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青の羅針儀  作者: 奈木 一可
第一部
22/99

06:恋人たちの石-03

「……うん?」

 はたと目を開けて、自分が寝ていたことに気付く。

 慌てて起き上がってみると、頭の下には程よい高さに均された鞄が置かれてあり、横になっていた身体の下には分厚い野営用の外套が敷かれていることが分かった。この渋い濃紺の色合いは、確かレインナードさんが使っている成人男性用のものであったはずだ。私が使っているのは一回り小さい砂色のもので、果たしてそれは身体の下ではなく上に掛けられていた。

「お、目え覚めたのか。気分はどうだ?」

 きょろきょろ辺りを見回していると、背中の方から声が聞こえた。振り返ってみれば、何やらかまどで作業をしていたらしい背中が、屈めていた腰を伸ばしてこちらへやってくる姿が目に入る。私の傍まで歩み寄ってくると、レインナードさんは申し訳なさそうな顔をしてしゃがみ込んだ。

「悪かったな、無理させちまって」

 しょんもりと眉尻を下げて、レインナードさんが言う。合わされた目線、橙の双眸は言葉通り掛け値なしの感情を湛えて、ともすれば揺れてさえ見えそうだった。

 その瞬間、目覚める前までの記憶が脳裏に瞬くように浮かび上がった。

 剣と盾を纏めて背負う背中。再び地下の暗い通路へ。ぐらぐらする頭。暗闇の中で倒れるのだけは避けないと、とそれだけを強く思ったこと。それから――

『すみません、ちょっと限界なんで、休ませてもらっていいですか』

 ……ああ、そうだった。思い出した。どうにか闘技場を出た辺りで、ついに頭痛が堪えきれなくなったんだっけ。

 闘技場を出るなりに発した言葉は、レインナードさんにとって相当突然に聞こえたらしい。目を真ん丸く見開かせたかと思うと、珍しく慌てふためいた様子で私を抱え上げ、近くの人家に駆け込んだのだった。良いとも悪いとも答えず、いきなり行動に出てきた辺り、その驚きが如実に表れている気がして、今考えると何とも申し訳ない。

 抱えられて建物の中に入った辺りまでは記憶があるけれど、いつどうやって寝かされたかは全く覚えがない。たぶん、その時点で寝落ちてしまったのだろう。すっかり迷惑を掛けてしまった。

「いえ、こちらこそ。すみません、読み違えて」

 外套の上で正座をして、頭を下げる。

 現状において、本来一番まずいのが私が人事不省に陥ることだ。単純に考えてレインナードさんの負担が倍加し、下手をしたら共倒れだって有り得る。あの鎧を動かす術式の解読に困難が伴うことは、それを始めた時から薄々感じられていた。ならば、そこを敢えて強行するのではなく、一度確認を取るべきだったのだ。

 そんなことを謝罪ついでに述べると、レインナードさんは思いの外真剣な顔をして私を見詰めていた。……おや。

「……どうかしました?」

「んにゃ、どうもしねえよ。前々から子供らしくねえなとは思ってたけどよ、やっぱ筋金入りなんだなと再確認してただけだ」

 それは褒められているんだろうか、皮肉を言われているんだろうか。どういうこっちゃ。

 私が何とも答えられずにいると、レインナードさんは小さく息を吐いた後で、神妙にも聞こえる声で語り出した。

「なあ、ライゼル。俺は今までお前さんを――何つーか、半分お守りしてやらなきゃいけねえ子供だと思ってた。けど、そいつは過小評価だったみてえだ。悪かったな」

 およそ冗談には聞こえない口調で、レインナードさんは言う。それを聞いていた私は、思わずぽかんとした。何を突然言い出したんだろう。どう贔屓目に見たところで、私がお荷物だという事実は変わらないだろうに。

「いや、何でそんな過大評価をされたのか、全く分からないんですけど。実際、私はお守りが必要な未熟者以外の何者でもないじゃないですか。こういった場所での振る舞いは全く分からないし、満足に戦うことだって、多分できないですし。レインナードさんにおんぶに抱っこですよ。半分どころじゃないんじゃないですかね」

「そりゃ新米の誰もが通る道だ。だとしても、お前はよくやってる。俺に預けるだけじゃなくて、ちゃんと手前の頭で考えながらくっついてきてる。十把一絡げの半端連中よか、遥かに将来有望だぜ。――だから、俺はお前を評価する。ただの子供じゃねえ、れっきとした同行者なんだと」

 そこまで言ってから、レインナードさんは一度言葉を切った。一瞬考え込むような素振りをみせてから、再び口を開く。

「さっきの鎧を動かしてた術式は、学院の生徒なら誰でも読めるもんなのか? そりゃあもちろん、無理してが前提になるんだろうけどよ」

「うーん……どうでしょうね。私がたまたま古代呪文学を習っていたので対応できたましたけど、専攻してなかったら、読み解けなかった自信は割とあります」

「つまりは、無理ってことか」

「まあ、そうですね。誰でも、ってのはないと思います。……魔術師ってのは、案外できることが少ないんですよ。一分野に特化した専門家か、平均的に突出している万能家か。名を残せるのはそのどちらかですけど、そもそも後者でない限り得意分野以外はからきしってことがほとんどですし」

「なるほどなあ、言われてみりゃ俺もそうだ」

 ぽん、と拳で掌を叩き、レインナードさんが零す。

「レインナードさんもですか?」

「おうよ。俺あ物を燃やすことは割かし得意だと思うんだが、他がさっぱりでよ。後はちっとだけ治癒ができるくれえかな」

「清々しく戦闘特化みたいな組み合わせですね……」

「まあ、実際必要に応じてそれだけはどうにか覚えたっつー感じだったしなあ。けど、ライゼルは俺と違って万能家の方なんだろ?」

「……えっ、いや、私も一芸特化の方ですよ」

 あんまりにも普通に訊かれたので、完全に居を突かれて一瞬止まってしまった。いや、ほんと何でそんな「え?」みたいな顔をしているのか、この人。それは私の反応である。

「だって、色々できるじゃねえか。探索とか、さっきみてえな分析とか」

「それはたまたま学院で習ったものが応用できただけです。基本的に、私は風を操作することに端を発するものしか上手く扱えないんですよ。目下の大問題なんですけどね」

「……っつーと、要するにどゆことだ?」

「風の届く範囲でなら、目や耳を飛ばして探ることができる。だから、遠くの物事を探ることも、離れたところから術式を読み解くこともできた。それだけのことなんですよ」

「それだけって、充分すごくねえか、それ?」

「そうでもないですよ。割と珍しくない技能なんで。たまたま私はそれが人より少し上手く扱えるってくらいですね」

「つったって、首席ってのはそれだけで取れるもんじゃねえだろ」

「まあ、そりゃあ他も人並程度にはできることはできるんですけど。……実用には程遠いレベルですよ。強いて言えば、魔石や金属の加工がどうにか堪えうる程度で」

 もちろん、それはアルドワン講師による緊急講義のお陰である。本当にあの先生にはお世話になりっぱなしなので、今後探索の際にでも何か珍しい石が手に入ったらお土産に献上しなければなるまい。

 ――等という思考の傍らで肩を竦めて答えると、レインナードさんは何故か呆れたような顔をした。

「それよー、多分お前の判断基準が厳し過ぎるだけなんじゃねえの? 首席なんだろ?」

「こだわりますね、それ……。首席ったって、あくまでもただの学院の決めた学生の分類ですって。そんな大したものじゃないですよ。公に通用するような資格でもないですしね」

「さばけてんなあ……」

「世知辛い世の中を生きていくと、こうもなるってことですよ。――で、すみません、ところで私どれくらい寝てました?」

「んあ? ああ、そんな長い時間じゃねえよ。一時間ちょいってもんかな。そろそろ昼過ぎってトコなんで、飯の用意してたんだけどよ。起きられたんなら、食えるか?」

「あ、はい。もうすっかり治ったので、頂きます。……すみません、ご迷惑をお掛けしました」

「んにゃ、俺がよく考えねえで軽く振っちまったのも悪かった。さっきは『限界』ってそれだけ言って倒れちまったけど、どっか痛めでもしたか? パッと見、外傷はねえよな?」

「そうですね、怪我とか病気ではないです。読み込んだ術式の情報量が多過ぎて、頭がびっくりして頭痛起こしたってところじゃないですかね。なんで、ほんとにもう大丈夫ですよ」

 答えながら、身体の上に掛かっていた外套を畳み、立ち上がる。枕にしていた鞄を退けて、敷布代わりにしていた外套も埃を払ってから同様に畳んだ。

「これ、ありがとうございました」

「おう、どういたしまして。んじゃ、もう本当にいいんだな? 無理してねえな?」

「してませんって、本当です」

「なら、その言葉信じたかんな」

 そう言って頷いて見せると、レインナードさんは私の差しだした外套を受け取り、代わりにほかほかと熱を帯びたものを私の掌に載せていった。

「腹減ったろ、飯にしようぜ。さっき炙っといたから、少しは柔らかいんじゃねえかな」

 掌一杯に載せられたのは、食料として持ってきた干し肉と堅パン、それからいくつかのドライフルーツだった。鼻先を香しい匂いが掠めてゆく。口の中に唾が沸いてきた。

「ありがとうございます、頂きます。よく晴れてますし、折角なんで外で食べません?」

 それもいいな、とレインナードさんが同意してくれたので、荷物を持って外に出ることにした。街の中とはいえ、建物の外では気持ちのいい風が吹いている。二人して石畳の上に座り込んで、温められた食料をぱくついていると、何だか学校とかの課外授業で遠足に来ているような気分になってこなくもない。

「そういや、さっきの話脱線したまま終わってたんだけどよ」

 しばらく無心で食事をしていたものの、おもむろにレインナードさんが声を上げた。

 さっきの話……鎧を動かしていた術式の分析がどうのこうの、だったっけ。言われてみれば、そうだったかもしれない。

「結局のとこ、鎧を動かしていた術式の分析は学院の中でもできる奴は少ねえ。それで間違いねえんだよな?」

「ええ、まあ、たぶん」

「微妙にあやふやだな……。まあいいや、つまりお前はかなりの出来物だってことだろ。学院の中でも図抜けて知識や技術がある。だったら、お前はそこんとこをよく自覚して、上手く立ち回らねえとならねえ」

「はあ」

 これは、レインナードさんは何を言おうとしているのだろうか。まだ話の流れが今一つ見えないので、自然と返事は気が抜けたようなものになった。そのせいか、レインナードさんが少しだけ眉間に皺を寄せたのが見えた気がしたものの、他意はなくただ単に上手い反応ができなかっただけということで、勘弁して頂きたい。

「……まあ、そもそもとしちゃあ俺が考え無しに頼んじまったのが問題だったんだけどよ。そこは今は脇に置くとしてだ。お前の持ってる技術や知識には、確かな価値がある。一朝一夕に身に着くもんじゃねえ。いいか、それを他人に乞われて使うなら、必ず相応の対価を要求しろ」

「対価というと……傭兵がが報酬と引き換えに依頼を請け負うように?」

「簡単に言や、そういうこったな。その辺きっちりしとかねえと、善意につけこまれて割を食わされることにもなりかねねえぞ。自分が損しても困ってる奴を助けてえとか、そんな奇特な信条は持っちゃねえだろ?」

「そうですね、普通にないです。困ってる人を見て何とも思わない訳じゃないですけど、まずは自分の身をちゃんと守らないといけないですし」

 せっかくここまで育ててくれて、学院にまで送り出してくれたハント家の人々に、私はまだ何も返せていない。それなのに自分を損なう訳には、断じてゆかない。そもそも自分のことで手一杯な人間が、それを投げ出して誰かを助けようなんて、とんだお笑い草ってものである。

 きっぱり言って返すと、レインナードさんはその通りだと言わんばかりの顔で頷いた。

「そこが分かってんなら、ひとまずは安心ってもんかな。ただ、どんなに美味い対価を保証された頼まれ事でも、負担が大き過ぎると判断したら迷わず断れよ。変に情をかけたり、欲を出したりすんな。さっきみてえに、自分が潰れてからじゃ遅えんだから。……お前は大人びてる割に、どうもこの辺の意識がちと薄いっぽいからな。これからはよく気を付けとけ」

 ひどく真剣な表情をしたレインナードさんは、そう言って唇を閉じた。

 そう言えば、少し余裕があるからって気軽に安請け合いしてたら、どんどん相手の要求が増してきて自分の負担ばかり増えて、リターンが少しも増えないどころか減っていく――とかいう、悪循環に陥ってた先輩が昔会社にいたっけ。先輩には悪いけれど、そういう風にはなるなと、レインナードさんは要するにそう言いたいのだろう。どうも闘技場でした無茶は、完全にレインナードさんの心配性に火をつけてしまったらしい。

「分かりました、これからは少し意識してみます」

「そうしてくれや、じゃねえとこっちの気が休まらねえ。つーことで、まず俺との約束事を決めようぜ」

「約束、ですか?」

「おうよ。俺が魔術であれをしてくれ、これをしてくれ、って頼むとするだろ。そしたら、お前は俺に対価を要求する。そこの裁量を決めとこうぜ、って話だ。もちろん、さっきの鎧みてえに負荷が大きすぎる時は、自分の判断で断っていい。つーか、断れ。必ず断れ。変に気を使ったりすんな。俺もそこまで腕が悪い訳じゃねえし」

「そんなに念を押してくれなくても、分かりましたって。つまり、レインナードさんから私への雇用契約みたいなもんですかね?」

「雇用って程じゃねえけどな。なんだったら、後で書面にした方がいいか?」

「そこまで大仰にしなくてもいいです。てことは、私の方から条件を出していいんですか?」

「おう。よく考えて、相応のモンにしろよ」

 うーん、魔術で手助けすることの対価ねえ……。よく考えろ、と言われてもなあ。すぐには思いつかない。かと言って、時間を掛けたところでいい案が閃くとも思えない。――というか、善意につけこむ気のない人相手に躍起になって考える必要があるんだろうか、これ。

「……あー、うん、よし。決めました」

「早えなオイ!?」

「即断即決が身上なんで」

「初めて聞いたぞそれ」

「私も初めて言いました」

「オイ」

「まあまあ、続き聞いて下さいよ」

 そう言うと、些か不満そうな顔をしつつも、レインナードさんは口を閉じ、先を促すような目顔をした。

「それじゃ、第一に。通常の探索程度なら、帰った後にマリフェンのケーキを食べさせてもらえれば充分です」

 あっ、レインナードさんの眉間に皺が。見てない、私は何も見てないぞー。

「で、第二に。さっきの鎧みたいな不測の事態については、別途追加のケーキで応相談です。よっぽど荷が勝ち過ぎている場合とかは、検討の上次善策を協議ということで」

 以上です、と結ぶと、レインナードさんはこれ見よがしに深々とした溜息を吐き、再び呆れたような顔をした。何を馬鹿な、とでも言いそうな顔である。実に心外だ。

「よく考えろって言っただろ」

「よく考えましたよ」

「よく考えてこれかよ」

「よく考えてこれですよ」

 ハハーンと笑って見せたら、今度はレインナードさんの方が頭痛を感じているような顔になってしまった。おお、更に一層心外である。

「よく考えた上でこれでいいってなら、敢えてこれ以上突っ込みはしねえけどよ……。いくら何でも安過ぎんだろ」

「まあ、これはレインナードさん限定格安契約なんで、幸運に思ってくれていいですよ」

 ……そう、例え裸族のケがあろうとも、人の話を聞かないきらいがあろうとも。まるで年上の兄弟のように世話を焼いてくれたり、確実な仕事ぶりを見せてくれるこの人を、私は何だかんだで気に入っていて、信頼してもいるので。

 私にできることで求められて手を貸すにあたって、別に特別な対価なんていらないし。何かが起こって、何かの助けが必要で――そんな時に、私にできることがあるのにお呼びがかからないのは、少し寂しいかなと思ったりもしてしまったのだ。

「文句がないなら、これで契約成立ですね」

 そう言って笑って見せると、レインナードさんは憮然としたような顔をしたものの、もう何を言うでもなかった。ただ、無言のまますっかり火傷の治った手が伸びてきて、ぐしゃぐしゃと私の頭を撫でた。

「とびっきりの奴、帰ったら食わしてやる」

「そりゃー楽しみですねえ」

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