07:怒れる戦車の島-05
「馬鹿、ボケッとしてんな!」
怒鳴る声が聞こえたかと思うと、ぐいと勢いよく横合いから身体が引かれた。そのまま片腕で抱きかかえるようにして持ち上げられ、慌てて広い肩に縋る。
私を抱え上げたレインナードさんは間一髪、細い崖道を跳躍して落石の軌道から逃れた。寸前まで私達が立っていた道は、見る間に転がる岩が衝突して崩れ落ちていく。あのまま立っていたらと思うと、ぞっとした。
ひとまず窮地を脱したことに、ほっと息を吐く。
「ありがとうございま――」
お礼を言いかけて、止まった。探索術式に新たな反応。疲れて凍えて動きの鈍った頭が、強制的に覚醒する。それほどの驚き、或いは恐怖。
光。早い。狙っている。――そうだ、光。何故さっき私は「雷」じゃなくて「光」なんて叫んだのだろう。探索の術が届く範囲内では、落雷は確認できなかったのに。……ああ、つまりは。そういうことだったのか。
始めに轟いたのは、放たれた光が岩肌を穿った音。雷鳴だと思ったのは、その実岩が転がり落ちる音。転がり落ちる岩が見事に私達の上に落ちてきたのは、それを意図されたから。
全ての原因は自然発生した雷などではなく、明確な意図の許に放たれた――光の矢。私達を落石で押し潰す為に、確実に落石をぶつける為に、全て計らった上で放たれた必殺の意志。
何故、どうして、誰が、何の為に。そんなことは、今はどうでもいい。私達を阻み、殺そうとしているものが居て、狙われている。それが分かっているだけで十分だ。他のことは、この「後」があるのなら、その時にまた改めて考えればいい。
ポケットに手を突っ込む。取り出すのは、この夏実験と技術訓練ついでに作っていた簡易魔術具。邪気払いの特性を持つ黒水晶の屑石に、レインナードさんに教わった防護のルーンを刻んだ。そこまでのお膳立てをしておけば、私だって魔力を通すだけで発動できる。
「開式――護れ!」
宙に投げた黒水晶が内包した魔力を放って輝き、透けた黒の障壁を生成する。その壁に真っ向から衝突してきたのは、一条の光線だ。きらきらと燐光を放つ、魔力で編まれた一矢。
「なんだこりゃ!?」
「分かりません、けど、狙われてます!」
「もしかして、落石もこれの仕業か!?」
「多分、そうです!」
激しさを増す雨に対抗して、怒鳴り合うような会話をしているうちに障壁は光の矢もろとも消滅してしまった。残りの黒水晶は三つ、同じ矢なら三回まで防げるけれど……。
「何にしても、ここで立ち止まってちゃ狙い撃ちだ! ライゼル、よく捕まっとけ! あっちが諦めるまで走る!」
力強い腕が、私の腰を抱え直す。事ここに至っては、細かいことを気にしてはいられない。両手でレインナードさんの首に抱き着く。じわじわと締め付けるような重みを主張してくる頭の変調も、この際無視だ。甘えたことなんて言っていられない。
探索の術式を矢が射られたと思しき方角に向かって、最大展開。目と意識とを凝らして、遠く彼方を透かし見る。もっと遠く、もっと早くと気の急く中で、チカッと明滅する光を幻視した。射られた、と認識してからでは遅い。二つ目の石を投げる。数秒の合間に目の前に迫っていた矢を障壁が阻み、またしても相殺し合って砕けて消えた。
「後何度防げる!?」
「用意してきた石は残り二つ、後は何とか自前の魔力だけで防ぎます!」
さすがは歴戦の傭兵か、細い崖道を少しもふらつくことなく、レインナードさんは駆け抜けていく。とは言っても、ただでさえ雨天でこの薄暗さ。時刻は四時近く、夕方だ。それに疲れだってあるだろう。時間が経てば、歩調を緩めざるを得なくなる。それまでに、何とかして状況を打開してしまわないと。
射られる矢に矢をぶつけるのは、体調が万全でも難しい。点に対しては点ではなく、面をもって対抗する方が効率的だ。三度飛来する矢を、黒水晶で阻む。敵も本気らしく、威力を増して相殺されきらずに障壁を突き破った矢はレインナードさんが走り抜けた後の岩壁に激突した。ああもう、こんなことなら、もっとちゃんと石を用意しておくんだった!
「残り一つか……逆に、こっちから撃てるか?」
「矢を、ですか?」
「おう。最後の護り石は、俺が投げる。その間にお前は敵を捉えて、射返せ」
くの字に曲がりくねった道を一足で跳躍して飛び移りながら、レインナードさんが言う。
跳躍を読み切れなかった敵の矢は、少し遅れてからレインナードさんが跳び過ぎた場所を穿った。着弾の衝撃は、まさに山を丸ごとを揺らす勢い。その上、矢が命中した岩壁は大砲の砲撃でも受けたように大きく深く抉り取られている。あんなのが人間の身体に直撃したらどうなるかなんて、想像もしたくない。ミンチだミンチ。
冗談かと言いたくなるほど派手に破砕された岩壁の様子を見るに、やっぱり着実に威力は増してきている。その分矢を射る間隔も少しだけ長くなっているけれど、所詮秒単位の差だ。余裕と言えるほどのものではなく、逃げ切る決め手にもなりえない。このままじゃあジリ貧だ。
「……それしかない、ですかね」
自信があるかどうかは問題ではない。やらなければ、やられる。
最後の黒水晶をレインナードさんに手渡し、矢筒の中から弓と矢を引き出す。雨に凍えたせいで、弓弦を張るのにも苦労した。ああもう、と毒づきたいのを堪えて、がっちりと身体をホールドする腕の中で身体を捻り、矢が飛んでくる方角へ向かって構えを取る。
もちろん、ただ射るだけでは届くはずもない。あくまでも矢は媒介だ。サルナーヴ司祭長の言葉を借りるなら、「今ここにないものを、確かにあると固く信じること」――どれほど強く自分が思い描く結果の実現を信じ込めるか、その認識強度を高められるかが魔術の成否と精度を分ける。つまるところ、詠唱も魔術陣も自分に信じ込ませるためのツールに過ぎない。
呪言として自分の行動を宣言することで、魔術陣として発動させる術の設計図を記述することで、自分がこれから為すことをより明確に認識する。それを行うのだと自らに言い聞かせる、思い込ませる。
この世界の論理に、私は根っこの部分で未だ馴染み切れずにいる。だから、一々呪言を唱えるし、時には陣まで描く。レインナードさんみたいに、ちょいっとルーンを刻んだり、唱えたりするだけでは術を為せない。けれど、今はそんな悠長なことはしていられないし、理屈をこねている場合でもない。
右手に握った矢を弓弦にかけ、ぐっと引き絞る。二度三度瞬きをして、雨で滲んだ視界を明瞭に。カシャッ、カシャッとまるでカメラがズームしていくように、視野が遠く遠くへ伸びていく。
「レインナードさん、どうにか一回、防壁なしで矢を避けられます!?」
「そりゃ難しい要求だな!」
「無理ですか!?」
「冗談、見くびってくれんな! 遠くで光ってから届くまでの間隔は大体覚えた! つーても、何度もやんのはこっちも神経擦り減らすんで勘弁してもらいてえが、一回くらいならやってみせらあ!」
雨にも負けず声を張るレインナードさんに、ありがとうございますと叫び返す。
これまで矢は全く同じ方向から飛んできていた。ならば、狙撃手は居場所を変えてはいないのだ。仮に居場所を知られても反撃されはしないと高をくくっているのだろう。実際、その計算は間違っていない。今の私が探索可能な範囲は半径一キロほど、それを一方向に集中させて、尚且つ限界ギリギリまで無理をして四キロ。それでもまだ狙撃手の姿は捉えられない。
ただ、光がまっすぐに飛んできた軌道から逆算して、矢は辺り一面見回す限りに山裾から広がった深い森の中から放たれていることは分かる。山道をひたすら進むうちに、いつの間にか地上は岩石地帯から森林地帯に変わっていたらしい。
狙撃手は森の中に潜んで、山に向かって射ているのだ。高所から射下ろしているのならばいざ知らず、地上からあれだけの威力を保って連射してくるとは恐れ入る。
「次の矢で狙撃手の居場所の解析に専念して、その次の狙撃を待って射返します。多分、相手は射た直後すぐには次を出せないと思うので。申し訳ないんですが、その時は完全に止まってもらっていいですか。確実に狙いたいですし、石の防壁にぶつかる角度も見たいので。すみません、重ね重ね無理言っちゃいますけど」
「んにゃ、どってことねえよ。合点承知ってもんだ!」
レインナードさんがそう言った瞬間、視界の端で光が見えた。同時に、レインナードさんが「ehwaz!」と魔術を用いてまでの大跳躍。ほとんど身体を投げ出すように跳んで、辛うじて紙一重だった。わずかな間の後、レインナードさんの背中のすぐ後ろで爆発が起きた。この雨の中でさえ激しく舞い上がる土煙、雨除けの外套が千切れんばかりにはためく。
成程、これまでにない溜めの時間があったのは、ただ穿つだけでは捉えられないと認めて術式を切り替えたからか。敵も馬鹿じゃない。完全に私達を仕留める気でいる。
「次で決めます!」
矢に、残る魔力をありったけ通す。矢じりには、森の木々さえ削り穿つ為の螺旋を。箆には、数多の障害さえ貫いて標的を射通す為の頑強さを。矢羽には、雷雨さえ跳ね除けて飛翔する為の風翼を。
目を凝らす。敵はまだ見えない。けれど、光は見える。なら、捉えられる!
森から迸る光条。放られた黒水晶の障壁が阻む。刹那の拮抗。壁が破れる。まだ矢は形を残していた。レインナードさんの槍が閃く。光が爆散。目が焼かれる。構わない、居場所の検討はついた。
「開式! ――我が風矢は汝を穿つ!」
限界まで引き絞った矢を放つ。残った魔力を根こそぎ吸って、極限まで引き絞った矢は雨粒を裂いて空を駆けてゆく。
そこで、限界が来たらしい。矢の行先を見届けることもできずに、意識はすこんと途切れてしまった。
* * *
「ライゼル!? おい!?」
どん、と地鳴りをさせて射られた矢が遥か眼下の森に消えたと思った途端、腕に抱えた身体からぐったりと力が抜け、ヴィゴは泡を食った。完全に意識を失っているらしい娘の手からは弓が零れ落ちかけ、慌てて取り落とさぬうちに弓ごと抱き直す。
紙のように白い顔をしたライゼルは、その動きの中にあっても瞼を伏せたままぴくりともしなかった。青くなりかけた唇に、恐る恐る手を近付ける。伸ばした自らの指が震えかけていることに気付き、ヴィゴは口元を歪めた。その震えは、きっと寒さのせいだけだと思いたい。
縋るような思いで寄せた指先に、かすかな呼吸が触れた。危惧していたような浅さや速さはなく、どちらかと言えば穏やかな寝息に近いそれに、ほっと安堵の息が口を突いて出る。
顔を上げて辺りを見回してみると、まだ雨は止まないが、ライゼルが矢を射た森の中からは細く煙が上がっていた。あちらは雨脚が弱いのかもしれない。
「……俺は、無理させてばっかだなあ」
呟いて、腕の中の娘を見下ろす。普段はやけに大人びたことを言い、時に斜に構えたような態度さえ取って見せるのに、こうしているとまるでただの娘のようだった。それだけに忸怩たる思いに駆られる。しかも、これで二度目だ。何が護衛か。
くそ、と吐き捨てたいのを堪え、仰向けになったライゼルの白い顔に打ちつける雨粒を指先で払い、俯かせる。なるべく楽なように体勢を整えてやってから、半ば以上走るような早足で歩き出した。
狙撃手に命中したのかどうかは、ヴィゴ一人では調べようがない。火で燃やすことは得意としていても、探るだの阻むだのといった芸当は兎角苦手だった。こうしていても追撃がないということは、何らかの打撃を与えることは出来たのだろう。そうとでも思っておくより他に術がない。
「――!?」
そうして雨の中を急いでしばらく経った時、不意にまたしても視界の隅で光が奔った。反射的に身構えるも、先刻までの勢いも速さもない矢は、ヴィゴから大きく逸れた崖下の斜面を穿つに留まる。
「チィ、くたばってなかったのか。戦闘不能にゃなってねえが、痛手を受けてねえって訳でもなさそうか」
胸くそ悪い、と顔をしかめる。この執拗さは明らかに異常だ。どんな思惑があるかは知らないが、面倒なことこの上ない。狙撃手の首がこの槍の届くところにあるのならば、今すぐにでもその喉笛を貫いてやろうものを。
敵の狙撃も精度が落ちている。ここまでくれば、後は意地の張り合いだろう。いつまで狙撃し続けられるか、いつまで逃げ続けられるか。望むところだ。
崖道を走り続ける男と、それを射る狙撃手との戦いは、その後二時間余りにわたって続いた。一層薄暗さを増した空の下、今や山肌には無数の抉れた穴が開き、男の走ってきた道は半ば以上が崩れ落ちている。道が崩れる前に走り抜ける男も男なら、時間を掛けて狙撃の精度をじりじりと取り戻していく狙撃手も常軌を逸していた。
狙撃手は逃げる標的を射抜くことができず、かといって逃げる男も狙撃を止めさせる術を持たない。それ故に、このまま永遠に続くのではないかとすら思われた戦いに幕を下ろしたのは、純然たる偶然だった。
踏み込んだ足元が突然ぐらりと崩れ、ヴィゴは橙の眼を見開いた。このひどい雨で道を為す足場のいずこかが緩んだいたのか、断続的に続いてた狙撃の衝撃で消耗していたのか。どちらが事実であったのかなど分かりはしないが、どちらにしてもそれが逃げる男にとって致命的な危機になったことに変わりはない。
崩れ落ちた足が宙を突き抜け、ぐらりと身体が傾く。それを待っていたかのようにまた光の矢が狙い撃ってくる。辛うじて命中の寸前に身体を捻り、外套を犠牲に回避し果せたが、一瞬で状況の趨勢は傾き切ってしまった。
狙撃手もここが好機と見てとったか、威力こそないものの文字通りの矢継ぎ早に光を射て畳み掛けてくる。痛みもほとんど無いような一撃ではあったものの、まだ道に残って踏み止まろうとしていた足を討たれたのはまさに駄目押しだった。足元をすくわれた格好で、身体が宙に投げ出される。どうにか落下を留めようと崖下の岸壁に槍を突き立てれば、今度は突き立てた岩壁に矢が命中した。爆ぜる矢に岩壁が抉り取られ、落下が強制的に再開させられる。
「――ンの、野郎が!」
いよいよ矢が岩壁でも槍でもなく、自身に狙いを定めてくると、ヴィゴは忌々しげに毒づいて槍を振るった。矢を打ち払う動きで体勢を変え、岩壁を蹴って寧ろ落下に勢いをつける。また或いは、崩されると分かっていて再び岩壁に槍を突き立て、勢いを殺す。身動きの満足にできない空中にありながら、ヴィゴは槍を操って巧みに狙撃手の間を外した。
面白いように狙いを外していく矢を横目に見るうちに、少しずつ余裕が戻ってくる。は、と短く呼気を吐き出すようにして笑いながら、じりじりとヴィゴは矢の飛来する森を見やった。
森の中から射続けるのでは、じきに射線が塞がれる。事実、躊躇うかのように狙撃の間隔は長くなっていた。とは言え、狙撃を諦めて接近を考えたとしても、この遠距離では即座に対面することはあるまい。――敵は、完全に勝ちを落としたのだ。
にい、とヴィゴは獰猛に笑う。
「覚えてやがれ、後で必ず吠え面かかせてやっからな!」
刻一刻と地上は近付く。やがて狙い撃ち光の気配も絶え、槍の耐えうる限りの減速を試みたのち、両腕でライゼルを抱え込んだヴィゴは緑の森の中に落ちていった。




