07:怒れる戦車の島-03
「あんにゃろう、遠路はるばるやって来た相手にあの態度があるかってんだ。首根っこ掴み上げて締め上げてやるか」
「まあまあ、魔術師なんて大体が偏屈なもんですから。それに、あの分だと納得して引き受けたものでもなさそうですしね。追い返されなかったどころか、部屋を一つ貸してもらえただけで望外の幸運ってもんですよ」
「そういうもんかねえ……」
とりあえずの控え室として与えられた小会議室で、さも腹立たしそうにしているレインナードさんをなだめながら、私は思わず苦笑した。厄介な課題だとは思っていたけれど、まさかここまでこじれた事態になっているとは。
「そういうもんです。――ま、ソイカ氏には正攻法でサインだけしてくれるよう求めつつ、裏で技師連に要請してみましょうかね。何だかんだで、ここのところのアルマの自動人形輸出における最大の取引先はアシメニオスですし。仮にも私はその王立魔術学院の生徒ですし。そこまで嫌われることもないでしょう」
本来最もアルマと親密だと言えるのは、古くから友好関係にあるヴィオレタ王国だけれど、生憎と彼の国は隣国と大絶賛戦争中であり、必要とされるのは精巧な自動人形よりも単純な鉱物資源だ。狭い国土の中から産出される資源を加工することで莫大な価値を付加し、利益を得てきたアルマにとって、今やヴィオレタはかなり嬉しくない取引相手となりつつある。
よって、アルマが水面下で別の商売相手を探し始めたのは当然の流れであり、そこにアシメニオスの名前が挙がるのもまた、ごく自然なことだった。アルマが直接取引のできそうな立地にある国の中で、アシメニオスほど国情が安定し、財力のある国は他にない。
――となれば、アルマはアシメニオスとの関係に余計な波風を立てたくはないはず。仮にも王立と名のつく魔術学院に関わる案件だ、程度さえ間違わなければ、ある程度の配慮もしてもらえるのではなかろうか……とは、所詮希望的観測に過ぎなくはあるのだけれども。
「ま、何はともあれ建物の中を一巡りしてきましょう。色んな技師がいるみたいですしね。旅行記を書かなきゃいけない以上、ソイカ氏だけにかまけてる訳にもいきませんし。見られるだけ見て、ネタを溜めておかなくっちゃあ」
そんなこんなで、技師連の斡旋を受けて寄合所に程近い宿に部屋を確保できた私達は、観光も兼ねて街を巡る一方で寄合所に入り浸る日々が続いた。
技師連に名を連ねる魔術師たちは、やはり些か気難しげなところがないではなかったものの、大半は私が見学することに対して無関心という名の許容を示してくれたし、何人かは質問にも答えてくれる気さくさを見せてくれた。ただ、風以外の四大属性魔術ですら未だ扱いかねている私には、人造の生命や知性を生み出すことは少しどころでなく早かったようだ。言われている論理は一応理解できるし、構築する術式も充分にイメージできるけれど、それが実現する絵図が全く思い浮かばない。というか、信じられない。
この辺りの意識を変えなければ、魔術師として大成できないのだろうとは思うのだけれど。言うは易し行うは難し、だ。上手く自分のものにできれば実家の手伝いに回せやしないか、と習い始めたのだけれど。実現までの道のりはまだまだ遠そうである。
そうして寄合所での見学を始めて、いつのまにか三日が経っていた。アルマはガラジオスよりもずっと涼しいので、レインナードさんが服を脱ぎたがることもなく、その意味でも実に日々は平穏だ。逗留三日目の昼は清々しい晴天で、私とレインナードさんがお昼を食べている件の小会議室にも、開け放した窓から爽やかな風が吹き込んでいる。
因みに、今日のお昼は近くの露店で買った野菜を薄切りの肉を挟んだパンだ。少し硬めのパンには、ぴりりとした辛みのあるドレッシングが絡んだ、たっぷりの野菜と脂の乗った肉。絶妙な甘みと辛さがたまらなく、食が進む。
「うまうま。レインナードさん、ドレッシング辛口でしたっけ?」
「おう。そっちは甘辛だっけか?」
「です。一口交換しません?」
「……お前、いつも変なとこで躊躇いねえよな」
「いや、どんな味なのか気になったんで。駄目なら明日買ってみるんでいいですけど」
「お前がいいなら、俺は別にいいよ。ほれ」
「レインナードさんて、たまに変な言い回ししますよね。――それじゃ、お言葉に甘えて一口。あ、こっちのもどうぞ」
「……いや、俺は――」
「うーむ、やっぱ美味し――って、辛っ! 何これ後から辛い! やっぱ辛口辛い! 美味しいけど結構辛い! み、水!」
「あーあー……。ホレ、落ち着いて飲めよ。零さねえようにな」
「ひー、辛い辛い! どうも、すみません……。レインナードさん、よくそんな辛いの平然として食べられますね」
「言うほど辛えか? 舌がお子様なんじゃねえの?」
「失礼な!」
パンや水の瓶のやりとりをしながら、そんな話をしていた時。
どおおん、と俄かに雷でも落ちたような凄まじい音が聞こえた。かすかに建物が揺れたような気配もしたし、何事かとギョッとした。その時に思わず辺りを見回したのが私で、槍を手に持って立ち上がったのがレインナードさんだ。
レインナードさんは寸前までの穏やかな様子が嘘のような、鋭く油断のない目付きで窓の外を睨んでいる。つられてその視線を追ってみれば、窓の向こうの空に白い煙のようなものが天へ向かってたなびいているのが見えた。見た感じ街中でこそないだろうものの、それほど遠くのことのようにも見えない。
「……何事でしょう」
そう呟いてから、自分が息を止めていたことに気が付いた。変に力が入った肩が痛いほどに強張ってもいる。ほう、と息を吐き出しながら硬直した肩から徐々に力を抜いていくと、視界の端でレインナードさんが頭を振るのが目に入った。
「こっからじゃ、何とも分からねえよ。受付にでも行ってみりゃ、何がしか情報入ってくるんじゃねえのか」
それもそうだ。既に何か起こってしまった後なのだとしても、座してただ待つよりはマシなはず。急いで残りのパンを平らげ、ここ数日ですっかりお馴染みになった正面玄関の受付カウンターに行ってみると――
「石切り場で事故、ねえ」
解せない、という風でレインナードさんが呟く。
そう、何とも期待はずれなことに。受付で教えてもらえたのは、たったその一言分の事情だけだったのだ。いつも通りに朗らかな笑顔で「石切り場の方で事故があったそうです。すぐに島王の戦士たちが助けに入ったので、大事なかったそうですよ」と言われてしまえば、そうですかと引き下がらざるを得ない。
そこで私達は再び小会議室に戻り、額を突き合わせているという訳だ。
「普通、事故処理に島王の戦士たちが出張ります?」
「出ねえだろ」
「ですよね。よっぽど大きな事故でも起きたなら、その限りじゃないかもしれませんけど」
「すぐに助けに入って大事なかった、って話だからなあ」
どちらにしても、尋常なことだとは思いにくい。とは言え、異常事態が発生したのだと言い切るにも根拠が薄い。
「……とりあえず、なるべく早くにサインもらって、南海諸島に行った方がいいですよね」
「ま、それが無難だろうなあ」
少しでも早く課題を終える為、アルマ逗留四日目から七日目は、ひたすら技師連の寄合所でソイカ氏を追い駆けた。露骨に関わりたくないという風で私達を避けるソイカ氏を、レインナードさんとひたすらに探し回る。これが中々骨の折れるかくれんぼだった。元々寄合所の建物が巨大であることに加え、あちらには地の利がある。遠目にソイカ氏を見かけることはあっても、中々話し合いにまで持ち込むことはできなかった。
サインさえもらえれば関わらない、デュナン講師にもソイカ氏が迷惑に思っていることを必ず伝える、等々さんざん言葉を尽くして語りかけながらの人探しは、傍目にはひどく滑稽に映ったに違いない。時には面白がった技師連の魔術師たちが手を貸してくれることもあったし、受付の女性には毎日申し訳なさそうな顔で謝られた。その様子を見るに、一応組織としては私のことをそれなりに尊重してくれる方針ではあるらしい。
そうして、追いかけっこを初めて五日目。通算にして逗留八日目に、再び異変は起こった。
五日前と同じに、よく晴れた午後。突然に轟いたのは、飛び上がるような爆発音。どおん、がたがた、ごろごろ。石切り場の事故とやらの時とは比べ物にならない、聞くだけで震え上がるような音だった。地面が揺れこそしなかったものの、あちこちの扉が一斉に開いて中にいた人たちが顔を出すわ、少し離れたところで廊下の隅に置かれたロッカーの中を扉の隙間から覗きこんでいたレインナードさんが怖い顔をして走ってきて、私を担いで外に飛び出そうとするわで、大騒ぎになった。
「……たぶん、何かが起ころうとしていますよね」
「否定はできねえな。こうも連日の大騒ぎで、何もねえと考えるのはちと無理があんだろ」
何が起ころうとしているのか、起こりつつあるのかは分からない。それでも何となく、きっとよくないことなのではないかという気がした。
昼食ぶりの小会議室で、私とレインナードさんは重苦しい溜息を吐いた。あの爆発音による混乱が収まってから出向いた受付で教えてもらえたのは、またしても「鉱山の方で何かトラブルがあったそうです」の一言のみ。詳しいことは分からない、という。
……アルマの自動人形産業の骨子は、貴重な鉱石――魔石を算出する山々にある。多種多様な魔石を核として人造の生命を吹き込まれ、自動人形たちは動き出す。もちろん石切り場も重要な施設であろうけれども、それ以上に鉱山はこの国にとって価値が大きく、なくてはならないものだ。それこそ日夜細心の注意を払って運営がなされていることだろう。それなのに、石切り場に続いて異変が起こる?
本当に二つともただの事故で、単なる偶然かもしれない。考えすぎかもしれない。けれど、危険だと感じるのなら、実際に触れる前に逃げておくに越したことはない。後で悔やんだってどうしようもないのだ。起こったことは変えられない。喪われた命は、二度と戻らない。
「あの技師とやらの野郎は捕まってねえが、こりゃいよいよ予定を切り上げて発った方がいいぞ。何か起こってからじゃ遅えんだからよ」
厳しい表情で、レインナードさんは言った。その判断に否やはない。課題を完遂する為には一つ足りないけれど、それは身の安全と引き換えてまで果たすほどのものではないはずだ。ここで命を賭ける理由も、その価値もない。
私が頷くと、レインナードさんはおどけるように笑って見せた。
「そんじゃ、話は決まりだ。ちと早えけど、南海諸島で骨休めと洒落込もうぜ」
ですね、と相槌を打った、その時。
コンコン、と扉を叩く音がした。一瞬、レインナードさんと目を見合わせる。ゴーサインのような頷きが返され、私は声を上げた。
「どなたですか」
「……ソイカだ」
くぐもった、低い声。再び、私とレインナードさんは顔を見合わせた。これまで頑なに逃げ回っていた人が、一体どんな風の吹き回しだろう。
少し迷ってから、声を上げた。
「どうぞ」
わずかな間の後、扉が外から開けられる。
顔を覗かせたのは、やはりあの黒髪の神経質そうな魔術師だった。デスクを挟んで私の向かいに座っていたレインナードさんが、眉間に皺を寄せて来客を見やる。
「今まで散々手間あ掛けさせてくれたと思ったら、どんな気まぐれだ? ええ?」
のっけから喧嘩腰である。……まあ、それも無理はないか。
この数日間、ひたすら寄合所の中を駆けずり回らされたのだから、さぞかし耐えかねているに違いない。それでも少なくとも私の前では一言の文句も発さず、不機嫌そうな素振りも見せなかったのだから、何ともはや見事な職業人というか。
ソイカ氏はレインナードさんを見て一瞬顔を顰めたものの、それ以上の反応はせずに部屋の中へ入ってきた。じっと私を見据えて、素っ気ない声で告げる。
「……俺のサインが要るのだろう」
そんな言葉と共に差し出されたのは、一巻の羊皮紙だった。席を立ってソイカ氏に歩み寄り、受け取って開いてみれば、「アルマ島王直轄技師連所属ルカーシュ・ソイカは、アシメニオス王国王立魔術学院の生徒たるライゼル・ハントが我が元を訪ね、課題を十全に果たしたことを証明する」という文面が綴られた後に、直筆の署名がなされている。
「これは」
「君の執念に負けた、とでも言おう。追い回されて仕事に手を付けられずにいるのも、大声で呼ばれて冷やかされるのにも、いい加減に疲れた」
仏頂面でそう言って、ソイカ氏は一度口を閉ざした。言おうか言うまいか、迷っているような素振り。そのまま何も言わずに待っていると、小さな溜息と共に再び喋り出した。
「これで課題を果たしたことになるだろう。すぐに荷物を纏めて、この島から出て行け。今なら、まだ間に合うかもしれん。間に合わなければ、ヴァラソンの山を越えて北へ向かえ。北の街ならば、監視の目をくぐって船を出せる可能性がある」
その言葉を聞いた瞬間、今度はレインナードさんが音を立てて椅子から立ち上がった。会議室においていた数少ない荷物を取りまとめ、今にも私を担ぎ上げんばかりの勢いで近寄ってくる。その表情は、かつて共に向かった森や迷宮の中にいる時のように真剣だった。
「これで決まりだ。今すぐこの島を出る」
そうですね、と頷いて私も急いで荷物を纏める。ソイカ氏の言葉は、この島で何か尋常でない――島から出られなくなるような異変が起こっているという証だ。わずかな筆記用具や羊皮紙の巻紙を急いで鞄に突っ込み、扉に向き直る。
扉の前では、複雑そうな顔のソイカ氏が私達を眺めていた。
「君の従者は、随分と君に忠実なのだな。その歳でそこまで見事に従えるとは、将来が楽しみであると言えばいいのか、末恐ろしいと言えばいいのか」
あ? 従者ァ!?
反射的に吐き出しそうになった言葉を呑み込み、一呼吸おいてから、言葉を選んで答える。
「……レインナードさんは、私が契約している傭兵の方です。従者などではありません」
「何? わざわざ傭兵を雇っているのか。物好きだな」
被害妄想あるいは考えすぎかもしれないけれど。その驚きは、暗に貴族ならばいくらでも従うものがいるはずだろう、という指摘を含んでいるように聞こえた。
……そうか、この島にまで学院の内情が届くはずもない。ひょっとしたら、私は貴族の娘として見られていたのかもしれなかった。であるのならば、そりゃあ丁重にも扱われる訳である。いや、別に悔しくはないけど。ないけども。
「わざわざ、も何も。財産も人付き合いも乏しい平民が護衛を求めるなら、傭兵を頼るのが一番でしょう」
そうとだけ言って、鞄を肩に掛け直す。ソイカ氏ははっとした風で息を呑み、何度か唇を開閉させたけれど、ついぞその唇が言葉をなすことはなかった。
何を言おうとしたのか、何を考えて止めたのか。そんなことはどうでもいい、とまでは言わないけれど、敢えて追求しようとも思わない。ソイカ氏から目を逸らし、扉へと足を踏み出す。何歩か進んでから、ふと思い当った。
「この島で何が起こっているのか、何が起こり始めているのか。私は教えてもらえなかったので、分かりません。ですが、そうやって部外者に詳細を伏せておかなければいけないくらいには、容易でない事態なんでしょう。それをああも分かり易くほのめかしてしまって、良かったんですか」
「俺は何も教えてはいない。長上として、今後の予定について助言をしただけだ」
返る言葉は、変わらずに素っ気ない。少しだけ、私は笑った。
考えてみれば、了承してもいない厄介ごとを押し付けられて仕事を邪魔される――それは恐ろしく腹立たしいことのように思えた。社会人をしていた頃、他社に勤める友人からそんな仕打ちを受けていたら、間違いなく怒り狂っていた自信がある。しかも、今期擬似生命工学を受講している生徒は二十人余り。それが続々と自分を訪ねてくるのだから、堪ったものじゃないだろう。
ソイカ氏のあの反応は事ここに至って考えれば、むしろ随分と譲歩したものだったのではないかとすら思う。その上、こうして禁を犯した助言までくれた。今となっては、純粋に感謝しかない。
「ありがとうございます。デュナン講師には、よくよく苦情を伝えておきますから」
そう言うと、ソイカ氏はぱちぱちと目を瞬かせ、ほんの少しだけ口角を持ち上げた。
「……帰り道は、また長くかかるだろう。気を付けたまえ」
ソイカ氏に別れを告げた後、私とレインナードさんは一目散に宿へと戻り、全ての荷物を抱えて港へ向かった。出来得る限りの最速で行動した、それは自信を持って言える。しかし、それすら既に遅かったというのだから、全くもって笑えない。
港は、船出を待つ人でごった返していた。何でいきなり、今日中に発たなければいけないのに、と怒声やら悲鳴やらがあちこちで飛び交っている。海運会社にしたって、大打撃だろう。頭を抱える人の姿も、そこここに見られた。
そんな混乱の極致にある港は、反面ひどく平和的でもあった。怒声は聞こえど、喧嘩のような暴力的な騒ぎが起こりそうな気配はない。怒りや不満を口にしながらも、人々にはどこか萎縮しているような空気があった。
奇妙ではあるけれど、無理もない話だ。何せこの場を制しているのは、港の職員でも、島の官吏でもない。語気荒く静まるよう人々に向かって声を張り上げているのは、なんせ島王に仕える戦士の一団なのだ。これ見よがしに武器を携えた彼らに、進んで刃向おうとするような人間が、いるはずもなかった。
――そう。港は、他でもないこの島の王の命令で封鎖されていた。




