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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
23/99

06:恋人たちの石-04

 食事を終えると、時刻はおおよそ二時を少し過ぎた頃だった。空はまだ青く明るく、このまま浮遊石の採集に乗り出しても構わないような時間帯だ。というか、普通に考えて探索続行以外の選択肢が出るはずがない。なのに、私達は宿に戻ることになった。

 それは思いの外に心配性だったレインナードさんが、収穫はあったのだから強行軍に出る必要はない、一晩ゆっくり休むべきだという主張を譲らなかったからであり、単純に荷物が増えたからでもある。闘技場で鎧を撃破した後に出現した剣と盾、それから一塊の鉱石は、どうまとめてみたところで嵩張る。それらを一度宿に置きに行くということ自体には、私にしても異論はなかった。充分な時間が残っているのに探索を切り上げてしまうことには、些か同意しがたいものの。……貧乏性とか言うな。

 まあ、割り切れない私の心情はひとまず脇に置くとして。

 闘技場での一件が、予想外の大収穫であったことは認めざるを得ない。レインナードさんが紐でくくって鞄の上に背負った盾と剣――石は拳大で軽かったので、私が預かることにした――の白銀は、ちらりと横目に見ただけでも目が痛みそうな眩さだ。ここまで惜しみない輝きっぷりだと、何だか神々しくさえ思えてくる。

「色々ありましたけど、結局うまいこと入手できてよかったですよね。それが本物なら、ですけど。……一応、宿に戻ったら調べてみましょうかね。確か、学院で調べてみるからって破片預かったまま持ってきてたはずなんでレインナードさんの槍と同じ材質だったら、本当にミスリルってことですし」

「おう、宜しく頼むわ。確かにとんとん拍子で事が進んでるよなあ。ここまで運よく目的のもんが見つかるって、早々ねえよ。ミスリル探して一月遺跡に入り浸りって話もざらだしな。よっぽどいい星の下に生まれてんのかね?」

「かもですねえ」

 死んだと思ったら死んだ時の意識をそのまま引き継いで生まれ変わって、更にはいい家族や環境に恵まれて育って来れた時点で、大分幸運値を振り切っている気もする。苦労してない訳じゃないけど、何だかんだで運がいいものな、私は。

 そんな他愛ない会話をしながら、私とレインナードさんは石畳の通りを進んでいった。宿へ戻るには、来た道を戻るだけでいい。危険がないことは既に分かっているので、自然と世間話にも花が咲いた。

「この調子で浮遊石の採掘も早く終わるといいですね。後は金目のものも同時発見」

「浮遊石と一緒に出やすいのはルレティア石だっけか。宝飾によく使われるとかっつー話を前に聞いたから、そこそこの値はつくだろ。上手く出るといいな」

「ですね。あ、石と言えば、ラムール石どうします? レインナードさん、要ります?」

「あ? 『恋人たちの石』だろ? 要らねえよ、縁ねえし」

 露骨に素っ気ない風で、レインナードさんは突っぱねる。

 ラムール石はレインナードさんが微妙に嫌そうに言ったように、「恋人たちの石」という別名を持っている。世間では、むしろその別名で認識している人の方が多いかもしれない。

 ラムール石は同じ塊から砕いた石が引き合う性質を持ち、甘い薄桃の石色をしていることから、古くから恋人たちの間で人気があった。ただ、「恋人たちの石」という異名が流布するようになったのは、ごく最近のことだ。ネロリザという王都の有名宝飾店が「離れがたい恋人たちへ捧ぐ護り石」と銘打って大々的に売り出したことで、爆発的な知名度を得た。まあ、日本で言うところのパワーストーンみたいなものだ。以来、ラムール石は恋人たち御用達の一品になったのである。

 もっとも世間の評価だけで言うと、レインナードさん以上に私に縁がないものなのだけれども。全く気付きたくなかったけれど、私には恋人以前に友人と呼べる人がラシェルさんとエリゼくん以外にいない。我がことながらこれはひどい。ひどすぎて悲しくなってくるので、現実から目を逸らすことにする。

「はっはっは、縁がないとか、またまたー。学院で強制一匹狼気取りの私と違って、レインナードさんは知り合いも多いし、交友関係めっちゃ広そうじゃないですか。それで縁がないとか、私のガラスの心臓にハンマー叩き付けるような鬼畜の所業」

「はあ!? 何だその言いがかりっつか、反応しにくい自虐突っ込んでくんなよな!? 俺の心臓にこそ悪いわ! ……何を期待してんだか知らねえが、ここ一月以上同じ宿で顔合わせてたろーが? そこでお前は俺の何を見てたよ? 朝帰りしたこととか、俺を訪ねて女が来たこととかあったか?」

 そう言うレインナードさんの顔は、見るからに苦々しげだ。

 どうもこの人はこの手の話になるとめっきり反応が渋くなる傾向にあるらしい。普段の陽気さが嘘のようなその反応が面白くて、逆に機会があるとこうやって茶化してしまうのは、誰にも言えない私のひっそりとした楽しみである。これに関しては性悪だとか言われても仕方がない、全くその通りだと思う。でも楽しいから仕方ない。あっはっは、すみませんね!

「それはなかったですけど、私の見えた範囲なんて微々たるもんでしょう。私の分からないところで、なんか、こう……あったかもしれないじゃないですか」

「何をだよ……ねえよ……」

 力のない声は、まるで呻くようだった。いよいよもってレインナードさんがゲンナリしてきたので、ここらが潮時である。茶化すにしても程々に、度の過ぎない程度に。節度は大事に。

「ま、冗談はさて置き。ラムール石、別の用途では使えると思うんですよね」

「別の用途?」

「ほら、さっき闘技場で『地下に逃げたら探すのが大変になる』って言ってたでしょう。ラムール石で作ったアミュレットでも持ってたら、石が引き合って探すのが楽になりません?」

「あー、そりゃそうかもな。迷子探しには便利そうだ」

「てことで、もし良ければ遭難の可能性がある場所での対策に使わせてもらおうと思うんですけど」

 世間では恋人たちのお遊び的な位置づけになっているけれど、探索に出る上ではもっと実用的な補助アイテムとして使えるのではないかと思うのである。――と、そんな思惑で提案してみたのだけれども。

「……んん、俺は、その、なんだ。お前がそれでいいなら、良いけどよ」

 時に要らんところまであっさりさっぱりなレインナードさんにしては珍しいことに、やけに歯切れの悪い返事だった。

「何か微妙なな反応ですね。嫌なら別に嫌って言ってもらっ」

「嫌とは言ってねえだろ」

「……はあ、そですか」

 何の意地だ、そんな人の台詞を食う勢いで言わなくともいいでしょうに。……まあ、本当に嫌だったらきっぱり嫌って言うだろうし、これはゴーサインと捉えていいんだろうかしらな。

「じゃ、ガラジオスに戻って槍の修理が終わったら、ちょっと作ってみます」

「おう。俺が持ってても変じゃねえ感じで頼むわ」

「了解です」

 そんな話をしながら、遺跡を出て宿に戻ったのは太陽が徐々に傾き始めた頃だった。幸いなことに宿の提供する夕食の時間には間に合ったらしく、追加料金を支払うことで温かな食事にありつけることになったのは、純粋に喜ぶべきことだったのだけれども。

 ――けれども、私は今の今まですっかり忘れていたのだ。重大な問題を。

(そう言えば、宿一部屋しか取ってないじゃん! どうすんだこれ!)

 宿に併設された食堂、その片隅。湯気を立てるスープに色とりどりの野菜とローストビーフのサラダ、真白く見るからに柔らかそうなパンを前にして、今更にその事実を思い出してしまった私は愕然とした。いくらその仕事ぶりや人柄を信頼していると言っても、同じ部屋で寝起きできるかどうかは別問題だ。

「およ? どうしたよ、顔が怖えぞ」

 なのに、私の向かいに座ってテーブルを囲むレインナードさんときたら、まるで気にした風もなくそんなことを訊いてくるのである。チクショウ、安定の弟分扱いなのか!

「いや、重大な問題を思い出しまして」

「問題? 何かあったっけか?」

「ありましたよ! 最初っから大問題でしたよ! 主に私の中で! 部屋、一つっきりじゃないですか!」

 繁盛している宿の食堂はそれなりに人が多くいたので、心持声を抑えながら訴えると、レインナードさんは「なんだそんなことか」と言わんばかりの顔で食事を始めた。何だその反応!

「んなこと気にしてたのか、それならもっと早くに言えばいいだろうによ」

「言うに言えなかったんですよ!」

「お前、変なとこで黙んのなあ……。まあ、俺は軒下でも借りて適当に寝るから、問題はねえよ」

「……は?」

 え? 何だって? ふっつーに、今、なんつったこの人?

「何間抜け面してんだよ」

「失礼な――って、そうじゃなくて、いや、ちょっと、それ本当ですかっつか本気ですか?」

「本気も何も、さすがに俺でも一部屋を分け合うのがまずいってのは分からあな。てか、逆に訊くけどよ、何か? お前、俺がそれをすると思ってた訳か?」

「……」

「……」

「……か、回答の拒否を」

「それ、逆に肯定してるかんな」

 そう言って、レインナードさんは深々とした溜息を吐いた。

「子守りが必要なガキでもあるめえに、それなりの歳の娘相手に、いくら何でもそれはねえわ。んで、それをすると思われてたことにショックだわ」

「た、大変申し訳ない……」

 全くもってその通りである。こうなったら、平身低頭平謝りである。早とちりで侮るような真似を仕出かしまして、誠に申し訳ございません、大変失礼を致しました。

 へこへこと頭を下げる私の前で、レインナードさんは落胆しているような呆れているような、何とも言い難い表情でスープをすすった。

「いいよ、分かってもらえりゃあ。俺が説明しねえでいたのも悪いっちゃ悪いんだろうしよ」

「本当にすみません」

「だから、もういいっつの。飯冷めんぞ」

「……頂きます」

 最後に軽く頭を下げてから、置いていたスプーンを取り上げる。もちろんと言うか何というか、やはり宿代も食事代もレインナードさん持ちだ。そんな状況であるからして、まさか出資者が軒下で寝るとか考えてるとか思わなかった――と、言い訳だけはさせてもらいたい。

 そんな醜い自己弁護をみみっちく心の中でしつつ、スプーンでスープを掬う。澄んだ薄オレンジ色は深みのある素晴らしい味わいで、少し癖のあるハーブの匂いがした。サラダに添えられたローストビーフは見事な火の通り具合と柔らかさが絶妙で、パンは昼間の堅パンが木石か何かのように思えるようなフカフカさ。つまりどれもこれも美味しい。本当に美味しい。……美味しいことに、間違いはないのだけれど。なんというか、如何せん気分は低空飛行である。

 何故かって、そりゃあ、さっきから一言も会話がない。私の自業自得というか自爆大爆発というかなんだけれども。普段は割といろんなことを喋りながら食事をすることが多いので、とにかく居た堪れない。学院のぼっちとか目じゃないくらいの針の筵気分。

 そうは思っても気軽に声を掛けるまでには至らないくらいには、気まずい空気が流れていた。結局、私が声を上げたのは、八割がた食事が終わりかけた頃になってからだった。

「あのー」

「おう」

「早とちりをして、本当にすみませんでした。次から、ちゃんと訊きますんで。レインナードさんが私に頼みごとする時、ちゃんと確認するって約束してくれたみたいに」

「……おう」

「……でも、一つだけ弁解させてもらうとですね。まさかお金出す本人が部屋を使わないとか、お人好しにも程があること考えてたとは思わなかったんですよ」

「お前も大概に遠慮しいだよな」

 これまで口の重かったレインナードさんが、ようやっと文章らしい文章を喋り出した。少しは機嫌を戻してくれたのかしらん。

「レインナードさんのお人好しさには負けますけどね」

「ああ? 少しゃあしおらしくなったかと思えば……んなことねえだろ」

「ありますって。というか、出資者を差し置いて一人で部屋を使うとか、気持ち的にだいぶしんどいんですけど」

「仕方ねえだろ、部屋一つっきりしか残ってなかったんだ。んじゃ、何か。気が重いからっつって、本当に俺と折半するか? 無理だろ?」

 その言葉は、まるで聞き分けの悪い子供に対するような調子だった。とは言え、そのことに反発心はない。実際にその通りだと思うし、我ながら訳の分からないことを言っていて、訳の分からない思考をしている自覚も、割となくもなかった。

「しますか」

 ぽいっと答えると、レインナードさんは目を真ん丸くして、ぽっかりと口を開けた。おお、埴輪のようだ。

「お、おま、意味分かんねえぞ、何言ってんだ!?」

「いや、だから気を取り直して、部屋折半しますかって」

 真顔を作って更に畳み掛けてみると、レインナードさんはついに頭を抱えてしまった。はああ、と重々しい溜息が聞こえる。

「何なんだよお前、それはまずいって散々騒いでたんじゃねえのかよ……」

「いや、それはそうなんですけど。なんか、今になって別にいっかなー、みたいな気分にならなくもなく」

「何だそりゃ……。勘弁しろよ……」

 うめくレインナードさんを余所に、私は残った料理を一息に掻き込んだ。たぶん、明日は浮遊石探しだ。早く休んで、十分な体力を養っておかなければならない。

「というか、よくよく考えたら、私が一人で部屋使ってレインナードさんは軒下とか、傍目には私が相当我が儘で自分本位な人間に映ると思うんですよね。さすがにそれは御免蒙りたいので、お互い配慮し合って一晩凌ぐってことで妥協しましょうよ」

 出来れば二度とこの遺跡には来たくない――グリフォン便怖い的意味で――けれど、稀に見る傍若無人な客として記憶されるのも遠慮したい。旅の恥は何とやらとは言うものの、人の口に戸は立てられない。どこからか噂が流れない保証もないのだから、脛に傷など作らずにおいた方がよほどいい。

 かくて、何か障りがある時――具体的に言うと、お風呂の際には片方が部屋を出ているとか。部屋の中にシーツでも渡して目隠しの壁を作ればいいとか。そんな言葉を並べ立てて、私は必死にレインナードさんの説得に掛かった。

「……分あかった、そこまで言うなら部屋の隅でも借りるよ」

 そうして宥めすかすと十数分、やっとこさレインナードさんは頷いたのであった。いやあ、実に手強かった。

「後で後悔しても知らねえからな」

「えっ、後悔するようなことする気なんですか。それはちょっと」

「馬っ鹿、違えよ! 同じ部屋で一晩って時点で、下種の勘繰りは避けられねえ。安易な選択を後で悔やむなよってことだよ、嫁入り前のアホ娘!」

「……レインナードさんて、案外お堅いですよね」

 思わずそう呟いたら、無言で向かいから脳天にチョップが振り下ろされた。痛くはなかったけど、フゲッとか変な声出た。口にものが入ってなくて良かった。

「ほんと、お前は頭いいのにアホだな!」

「何かさっきっからひどい言い様ですね」

「お前が言わせてんだよ……」

「はっはっは、そんな馬鹿な。それより、早く食べちゃってくださいよ。部屋に戻って剣と盾の解析して、明日に備えて寝なきゃいけないんですから」

「お前はほんと好き勝手言うよな……」

 そう言いつつも、大人しく食事を再開してくれてしまう辺り、レインナードさんは本当に期待を裏切らないレインナードさんである。感謝感謝。

 その後、精算を終えて食堂を出て部屋に到着すると、予想外のダブルベッドが用意されていたことで互いに無言になってしまったりしたものの、レインナードさんが「また余計なこと言いやがったら、今度はチョップじゃなくてグーで叩く」と言わんばかりの顔をしていたので、有難く私はベッドをお借りして、レインナードさんは床に寝ることになった。この季節であればさほど上掛けに気を遣わなくていいので、せめてもの償いとして毛布は進呈しておいた。

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