゃあそれで。軽快な会話を聞き流しつつ、飲酒ねえ、とぼんやり考える。

 日本人だった頃は、酔わない割に酒の美味しさも分からない類だったので、飲酒に対してそれほどいい思い出もない。飲み会なんかだと、大体最後のフォロー役に回らざるを得なかったし。その点、今の身体はどうなんだろう、と気にならなくもない。いつか機会があったら確かめてみようかしらん。

「そういや、ここから少し北にいった海岸に『青い洞窟』ってのがあんだと。海に面した崖が削れて洞窟になったとこで、その中は水面がえらい綺麗な青色をしてるんで観光客に人気だって、近くの店のおっさんが言ってた」

「へえ、そんな名所もあるんですね」

 波で崖が浸食されてできた海食洞かな。聞いた感じだと、イタリアだったかにあった「青の洞窟」と似たようなものが想像される。

「興味ねえか?」

「え? いえ、面白そうだと思いますけど」

 ヴィゴさんが眉尻を下げて問うてくるので、慌てて頭を振る。すると、ほっとしたように笑うので、なんかこう……あれだ。ちょっと、うん、ほんとにちょっとだけど。かわいいな、と、思った。言ったら嫌がられそうだから、ひとまず自分の胸にしまっておくけれども。

「じゃ、明日行ってみようぜ。後、その洞窟に行く途中に美味い氷菓子屋があるってよ。それから――」

 それから、とヴィゴさんの口から滔々と流れてくる観光情報の数々。どこでそんなに仕入れてきたのか、と思わず呆気にとられてしまうくらいだった。

「随分詳しいですね?」

「お前が部屋に引きこもりっぱなしで暇だったんで、あっちこっち歩き回って情報収集してきた」

 話をしているうちに料理とお酒が届いたので、軽くコップをぶつけて乾杯した後、食事が始まる。

「一人でどこか行ってきても良かったのに」

「馬鹿だなーお前、それじゃ意味ねえだろうがよ」

 さも当然と言わんばかりに返されたので、一瞬食事の手が止まる。……そうかー、それじゃ意味がないのかー。

「何ニヤニヤしてんだよ?」

「いえ別に。全く何も。じゃあ、明日から一緒に観光しますか。いやー、楽しみですね。水先案内、宜しくお願いします」

「おうよ、俺の仕入れた観光情報に恐れ入りやがれ」

 にかりと歴戦の傭兵は笑う。悪戯好きな少年のような顔をして。


 翌日は、よく晴れたいい天気になった。上着なんて着ていられない暖かさで、ほんの数日前にアルマの島で凍えかけたのがまるで嘘のように思えてくる。燦々と降り注ぐ陽光は目が眩むほどで、宿から表通りに出た瞬間、ついしかめ面になってしまった。

「うっし、今日は観光日和だな!」

 けれども、そんな状況にもかかわらず傍らの同行者は実に元気溌剌である。

「その分暑くなりそうですけどね。暑くなっても脱がないで下さいよ」

「お前は俺を何だと思ってんだよ?」

「半裸族ですけど」

「即答かよ! その半がどこに掛かるのかとか問い質してえが、俺は優しいから敢えて突っ込まねえでおいてやる。おら、とにかく出発だ出発!」

 はいはい、と適当な返事をしつつ、観光客と思しき人で溢れ返った表通りに足を踏み出す。すると、目の前に大きな手がずいと突き出された。

「この人出じゃ、はぐれちまいそうだしな。掴まっとけ」

 はたと手の主を見てみれば、露骨に顔を背けていた。ああほんとにもう、と何とも言えないむず痒さを覚えつつ、目の前の手を取る。大きくて硬い、日に焼けた――頼もしい手だ。

「……何ニヤニヤしてんだよ」

「いえ別に。何でもないですとも」

 まるで昨日の焼き直しのような会話をしながら、歩き出す。

 アルマで騒ぎが起こった時はどうなるやらと思ったものだし、終わりよければ何とやらと気軽に言っていいものかも分からないけれど。

「良い天気で、休暇日和だなあと思いまして」

「そーかい。暑くてもへばんなよ」

「何を言いますか、私は暑さに弱い半裸族じゃないんで」

「お前引っ張んなそれ!?」

「事実じゃないですか。ただの事実ですよコレ」

 結局のところ、それなりに悪くない夏として記憶されてしまうんだろうな、と思った。

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