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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
33/99

08:力無きものたちの為に-02

 ソイカ氏及びヴァネサとの会談が一段落した後、私とレインナードさんは館の表に出た。いつまでも食堂に居座っているのも宜しくないし、何より援軍と合流するのなら互いに分かりやすい場所に居た方が都合がいい。

 そうして庭石を椅子代わりに座って、微妙に緊張が拭えないながらも世間話などしつつ、待つこと暫し――晴天の空に煌めく太陽が徐々に天頂から下り始めた頃。

「来やがったな」

 不意にレインナードさんが立ち上がり、庭石に立て掛けていた槍を取り上げた。魔術を用いていなければ、私の索敵能力などあってないようなものだ。私にはさっぱり分からないけれど、聴覚か、何か他の感覚か。ともかく、レインナードさんは何か気付いたらしい。

 手振りで背後に回るよう示されたので、弓と矢を持って石から腰を上げ、指示通りに動く。レインナードさんの後ろに立ち、脇から覗くようにして前方の様子を窺う。すると、俄かに館正面の森の茂みが揺れ、一人の男性が姿を現した。

 歳はレインナードさんよりも少し上くらいだろうか。剣を携えただけの簡素な旅装に、短く整えられた燃えるような赤毛が異彩を放つ。レインナードさんに勝るとも劣らない体格を見るに、腰の剣も飾りではないのだろう。甘やかという訳ではないけれど、その端整な面差しは充分に美丈夫と呼ばれる範疇に入る。しかし、単に美しさを称えるにはその眼光は強すぎ、いかにも只者でない。だからか、レインナードさんは珍しいほどに厳しい声で誰何した。

「おう、そこらで止まれ。てめえ、何者だ。こちとら忙しいんでよ、用件次第じゃ無理にでも帰ってもらうぜ」

 ともすれば剣呑にも感じられる鋭い声にも、現れた男性は眉一つ動かさない。じろりと淡いグレーの眼をレインナードさんへ、そしてその後ろから顔を出している私へと動かすと、品定めでもするようにじっと凝視してきた。何のつもりだろう、と眉を寄せれば、

「初にお目に掛かる。ライゼル・ハント嬢は、君か」

 その言葉が聞こえた瞬間の心境としては、驚きよりも憂鬱が勝った。そもそも追手が掛かっていると分かっている以上、来客が私の名前を知っていることはある程度当然と言える範疇のことだ。よって、問題があるとすれば、発言そのものではなく。そこに至るまでの流れだ。

 できることなら、しかめ面でもしたかった。前に立つ背中が、露骨にイラッとした空気を放ち始めている。真っ向から問い掛けた言葉を完璧に無視されては、そりゃあ無理もないことだけれども。……全く、私は運が良かったんじゃないんだろうか。なんとも厄介そうな御仁が来てしまった。

 はあ、と溜息を吐いてみせる間も、男性はじっと私を見据える目を逸らすことはなかった。

「何者かと問われて答えない相手に、こちらが答えるとお思いですか」

「ふむ、それも道理か。失礼をした、些か気が逸っていたようだ。――ラファエル・デュランベルジェと申す。ルカーシュ・ソイカの要請を受け、ライゼル・ハント嬢の護衛を務めるべく参じた」

「デュランベルジェ……?」

 聞き覚えのある名前に、はて何だったかと首を捻る。――と、レインナードさんが「げっ」と潰れた蛙のような声を上げるのが聞こえた。

「レインナードさん、お知り合いですか?」

「お知り合いなもんかよ。名乗りが騙りでなけりゃ、あちらさん、立派なお貴族様だぜ。お前だって名前くらい聞いたことあんだろ。ほれ、王立騎士団の一番人気、ルラーキ侯爵とやらの三男坊って奴だよ」

 どことなしか嫌そうに、レインナードさんは言う。

 騎士団で一番人気のお貴族様ねえ……。興味もないし接点もないんだけれども、何だかそんな肩書は聞いたことがあるような、あの赤色はどこかで見たことがあるような。感覚的に、そんなに前のことじゃないような気がする。えーと、何だったっけ、どこでだったっけ……。

「あー……えー、あー、ああ! 思い出しました。この前の武闘大会の前座で、そう言えばそんな名前を聞いたような、後ろの席のお節介なおじさんにそんな説明を受けたような」

「割とガッツリ知ってたんじゃねえかよ」

「いや、あの時はレインナードさん以外眼中になかったんで、適当に聞き流してまして」

 後はソーセージを食べるのに夢中だった――とまでは、言わないけれども。

 何はともあれ、閑話休題。デュランベルジェ氏に目を戻し、軽く頷いて見せる。

「ええと、確かに私がライゼル・ハントで間違いありません。ソイカ氏からのご紹介、ということですが……」

 何か証拠は、と言外に匂わせると、デュランベルジェ氏はおもむろに一本の巻紙を取り出し、ひょいと放った。見事な放物線を描いたそれはレインナードさんの目の前に落下し、その手を介して私に手渡される。

 封蝋を崩して紙を開くと、以前にも目にした手癖の文字と署名で一筆したためられていた。曰く――ルカーシュ・ソイカの名をもって、ラファエル・デュランベルジェをライゼル・ハントの助けとなるべく派遣したことを証明する。

「本物そうか?」

「そうですね、大丈夫そうです」

 巻紙を元に戻しながら、レインナードさんの肩越しの問いに答える。念の為、署名に含まれた魔力を確かめてもみたけれど、以前私が課題の完了証明にもらったものと同じ反応が返ってきただけだった。これならソイカ氏の直筆とみて間違いなさそうだ。

 ……しかし、これでまた別の問題が勃発してしまった。巻紙を上着のポケットに差し込んでから、デュランベルジェ氏を真っ向から見返す。

「つかぬことをお伺いしますが、ソイカ氏とはどのようなお知り合いで?」

「ルカーシュとは、王立魔術学院で同期でね。その縁が今も続いているという訳だ」

「ご学友、と。……では、尚のこと私のような身分の者の許へ派遣されたのは、ご不快では」

 問う声はなるべく平然と、含みなく聞こえるよう意識して。

 どんなに腕が立つ人でも、協力し合えないのなら一緒にいたってマイナスに働くだけだ。だから、多少胃を痛めるとしても、今ここで確かめておかなくてはいけない。セッティのアレのような御仁なら、ソイカ氏には悪いけれどお引き取り願わなければならないのだから。

 うっかりすると引き攣りそうな頬を何とか取り繕いつつ、あちらの反応を待つ。デュランベルジェ氏はぱちくりと一度大きく瞬きをしたかと思うと、気難しげに眉間に皺を寄せた。

「つまり、それは平民である君の護衛を務めることに、私が何か他意を秘めているのではないか、という問いかね?」

「そう表現しても、間違いではありません。……経験則から言いまして、どうも私は貴族の方々に好まれないようですので。念の為に確認をと」

「ああ、噂には聞いている。セッティ家のアレが君をひどく妬んでいるそうだな」

 皮肉っぽい笑いには、ぞくりとするような、妙な凄味があった。

「なるほど、君の懸念ももっともだ。貴族が平民という身分で民草を一括化するように、我々貴族も身分で一括化した認識は避けられ得まい」

 やれやれ、とばかりに溜息まで添えて、デュランベルジェ氏は言う。ただし、言葉の割にそこまで納得しているように聞こえないし、どこか不服そうにすら見える。

 それがセッティのアレと同一視されたことへの不満であるのなら、この人はアレと平民への振る舞いを異にするタイプなのだろうか。だったら嬉しいけれど――所詮、まだ推測の域。決定的な言葉を聞いておかないことには、安心できない。

 敢えて答えずに黙っていると、デュランベルジェ氏は嘆息する風で語り始めた。

「私が単に顔面の造作が整っている為だけに騎士の筆頭に挙げられるのだと思われているのならば、実に心外だよ。騎士の全てが貴族だと思うかね? もちろん、否だとも。貴族だけでは国防を担いきれない。騎士団の維持存続には、多くの平民の尽力がある。その彼らの支持なくして、偉そうな口など叩けんよ。同様に、平民なくしては貴族は貴族たりえない。我々は君たちが稼ぎ上げたものを掠め取らねば、日々の糧を得られぬのだからね。その代償として、我々は多くの義務を負う。当然のことだ。――故に、貴族が平民を侮蔑するなどもっての外」

 少しもつかえることない、流れるような口上。思いもよらない長広舌にぽかんとする私の前で、淡い灰色の眼が少しだけ緩む。

「それに、君のことはよく聞いている。真面目で勤勉な生徒の模範。首席という肩書に驕ることなく、研鑚を続けている良き学び手。私の師は――ルイゾン・アルドワンは、君を評してそう言っていた。師がそう言うからには、私も君に相応の敬意を払わねばなるまい。……ここまで言って、まだ信用には足りないかね?」

 にやり、と人を食ったような笑み。全く予想していなかった名前の、更に予想もしない関係性の提示に、いよいよもって私は呆然としてしまった。

 ルイゾン・アルドワン。もちろん、その名前に聞き覚えはある。それどころか、よーく知っている。王立魔術学院において、私が最も懇意にさせてもらっている敏腕講師その人こそが、ルイゾン・アルドワン講師なのだから。

 なんてこったい、と普通に呆気にとられる中で、ふと思い当たる。そう言えば、あの先生はさり気にエドガール・メレスとか引き合いに出す人だった。穏やかそうな見掛けに反して、そもそもは騎士団所属の根っからの武闘派魔術師な人なのである。そりゃあこれまで教えた中に騎士団一番人気の侯爵家三男もいるってもんですか! スゴイネ!

 ――等と、やけっぱち気味に考えていたらば。

「……何でしょう、その含みありげな笑いは」

「いや、別に? 何でもないとも」

 それはもうしてやったり顔で、懇意の先生のお弟子さんとやらはニヤニヤしてくれやがっていたのであった。くそう、何か悔しい……。

 ええい、それはともかくとして、落ち着け。落ち着くのだ私よ。変なテンションになってる場合じゃない。そう自分に言い聞かせる時点で大分平常心とかけ離れてるけど、そんなことは気にしない。

 はあ、と大きく息を吐き出して、気を取り直す。

「……えー、何と言いますか、アルドワン講師にはお世話になっております」

 レインナードさんの隣に並ぶ格好で移動し、軽く頭を下げてみる。これで少なくとも、護衛を盾に隠れるような相手ではないと判断したことが伝わるだろうか。

 顔を上げると、デュランベルジェ氏は一転して嫌みのない風で小さく笑った。

「そう畏まることはない。ある意味で、君は私の妹弟子のようなものだ。ルイゾン師もここのところ、君のお陰で随分と張り合いが出ているようでね。君のことは度々話題に上ったよ。それは楽しそうに」

「恐縮です」

「ともかく、そういう次第でね。ルカーシュからの依頼もあれば、師への義理もある。私は君を無事この島から逃す助けになるべく来たのだと、誓って言えるのだが――」

 そこまで言って、露骨に勿体ぶった風で言葉が切られた。これまで一貫して私に向けられていた灰色の双眸が、つと隣に移される。

「ついては、そろそろそちらの同行者殿を説得してはもらえないかね? そのように険のある目をされては、いかな私とて些かの対応を取りたくなるものだ」

「はい?」

 またしても意表を突く言葉のせいで、図らずも素っ頓狂な声が出た。その勢いのまま傍らを見上げれば、まるで見計らったかのようなタイミングでレインナードさんが顔を逸らす。私の目が曇っているのでなければ、その横顔はどこか気まずげだ。

 ……ということは、何か。私が話をしている間、この人はその目顔で警戒というか威圧というかを試みていたのだろうか。うーむ、これは、何と言うか。何と言えばいいのか。

 勝手に緩んでいく頬を感じながら、ぼふりと傍らの背中を掌で叩く。

「お気遣いありがとうございます。でも、たぶん大丈夫なんだと思いますんで」

 言うと、逸らされていた顔が私を向いた。かすかに目を見開き、それから唇をへの字に曲げてみせる姿は、いくらかいつもよりも幼く見える。その複雑そうな表情に笑い返してから、私は改めて兄弟子――と呼ぶには些かどころでなく気後れする彼の人を見やった。

「こちらは私が契約を結んでいる傭兵の方です。もちろん立派な職業人ですから、無意味な諍いなど起こしません。心配は無用かと」

「そうかね? では、君のその言葉を信じるとしよう」

 鷹揚にデュランベルジェ氏は頷いて見せる。けれど、「私の言葉」を、ねえ……。それは裏を返せば、レインナードさん自体は信用していない、というニュアンスにもとれる。どうにも中々癖のある御仁のようだ。

「ともかく、話を進めさせて頂いても?」

「ああ、もちろんだとも。その方が私も喜ばしい」

「……そうですか。では、まず最も重要なことを。私達がこの島を脱出するにあたってご助力下さるとのことですが、その前に一つ確認させて頂きたいことがあります」

「ほう、何事かね?」

「単刀直入に申しますと――お礼は、いかほど」

 問うと、デュランベルジェ氏はぽかんとした風で目を丸くさせた。まさに掛け値なしの驚きの表情。思いもよらない言葉を聞いた、とばかりの表情を浮かべて絶句していたものの、数拍の間を置いた後、妙に納得したような表情になって「なるほど」と唸った。

「師をして生半な生徒とは違うと言わしめる訳だ。現実的な観点、実に結構。――しかし、騎士が民を助けるにあたって対価を求めるなどという話があってはなるまいさ」

「今は騎士としてではなく、一個人の休暇の最中であったのでは?」

「いついかなる時にあろうとも、私は騎士だとも」

 打てば返るような答えに、今度は私が言葉に詰まる番だった。

 そうは言われても、休暇中の騎士、しかも貴族の手を借りて、変な借りを作ってしまうのも躊躇われる。アルマ島王からもお呼びが掛かってしまったことからしても、事ここに至っては「アシメニオス王立魔術学院首席」という肩書の明確な厄介さを認識しない訳にはいかない。厄介な騒ぎの果てにセッティ家から手紙が来たように、これを引き合いに出されて、後で妙な縁を作られても嫌だ。いっそきちんと謝礼を渡して、後に引かないようなこの場限りの雇用契約として結んでしまった方がよほど安心できる。

「……そう仰るのなら、重ねて確認は致しませんけれど。もし何ごとかご用の場合は、近日中にご連絡ください。そうですね、この島からの脱出が叶ってから十日ばかり。それ以後については、今回の件に関連しての要請は受けかねます」

 悪あがきというか、苦肉の策というか。どうしても後で恩に着せられたくないが為の、またしても露骨な予防線の意図は、おそらくデュランベルジェ氏にはストレートに伝わったのだろう。端整な顔に苦笑を浮かべて、アシメニオス王国随一の騎士は肩をすくめた。

「少しは信用してもらえたかと思えば――随分と用心深い。それもまた、君を妬む小僧がついて回った経験則から得たものかね? だとすれば、忌々しいことだ。あの跡取りがどの道に進みたがるのかは知らんが、こちらに来るのであれば性根を叩き直しておく必要があるな」

「私の方針についてはご想像にお任せしますが、ひねくれた子供に関して言えば、可及的速やかに矯正を遂行されることを期待します。早ければ早い方が利益も大きいでしょう。何しろ『貴族』そのものの評価を無駄に下げずに済みますし」

「耳が痛いな。だが、あの厄介な小僧のことよりも、今は君の理解を得ることの方がよほど優先される。――私は君を助け、君を守るが、その行為に対し一切の代償の要求をしない。ラファエル・デュランベルジェと赤き鷲の名において、誓おう。……これで、いかがかね?」

 朗々と響く声で、デュランベルジェ氏は言った。不快に感じている様子をちらとも見せず、きっぱりと。ここまで見事に返されては、親切に対してうだうだと条件を付けて疑っている自分がひどく矮小に思えてくるようで困る。

 ……いや、情けなかろうとも小さかろうとも、そうせざるを得ない以上そうする以外にないのだけれども。平民で保護者もいない私の地盤は、用心していなければあっという間に崩壊してしまいかねない脆さなのだから。

 とは言え、これで言質はとれた。狡いことだけれど、やっと安心ができたというものだ。

「そこまで言って下さるのなら、これ以上は申しません。ご厚意、心より感謝します。数々の非礼、平にご容赦ください」

 姿勢を正し、頭を下げる。

「構わんよ、顔を上げてくれ。話に聞いて知ってはいたつもりだが、想像以上に苦労をしていると見える。そのような少女を責めては、騎士の名が廃ろうさ」

 声と共に、足音が近付いてくる。一瞬、視界の端でレインナードさんの手がぴくりと動いたものの、それ以外の反応が続くことはなかった。顔を上げれば、思いの外近いところまでデュランベルジェ氏は歩み寄ってきていた。

「しばらくの間だろうが、我々は道を同じくする運命共同体という訳だ。宜しく頼む」

 流れるような動作で差し出された手の、意図するところは一つだろう。――握手。内心おっかなびっくり握った手は、誰かのようにごつごつとして固い皮膚をしていた。

「こちらこそ、宜しくお願い致します」

「ああ、それから同行者殿も。噂はかねがね、先の武闘大会では見事な戦いを演じられたそうだな。音に聞こえた“獅子切”の手腕、期待して拝見しよう」

「ご丁寧にどーも」

 慇懃な挨拶に、レインナードさんの返事は明らかな棒読みだ。いきなり問い掛けを無視されて、挙句の果てにそのまま話を進められて完全な置いてけぼりであったのだから、全くもってやむなしというものであるけれども。全くもって、最近会う人会う人癖が強すぎる。

「……さて、私は館の主に出発の挨拶をしてきましょうかね。デュランベルジェ氏はここでお待ち頂けます? レインナードさんはどうしますか」

「俺も行く。世話になったからな」

 このままここにいると劇的に空気が悪化しそうな予感があったので切り出してみると、ほとんど即答でレインナードさんから答えがあった。挨拶をしたいのも本心だろうけれど、きっとデュランベルジェ氏と一緒に居たくないのだろう。苦笑しそうになるのを隠し、もう一方へと目を向ける。デュランベルジェ氏は軽く頭を振り、

「私はここで待機していよう。万が一、招かれざる客が来ないとも限らん」

「分かりました。では、宜しくお願いします」

「ああ。――それと、ハント嬢」

「はい?」

「家名で呼ぶのでは長かろう。名で呼んでくれて構わんよ」

「はあ……では、ラファエル、さん? とでも、お呼びすれば宜しいですか」

「ああ、それで構わない。折角の道連れ、そして何より元々縁ある身だ。余り他人行儀では寂しいものではないかね」

 にこり、と表現するには淡い微笑み。けれど、これまで厳しい表情が続いていただけに、わずかとは言え変化は劇的だった。柔らかく細められた灰色の眼も、かすかに弧を描く唇も。一つ一つが呆れるほど見事に整っているのだ。

 なるほど、これが騎士団随一の人気者か。思わず納得してしまうような、眩いばかりの麗しさ。朗らかな表情を浮かべてさえいれば、眉間に皺を寄せたり険のある目つきをしていなければ、全く非の打ちどころのない男前である。ここまで来ると、私なんぞはキャーキャー言うどころでなく遠巻きにしたいくらいだ。

 なので、目の前の笑顔を直視しないよう、ひそりと視線を逸らしてから答えた。

「そういうものですかね……。でしたらば、こちらのことも呼び易いように呼んで頂いて構いませんけれど。恭しく扱われるような身分でもないですし」

「そうかね? ならば、ライゼル、と」

 構わないか、と問うようなニュアンスで言われたので、曖昧に頷き返す。その途端、腕を掴まれて引かれた。

「おい、挨拶してくんだろ。とっとと行こうぜ」

 もちろん、犯人はレインナードさんである。引かれた腕の方を振り返れば、どことなしか不機嫌そうな、或いは苛立ったような横顔があった。

 ちょっとこれは、大人しく従っておいた方が良さそうである。そうですね、と頷いてデュランベルジェ氏改めラファエルさんに会釈をし、館へ向かう。その間もずっと、レインナードさんは私の腕を掴んでいた。それが解放されたのは、館の扉をくぐり、ラファエルさんと完全に別れた格好になってからだ。

「どうにも相性、悪い感じですか」

 堪えきれない苦笑を浮かべて問えば、私の腕を掴んでいた手でがりがりと頭を掻きながら、レインナードさんは溜息を吐いた。

「まあ、いけ好かねえし、気に食わねえとは思ったわな。……そりゃ状況が状況なんで、文句は言わねえし、いがみ合う気もねえけどよ」

 そう言って、レインナードさんは苦々しげに口を閉ざす。けれど、その表情からするに語る言葉がなくなったのではなく、間を測るに似た躊躇いが見えるように思えた。

 さっきの会談の後、ヴァネサは昼食の準備をすると言っていた。厨房に行けば会えるだろうから、レインナードさんの言葉を待ちながらゆっくりと歩き出すと、

「あいつ、兄弟子ってことになんのか」

「どうでしょうね、アルドワン講師にはいろいろ教えて頂いたり、便宜を図って頂いたりしていますけど、明確に師事しているという感覚はないです。あちらから見れば、そうと表現することもできる、といったところじゃないですか。それが、どうかしました?」

「いや、別にどうかしたとかじゃねえけどよ」

 そこまで言って、またレインナードさんは物言いたげに黙り込む。……何だろうか、そんな言いにくいことを言おうとしているんだろうか。

「……このままだと、厨房に着いちゃうんですけど。何か言いたいことがあるなら、今のうちに言っちゃった方が楽になるんじゃありません?」

 足を止めないまま言うと、隣で潰れたようなうめき声が上がった。そんな声を上げてしまうくらい、言いにくいことなのだろうか。ほんと何なんだろう。

「……俺のが、先だろ」

「はい?」

「あーもう、あれだ、俺のがずっと付き合い長いじゃねえか! お前と!」

「ええ、まあ、そりゃそうですけど」

 分かり切った、当たり前すぎる話だ。レインナードさんとは春先から契約しているのだから、ついさっき出会ったばかりの人とは比べ物にならない。そんなこと、言うまでもないだろうに。全くもって、さっぱり脈絡が読めない。つまり、何を言いたいのだろう。

「なのに、何であいつのが先に――」

 しかし、そこから先はごにょごにょと口の中だけで呟かれて、聞き取ることができなかった。ええと、何だ、先に? 先に、とは何じゃらほい。

「先にって、何がです?」

「……何でもねえよ! とにかく、あいつは馴れ馴れし過ぎて、気に食わねえ」

 どこか自棄になった風で押し出された言葉に、はてと首を捻る。先――ラファエルさんが私に関わることで、何かレインナードさんよりも先んじたことがあっただろうか。

 アルドワン講師を介して、実は前から縁があったらしいということ? いや、レインナードさんとの付き合いの方が長いことを互いに認識しているので、たぶん違う。そもそも「付き合いが長いのに」という言い方からして、何かがあって、それに付随して付き合いの長さを比較して苛立っているらしいのだろうし。

 ええと、他に鍵になりそうなのは――「馴れ馴れし過ぎて」? 馴れ馴れしくされただろうか。された……ように見えたから、レインナードさんはこうなっているのか。馴れ馴れしいと思えるようなことなんて――

「あ」

 ふと脳裏に閃くものがあった。思わず隣を見上げれば、いかにも不機嫌ですと言わんばかりの表情は明後日の方向を向いていて、こちらを見向きもしない。よっぽどご機嫌斜めらしい。

 閃きはしたものの、まさか、という気もする。まさか、そんなことでへそを曲げるだろうか。そんなことで、ここまで反応するだろうか。……とは言え、それ以外に思い当たることがないのも確かだ。

「馴れ馴れし過ぎるって、それはあれですか、名前のことですか?」

 半信半疑で口に出した問い掛けには、無言の、非常に――本当にわずかな首肯。

 それを目にした瞬間、私はもう驚いたらいいのか笑ってみたらいいのか、よく分からなかった。まさか、だ。まさか、本当に。

「あー……まあ、ほら、何ですか。別にあちらの方を身近に感じているという訳ではないですし。レインナードさんに距離を感じているとかいう訳でもないですし。……とりあえず、あれです。ヴィゴさん、と、お呼びしましょうか、これから」

「……おう」

 いつもよりも一段低い、不機嫌そうな声。それなのに、求めるところはアレなのだ。何だかおかしくなってきて思わず少し笑ってしまえば、「笑ってんじゃねえよ」と肘で柔く脇腹を突かれ、なんかもう耐え切れない。

「ヴィゴさんて、意外に子供っぽいところあるんですね」

「うっせ、ほっとけ。あいつが気に入らねえだけだっつの。対抗心だ対抗心」

 否定していない辺り、自分でも分かってるんじゃ――とは思ったものの、さすがに言わずにおいた。

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