08:力無きものたちの為に-01
予想だにしない狙撃手の出現、そして判明した驚くべき正体。何はともあれ、やっと今回で決着がつくかと思いきや、当の襲撃者は錯乱の果てに戦車を召喚し逃亡――。
一体何がどうなっているのか訳が分からなかったけれど、それは居合わせたヴァネサにしても同様だったに違いない。いや、これまでの経緯を知らない以上、家族のように親しんでいたものの豹変は、部外者には及びもつかない衝撃だろう。
一連の騒ぎのせいで目を覚ましてしまい、泣き出しさえしていた子供たちをやっとこさ再び寝付かせ終えた頃には、ヴァネサはすっかり憔悴しきっていた。
「……ヤルミルは、あんた達に何をしたの?」
そう訊ねてきたヴァネサは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
こうなってしまっては、事情を伏せておく訳にもゆかない。出立を一時保留し、館の食堂に場を移した私達は、山で起こったことを洗いざらい打ち明けることにした。光の矢を射る狙撃手に付け狙われたこと、その為に山から落ちたこと。
全てを話し終えると、ヴァネサはテーブルに肘をついた手でこめかみを支えるようにして俯き、言葉もない様子で重々しい息を吐いた。けれど、私はここで言葉を呑みこむ訳にはいかない。誠実であろうと思うなら、この先も伝えるべきだ。
「……止めを刺すようで悪いけど、ヤルミルくんとやらの置かれた状況は、相当悪いと思う」
「分かってる。人を攻撃した自動人形は、破壊される決まりだって」
「それもあるけど、今回の一連の事態が明確な意図の下、作為――人為的に引き起こされたものである場合、『国家の敵』だと見なされるかもしれない」
「そういや、さっきもそんなこと言ってたな。どういうこったよ?」
山での狙撃事件の説明を多少補足してくれた以外は、食堂に入ってきたからずっと黙っていたレインナードさんが声を上げる。
「えーと、まず、レインナードさんは自動人形についてどのくらいご存知です?」
「あー、ほとんど知らねえ。とりあえず魔石を核にして動くってくれえだな。壊すにゃ、それだけ分かってりゃ充分だろ」
「うーん、何とも実戦的にごもっとも。とりあえず重要なところだけ話すことにしますけど、大前提として自動人形の武装には許可が要ります。――ヴァネサ、ヤルミルが持っていた弓、それからあの戦車に覚えは?」
「ないよ。ヤルミルがいつも使ってたのは、じいさまが持たせた弓だけ。矢は自分で作ってたけどね。光を射られるなんて、初めて知った。戦車なんてものも、今まで見たことないよ」
「だろうね。家事手伝いの自動人形が持つには過剰だから、絶対に認可が下りない。そもそも自動人形は所有者の認証がないと武器の装備ができない。となれば、あの装備はヴァネサの知らないところで与えられたことになる。――要するに、森に出掛けてから。おそらく森の中で何者かの魔術を受けて暴走、与えられた武器で攻撃行動に出てるんでしょう。最悪、所有者を書き換えられてる可能性もあります」
「で、それが何で『国家の敵』になるんだよ?」
「武装許可と同じく絶対の規定として、自動人形は自分から壊れないし、壊れられません。自己の保存も自動人形に課せられる絶対命令の一つですから。だから、誰か『壊れさせた』奴がいるはずなんです。そいつがアルマの自動人形を使って、騒ぎを起こしている。それだけで、この国にとっては致命的な問題です。『アルマの自動人形が暴走している』――なんて情報が流れれば、これから自動人形を買う人は確実に目減りしますし、これまでに売れたものでさえどんな扱いになるか分からない。賠償を要求されたら、事でしょう」
「まあ、そりゃそうか」
「だから、これまでの私の推測が当たっていた場合、島王は可能な限り秘密裏に解決したいと思うはずです。となれば、暴走した自動人形は全て処分してしまった方が都合がいい。運よく破壊を免れたとしても、暴走の原因や仕組みを解明する為に技師連行きでしょうね」
「なるほどなあ、そりゃありそうな話だわ。そんなら子飼いの兵士で港を封鎖して、騒ぎがあっても極力情報を流さねえようにしてたってことにも理由はつくかね。騒ぎが全部兵士に収拾つけられて解決したってのは、暴走した自動人形を兵士が取り押さえて鎮圧したってのの言い換えか」
「その可能性もある、と思います。推測の域を出ませんけどね。石切り場に鉱山と重要施設で事件が続いているだけに、何らかの思惑があるように見えてしまっている先入観の部分もあるでしょうし」
肩をすくめると、重苦しい沈黙が落ちた。どうにも一介の傭兵や学生の手には大きすぎる問題になってきた感じである――と溜息を吐いた、その時。
食堂の窓が外からコツコツと叩かれた。私とヴァネサははっとして窓を見やり、レインナードさんは私を庇うように立ち上がる。張り詰めた糸のような緊張が流れたのも、束の間。
「鳥……?」
窓ガラスを叩いているのは、小さな鳥だった。薄く削られた銀の羽根、両眼には青い玉が象嵌され、胴体の透かし彫りの奥にはきりきりと噛み合うゼンマイが透かし見える。
少し迷ってから、席を立った。おい、とレインナードさんの上げる硬い声を聞きながら、窓に近付いてそうっと開ける。その途端、銀の鳥は隙間から勢いよく部屋の中へ飛び込んできた。羽音もなくテーブルの上をぐるりと一回りしたかと思うと、私の頭の上に落ち着く。……いや、頭の上って。普通ここは肩の上とか指先とかでしょうがよ。
そうして、勝手に人の頭を居場所にしてくれた鳥が、さえずる代わりに発したのは――
『息災のようで何よりだ、ライゼル・ハント嬢』
聞き覚えのある、男性の声。思い浮かぶのは、あの神経質そうな面差しの。
「ソイカ氏!」
『ああ、俺だ。そちらはどうなっている? 北の街へ向かったものと思ったのだが』
怪訝そうな声音に、かくかくしかじかと手っ取り早く説明する。土砂降りの山越え決行から自動人形の狙撃手の登場と退却まで、まるっと話してしまうと、ぜんまい仕掛けの鳥は器用に溜息を吐いて見せた。
『やはり監視の目が置かれていたのだな。――だが、今回に限れば、或いは僥倖だったのかもしれん』
「どういうことです?」
『……北の街は、暴走した自動人形の一群によって制圧された』
ひどく苦々しい声で、鳥は吐き捨てた。
その言葉に対して、「そんな」と悲鳴じみた声を上げたのはヴァネサで、「ああ!?」と声を荒げたのがレインナードさんだ。
「何だよそりゃあ、島の兵士は何やってやがんだ」
『無論、早馬の精鋭の一団が向かっていた。だが、連中はそれらをことごとく退けた。この島では、人間よりも自動人形の方が多い有り様なのだ。それが反旗を翻したとすれば、そもそも数の上で負けている』
「じゃあ、そんな有り様にしてたのがそもそもの間違いなんじゃねえのかよ」
『返す言葉もない。……ともかく、北の街へ到着していなくて幸いだった。連中は北の街で密かに海へ漕ぎたした船も、全て撃沈させているという』
げっ、何それ!? 私達の救いの糸が!?
『よって、現状ではこの島から脱出するには、北の街を奪回するか、敵の首謀者を打ち倒し、事態を収束させる以外にない』
「んなもん、俺らにすりゃ一択に決まってんだろ。北の街を奪回して、その混乱に乗じておさらばだ」
きっぱりとレインナードさんが言う。少しの躊躇いもない断言。私もひそりと頷く。
アルマでの目的は果たしている以上、現状における私達の最重要事項は無事に南海諸島に到着することだ。事態の解決は、必ずしも重要ではない。争いを見て見ぬ振りする罪悪感は多少ないではないものの、進んで争いに首を突っ込む気にもなれない。そもそも、それらを解決するのはこの島の兵士だの魔術師だのの役目だろう。その為にこそ、彼らはいるのだから。満足に戦えるかどうかも分からない半人前なんて、お呼びじゃない。
『だが、君たちの素性は既に島王の知るところとなった。王より直々の要請があったそうだ。“獅子切”ヴィゴ・レインナード、“アシメニオス王立魔術学院首席”ライゼル・ハント。自動人形暴走事件解決への助力を命ずる、と』
……と、思ったのに。ソイカ氏はとんでもねえ爆弾発言を投下してくれやがったのでありました。いやほんと、何それ。ちょっと何を言われているのか意味が分かりませんねっていうか!
あんまりにもあんまりな事態に驚きやら怒りやらを通り越して、変に乾いた笑しか返せないでいると、
「こ――ンの能なし野郎どもが! ふざけたこと抜かしやがって、誰がんな話聞くか! てめえらの庭だろうが、他人に始末押し付けんじゃねえ! てめえらで片付けやがれ!!」
代わりにレインナードさんが、そりゃあもうおっかない声で怒鳴ったのであった。吼えるような、割れるような大音声。窓ガラスがびりびりと揺れそうな勢い。
それをほとんど正面から目の当たりにしてしまった格好のヴァネサの驚きようは可哀想なくらいで、椅子に座っていても飛び上がらんばかりだった。ちょうど目が合ったので、ごめんね、と伝える代わりに苦笑してみせると、ぎこちないながらも笑い返してくれたので、そこまでショックではなかったと信じたい。
因みに、対する私は多少反射で肩が震えはしたものの、今更レインナードさんを怖いとは思わないし、むしろ私が言わなかったことをそのまま言ってくれた感があるので、すっきりした気分である。それどころか、悪乗りでちょっと愉快な気分だ。
さて、ソイカ氏はどう出るか――なんてね。
『俺とて、そう思う。だが、王は従わぬのなら実力行使も辞さぬ、と』
「んだと!?」
しかし、私の期待を裏切って、ソイカ氏の答えは思いの外に落ち着いて静かなものだった。代わりにレインナードさんが余計にヒートアップしてしまったけれども。
「まあまあ、レインナードさん落ち着いて」
いよいよレインナードさんのこめかみに青筋が浮き始めたので、これはいかんと止めに入ることにする。どうどう、と茶々を入れてみると、声に反応して私を見たレインナードさんはそれで少し我を取り戻したようで、憮然とした表情を浮かべながらも矛を収めてくれた。
レインナードさんが唇をへの字に曲げて、口を閉ざす。さあて、ここで選手交代。スーパーサブの登場と洒落込もう。
「で、ソイカ氏。あなたがこの鳥を飛ばしてきたのは、結局どういったご用件なんです? 伝令ですか? 港町に戻れと?」
『いや、その判断は君に委ねる。今頃、正式な伝令が君たちの足跡を追っているはずだ。その者から身を隠して、要請を知る前に北の街で事を済ませて船を出すか、伝令と合流して大人しく王の命を受け入れるかは、君が自分の意思で決めるべきことだろう。――俺としては、後者を勧めはせんがな』
「おや。島王直属のひとが、そんなことを言っていいんですか」
『聞こえていなければ構うまい。ともかく、君には選ぶ権利がある。だが、いずれにしろ身を守るには些か手勢の数が少ない。都合よく避暑に来ていた知人がいたのでな。君たちの助けになるだろうと派遣した。この鳥を追っているはずだから、じきに着くだろう。癖のある男だが、腕は立つ。上手く使ってくれ』
「それはありがたい。ソイカ氏はこれからどうなさるんです? お忙しいんじゃあ?」
『いや、そうでもない。幸い技師連所属の自動人形は全て暴走を免れているが、下手に前線に出して奪われては敵わん。よって、技師一同はしばらく蟄居と相成った。故に、余所事に関わる暇もあるという訳だな』
「つまり、ご助力下さる?」
『有体に言えばな。だが、この鳥はあくまで移動速度を重視した連絡用だ。戦いの助けにはならん』
「いえいえ、こちらとそちらを繋いでくれるのなら、それだけで充分武器ですよ。ありがとうございます」
そうか、とソイカ氏が答えると、鳥がピィと小さく鳴いた。
『すまない、魔力切れのようだ。一刻ばかり放置しておけば、鳥は勝手に魔力を蓄えて動き出す。まだ何かあれば、その時に』
そう残し、鳥は私の頭の上で沈黙した。いよいよ完璧に動く気配がなくなってしまったので、仕方がなしに手を伸ばして頭の上の闖入者を掴む。見掛けに反して軽いそれは、つやつやと滑らかな手触りをしていた。羽根を畳んで置物のように動かない鳥を両手で包み、テーブルに戻って席に着く。同じように椅子に座り直したレインナードさんへ目を向けて、
「――そういうことらしいので、援軍を待って北の街に向かうってことで問題ありません?」
「おう、別に構わねえよ。援軍が足を引っ張るような奴じゃなきゃいいけどな」
割と内心ドキドキしつつ問いかけた私とは逆に、返答はあっさりとしたものだった。ほんのついさっき、鳥を相手に怒鳴り上げていたとは思えないくらいの、いつも通りさ。うーむ、こういう時の切り替えは、こっちがびっくりするほど早いのになあ。
「そこは大丈夫なんじゃないですか。いくら何でも護衛が“獅子切”と知って、それで敢えて下手な人を寄越しやしないでしょう」
「……随分、あいつを信用してんのな」
妙に不服げにレインナードさんが言う。……何だ、これはあれか。もしかして、まだ技師連に滞在していた時のあれやこれらを腹に据えかねているのだろうか。だとしたら面倒だ、気付かなかったことにしよう。
「信用しているように見えます? 実際、何とも言えませんよ。私はそこまでソイカ氏のことを知りませんからね。ただ、これまでの対応を見るに、敵ではないんだろうな、と判断しています。その上で協力してくれるというのなら、ありがたく受け取っておいた方がいいでしょう。なんせ多勢に無勢です。仲間は多いに越したことはない」
「かもしんねえけどよ、援軍が罠って可能性もなくはねえだろ。追手だったらどうするよ?」
「ま、その時はその時で。そこは“獅子切”さんの腕に期待する感じで」
「投げっぱなしか!」
「あっはっは、何とかしてくれるって信じてますんで!」
「ったく、勝手なこと言いやがってよー」
そうぼやいてみせながらも、レインナードさんの表情は割かし明るくなっていた。うむ、これで少しは気を逸らすことができただろうか。
「で、ヴァネサ。悪いけど、しばらくここで待たせてもらえる? 援軍と合流しなけりゃならなくなったんで、下手に先を急ぐよりかはここで待った方が効率がよさそうだからさ」
「あ、ああ……構わないよ」
何やら考え込んでいた風のヴァネサがはたと我に返り、頷いてみせる。しかし、その目顔には明らかな逡巡の色が見て取れた。
……おそらく、推測に過ぎないけれど。きっと、彼女は私達に頼みたいのだ。ヤルミルを探して、助けてくれ、と。まだ幼い子供たちを多く抱えた孤児院の主であるが為に館を離れられない彼女にとって、私達はほとんど唯一の手札だ。
けれど、彼女はそれを口にできない。それは私達が一刻も早くこの島を脱出したい思惑を隠していないこともあるだろうし、この自動人形が暴れ回る非常事態で、しかも既に一度敵対した人物を探して欲しいだなんて。相当図太くなければ頼めないだろう。それは優しい彼女には、難しいことに違いない。
だから、彼女は迷っている。迷い続けている。容易には手放せない願望と、それをしてはいけないという良心の間で。ならば申し訳ないけれど、私はそれを利用しようと――
「……ううん」
しようと、思うんだけれども。
いや、なんかこう。一抹の罪悪感があるというか、釈然としない感があるというか。それでいいのか、と思わなくもないというか。
「ライゼル?」
突然黙りこくって唸りだした私を怪訝に思ったのか、ヴァネサがひそりと声を上げる。私は改めて、そんな彼女を正面から見やった。
少年のような少女。若い身空で、たった一人で幾人もの孤児を抱えて、この館を切り盛りしている。対価を支払いはしたとは言え、一宿一飯以上の恩もある。それらの事情は、決して無視できるものではない。……けれども、それは本当に私の人生すべてを賭けてまで報いるべきことだろうか。ここで一時の感情に突き動かされて、後悔しないと言い切れるのか。
壁の時計の秒針がきっかり一回転する間じっくりと考え、そうして私は心を決めた。ヴァネサ、と呼ぶと、彼女はどことなしか構えたような身動きをして、私を見た。
「……申し訳ないけど、私は先を急ぎたい。だから、あなたの願いは、今ここでは敢えて何も聞かない。気付かなかったことにする」
言うと、ヴァネサは少しだけ悲しそうに笑ってみせた。私が言いたいことは、たぶん全部伝わっている。それでもそうやって笑える彼女は、やはり出来た館の若主なのだろう。
「うん、あたしもそうした方がいいと思う。危険すぎるよ、やっぱり」
明らかに無理をして笑う彼女を、レインナードさんはそこはかとなく複雑そうな顔で見ていた。とは言え、それでも会話に口を挟もうとはしないし、その表情に反意をちらつかせもしない。今はお人好しの傭兵も開店休業。それはひとえに、今この場に私がいるからだ。
レインナードさんが今ここにいる最大の理由が、私だ。私の依頼であり、私との約束が、レインナードさんをここに立たせ、同時に留めている。単に何もなく一人であったなら、二つ返事でヤルミルを探しに走っていったに違いない。あのまだ肌寒かった春の夕に、私の探し物を手伝ってくれたように。
私がいなければ、きっとレインナードさんもここにはいなかっただろうけれど。私がいるから、ヴァネサは積極的にヤルミルを探す手段を失った。その現実を申し訳ないとは思わないし、思う筋合いもないだろう。……それでも気にしてしまうのは、やはり彼女に少なからぬ恩と情があるからだろうか。
そこまで考えて、はふ、と息を吐き出して笑う。詮無い思考は、そろそろ打ち止めにしておこう。どうしようもないことを考え続けても、それほど価値はない。自意識過剰の泥沼だ。
「悪いね、ありがとう。そう言ってもらえると、気が楽になるよ。どうやら私達を追ってるとかいう人もいるみたいだからさ、本腰入れて逃げなきゃ」
「それがいいよ。あたしじゃ聞いててもよく分からなかったけど、とにかく大変なことになってるんだろう? 幸運を祈ってるよ」
「うん、本当にありがとうね。――でも、もし全力を尽くして、それでも捕まってしまったら、きっとそういう巡り合わせだったんだろうと思うことにするよ」
そう言うと、ヴァネサだけでなくレインナードさんもが小さく目を見開くのが見えた。レインナードさんが何やら口を開こうとするので、口を挟む隙を与えないように早口に続ける。
「私は私の傭兵さんを信頼してるし、きっと私を逃がしてくれるとも思ってる。でも、人手を掛けて形振り構わず追って来られたら、さすがにどうなるか分からないでしょう。そうなってしまったら、もう仕方がない。だから、その時はなるべく失踪少年の行方も探ってみるよ。折角だしね」
「えっ」
今度はヴァネサが声に出して驚きを表した一方、言葉には出さず息を呑んだのがレインナードさんだ。おや、レインナードさんまでそんな反応をするとは。
「それで今しばらく休憩場所にさせてもらうお礼になる?」
おどけて言ってみせると、ヴァネサはじわりと両目を潤ませて、言葉ではなく大きく頷くことで答えてくれた。……ふう、納得してくれて良かった。これが落としどころにならなかったら、打つ手なしのお手上げだった。
これが、私にできる最大限の譲歩。私にとっての自己満足であり、ヴァネサにとっては気休めにしかならないことだろうけれど。結果がどうなるかは、その時になってみないと分からないのだし。後は伸るか反るか、運か何かが道を分かつだろう。
「――てことで、レインナードさんもいいですか?」
「いいんじゃねえの。別に、俺に手え抜けって言ってる訳じゃねえしな。互いに最善を尽くして、そんでも逃げ切れなかった時ゃあ、そりゃ確かに仕方あんめえ。相手が上手だったってこった。まあ、ヴァネサの嬢ちゃんにゃ悪いが、俺は意地でも逃げ切る気でいるけどな」
あっけらかんとした答え。ヴァネサも手の甲で涙を拭い、分かっているとばかりに頷き返す。うん、やっぱりレインナードさんが護衛で良かったな。話が早くていい。
「ありがとうございます、同意してもらえなかったらどうしようかと思いましたよ」
「んにゃ、何も礼を言われるようなこたあしてねえだろ。――まあ、何つーか、お前も大概に人が好いよな」
「いや、そんなことありませんて。何言ってんですか」
しみじみとばかりにレインナードさんは言うけれど。それがあんまりにも予想外の言葉だったので、思わずちょっと素になった。私は私の為にあなたの思いを無視する、と放言するような人間のどこが人が好いと言うのだろう。よく分からないことを言う人だ。
「そりゃ自分で気付いてねえだけだろ」
「そんなことないと思いますけどね……」
そんな話をしていると、くすくすと笑う声が聞こえた。見れば、元気を取り戻したらしいヴァネサが口元を手で隠して肩を揺らせている。
「本当に仲がいいんだね、あんた達」
「まあ、それは。そこそこに」
「お、おう……」
「……何ですか、その煮え切らない感じの返事」
「何でもねえよ。気のせいだよ」
「ふーん。へー。そうですか。仲良し扱いされるのが嫌なら別に」
「嫌とは言ってねえだろ!」
「さいでっか」
何だか前にもこんなようなやり取りをしたような。……まあ、いいか。
そして、ヴァネサが笑い過ぎたのか、再び涙を浮かべている。どうしてこうなった。
「あー、笑った笑った。とりあえず、あたしはお茶でも淹れてくるよ。あんた達はここで座ってて」
「あ、いや、そうお構いなく」
「いいからいいから!」
そう言うだけ言って、ヴァネサは食堂を出ていった。後に残ったのは、何とも言えない沈黙。チクタクチクタクと時計の針の動く音ばかりが響く中、
「……あんな約束しちまって、ほんとに良かったのか?」
おもむろに、レインナードさんが口を開く。私は動かない銀の鳥をテーブルの上に下ろしながら、肩をすくめてみせた。
「まあ、良心との折り合いの為といいますか、何といいますか。私は割と小心者なんで、予防線とでも言いましょうかね。あれで一応、納得というか了解は取れた形でしょう。ぶっちゃけ、私だって逃げ切ってとっとと島から出ちゃう気でいますけど、やっぱ気まずいじゃないですか。なら、せめてお互い納得ずくの方が気休めにはなるかな、と。主に私の」
「なんだ、ちゃんと考えるこた考えてたのか。そんなら安心だな。まさか後先考えずに感情で走ったかと、びびったぜ」
「失敬な! 今更その場の感情一つで選択を間違えたりなんてしませんよ。たぶん、きっと、そんなに」
「全力であやふやじゃねえかよ! 頼りねえなー……」
交わす会話はひどく他愛なく。けれど、もしかしたらこんな風に暢気に話せるのはこれが最後なのではないかと思うと、どうにも胃が重くなるような心持がした。




