07:怒れる戦車の島-07
ヴァラソン山東の森に傷を癒し病を治す湧水を湛えた泉が出来たのは、三百年ばかり前のことだ。当時のこの場所を見出した流浪の魔術師が、館と一緒に作ったのだという。三百年経っても同じ効能と水量を保ち続ける泉を創造するとか、およそ館のついでにとかいう片手間にできるものではないので、相当な凄腕だったのだろう。
で、その凄腕魔術師が何故館に付随して泉を創り出したかと言えば、別に何か高尚な理由があった訳ではない。傷や病に効く泉の水を提供する代わりに利用料をもらうという――要するに商売の為だ。
それじゃちょっと格好がつかないから、今は色々な謂れがくっついてるけどね、とはあっさり事情を教えてくれたヴァネサの言である。うーむ、世間話のつもりが、うっかり聞いちゃいけないことを聞いてしまった。完全にオフレコだこれ。
「で、泉はこの館の主を継ぐことで所有権が継承されるらしいんだよね。だから、今はあたしが管理してるって訳。泉があるからお客が来て、ちょっとした収入になる。あたし達も生きていける。本当、泉様々だよ」
「なるほどねえ。折角だから、私も見物しておこうかな」
効能もさることながら、三百年前から稼働し続けている魔術式とか、予想外の珍名所だ。一応は私も魔術師を志している身であるし、後学の為に見ておきたい。三百年持続してるってことは、よっぽど上手く術を組んだということだろうし。
因みに、物品へ魔術付与とは、対象へ魔術陣を封じ込めることを言う。この場合は術者の己の魔術に対する確信よりも、術の設計図である魔術陣の精密さが効果の大小長短を分ける最大の要因だ。設計図が上手く書かれていなければ、魔術も上手く起動しないという訳である。
その点、この館の癒しの泉はおそろしく出来がいいと言わざるを得ない。その構築式を拝借して、こっそり癒しの魔術水を量産、お手軽金儲けとか……ウフフ、夢が膨らむぜ。
「利用料っておいくら?」
「ん? ああ、いいよ。あんた達からもらおうなんて思ってないからさ。好きに見てけばいいよ。水を持ち帰るんだったら、空き瓶やろうか?」
「いやいや、ただでさえずぶ濡れの荷物を洗って乾かしてもらって、一宿一飯の恩もあるのに、それは駄目でしょ」
そう、私が洗ったり干したりしようと思っていた荷物は、とっくにヴァネサと孤児院の子供たちによって洗濯されていたのである。その上、ベッドを貸してもらえたばかりか、ご飯まで食べさせてもらっている始末。至れり尽くせりにも程がある。
なのに、ヴァネサときたら何でもない風であっけらかんと笑うのだ。
「そう? それなら、あんたに任せるよ」
「お人好しか!」
そんな話をしながら、九月二日の夜、私は孤児院の食堂で本日二度目の食事を頂いている次第。時刻は八時過ぎ、先に他の子供たち――ヴァネサ以外は年嵩でもやっと十、それ以外は五つや六つの幼い子ばかりだった――には食事をさせてお風呂にも入れて就寝させた後なので、広い空間には私とヴァネサの二人きり。お喋りも誰に気兼ねすることもない。
「そう言えば、ヴィゴはまだ寝てんの?」
「寝てると言えば寝てると言うか、今は多分狸寝入りと言うか」
何それ、と首を捻るヴァネサに、私は敢えてそれ以上のことは言わなかった。
私と入れ違いにベッドに上がった彼の人は「未だかつてねえ精神的ダメージを受けた」とか言って、昼間中部屋に引きこもっていたのだけれど。つい一時間ばかりに扉越しに「起きてますか」と声を掛けたら「寝てる」と答えてくれやがりましたので。寝てると自己申告する人の、どこが就寝中だというのか。ほんと寝言は寝て言えというお話である。
どうせ昼間話したあれやこれやを引きずって、出て来づらくなってるだけだろうし。私が気にしなくていいって言ったんだから、気にしなけりゃいいのにな。事故みたいなものというか、純然たる事故でしかないだろうに、アレ。
「まあ、後で部屋にご飯持ってってみようと思うんだけど、いいかな」
「よく知らないけど、大人の男はよく食べるんだろ? 夕飯の残り全部もってってもいいよ」
「そこまでは食べないんじゃ……いや、食べるかな……?」
改めて考えてみると、ここのところずっといつも一緒に食事をしていたから、基準があの人になってしまっていて、それが客観的にどうなのかが微妙に分からない。まあ、どっちにしろ食べられる時に食べておいた方がいいだろうし。少なすぎるよりは多少多い方がいいに違いない。たぶん。きっと。そんな感じで持っていこう。
「そう言えば、あんた達夫婦じゃなかったんだね」
――等と考えていたら、不意にヴァネサが爆弾発言を投下した。
は? と素っ頓狂な声を上げる前に上手く呑みこんだ自分を少し褒めたい。それにしても何故に、どうしてそんな発想に。
「……いや、そう言えばも何も、元からそうじゃないんだけど。どうしてさ」
「ヴィゴがあんなに大事に抱いて、つきっきりで様子を見る相手なんだから、てっきりそうなのんじゃないかと思ったんだよ。でも、『レインナードさん』ってのはどう考えても旦那に向けた呼び方じゃないだろ?」
「そりゃそーだ。レインナードさんの様子については、どれもこれも私が知らない出来事だから何とも言えないけど、あの人は単に私が契約してる護衛の傭兵さん。で、私はアルマに旅行に来た、ただのアシメニオス人だよ」
そう答えると、ヴァネサは「ふうん」と気のないような相槌を打った。
「ただの契約傭兵にしちゃ、随分仲が良く見えるけどね」
「付き合いも長くなってきたからね。――さて、ごちそうさま。適当にご飯もらってくね?」
はいよ、とヴァネサの軽快な返事を背中で聞きながら、キッチンに入って適当に見繕う。干し肉を浮かべた麦粥を深皿によそい、ついでに余っていた果物も拝借。後はコップに水を汲んで、食器と一緒にお盆に並べる。
「あ、ライゼル! ヴィゴに冷める前に風呂入っちゃってくれって伝えておくれよ」
「りょーかいー」
声だけで返事をして、食堂を出る。私とヴァネサは子供たちをお風呂に入れるついでに一緒に入ってしまったから、この館でまだお湯を使っていないのはレインナードさんだけだ。
丸一日ぶりの入浴ということもあって、館のお風呂はまさに極楽だった。身体から全ての疲れが抜けていくようで――事実、癒しの泉の水も少し使っていたらしい。お陰で今の私はすこぶる快調であるし、であればレインナードさんの細かい傷も少しは良くなるはずだ。
忘れずにちゃんと伝えないと、と肝に銘じつつ薄暗い廊下を進む。しばらくして到着した目的の扉は、相変わらず頑なに閉ざされていて、中から漏れ出る光もなかった。まだぐだぐだ閉じこもっているのだろうか。やれやれ、と溜息を吐いて、お盆を左手に持ち替え、右手で扉を叩く。
「レインナードさん? ご飯持ってきました。入りますよ」
言うだけ言って、扉を開ける。明かりの灯されていない部屋の中は暗く、窓から差し込む月明かりだけがか細く床を照らしていた。仕方がなしに手探りで壁のスイッチをいじり、天井の魔石灯を点ける。白熱灯に似た柔らかい光が、部屋の中に広がった。
問題の人は、扉の方を向く格好でベッドの上に座っていた。眩しそうに目を細めて、唇をへの字に曲げている。
「……返事してから開けろよな」
「返事待ってたら、いつまでも入れないでしょう」
言い返しても、反論はなかった。面倒なことに、未だ元気が戻らないらしい。幸いなことに、昼間レインナードさんが座っていた椅子は、まだその時のまま置いてある。仕方がなしに椅子へ腰を下ろし、お盆を差し出した。
「はい、とりあえず夕食です。――で、よく寝れました? まさか思い悩んで寝れなかったなんて言わないでしょうね」
「アホ言え、そこまで青くねえっつの。身体を休めんのも仕事のうちだ」
お盆を受け取りながら、レインナードさんは顰め面で言う。つまり、元気はないなりに休息は取ったということか。それならいい。
「じゃあ、いい加減割り切って元気出して、ご飯食べてお風呂入って明日に備えましょ。いつまでもうじうじされると、鬱陶しいんで」
「鬱陶しいって、お前なあ……」
「鬱陶しい以外になんて言えばいいんです? あれは不測の事態で、事故で、どうしようもなかった。それに対して、レインナードさんは必要なことをした。そうでしょう」
「そりゃあ、そうだけどよ」
モゴモゴと言って、レインナードさんは口を閉ざす。うーむ、まだ割り切れないのか。頑固者め。
「第一、誰のせいかなんて言い出したら、そもそも私が雨の山越えに耐え切れなかったこととか、矢を射るだけ射て倒れたことだって問題じゃないですか。ていうか、実際ひどい足手まといでしたよね。その節は本当にすみませんでした」
「いや、謝んなよ!? 謝られたら俺の立場ねえからな!?」
「そうですか?」
「そうだよ。足手まといも何も、ありゃ仕方なかったろ。何もかも予想外だった」
「だったら、レインナードさんのも『仕方ないこと』でしょう。私と同じように」
言うと、再びレインナードさんは言葉に詰まった。ええい、面倒な。私は気の長い方じゃないんだ、もういい、ここらで畳み掛けてしまおう。
「そもそも、レインナードさんだって結局は自分が私を守る為に最善を尽くして、正しいことをしたと思ってるんでしょう? だから、謝らないし、謝れない。違いますか」
返事はない。けれど、これはきっと肯定に等しい沈黙だろう。そんな気がする。
「何を心配してるのか知りませんけどね、今回は不測の事態があって、助け助けられた。それだけのことで、誰かにとやかく言われることじゃないです。……まあ、これが見知らぬ誰かにされたんだったら、さすがに私も頭を抱えますけど――私はヴィゴ・レインナードという傭兵を信頼しているし、何だかんだ人となりを好ましく思ってもいます。だから傷にはならないし、気に病んでもらう理由もないんです」
そこまで言うと、レインナードさんが俄かに荒っぽい手つきでお盆をベッドの上に置き、掌で項垂れた目元を覆うのが見えた。はて、これはどういう反応であるやら――あ。
「耳真っ赤ですけど」
「うっせ、言うな!」
吼えるような声に、思わず少し笑う。この分だと、掌で隠された顔もよっぽど赤いのではなかろうか。そこまで赤面するようなことを言った覚えは、そんなにはないんだけれども。
結局、レインナードさんが復活するまでにはそれから五分少々かかった。以前私をして繊細だと評してくれたけども、レインナードさんの方がよっぽど繊細なのではなかろうか。
「……落ち着きました?」
「……何とか。お前がそこまで言うなら、もう気にしねえことにするけどよ」
「そうしてください、って最初から言ってたんですけどね」
「素直に頷いていいもんと悪いもんがあるだろうがよ」
「またお堅いことを……」
「お前が変に無頓着過ぎんだよ、馬鹿! 自分の性別とか年齢とか立場とか、ほんと一度よーく考え直せよな……」
「それらをまるっと考慮に入れた上での発言のつもりだったんですけど」
「……頼むから、そういうの真顔で言うな」
「照れますか」
「うるせえよ!」
噛み付くような返事に、思わず少し笑う。そう言い返せるということは、多少なりとも元気が出てきたに違いない。
「ま、とりあえずご飯食べちゃってくださいよ。それから、お風呂も。私はもう頂いてきたので、レインナードさんが最後です」
おう、と低く相槌を打って、レインナードさんがお盆から深皿とスプーンを取り上げる。まるで流し込むかのように、瞬く間に麦粥が深皿から消えていくのを、私は黙って眺めていた。麦粥を平らげた後は、果物が片っ端から消えていき、最終的に水を飲み干して――
「ご馳走さん」
「はい、お粗末様です。お口には合いましたか」
「んあ? これ、お前が作ったのか?」
「ヴァネサと共同作業ですけどね」
「へー、美味かったぜ。しっかり料理できんだな」
「人並程度ですよ。――さて、じゃあ私は食器を下げてきますから。お風呂はこの廊下を左に行って突き当たりなので、ささっと入っちゃってください」
何か言われる前にお盆と食器を回収し、指示を出してしまう。レインナードさんは少し躊躇うような素振りも見せたものの、「ありがとな」と言うのみで反論することはなかった。
「こちらこそ。明日から、また宜しくお願いします。――私は隣の部屋を借りることにしたんで、何かあったら壁でも叩いて起こして下さい」
「それは俺の台詞だっつの」
交わす軽口は、大分昨日までの調子に戻ってきただろうか。そんなことを考えつつ、お盆を持って扉を開けると、
「ライゼル」
思いの外、真剣な声で呼ばれた。片手で扉を開けたまま、顔だけを振り向かせる。
振り返った目に映るのは、ぎくりとするほどに真摯な。
「いつか傷になったら、その時は遠慮しねえで言えよ。責任は、取る」
……いや、責任って、ちょっと。
予想もしなかった言葉にぽかんとする私を、レインナードさんはじっと見つめている。その表情の真剣さからするに、冗談ではないらしい。責任ってどんな意味でです、とか茶化してしまおうかと思わないではなかったものの、どうにも誠実でない気がして「はあ」と相槌を打つに留めた。もっとも、その返事も少々どうかと思わないではないものの。
「そんなこと、ないと思いますけどね。お気持ちは有難く頂いておきます」
「まあ、先のことなんて分かんねえだろ。とにかく、その時が来たら上手く使え。文句なんて言いやしねえからよ」
上手く使うとか、何か嫌な言い回しだなあ――とは思ったものの、今度は私が先手を取られてしまった。言葉を口に出そうとする前に、ベッドから立ち上がったレインナードさんが扉へ近付いてくる。
「んじゃ、俺は大人しく風呂入ってくる。お前も早く寝ろよ」
「なんと、呼び止めたくせに早く行けとかいう理不尽」
そんなやりとりをしながら、部屋の前で別れた。レインナードさんは浴室へ、私は食堂へ。まるで何でもない、王都の清風亭での日々のように。
――けれど。
「……確かに、真顔は反則かもしれない」
思わず立ち止まって呟いてしまった言葉は、ちょっとこれこそオフレコでお願いしたい。
「あー、まったく」
特に意味もない呻き。……私は、あの時ちゃんと平然とした顔をできていただろうか。少し前のどこかの誰かさんみたいに、赤くなっていなかったら良いのだけれど。
何ともあれ穏やかに夜は過ぎて、明けて翌日もヴァラソン山東の森は快晴だった。朝早くの朝食を頂いた後、癒しの泉の見物と湧水採取――利用料は宿代その他諸々と合算して三万ネルばかり支払った――をして、いよいよ出発の運びである。
「もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「まあ、色々と事情があってね」
子供たちが皆昼寝をする中、一人館の前に見送りにできてくれたヴァネサは、残念そうに言う。別れを惜しんでもらえるのはいつでもどこでも嬉しいものだし、少し長居をして泉の調査をしていくのも悪くないとは思う。けれど、今アルマはおかしな状況にあり、私達は一刻も早くそれから逃れたい。逃れたいのだ、けれど。
「ヴァネサ、この館には誰か男手の宛てはある?」
「へ? 何さ、藪から棒に」
「いや、この前みたいなひどい雨とかの天災があったとするじゃない。そんな時に館が破損したりしたら、直すのにも困るんじゃないかと思ってさ」
「ああ、そういうこと。男手はじいさまが逝っちまって以来ないけど、じいさまが遺してってくれた自動人形が一人いるんだ。あいつがいつも力仕事をしてくれるんで、助かってる」
なるほど、前の館の主は自分がいなくなった後のことも色々考えていたようだ。
そうなんだ、と相槌を打つと、よほどその自動人形に親しみを感じているのだろう。ヴァネサは自慢げな笑顔になって続けた。微笑ましい。
「じいさまに仕込まれてね、弓もえらく上手くなったんだよ」
「……弓?」
ただ、その一言が引っ掛かった。低く一言だけ反復したのは私ではなく、レインナードさんだ。……おそらく、私と同じことを考えている。
これから起こるかもしれない騒動への、そこはことない注意喚起を促すつもりが――どうやら、予想外の事態に転がってきたような。
「そう、遠く離れた飛ぶ鳥にだって百発百中くらいの勢いでね。よく森に入っちゃ、鹿とか猪とか獲ってきてくれるんだ。一昨日もそう言って森に入ってったんだけど……あの雨だったしね。雨で上手く狩りができなかったのかな、普通なら二日もあれば帰ってくるんだけど」
まだ帰らない、飛ぶ鳥射落とす弓の名手。――嫌な予感がした。
ちらりと隣に立つレインナードさんを見れば、同じような懸念を抱いていると見える眼が私を見返す。
「もしかして、昨日森で私達を見つけたのも、その人を探して?」
「あー……うん、まあ、実はね」
照れ臭そうに、ヴァネサははにかむ。きっとその自動人形を実の家族のように大切に思っているのだろう。それだけに、私としては何とも言えない気分になる。
想像が的中していた場合、ヴァネサの家族は確実に破壊処分に処される。人間を攻撃してはならない――それは自動人形に課される最も重要な命令の一つだ。
「あんた達は森を抜けて北へ向かうんだろう? その途中で、もし困っている自動人形がいたら、助けてやってくれない?」
「ああ、うん。……もし、見つけたらね」
曖昧に頷き返した、その瞬間。
隣に立っていたレインナードさんが、私を抱えて飛び退いた。寸前まで私の頭があった場所を一条の光が貫き、館の壁に着弾して穴を開ける。
ヴァネサが呆然と目を丸くする一方で、私とレインナードさんは溜息交じりに笑った。笑うしかなかった。
「期待はよく裏切られるのに、嫌な予感ばっかり当たりますよね」
「全くだ」
レインナードさんは私を地面に下ろし、槍を構える。見据えるは森の暗がり――その中に潜んだ狙撃手。
「そら、出て来いよ腰抜け。隠れても無駄だぜ、俺あ人より鼻が利くんでよ。――胸くそ悪いことに、てめえからはうちのお嬢ちゃんの魔力の匂いがぷんぷんしやがる」
レインナードさんの挑発にも、答えはない。ただ、唸るような声が。
「許さ、ない。許さない許さない許さない……。館に近付くものは許さない。館を狙うものは許さない。わたしは、おれは、ぼくは――……館を、みんなを、守、る」
堆積した呪詛のような禍々しい声音は、しかし、ヴァネサには聞き覚えのあるものだったのだろう。彼女の顔が一層青くなるのが、横目に見えた。……これで、ほぼ確定か。
森の暗がりから、ずるりと黒い影が出てくる。一見して、弓を携えた少年のような。背格好はヴァネサや私とほとんど変わらないものの、片脚は太腿の辺りから無くなっていて、木の枝をくくりつけて無理矢理に歩く様はひどく危なっかしい。
弓を握る手には、自動人形に特有の識別番号の刻印。鳶色の髪は土埃に汚れ、虚ろな碧の眼には黒々とした渦が巻いている。……自動人形の眼は、本体の核の状況と直結している。黒い濁りは、核に異変のある証だ。単純な故障にしては、行動が物騒すぎる。おかしな術でもかけられたか――……ああ、そうか。
「……これが、島王の封殺したかった事件の骨子ですかね」
「あ? 何だって?」
「今、この島では自動人形の暴走事件が相次いでるんじゃないかと、ふとそんな想像をしましてね。自動人形はアルマ最大の稼ぎ手です。それがおかしなことになっているとなれば、島そのものの在り方を揺らがしかねない。だから、島王の兵が港を封じて、万が一にも『買い手』たちに事態が漏れることを防いだ」
「……よく分かんねえが、とりあえずアレは止めといた方がいいだろ」
人の話をバッサリと切り捨てて、レインナードさんはぐっと身体を低く沈める。今にも飛び出そうとする猛獣のように。
「――ヤルミル! あんた、どうして……」
解き放たれんとする猛獣を止めたのは、悲痛な叫びだった。
一歩二歩、ヴァネサが狂える自動人形に向かって足を踏み出す。レインナードさんが困惑したような目をヴァネサに、そして私へと向けてくる。
「……館を守りたい、という言葉が本当なら、狂っていても彼女は攻撃しない……と信じたいですけどね」
「守りに入った方がいいか?」
「攻撃行動に出たら、ヴァネサをお願いします。私は彼を確保する」
あいよ、と頷くレインナードさんは、再び油断のない目付きでヴァネサと少年を見やる。しかし、ヴァネサが少しずつ近付く度、少年は怯えるように後退りをしていた。
館を守るという論理を根底にして狂っているのに、彼は今さっきその館を攻撃してしまった。その矛盾が目の前の少女によって糾弾されている格好だ。狂って尚、その心を震わせるものではあるだろう。
「ちがう……ぼくは……館を、きみを」
少年は弓を持ったまま、両手で顔を覆う。
「守る。守ろうと。守らないと……ああ、許さない許せないどうしてぼくらの館を館は」
少年の言葉が、いよいよ論理性を失ってきた。しまった、負荷がかかり過ぎたか。このままじゃ完璧に狂いきって、見境なしに攻撃しはじめかねない。
「レインナードさん、ヴァネサの保護を!」
言って、静かに溜めていた魔力を解放。突風でもって少年の足元をさらい、そのまま地面に押し付けて身動きを取れなくさせる。――その、はずだったのに。
「――タルナダ! グローム!!」
少年の怒号。俄かに爆散した、突風を打ち消すほどの高濃度の魔力。
「転移、いや、召喚……? 何だって自動人形がこんな魔術を!」
もう頭を抱えたかった。一体全体どうして、こんな訳の分からないことに!
少年の前には、一台の戦車。タンクではなくチャリオット。鋼造りの二頭の銀馬が引く車に、少年はふらふらと転がり込む。すると、御者もいないのに馬はひとりでに走り始め、
「レインナードさん!」
あろうことか、その人に向かって突進を始めたのだ。
自分へ戦車が向かっていることを察したレインナードさんは咄嗟にヴァネサを突き飛ばして戦車の進行方向から弾き出し、自分も間一髪跳び退って危機を逃れる。戦車も本気で――というのは少々おかしいけれども――轢く気はなかったのだろう。邪魔者がいなくなると、少しの躊躇も見せずに走り去っていった。
後に残るのは、呆然とするヴァネサと、険しい表情のレインナードさんと。
「……厄介なことになってるなあ……」
溜息を吐く私と、砂埃のみである。




