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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
38/99

08:力無きものたちの為に-07

 心労が祟ったのか、私とヴィゴさんが食堂に忍び込んでしばらく経っても、ヴァネサが起きてくることはなかった。ならばいっそのこと、全てを秘密のうちにしたまま事を進めて終わらせてしまうのも、或いは気遣いの一つだろうか。

 そんなことを考えながら、厨房を拝借して手早く朝食の用意をする。ここのところは満足に買い出しにも出られなかったのか、保存庫――電気ではなく魔力と魔術で動く冷蔵庫のようなものだ――の中の野菜は少々萎びはじめていたので、勝手ながら痛んでしまう前に使い切らせてもらうことにした。手の込んだものを作っている時間も余裕もないので、とにかく質より量だ。特にたくさん食べる人もいるし。

「俺も手伝うか?」

「料理得意なんですか?」

「んにゃ、苦手だな!」

「何ですかその無駄に爽やかな返事!? 気持ちだけ頂きますんで、食堂で大人しく待っててください」

 へーい、と暢気な返事をして厨房から出ていく背中を横目に野菜を刻み、鍋を煮立たせ、あれやこれやと忙しく動き回ること小一時間ばかり。暇を持て余してちょこちょこ覗きもといつまみ食いに来るヴィゴさんを追い返しながら作りに作った料理はかなりの量に上った。

 もちろん取り分けておいたヴァネサの分は、メモを添えて保存庫に入れておく。それ以外の残りを食堂に運び込み、向かい合ってテーブルに着くと、やっと朝食の運びになった。

「おー、美味そう。食っていいか?」

「はいはい、どうぞ召し上がれ」

 答えるが早いか、ヴィゴさんは勢いよく料理を掻きこんでゆく。うーむ、いつ見ても清々しい食べっぷりだなあ。

「――で、ヤルミル対策はどうします?」

 ヴァネサがいないのなら、わざわざ裏庭で内緒話をすることもない。野菜炒めをパクつきながら問いかけると、ミートソースのミート抜き野菜まみれパスタを食べるというよりは流し込むかのようにしていたヴィゴさんは一端器をテーブルに置き、

「昨日のアレがある以上、絶対とは言えねえけど、館を背にしてた方が奴の行動は制限できんじゃねえの」

「ああ、なるほど。少なくとも正面からの大規模攻撃は避けられますもんね」

 窓の一枚くらい必要経費と考えたのか、昨日は外から構わず矢を射こんできたけれど。本来ヤルミルは館とその住人に執着している。館を背にしていれば、建物を大きく損なうような攻撃はしてこれない可能性は高い。

「おうよ。んで、大体どこから来るか分かってて、足場がしっかりしてて遮蔽物もそこそこあるとなりゃ、あの野郎の矢なんかまず当てられねえよ。となると、野郎は手詰まりになる。そうなったら――」

「……戦車で接近してくる?」

「そういうこった。そこで車輪を絡め取れるような罠でも仕掛けとけりゃ、事は簡単に済む気もすんだけどな」

「絡め取る、ですか……」

 さて、何かいい案があるだろうか。自分の分のパスタをフォークで巻きながら考える。

 罠を張るとなったら、やっぱり核に魔石や鉱石を据えて術を組んで確実性を増した方がいいはず。手持ちの石は何が残っていたっけ。紫水晶、緑泥水晶、それから柘榴石に紅玉髄、月長石に黄水晶。後は……ああ、瑠璃に孔雀石と琥珀が一欠片もあったかな。ラムール石の欠片と「碧の女帝」の残りも少しはあるけれど、その特質を考えると罠には不向きかも知れない。

「手え止まってんぞ」

「へ? ああ、はい、すみません」

 手持ちについて考え込んでいたせいで、すっかり食事の手が止まっていた。とりあえず巻きっぱなしだったパスタを口に運んで、咀嚼。呑み込んでから、改めて口を開く。

「……一つ、罠の宛てがあります」

「お、どんなよ」

 ヴィゴさんが興味深げな顔をして喰い付いてくる。残りのパスタを食べながら思い付いたことをざっくり説明していくと、その顔は次第に好戦的なニヤリ笑いに変わっていった。……完全にやる気である。

「よし、そんじゃあ飯食ったら仕込みに行こうぜ。万一仕込みの最中に出てきやがったら、俺が引きつけとくからその間に頼む」

「分かりました。出来れば、何か所か仕掛けておきたいですよね」

「だな。――と、その前に裏庭寄って癒しの水だな」

「ああ、そう言えばそれもありましたっけ」

「何だよ、その他人事みてえな返事は」

「昨日ルーンで手当てしてもらったんだから、後はほっとけば治るじゃないですか」

「お前なあ……」

 ヴィゴさんが溜息を吐く。

 そうして始まったのは、十七の娘だって主張するからには云々、痕が残ったらどうするんだ云々、と思いの外つらつらと流暢に流れるお説教であり、途中で何度か「あなたは私のお父さんか!」と突っ込みたくなったけれど、そんなことを言おうものなら火に油間違いなしなのは分かり切っていたので、とりあえず食事に集中している振りをして聞き流しておいた。


 朝食を終えて裏庭の泉に寄り、それからすぐに私とヴィゴさんは館を出て罠を仕掛けるに相応しい場所の選定を行うべく森に入った。警戒するに越したことはないのだから、探索の魔術は常に最大範囲にまで広げておく。

 ――で、例の如く森を行くには、ヴィゴさんが前で私が後ろの縦列なのだけれども。

「すみません、ちょっと、さっきっからいい加減ため息鬱陶しいんですけどもね!?」

 感覚的には、三分おきくらいの頻度である。はあ、はあー、はああ、と辛気臭いことこの上ないため息を聞かされ続けるこっちの身にもなって欲しい。

 因みに、ため息の理由なんぞは何とも単純なことで、泉の癒しを持ってしても私の顔の傷が治り切らなかったことであるらしい。いや、治ることは治ったのだけど、薄らとした痕までは消えなかったのだ。ほんの数センチの線のような痕だから、いざという時は充分化粧でカバーできるだろうし、私としてはもう別にいいじゃんという気持ちで一杯である。

 一度起こったことは、何をしても覆らない。それがこの世の中の絶対の理だ。それこそ大禁呪とされる時間操作にでも手を染めない限り。だから、私は痕もなく完治するなんて期待は端からしていなかったし、痕が残っても一種の教訓と思えばそこまで悪くもない。

「あんだよ、別にいーじゃねーかよ。俺がため息吐こうと煙吐こうと、俺の自由だろ」

「それなら私に聞こえないとこでやって下さいよ」

「無茶言うなよな」

 無茶なんかい! と反射的に言い返しそうになったのを寸前で呑み込み、伝染しそうになったため息を呑み込む。ああもう、このああ言えばこう言う頑固者め。

「今日一日ため息禁止にしましょうかね――と、ここにしましょう」

 声を上げると、数歩先を行くヴィゴさんが足を止めた。それを見計らって、薄く落ち葉の積もった地面に膝をついて掌を当てる。地中の魔力の流れが、程よく溜まっている。俗にいう魔力溜まりだ。ここに石を埋めて陣を敷けば、地中の魔力を吸い上げてローコストな罠が仕掛けられる。

「仕掛けるのにどれくらいかかる?」

「そんなに手間かけてられないので、手早く済ませます」

 幸い、今回罠に使うことに決めた緑泥水晶はそれなりに数がある。まずは罠の作用範囲と定めた空間の四隅に小さめのものを埋めてから、中央に一際大きなものを配置する。なるべく埋めた痕跡が窺えないよう整えてから、石を埋めた場所に掌を押し当てて魔力を流した。

開式(セット)――告げる(アンサズ)。|櫟の門よ、来る時その扉を閉じよ《ユル・スリサズ》」

 最近ちまちまとヴィゴさんに習っているルーンは、一種の表意文字でもある。予め「そういうもの」だと既定されている概念は疑いを挟む余地がないので、魔術における自己認識に少々難のある私には、割合使い勝手がいいツールだった。「そういうもの」なんだから、それを使えば「そうなる」だろう。あくまでも仮託というか、今一つ自分の術を確信しきれていない感はあるものの、ルーンを使うようになってから術の精度が上がってきたのも確かだ。

 用いる三つのルーンを用いて思い浮かべるイメージは、境界を越えて踏み込んだものを閉じ込める門。緑泥水晶は土や植物に対する親和性が高いので、今回の罠にぴったりだったのだ。石同士を繋ぐように魔力の回路を結んで、滞りなく循環していることを確認してから、膝についた土を払って立ち上がる。

「もういいのか?」

「まあ、一通りは。後はどうやってこの場所に誘い込むか、ですね」

「だな。……ま、そん時ゃそん時考えるべ」

 イマイチ心許ない言葉ではあるものの、元々誘引については私にさしたるアイディアもないので、発言は控えた。動物だったら餌なり何なりで釣る方法が思い浮かばないではないけど、相手は狂った自動人形だ。何をどうやって読んだらいいというのやら。ここは一つ、歴戦の傭兵の手管に期待するとしよう。

「とりあえず、館に戻ります? ――って、あ、駄目だこれ」

「あ? どうしたよ」

「いや、今更に気付いたんですけどね。館を盾にすると、必然的にヴァネサの眼の届くところで戦うことになるじゃないですか」

「まあ、そりゃそうなるわな」

「それは、何と言うか、あんまりよくないかなーと。思うんですけどもね」

 ただでさえ彼女は追い詰められているのだし。館の前でドンパチなんか始めたら、それこそ倒れてしまうのではなかろうか。

 そう言ってみると、ヴィゴさんは何とも言えない表情で頬を掻いた後、

「お前がそうした方がいいってなら、俺はそれでいいけどよ」

「含みありげな言い方しますねえ……」

「そりゃあ、俺はお前が一番安全な方法を取りてえもんよ」

 さらっと告げられた言葉に、一瞬ぽかんとした。これは、ええと、何だ。面映ゆいとでも言えばいいのだろうか。とにかく、何かそんな感じの気分になる。最近どうも、ヴィゴさんと話してるとたまに調子が狂うなあ……。

「まあ、その、何ですか。そのお気持ちは有難く」

「おう。――ま、どっちにしろやるこた変わらねえんだ。場が整ってりゃあ、あんな坊主に負けやしねえよ」

「それは頼もしい」

「そんじゃ、しばらく森ん中でもうろうろして釣りでもすっかね」

「はい、宜しくお願いします」


 硬い蹄と地面を削る車輪の音が聞こえたような気がしたのは、森の散策を始めてしばらくしてのことだ。移動中も広く展開して辺りを探っていた探索の術の作用範囲の境界をぶち破るようにして、飛び込んでくる気配。いつか来るはずと覚悟していたつもりとはいえ、実際に来られると背筋が冷える。

「ヴィゴさん!」

 前を歩く人を呼べば、肩越しに投げられた視線が心得たとばかりに頷く。

「どっから来てる?」

「四時の方向。多分戦車です。あっちもあっちで私達を探す術を持ってるみたいで、まっすぐに来てます。かなり早い……」

 昨日の夜も感じていたことだけれど、厄介なのはヤルミルと馬の魔力の質が似通っていることだ。並んでいると二つのよく似たものではなく、力の強い方に弱い方の気配が食われて、同化した一つのものに捉えられてしまう。使い魔と主の魔力的な気配は同一になるというけれど、あの馬とヤルミルの間にもそう言った関係性があるのかもしれない。今日は昨日と違って車輪の音が聞こえてくる分、戦車に乗っているのだろうと想像はつけられるのだけれど。

「そんじゃ、ひとまず罠の辺りに戻ってみっか。俺達の動きを追ってくるなら、そのまま釣り上げられるかもだろ」

「です、ね」

 答えて罠の方へ向かうべく爪先の向きを変えながら、やはり妙な気がした。前に見たヤルミルは片脚を失っており、且つ背格好は私とそれほど変わらなかったはず。だというのに、私の術に問題がないのであれば、今戦車を駆っているのは五体満足の――しかもヴィゴさんに勝るとも劣らない体格。

 自動人形は成長しない。これは絶対だ。けれど、敵がヤルミルであることもまた、高い確率で動かない。であれば、答えは自然と一つに絞られる。もっとも、それはどうあっても喜ばしいことではないのだけれど。

「……ああもう、面倒な」

 嘆息混じりに呟けば、隣を走るヴィゴさんがこちらを窺う。

「あん? 何がどうしたよ?」

「いえ、今捉えてるヤルミルと思しき自動人形なんですけど。昨日の夜捉えた時から、何か背格好がおかしいなとは思ってたんですよね。――で、色々考えてみた結果、アレですね。あの子、多分核を移し替えて別の身体に乗り換えてますね」

「はあ!? どういうことだよ、それ」

「体格としては、ヴィゴさんと同じくらい。足も二本あります。前片脚がなかったのは、多分私の矢が吹っ飛ばしたんでしょうけど」

「何か、じゃあ、それを補う為に自分で核抉って? やったってのか? んな話があるかよ」

「有り得ますよ。何せ彼は狂ってる。人間を襲うなら、自己破壊だってお手物でしょう」

「そうは言ってもよ、そこらに早々人形なんて転がっちゃ――」

 言いかけて、ヴィゴさんは苦々しげに口を閉じた。

 そう、核のない自動人形の素体なんて、今日日ごろごろしている。数日前、当の私達がそれを目の当たりにしたばかりだ。森を抜けた先の広野――あそこで人形の抜け殻の山が築かれたのがいつ頃か、明確なことは分からない。それでも全てが全て、無音のうちに成し遂げられることでもないだろう。であれば、森の中にいた私達の耳に届かないくらいに時間距離共に遠く離れた時のことだったに違いない。

 館で私達と接触して逃げたその足であの広野に向かっていたなら、私達が到着する前に手ごろな素体を探すこともできたはず。何せ、あちらは戦車だ。移動速度は折り紙つき。

 ひょっとすれば、その時点で北の街の自動人形と同じようにあの広野への招集を受けていたのかもしれない。結果として核を失っていないことを考えると、断言はできないけれど。核を抉っても逆らって奪わせなかったか、それとも単に北へ向かった結果核を失った人形を見つけたのか。いずれにせよ、そのどちらかではあるはずだ。

「これまで動きがなかったのは、身体に核が馴染むのでも待ってたんでしょう」

「確実に俺達を仕留める為に、ってか? よくもまあ、上手く隠れてやがったもんだぜ」

「元々、彼は森での狩りにも長けていたようですしね。潜み隠れるのは慣れたものなんじゃないですか」

 或いは、そんな風に潜む狂った狩人がいたからこそ、森もあんなに不自然に静まり返っていたのか。それとも真実森の向こうの人形の残骸の山に恐れをなして、鳥も獣も逃げ隠れしてしまったのか。そこまでに至っては、もう確かめようもないことだけれど。

「俄かにゃあ信じられねえが――」

 まだ信じきれない風で、ヴィゴさんは顰め面のまま言う。けれど、その言葉が不意に途切れたかと思うと、腹立たしげにばりばりと頭を掻いた。

「ああ、そうだったか、クソ! そういや昨日の夜、あいつからお前の魔力のにおいがしてなかった。前の身体を捨ててたんなら、そりゃ当然か」

「そういえば、前もそんなこと言ってましたっけ。魔力のにおいって、そう分かるもんなんですか? 鼻の利く魔術師は嗅ぐだけでその質を読み取るとか、話には聞いたことありますけど。……私、さっぱり分からないんですけど」

「俺は人より鼻がいいんだよ」

「そういうもんですか。――まあいいや、ともかく、そういう状況なんだと思います。かと言って、私達のすることに変わりもないですし。このまま上手く釣れて罠と戦車が直線状に並んだら、遮蔽を打って潜みましょう。まっすぐ進んでくるなら、そのまま罠に踏み込んでくれるはず。その時は念の為、距離を取っておきます? それともできる限り接近を?」

「嵌った瞬間に飛び出してえからな、近くのがいいだろ」

「了解です」

 遮蔽は所によっては隠形とも呼ばれる、探索系の魔術に対して身を隠す術だ。単純に気配を消す意味合いもあるので、森や山に入る狩人なら持っているに越したことはないスキルだと言える。だから、私もそれなりには使える――のだけども。

 だからこそ、ヤルミルにしても同じように心得はあるはず。歩く程度ならまだしも、走る以上の高速移動となると遮蔽を連動させるのが難しくなるので、戦車で移動している今は使っていないだけだろう。

「……来ました、ちょうど今私達と罠と戦車が同一線上にあります」

 言いながら、ヴィゴさんの腕を掴む。その意図は離れた二つのものに術を施すよりは、一つにまとめて施した方が手間がかからないからだったのだけれど。

 ちらりと私を見たヴィゴさんは小さく頷いて見せると、何をどう解釈したのか、槍を持っていない方の腕で私を抱き上げてくれてしまったのだった。腰を抱えるようにして持ち上げられてから、軽く抱き直されて腕に座るような格好になる。いやまあ、最終的なところを考えればこれでも違う訳じゃないんだけど、何と言うか、うん……良いか、別に。

 ヴィゴさんの肩に手を置いてバランスを取りながら、求める魔術を脳裏に思い描く。

「――開式(セット)、私の声は汝の波を退け払う」

 ぶうん、と虫の羽音のような音を立てて、周囲に私達をすっぽり包む大きさの魔力の膜が張る。外界に対して内部に囲ったものの存在を隠蔽する遮蔽膜だ。

 幕を壊さないよう、慎重な足取りでヴィゴさんは森の中を進んでいく。無事に罠を仕掛けた場所を窺い見れる場所に到着すると、ヴィゴさんは軽く周囲を見回した後、今度は何を考えたのか枝ぶりの見事な木に歩み寄った。何のつもりかと黙って見ているうちに、ひょいと軽く地面を蹴って跳躍。ギョッとして目を見開く私のことなどお構いなしに、掴むにちょうどいい位置にある枝へ伸ばした手を届かせて、逆上がりの要領でくるりとその上に乗り上げてしまう。

「……び、びっくりした……」

 意図しないところで文字通りの一回転を味わわされた私は、普通に心臓がドッキドキのバックバクである。木の上に上がるのは構わないけども、せめてその前に一言欲しかったな……!

「お、車輪の音が聞こえてきたな」

 なのに私の呟きを完全にスルーして、ヴィゴさんが言う。おのれ、何というタイミングか。

 一抹の忌々しさを抱きつつ、音のする方向を見てみれば、やがて木々や茂みの合間を縫うようにして一台の戦車が姿を現した。その進路はまっすぐに罠の在り処へと向かっており、それは喜ぶべきことなのだけれど――

「オイ、馬が一頭きりっきゃ居ねえぞ」

「見えてますよ。……どこかに潜んでるんですかね?」

「馬がか?」

「消去法でいくなら、そうなるんでしょうけど」

「馬は隠し玉になんねえだろ、訳分かんねえな。――まあ、どっちにしろ戦車は壊しといた方がいいだろ」

「このまま仕掛けます?」

「おう、頼むわ」

「まあ、自律発動式なんで、今更中止とかできないんですけどね」

 オイじゃあ何で訊いたんだよ、とヴィゴさんが非難じみた声を上げるのはこの際聞かなかったことにして、目を凝らしいよいよ迫るその時を待つ。

 ――そして。

 馬が境界を踏む。伝達(アンサズ)のルーンが起動。石を繋ぐ回路を魔力が高速循環、術の構築に入る。

 車輪が境界を超える。(ユル)(スリサズ)のルーンが起動。進軍も撤退も能わず、一切の移動を禁じる柵を境界に巡らせる。

 眼前を柵に閉ざされた鋼の馬が驚きか怒りにか嘶けば、陣の中央に込めた緑泥水晶が締めの魔力を放つ。ずずん、と重い音を響かせて境界内の地面が陥没。戦車の車輪が地割れに嵌る。更に車輪と馬の足を絡め取るべく、無数の蔦が発生。

 三つ息を吐く間に、戦車は完璧に陣の内に囚われていた。――自画自賛にはなるけれど。割と、会心の出来である。よし、と内心で息を吐けば、傍らで楽しげな声が上がる。

「こいつあ見事ってもんだ!」

 言いながら、ヴィゴさんが私を枝の上に残して飛び出した。危うく転げ落ちそうになったところを慌てて木にしがみ付きながら見やれば、宙に躍り出た後ろ姿は右手に炎を灯した槍を握っている。燃え上がる炎の光と熱に目を細めたのも一瞬、轟雷じみた投擲。上空から突き落とされた槍の一撃は、過たず戦車を馬諸共に粉砕した。下半身の爆散した馬が激しく嘶いて倒れ、粉々になった御者台からヤルミルが放り出される。

 逃げられる、と慌ててポケットに忍ばせておいた石を取り出そうとすると、眼下で華麗に着地したヴィゴさんが地面に突き刺さった槍を抜き、右手一本で軽々と操って追撃に出ていた。一片の躊躇いも停滞もなく獲物を追う、朱い槍の穂先。空中にあって身動きのできないヤルミルは、なすすべもなかった。

 ヤルミルの虚ろな眼差しが空を見上げる。彼の衣服は既にボロボロだった。擦り切れて千切れ、穴の開いた布地の間から覗く胸には、まともな状態であれば人間の内臓よろしく隠されているはずの魔石の核が露出している。朱い槍は見事にその中心を捉え、貫いた。

 ぱきん、と乾いた音がして、虚ろな目から完全に光が消える。四肢がだらんと垂れ、ヴィゴさんが槍を振る動きに合わせて何の抵抗もなく、長躯が投げられるままに吹っ飛ぶ。櫟の柵に当たって転がった素体は、もうぴくりともしない。余りにも呆気なく、狂気の自動人形は稼働を停止した。

 その光景を眺めていて――ふと、頭の片隅でもう一人の自分が囁く。本当に? 本当にこれで終わり? 呆気ないなんてどころじゃない、呆気なさ過ぎるんじゃあ?

 自己批判気味な内省に対して、上手く罠を仕掛けた結果なのだから呆気なくて当然だ、と自画自賛する思考がある反面、やはりどこか落ち着かない。何かを忘れているような。妙に後味の悪い胸騒ぎ。

「……うん?」

 ふと、脳裏に閃くものがあった。そうだ、あの虚ろな目。以前見た、黒々と渦を巻くほどの凄まじい狂気が、ああも綺麗さっぱり消え失せているなんておかしい。それに、自慢の弓矢はどうしたのか。

 考えてみれば、何もかもがおかしかった。二頭立てのはずの戦車を一頭で引いてきて、御者が一人。――人形の素体は、有り余っている。ならば、それは。核を移し替えたのは、本当に一人だけか?

 思考がそこに至った瞬間、頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。やばい。釣ったつもりで、私達が釣られた。

「ヴィゴさん! それヤルミルじゃない! 戦車は囮で、多分どこかから私達を狙ってる!」

 叫んだ瞬間、意識の片隅にぼっと出現する気配。今さっき核を破壊された人形によく似た背格好。その狙撃手が――矢継ぎ早に、放ったのは。

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