表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
4/99

01:惑える魔術師の卵たち-01

 王都ガラジオスには、「青の羅針儀」という名所がある。

 中央広場にそびえる、名前の通りに青みを帯びた鈍い銀の金属で造られたオブジェのようなものがそれだ。高さはおよそ五メートルほど、重厚な造りの台座の上の中空に浮かぶもの。それは一見、羅針儀ではなく天球儀のようだった。

 何らかの文字が刻まれた、数多の巨大なリングが重なり合いながら回転している。一体どんな魔術によるものか、時々空中に浮かび出た文字列そのものが回っていることもあった。回り続けるリングと文字列の中には、丸い物体が浮かんでいる。つるりとした青い鈍銀の球体は、時として姿を変えた。それこそ羅針儀にあるような針へと、形を変えるのだ。その針は一本の時もあれば二本の時も、それ以上多く現れたこともあると言う。

 幾千年前、アシメニオス王国が興される際に尽力した魔術師の作だという「青の羅針儀」は、王国に降りかかる苦難を指し示す。針の示す先には何らかの凶事があり、針が多いと言うことはそれだけ深刻な凶兆なのだと、人々は語り伝える。

 ――要するに、半分おとぎ話の観光名所なのだ。

「遠くの危険を示すより、近くの困難を導いて欲しいよ……」

 溜息を吐きながら、大絶賛川浚いの肉体労働中の私は呻いた。

 広場の隅を流れる、ほとんど用水路と言っていいほど小さな川は石畳の敷かれた地面よりも一メートルばかり低く掘り下げられていて、脛が浸かるほどの水位しかない。私がいるのは、ちょうど建物の陰になるような辺りで、さほど周囲からの注目を集めなくても済むのは不幸中の幸いであるものの、顔を上げるとちょうどあの羅針儀が目に入るのだ。暢気にくるくると回る、あの球体が。八つ当たり以外の何でもないと分かってはいるけれど、苛々してくる。

 季節は春になったとは言え、四月も半ばではまだ肌寒い。そんな時期に川に入るのは、どう考えても愉快なことではないし、そもそも私だってやりたくてやっている訳じゃない。

「あのぼんくら、セッティの馬鹿息子め……!」

 全ての元凶である同級生の顔を思い出し、忌々しい気分そのままに吐き捨てた。



 事の始まりは、一ヶ月ばかり前――入学当時にまで遡る。原因は司祭さんがかねてから問題として挙げていたように、突き詰めると単純な身分差による軋轢だった。要するに、つまらない差別感情とチンケな妬み嫉み。

 セッティ伯爵という貴族が、この国にはいる。王国の西方に領地を持つ、それなりに裕福な一族で、その長男が今年十六歳になり、王立魔術学院への入学を志した。魔術学院は貴族の子供に対する教育機関の側面もあるので、厳密には入学の年齢は定められていない。まだ十歳にもならない頃から社会勉強の一環として通う子もいれば、二十歳近くなってから何らかの目的をもって知識を得る為に短期間在籍する人もいる。セッティの馬鹿息子がどうであるかは知らないし、興味もないけれど。

 ついでに言うと、私の場合は単に経済的な問題であったり、勉強の進み具合の問題であり、ぶっちゃけてしまうと平民だということに難癖つけられて中々受験の許可を得ることが出来なかったからだ。本当に忌々しい貴族主義。

 ともかく、私は足掛け五年余りでやっとこさ魔術学院の生徒になった。五年も時間があったからには司祭さんから教えてもらったことも多岐に亘り、入学試験では見事主席の座を掻っ攫う点数を叩き出してやることが出来た。――そこまでは、良かったのだ。そこまでは。

 ここで再び、セッティの馬鹿息子が登場する。繰り返すように、セッティ伯爵家は裕福な身分の高い貴族なのである。多分、主席の座を引っ提げて入学、華々しく学院デビューでもしようという腹積もりだったのだろう。

 そこに、私が現れた。後ろ盾も何もない平民。そのくせ、主席の座をかっぱらっていった。――となれば、セッティの馬鹿の反応など考えるまでもなく決まり切っていた。

「どんな手を使った、汚らわしい下賎の民め!」

 初対面の開口一番に投げられた言葉が、それだった。

 それからが、また七面倒臭かった。陰口悪口授業の妨害は日常茶飯事、なまじセッティ伯爵家が力を持っているばかりに、馬鹿息子に目をつけられた私に関わろうとする同級生も居やしない。清々しいほどのぼっちという奴だ。

 さすがに今更そんなことで登校拒否になるような柔な神経はしちゃいないけれど、こっちが静かに勉強してさっさと卒業してしまいたいのに、妨害されるのは頂けない。気に入らないなら関わらないで無視しろ無き物として扱え、と願って止まないのだけれど、それができないのが十六歳――子供と言うものなのだろうか。思い切り尻を蹴り飛ばしたい。

 そこで向こうが無視してくれないならこっちがそうしよう、と考えたのは、確かに少し大人げなかったのかもしれない。けれど、顔を合せれば面と向かって誹謗中傷、顔を合せなくても陰湿に授業妨害、そんな所業の憎たらしい子供にいつまでも笑顔を向けてやれるような心の広さは、私には無いのだ。

 ――もっとも、その結果が今現在の川浚いに繋がっているのだから、結局は失策であったことに間違いはないのだけれど。


 中央広場には、いつもたくさんの露店が出ている。今日はせっかくの休校日で、よく晴れてもいた。お昼をの外食ついでに買い物でもしようと、私は出掛けてきたのだ。

 ……それが運の尽きだった。もう溜息も出ないほど見事に、遭遇してしまったのだ。セッティの馬鹿息子と、そのお供の少年たちに。

「何だ、ハントじゃないか! 広場で物乞いの練習でもする気か? それとも狩人らしく雀でも狩りに来たのか?」

 相変わらず下手くそな挑発は聞いていて寒々しいし、人通りの多い中央広場で喧嘩を売り始める馬鹿に心底辟易しているのだろうお供の子たちの引き攣った笑いは、最早痛々しい以外の何物でもなかった。これまで見てきた感じ、彼らも好きで行動を共にしている訳ではなさそうなのが、一層哀れに思えてならない。セッティの権力のおこぼれに与ろうという風でもないし、馬鹿息子のお目付けというか、悪く言えば使用人のような形で義務的に連帯行動を余儀なくされているのかもしれない。

 いつも疲れたような顔をしている三人のお供のうちの一人が、私を見るたびに申し訳なさそうな顔をしていることには、割と前から気が付いていた。考えてみれば、ある意味で彼らの方こそ可哀想なものだ。いつもこうして連れ回されて、むやみやたらに注目を集める中で聞きたくもない罵倒を聞かされ、見たくもない口論を見させられている。私だったら、とっくにお役目返上しているに違いない。

 そんな同情心を抱いていたら、馬鹿息子のことはすっかり頭の中から抜け落ちていた。

「おい、聞いているのか!」

 それがまた、気に障ったらしかった。馬鹿息子は肩を怒らせて、私に詰め寄ってきた。聞いてないよさっさとどっか行けよ、と思いはしたけれど、口に出してもいいことはないので呑み込んでおく。言葉の代わりに溜息を吐いたら、馬鹿は更に逆上した。

「この平民――狩人風情が! いつもいつも……その眼が気に入らないんだ! 自分は賢い、自分は強い、そんな目をしやがって――! 僕は、選ばれし者なのに、お前なんかに阻まれちゃいけないのに!」

 知らんがな、十六歳にもなって中二病真っ只中か――とは、口に出しはしなかったけれど。

 それにしても、間近で喚く声の喧しいこと喧しいこと。呆れ果てて、また溜息が出た。ついでに冷たい目で一瞥してやったら、馬鹿息子の顔がいよいよ真っ赤になった。まるで林檎みたい、ああすごい、と生温い目で眺めていたら――不覚にも、続いて出かしやがった暴挙へ反応が遅れた。サロモンさんが見ていたら、多分拳骨を一発頂戴したに違いない。いついかなる時も油断するべからず、とか言って。

 ――とか、まあ、暢気に考えている場合でもなかったのだけれど。

「お前が、お前が悪いんだ……!」

 訳の分からない責任転嫁をしながら、馬鹿は私が首に掛けていたネックレスをもぎ取った。ブチッと嫌な音を立てて鎖が弾け飛んで千切れる。鎖に通して首に掛けていたのは、シモンさんがお守りにと贈ってくれたフクロウを意匠にしたタリスマンだ。

 あろうことか、それをこの馬鹿は投げ捨てやがったのだ。しかも、川の中へ。――さすがにカチンと来た。

「君ねえ――」

 胸倉でも掴み上げて、怒鳴ってやろうと思った、その瞬間。

「エジディオ様、あんまりです!」

 必死に叫ぶような声が、上がった。思わず、ぎょっとして声の主を見る。

 あのいつも私に向かって申し訳なさそうにしていながら、何も言えずに悔しそうな顔をしていた子が、馬鹿息子に負けず劣らず顔を真っ赤にしていた。私が見てきた限り、彼は今まで何一つ口答えもせず、ただひたすらに唯々諾々と馬鹿に付き従っていたはず。なのに、その声と表情は言葉以上に強い批判を表していた。

 え、いいの、口答えしちゃって。後でひどいんじゃないの。そんなことが意識の端に上ってくるにつれ、瞬間的に湧き上がった怒りは静まっていった。目の前の馬鹿の顔が真っ赤を通り越しておかしな色になり始めて、逆に白けてしまったところもあるかもしれない。

「エリゼ、うるさい!! 帰るぞ! アシル、リュシアン、お前たちもだ!」

 そう喚き散らして、馬鹿は広場から去って行った。そう言えばお供三人衆の名前は初めて知ったな、等と思って眺めていると、疲れ果てた顔つきのアシルくんとリュシアンくんが慌てて馬鹿の後を追い駆けていく。後にはただ一人、抗議をしてくれた子――エリゼくんだけが残された。彼は今にも泣きそうな顔をしていて、どうにも哀れに感じてしまう。

「あー、ほら、まあ、君のせいじゃないしさ。早く追い駆けた方がいいよ、癇癪で折檻でもされたら堪らないでしょ」

 苦笑して言うと、エリゼくんははっとしたような風で私を見返し、泣きそうな顔を一層くしゃくしゃにさせた。

「でも、あれは大事なものだったのではないのですか」

「まあ、そりゃ大事だったけどね。いいよ、ちゃんと探して回収しとくから。それより、ほら、早く行きなさいって」

 言葉ついでにひらひら手を振って追い立ててみせると、エリゼくんはぐすんと鼻を鳴らし、深々と頭を下げてから踵を返して走って行った。何と言うか、本当に彼も大変だなあ……。

「……ま、とりあえず頑張って探しますか」

 呟いて、川の方へ向かう。馬鹿が散々騒いでくれたせいで、周囲からの視線が大分痛いことになっていた。王都にはもちろん貴族でない人の方が多いし、中央広場を訪れる貴族はさほど多くない。迷惑がったり疎ましがったりするものよりも、同情や憐みの視線の方が強いことは感じられたけれど、だからと言って嬉しい類のものでもない。

「なんでこう、平穏に過ごせないものなのかねえ……」

 三度、溜息が口をついて出る。今日だけで何度吐く羽目になるのか、考えるのもおぞましかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ